「俺は、興味ないから」
「そうですか。残念ですね。行きましょうか、田仁志クン」
「え、いいのか…永四郎?」
いいんですよ、心の中だけでそう答える。
恐らく知念は田仁志と同じように少しばかり驚いてくれているだろう。
木手の希望的観測ではあったものの、あながち外れてもいない確信があった。
人と群れる事が嫌い、強制されるのはもっと嫌い。
その奥の心は計り知れないが、知念の考えはそんなところだろう。
彼を悪の道に、または正しい道に引きずり込もうとする人間はたくさんいたはず。
だがそれを、彼は突っぱねてきた。
中学生と言う大人に見守られなければ生きていけない年齢であれば、知念の生き方は酷く諦念的で、木手から見ればとても勿体ない。
世間は知念が思っているよりももっと救いがあって、そしてもっと薄情な物だ。
「でもね、知念クン」
ふと眼が合って、掘りの深い眼が先に外される。
長身の彼はいつもどこを見ているのかよく分からない。
知念と同じクラスの知り合いに聞いてみれば、授業中以外は寝ているか窓の外を眺めているかのどちらかだそうだ。
だが彼よりも高みを見ている自信が自分にはある。
そしてその高みを、知念にも見せてやれる自信が。
「俺は君が、テニス部に入ると確信していますよ」
「……木手」
「君は俺と、テニス部の人間と一緒に全国大会へ行くんです」
「…………」
反らされた視線がふと戻ってきて、また反れる。
頑なな殻の奥は存外柔らかいものだなと木手は思ったが、口元に薄く乗った笑みは気付かれなかったようだ。
「お、俺はやらないっ」
「いえ、君はきっとテニス部に入ります」
「…………」
唖然とした顔をする彼にはお構いなしに連絡事項を伝える。
頭は悪くないはずだから、必ず記憶に引っかかるだろう。
「練習は毎日、放課後夕方6時まで。朝練は早朝6時からです。日曜日も勿論あります。テニスラケットは最初は備品を使えばいいでしょう。後で一緒に買いに行けばいいです」
「だから…っ」
「では、他にやることがあるんですか?」
ある訳がない、彼の世界はモノクロだ。時計も壊れたまま止まっている。
悔しそうに下を向く彼に、少しばかりきつかったかと思い直して続けた。
「悩むのも結構ですが、時間はありません。一日も早く練習を始めなければ、全国大会など到底夢の話ですよ」
踵を返してその場を立ち去る木手を、田仁志が追いかけてくる。
田仁志はもう少し木手がちゃんとした勧誘をすると思っていたのだろう、しきりに後ろを振り返って木手に声をかけた。
「知念はもういいのか」
「これで潰れると言うなら俺の見込み違いです。それより田仁志クン、今日こそサーブを確実にインさせてくださいな」
昨日は何本か入ったなどとごちゃごちゃ言い訳するのを無視して、木手は荷物を取りに教室へと足を向けた。
木手が一人で平古場たちの所へ向かったのは、部活と道場での練習を終えた夜だった。
騒がしい繁華街の一角、まさしくとでも形容できそうな小さなゲームセンター。
大きな音楽に眉を顰めながら中に入った木手は、一番奥の格闘ゲームの前にいる集団を見つけた。
「平古場クン」
「あ?」
仲間がゲームに興じるのを少し後ろで眺めていた平古場に声をかけ、視線だけで外を指し示す。
片方の眉をひょいっと上げて見せた彼は、昼間自分の楽しみを邪魔した生徒だと気付いたのだろうか視線を鋭くして後ろをついてきた。
あまり人に見せられるものではないと判断して路地裏へ足を向けた木手は、人通りが少なくなった途端飛んできた尖った声に振り返る。
「何の用だよ。説教だったらいらねーぞ」
「説教なんかしませんよ。どうせしたって聞きやしないでしょう」
「だったら何」
ポケットに手を突っ込み、心底だるそうに首を傾けてこちらを見上げてくる。
道場の門下生だったとは思えないその態度に溜息をつい漏らしてしまい、平古場の反発心をさらにあおってしまった。
「馬鹿にしてんのかお前」
「いえ、そうじゃありません。ただ、まるでチンピラだと思ったものだからね」
左頬めがけて伸びてくる拳を受け止め、力を込めて握り締める。
眉を顰めた平古場の足が振り上げられる前に手を開放して二、三歩後ろに下がり、不愉快だと思いを込めて睨みつけた。
「本当の事を言われて怒るのは子供っぽいですね。みっともない」
「ケンカ売りに来たのかよ」
「いいえ、テニスに誘いに来ました」
てにす、と彼の唇が動くのに頷いてやれば、ややあって笑い出した。
道行く人が何事かと振り返るような大声で笑い飛ばされ、流石の木手も居心地が悪くなる。
「テニスって……!何言い出すかと思ったら、お前そんな事言いにここまで来たのかよ」
「えぇ、テニスです。俺達と、君と……」
「と?」
「それから知念クンと一緒に」
一瞬にして消えた笑い声におや、と思う。
根に持つタイプではないはずだが、まさか昼間の事があるから嫌だとでも言うのだろうか。
「君は運動神経はいい方だ。初心者で頭が悪い事はこの際置いておきます。それは練習で何とかなる」
「テニスして何になるんだよ」
「日本一です。日本で一番テニスが強いことを証明するんです。俺は全国大会を制覇します」
「…………」
光を失っていく平古場の瞳に、木手はこの少年が本当に腐ってしまったのかと危惧した。
そして危惧したとおり、平古場は木手に背を向けた。
「嫌だね。テニスも、アイツと一緒にやるのも」
「…………」
「あいつとは決着が付いてねーし、テニスやるぐらいなら喧嘩してる方がましだ」
そう言ってゲームセンターの方へ歩き出してしまう平古場に、木手は声を張り上げる。
「楽しいですよテニスは!」
「…………」
「君はいつも面白くなさそうな顔をしますね。そんな顔する暇も無いくらい楽しいですよ。テニスは」
ピタリと路地裏の出口で足を止めた平古場が、苛立ちを押さえ込むように一旦顔を上向けてからこちらを肩越しに振り返った。
木手を睨みつけ、乱暴に自分の髪の毛を掻き回す。
「俺の事をお前が勝手に決めんな」
だって面白くなさそうな顔をしているじゃないかと木手は思う。
いつだって不機嫌そうで、笑っていてもどこか生気のないだるそうな顔。
まだ幼い頃に何度か見た試合では、彼はそんな顔をしていたことなど一度も無かった。
「骨が折れますね。彼も知念クンも」
だがやりがいがある。
自分の手で作り上げたテニス部を全国へ、そして日本全国に知らしめる。
沖縄武術という素晴らしい物が、スポーツの世界でも通用するという事。
きゅっと細めた目で一瞬平古場の背中を見やり、木手も踵を返した。
話ができないのなら、この騒がしい場に興味は無い。
平古場に話を聞く気が無いのなら、聞かなければいけない状況を用意するまでだ。
諦めるという言葉など、木手の世界には影すらなかった。
2010/04/09:完成
2010/07/02:UP