It's not over 2 -木手-

 カン…カラララ…、カン…カラララ…と耳障りな音が廊下に響く。
 大名行列のように同級生が道を開ける様を、木手は廊下の壁に凭れながら見ていた。
 隣では、田仁志がテニスの教本を読んでいる。

 幼い頃から勉強漬けだった田仁志は、今でも何か新しいことをやるにはまず教本を読むところから始めないと上手くいかないことが多い。
 勿論武術に関しても、本当は教本があれば良かったのだが、祖父の信条に反するという事で上達は少し遅くなってしまった。

「田仁志クン、それキャリオカステップ。よく読んで頭で理解してるといいよ」
「うん」

 目の前を通って行く上級生は、その手に持っているバットが目印の野球部だ。
 最も、比嘉中の野球部は名ばかりで不良の溜まり場になっている。
 しかしこの学校はクラブにさえ所属していれば後は黙認とでも言わんばかりの放任で、こうした不良崩れの運動部がいくつかのさばっていた。

 特に今は、新入生をとにかく怯えさせて自分達のちっぽけな強さを披露しなければいけない、木手にとっては鼻で笑って後ろ足で蹴飛ばすくらいショボイ嘲笑ものの大切な時期。

 未だテニス部の見学に行っていないが、テニス部にもこんな生徒ばかりだったら面倒だと木手は考えていた。

「おいそこのでかいの」

 不意にバットを持った上級生のにやけた声が聞こえ、木手は田仁志が声をかけられたのかと顔を上げる。
 一年の中でも田仁志は縦は勿論横も大きな部類に入っていて、上級生から良くそうやって声をかけられることもあった。

 しかし声をかけられたのは田仁志ではなく、一つ向こうのクラスにいる知念だ。
 廊下の向こうで上級生に囲まれる彼の表情はやはり無表情で、ただぼーっと上級生を見下ろしているように見える。

「お前、一年の知念だろ。顔貸せよ」

 コクリと頷くのを見て、木手は相手にしなければいいのにと嘆息した。
 人の多いところで彼らの誘いを拒否すれば、悪態は吐かれるがそれ以上のことは出来ない。
 いくら素行不良の生徒とは言え、教師や他の生徒がいる中でのおおっぴらな喧嘩はリスクが高いと分かっているのだ。

 だから本当は付いて行かなければ、大した事態にはならない。

 小さくため息を漏らしてしばらくは田仁志の教本を横から見ていたが、チャイムが鳴る寸前木手は教室に帰る人の波とは逆方向へ体を向ける。

「田仁志クン、先教室に戻ってて」
「んー…」

 教本に集中している田仁志を置いて、木手は廊下を歩き出した。



 彼らがどこに行ったのか分からないがどうせ人のいない所しかないと決め付けて体育館の裏へ回りこんだ木手は、向こうからさっき知念に絡んでいた上級生のうちの一人が走ってくるのを見て確信を強めた。

 すれ違う彼はみっともなく泣きじゃくって鼻水を垂らし、まるで小学生にも満たない子供のようだと嫌悪感に眉を寄せる。
 けれど上級生は木手など目に入らないのか、逃げる事に必死でただ横を通り抜けて行った。

 当然その後を知念が来るものとばかり思っていた木手は、体育館の角を曲がるまで誰とも擦れ違わなかったことに首を捻り角を曲がってから納得した。
 知念は逆の方向から体育館をぐるりと回って校舎へ戻ったのだろう、その場にはいない。

 顔から血を流している生徒が二人、体育館の壁に凭れて座り込んでいる。
 土下座のような体勢で蹲って胸元で手を押さえている生徒は、どうやら手の骨が折れてしまっているらしい。
 残りは、腹を押さえたまま呻いている生徒がいるだけだ。

 見た感じで一番ダメージがあるのは腹を押さえている生徒だろうか、知念の蹴りを防御もせずまともに受けたなら内臓に影響が出るかもしれない。

「あんだテメー…知念の仲間かよ…」

 鼻血を止血しながら問いかけてくる金髪の上級生に、木手は首を横に振った。
 だがその足で手を押さえている生徒に近づき、丸めた体の脇を蹴飛ばした。
 カエルが潰れたような醜い苦痛の声を上げて転がっていった上級生を見ながら、木手は眼鏡のずれを直す。

「っ!?何すんだテメェ!」

 睨みを効かせていた金髪が色めきたって立ち上がろうとするが、脇腹を押さえて蹲った。
 顔だけじゃなかったのかと思いながら、腹を押さえている生徒のところへ向かう。

「腹筋を鍛えないから、内蔵をやられるんですよ」
「うう…」
「残念ですが、病院へ行ってしばらくお粥でも食べてなさいな」
 
 顔中を自分が吐いた物に汚してはいたが、上級生は恨みがましい目で木手に手を伸ばしてきた。
 勿論その手も吐瀉物に塗れていて、木手は容赦なくその手を踏みつける。

「汚い手で触らないでください」
「っぎ、あぁあぁあっ!」

 踏みつけた手首の辺りを、木手はタバコの火を揉み消すときの要領でグリリと足を捻った。
 バキ、と枯れ木が割れるような音がして、汚い悲鳴が足元から上がる。

 木手はタバコなど吸ったことが無いが、それでも彼らがタバコよりも有害だと十分に理解していた。

「もっと鍛えないと」
「っひ…っい…」

 しゃくり上げる呼吸に泣き声が混ざって、ガタガタと上級生の肩が震えていた。
 木手が足を離さないため、患部を押さえる事も出来ずに口を半開きにしたままこちらを見上げている。

「骨は折れてないと思いますよ。筋を痛めた程度でしょう」

 そこまで強く踏んでいないし、そこまで上級生の骨が弱いとも思わない。
 ゆっくりと足を離し、自分の手を後生大事に引き寄せる上級生を見下ろしながら、リーダー格らしい金髪に声をかける。

「もう彼には手を出さないでください」
「…何言ってんだテメェ。知念の仲間じゃねーんだろうが」
「今はまだ違います。でも知念クンは近いうちにテニス部へ入るんです」
「っは、あの弱小でやる気の無いテニス部か」
「…、弱小上等、歓迎です」

 弱小、と言う言葉に木手はピクリと反応した。
 どうやら野球部のように面倒な人間はテニス部にはいないということらしい、その事に安堵すらしつつ木手は彼らに背を向ける。

 知念が無事だと確認できれば、最早クズの側にいる理由は何一つ無い。




「永四郎、掃除行ってくる」
「ええ」

 放課後、トイレの掃除当番に当たっている田仁志を待ちながら、木手は窓際の自分の席に座り外を眺めていた。
 グラウンドを帰っていく生徒達に混じって、ひょっこりと背の高い知念が校門へ歩いて行くのが見える。

 上級生に声をかけられていた時の表情を思い出す。
 無表情のまま、楽しいと思うことも怒りに震えることもなさそうな色の無い視線で上級生を見下ろしていた。

 けれど木手は知っている。
 彼が試合で構えを取り、審判の号令があるまでのその一瞬の間。

 瞳を生き生きと閃かせ、全身から闘気を溢れさせる。
 本当に楽しいと、体全身で物語っていた。

 何があったか詳しく聞いたことは無いが、小学校を卒業する少し前に辞めてしまったのは永四郎から見ても惜しいと思ったものだ。

 ポケットに手を突っ込んだまま肩に鞄をかけて歩いて行く知念を見送っていると、隣の教室から耳を劈く衝撃音がして机がグラウンドに落下して行くのが見えた。
 幸い下にはだれもいなかったが、下校中の生徒達が一様に振り返っている。

 だがそれでも知念は、振り返るどころか肩一つ動かさなかった。

「……変わった人ですね」

 自分も十分範疇に入ると自覚していながら、彼に対してそう呟かないわけにはいかなかった。
 突然の大きな音に驚かないのはよほど肝が据わっているのか、それとも自分以外の世界を拒絶しているのか。

 多分両方だと当たりをつけたとき、隣の教室の窓から校舎の外の足場に人が出てきた。
 金髪の髪と、オレンジ色の髪の生徒。

 サッシに頬杖を付いたまま眺めていると、彼らは身を屈めてこちらへやってくる。
 視線だけでそれを追いかけ、馬鹿な事をしていると口元を笑みの形に歪めた。
 先ほどの上級生と違って、それは嘲笑ではなく単なる笑みだったが。

「おや、平古場クン。何してるんですか、そんな所で」
「うわっ…!!」

 不意に悪戯心から声をかければ、驚いた平古場がふらりとバランスを崩して木手も驚いた。
 けれどすぐに体勢を立て直し、怪訝そうな表情でこちらを見上げてくる。
 後ろの甲斐が、突然止まった平古場をきょとんとして見つめていたが、平古場は気付いてはいないらしい。

「何だよ…お前」
「何だよ、と言われましてもね。君の隣のクラスの木手ですが」
「チクってみろ…ただじゃおかねーぞ」
「そんな野暮な事はしませんよ。それより、いくら2階とは言え危ないですから早く教室に入ったらどうですか」

 窓から少し離れて道を開ければ、体を起こした平古場がサッシに足を掛けて教室へ入ってきた。
 その後ろから入ってくる甲斐には平古場と木手のやり取りは聞こえていなかったのだろう、未だ不思議そうな顔をしてこちらを見る。

 木手は側の壁に背を預けて腕を組むと、自分を睨み続ける平古場に問いかけた。

「ところで、さっき机を投げたのは君ですか?」
「だったら何だよ」
「いえ、随分無粋な方法を取ると思いましてね」

「はぁ…?喧嘩売ってんなら買うぜ」

 威嚇するような平古場の声を聞きながら左手で眼鏡を押し上げ、ハッ、と鼻で笑い飛ばす。

 喧嘩、道場でも一目置かれていた二人が戦う術を喧嘩に限定してしまっている。
 机を投げるような手法を使うことを考えれば、彼らは武術を忘れ始めている可能性が高い。

「結構です。俺は喧嘩はしない主義でね。その代わり…」
「何だよ」

 これはまず、武術の方から思い出させる必要があると木手は考えた。
 自分が必要としているのはテニスの上手い人間ではない。

 沖縄武術をテニスに生かすことの出来る人間だ。

 壁から身を離す木手を見て平古場が距離を取って構えようとするが、木手は肩を竦めて自分の席から鞄を取り教室の出口を目指す。
 そして振り返りもせず、言い放った。

「試合ならしてあげない事もありませんが…。まぁ、今の君では相手にならないでしょう」
「この野郎、言わせておけば…!!」

 バタバタッと足音がして気配が近づいてくる。
 縮地法を使って蹴りを避けた木手が彼らを振り返ると、二人は驚きに目を見開き口をぽかんと開けていた。

 彼らも知念も、縮知法を習得するに十分な実力を担っていたはずなのに、それを教える前に道場を去ってしまった。

「なっ…」
「ほら、勘が鈍ってますね。そんなんじゃ試合もできない」
「調子に乗るなよ…」
「乗っているのはむしろ平古場クンのほうでしょう。田仁志クン、帰りますよ」

 ちょうど掃除から戻ってきたらしい田仁志に声をかけて教室を出れば、田仁志も教室から鞄を取ってきて隣に並ぶ。
 同時に、教室から平古場の声が聞こえてきた。

「すげぇむかつく!」

 むかつけばいい。
 自分に敵意を持てば、それを利用できる。

「永四郎」
「何ですか?」
「何か、楽しそうだな」

 田仁志に言われて、木手は頷く。

「ええ、とても楽しいです」


2007/08/26:完成