It's not over 3 -木手-

 ある日の昼休み、木手は田仁志を外に待たせて職員室を訪れていた。
 テニス部の顧問の先生はいらっしゃいますか、入った所でそう問いかけるとここからは見えない衝立に仕切られたスペースからしゃがれた声が返ってくる。

 すりガラスの衝立に丸い人影が映って、その脇からポロシャツを着た中年の男性が出てきたのを木手は軽い失望感と共に見つめていた。
 咥えタバコ、明らかな酒の臭い、おそらく二日酔いなのだろう、顔を顰めてだるそうにこちらへやってくる。

「何だ、一年か?」
「はい。一年の木手永四郎です」

 自分で聞いたくせに眉を顰めるその教師は、米神を揉み自分の名を名乗る事も無く興味もなさそうに頷いてすぐに本題へと移ってしまった。

「で、何の用だ」
「テニス部の見学をさせていただこうと思いまして、一応早乙女先生に許可をもらいに来ました。今日は活動日ですか?」
「あ〜?あー…やってんじゃねぇか?放課後直接部室に行くか、部長に聞いてみろ」

 わざとらしく顧問の名前を出した木手にも彼は反応せず後頭部を掻きながら部長の名前を思い出し、少し経ってからありきたりな名前を木手に告げる。
 分かりましたと頷いて職員室を出ようとすると、何だか煮え切らない声をかけられた。

「あー、おい…お前」
「はい?」
「テニス部、大して強くねぇし、部員もやる気のねぇやつばっかりだ」

 その辺りはさすがに教師、というところだろう。
 少し話しただけで、部活に対する木手の姿勢を読み取ってしまうのだから。
 最も、誰から見ても優等生と分かる木手の風貌や口調を見れば、大抵の人間が彼が何事にも懸命だと言う印象を持つのだろうが。
 それが、事実とは大幅に反していても。

「噂で聞いています」
「…まぁ、期待はすんな」
「はい、ありがとうございました」

 口先だけの礼を言って、木手は職員室を出た。

 一応確認と顧問の面通しをと思って訪ねたが、思った以上にやる気の無い顧問だと感じた。
 やる気の無い部員にやる気を出させようともしない、むしろ彼自身が一番やる気が無いのだろう。

「どうだった?」
「思った通り、お飾りだったよ」
「そうか」

 手持ち無沙汰に職員室前の壁に張られた掲示板を見ていた田仁志が問いかけてきたのでそう答え、逆に好都合なのでは、と考える。
 自分がやりたいことと、やる気溢れる顧問のやりたい方向が違えば、中学生のうちは自分が折れるしかない。
 しかしやる気の無い顧問であれば、その辺りは放任してくれるだろうから自分の好きなようにやれる。

 経験は知識で補えばいい、知識は探せばいくらでもある。
 自分の考えに軽く頷いた木手だったが、この時はメキメキと上達し上を目指して行く自分達に早乙女が急に顧問面して指導を始めるなどとは思っても見なかった。



 
 教室へ戻る道すがら、同じクラスの女生徒が何やら興奮気味に喋っているのが目に付く。
 普段なら大して気にも留めない木手だったが、内容の中に平古場、甲斐、知念と名前が聞こえてきたので興味を引かれた。

 廊下の壁にもたれて喋っている彼女達の側に立ち止まって声をかけると、怪訝そうないくつかの瞳がこちらを見上げてくる。

「何?木手」
「その話、詳しく聞かせてくれます?」
「何、アンタ噂話とか興味あるんだ」
「まぁ、一応は」
「へぇ、意外」

 意外、何を持ってして意外と言うんだ。お前は俺の何を知っているんだ。
 ふとそんな思いが過ぎったが、女生徒が話し始めたのですぐに四散してしまう。

 聞いた話では、どうやら平古場と甲斐が知念に接触を図ったものの、つれない態度で追い返されたらしいとのこと。
 平古場と甲斐がえらく怒っていて、近いうちに知念とやりあうんではないかと言う彼女の予想。

 噂話から真実の部分だけを考えると、接触を図って追い返された、と言うところまでは信じられそうだと考える。

 恐らく平古場と甲斐は、つれない態度だけで喧嘩を吹っかけるような馬鹿な人間ではないはずだ。
 それにつれなくしただけで喧嘩を挑まれるならば、小馬鹿にした自分なら殺されているのではないかと思う。

 教えてくれた彼女達に軽く礼を言ってその場を離れると、教室に入る直前田仁志が声をかけてきた。

「なぁ、いいのか」
「何がですか」
「仲悪いみたいだけど」
「別に気にするほどのことでもありませんよ。俺は仲良しテニスクラブを始めたいのではありませんからね」
「でも…テニスは団体戦だろ。道場でも仲悪い奴同士は出さないじゃないか」
「そうですね…。でも、今の所はそう心配する事もないでしょう。同じ場所で息をするのも嫌となれば少し考えなければなりませんけど」

 平古場と甲斐はともかく、知念はそこまで人を嫌う事は無いような気がする。
 木手はそこまで考えて、これでは自分もさっきの女生徒と同じだと気付いた。

 人を良く知りもしないのに、あの人はこうだと決め付けてかかっている。

 今でこそ誰とも付き合わずに1人を好んでいる知念だが、彼の本当の性格は打ち解けてみないと分からない。
 何事にも無関心で何事にも心を動かされないように見えるのは、知念の外殻のほんの表面を見ているだけでしかないのだから。

 けれど。

「俺は、平古場クンと知念クン。案外気が合うと思うんですがね」

 自分の席に座りながら言った言葉は、少し離れた場所にいる田仁志には聞こえていなかった。




 午後の授業が終わり、木手は田仁志を伴って部室の前へとやってきていた。
 朝念のためにと持ってきたラケットバッグの中には、愛用のラケットが出番を待っている。

「…………」

 野球部やバスケ部のように変な落書きなどは無いが、コートの整備はしていないことが丸分かりだった。
 ネットは弛み、コートの隅には雑草が生え、何より扉を閉めているはずの部室から微かに音楽が聞こえてくる。

「…………」

 田仁志を見上げると、彼は眉を寄せて少々不安そうな顔をしていた。
 自分も似たり寄ったりな顔をしているんだろうな、そう思いながら軽く拳を握り扉をノックして扉を開ける。

「すみません」
「んー?」

 音楽はますます大きな音になり、木手は眉を寄せて思わず片手を耳に当てた。
 中にいた上級生は二人。それ以外には誰もいない。

「部活の見学に来たんですが、今日は無いんでしょうか」
「あー、見学って行ってもなぁ…」
「今日は俺らだけだから」

 パイプ椅子に腰掛けて漫画を読んでいる上級生は、木手の表情を見てラジカセの停止ボタンを押し音楽を止めた。
 急に静まり返った部室の中を見渡すと、確かに荷物は二人分しかなくロッカーも使われていないようだった。

「二人だけ、ですか?」
「おぉ、去年までは練習熱心な3年生がいたんだけどさ。卒業で引退した後からはずっと自由練習」
「それでも地区大会まで出てんだぜ?すげーだろ」

 練習してないにしてはなー、なんて笑う彼らに、木手は小さくため息を漏らして眼鏡のズレを直す。
 何も知らない一年生ではない木手が、備品すら置いていない部室を見渡して誰かが壁にぶつけて遊んでいたらしいテニスボールを見つけた。

「地区大会止まり、と聞きましたが」
「えっと…物は言いようだよな」
「…予選の県大会、一体何校が参加したんですか?」
「あー……」

 東京都大会の十分の一程度の参加校の沖縄県大会で優勝したからといって、何もすごい事は無い。
 如実にそう態度で示す木手を見ても、上級生は怒るわけでもなくヘラヘラと笑みを浮かべた顔を見合わせ決まり悪そうに後頭部に手を当てた。

「まぁ、俺達のモットーは自由に楽しく、だからさ」
「そうそう。一生懸命やるとか性に合わないしな」
「…そうですか」

 二人の側をすり抜けて床に転がるボールを拾うと、念には念を入れて田仁志にもラケットを持ってくるよう言っておいて良かったと思いながらこちらの動きを注視している上級生へ顔を向ける。

「これ借りてもいいですか」
「あ?あぁ」
「田仁志クン、軽く打って帰ろうか」

 首を傾げる上級生にはそれ以上何も言わずに部室を出ると、誰も使っていないコートへ入り弛んだネットを直し始める。
 満足とまではいかないがそれなりに張ったネットに軽く頷き、部室で拾ったボールを田仁志に投げた。

「田仁志クン、先に打ってみせて」
「おう」

 学ランを脱いで砂が付かないよう審判席に引っ掛け、シャツの腕のボタンを外しながらコートへ向かう。
 一年生の実力が気になるのか、部室にいた上級生達がいつの間にかフェンスの側に立っていた。

 田仁志がボールをトスし、サーブのモーションに入る。
 しかし木手はラケットを構えることなく腕を組み、田仁志の動きを見ているだけだ。
 彼の巨体から繰り出されるそのサーブは体つきと同じく重い打球となって木手のコートに向かって行く。

 木手から数歩分左に離れたところで普通のサーブとは明らかに音の異なったバウンドをし、背後のフェンスにぶつかって地面に落ちた。

「すげぇ…」
「速ぇな」

 ポツリと聞こえた上級生の呟きに田仁志は笑みを浮かべるが、木手は首を軽く傾けて視線だけを地面に落とし首を横に振った。
 木手の仕草を見て、田仁志も笑みを落胆に変える。

「アウト」
「あー…」
「もう少しだったね、田仁志クン」

 ラインからほんの少し出てしまっているボールの跡を見ながら言うと、足元に転がってくるボールを拾って木手が構えた。
 何度かバウンドさせた感覚から、ボールですら空気が少し抜けてしまっているのに気付いて小さく舌打ちする。

 呆然とコートを眺めている上級生を振り返りながら、木手は少し大きく声をかけた。

「テニス部への入部届けは、後で顧問の早乙女先生に出しておきます」
「あ、あぁ…」
「俺は、これから俺を含めた全員でテニスの腕を上げて上を目指します。先輩方が自由に楽しくをモットーとしてらっしゃるのは構いませんが、俺達が自由にやることもまた、そのモットーには反していませんね」

 どんなに速いボールでも重いサーブでも入らなければ意味が無い、テニスとはそう言う競技。
 そして、勝たなければ意味が無い。
 競技とはそう言うものだと木手は思う。

 本当に、何もかも始めから叩きなおさなければいけないらしい。
 トスしたボールを目で追いかけるその間、不意に青い空が視界を過ぎった。


2007/10/24:完成
2007/10/24:UP