部活の後、自宅に戻った木手永四郎がまずすることは常に風呂だ。
シャワーを浴び、時にはゆったりと湯船に使って疲れを癒す。
きっちりと纏めた髪を無造作に下ろし、温かいお湯の中で身も心も弛緩させる。
気を張って部活に打ち込んでいる事を日常としている木手には、その緊張から開放される風呂の時間がどうしても長くなった。
沖縄の温暖な気候もあって湯気を立ち昇らせそうなほどに温まった体には、服ですらも厭わしい。
バスタオルで体を拭った木手は少し考えてから、下着とハーフパンツだけを身に着けて部屋に戻った。
扉を開けると、家族でも部屋の主でもない人間がいて木手は軽く目を見開く。
「来てたの」
「おー」
ベッドに寝転がってコミック誌を読みふけっているのは、先ほどまで同じテニス部で汗を流していた甲斐裕次郎。
微かな驚きを見せた木手はパソコンデスクの上に置いてあるクーラーのリモコンを取り、電源を入れる。
機械の作動する音と共に冷たい風が部屋の温度を下げていく。
甲斐のことは勿論、テニス部の面々であればインターホンを鳴らせば木手の家族が平気で家に入れてくれる。
同時に、木手が彼らの家を訪ねても同じ扱いをされる。
それほど同じ時間を共有しているのだと、自覚するのはそんな時だ。
ギシリと椅子の背もたれに体を預ければ、気の抜けたため息が自然と漏れた。
「お疲れー?永四郎」
「別に」
「リーマンやっし」
コミック誌から目を逸らさずに肩で笑う甲斐をジロリと見て、こちらを注視させるようにゆっくり脚を組んでみせる。
彼の本当の目的が何週間か前に平古場がこの部屋に忘れて行ったコミック誌ではないことなど、もう十分すぎるほどに分かっている。
「で、甲斐クンは何しに来たの」
「決まってるさぁ」
「じゃあさっさとしなさいよ」
ほら、と言うように脚を組みかえれば、ようやくこちらを見た甲斐が爪先へ視線を落とす。
視線はゆっくりと足の甲を辿り、脛を這い回って膝頭で一旦止まり太ももの辺りを彷徨ってすぐに木手の顔へ上がってくる。
「風呂入ったのって、わーが来るってわかっちょったから?」
「帰ったらいつもすぐに入るんですよ」
「ふうん」
「不服そうに言われても別に俺は好きでこうしているわけでないからね」
「分かっちょんさぁ」
ベッドから起きた甲斐が近づくと、木手は椅子の肘掛に肘を乗せて頬杖を付く。
組んだ脚を解くと同時に甲斐が足元に片膝を付いてしゃがみ、右足を自分の太股の上へ乗せた。
足の裏に当たる他人の体温は熱く、脹脛に片手を添えられてくすぐったさに身が竦んだ。
甲斐はもう自分を見上げようとはせず、まるで壊れ物を扱うようにそっと右足の踵を持ち足の甲に伝う筋へ指先を這わす。
指先は脛へまるで甲斐自身を焦らすように緩慢な動作で上がっていき、脹脛を支えていた手が筋肉の張りを確かめるために軽く力が込められた。
脹脛の一番太いところからアキレス腱までを何度も往復する手は、時折踝を掠めて甲斐の目が細められる。
骨の浮く膝に指先が達すると、まるで小さな子供にするような優しさで膝頭を何度か撫でて堪えきれないようなため息を漏らした。
「くすぐったいです」
「あびゆんすな」(喋るな)
文句を言えば部活のときとは比べ物にならないほど低い声が返ってきて、木手は心の中で嘆息する。
そうしていつものように、頬杖を付いたまま甲斐の頭を見つめてこの行為の発端を思いだした。
初めてこうして足に触れられたのは、2年生の頃甲斐の家へ泊まりに行ったときの事だった。
木手の性格上他人の家へ泊まりに行くのは余り好きではなかったが、レギュラー全員で彼の親の経営するペンションに遊びに行ったため1人だけ帰るのもどうかと思ったのだ。
甲斐の部屋で雑魚寝をしていた木手は、真夜中に体に触れられる感触に気付いて目を覚ました。
薄いタオルケットの上から誰かが足首を握り、ゆっくりと太股の方へ手を滑らせていく。
その仕草は起こさないように慎重で、けれど密かな興奮が伝わってくる熱い動きだった。
悪寒が走って飛び起きると、薄暗がりの中驚いたような絶望したような表情でこちらを見ている甲斐がいた。
その表情は悪戯や冗談などの誤魔化しが聞かないほどに切実で、そのことが木手を更に驚かせた。
『な、にを…してるんですか』
『あ…』
『……ちょっと、出ましょうか……』
有無を言わせない木手の言葉に、甲斐は頭を垂れるように頷いた。
けれどこの時の木手には、外へ出てどうしようと言う考えは無かった。
ただこの場で声を荒げれば平古場や知念、田仁志たちが起きてしまうし、理由はどうであれ人に吹聴する事ではないと思った。
海の側に建つ甲斐の家を出ると、目の前にある岩場へ向かって歩いた。
後ろをついて来る彼は、一言も口を開かなかった。
岩場へたどり着くまでの間に、波の音を聞きながら木手は考えを整理した。
理由や目的がどうであれ、この事が原因になって今甲斐にテニス部を抜けられると困る。
理由と目的をはっきりさせた後は、今回の事には目を瞑ろう。
そこまで考えて、木手はようやく口を開いた。
岩に打ち付ける波の音は意外に静かで、小さな声でも二人には十分だった。
『甲斐クン、君は同性愛者なんですか?』
『え……?』
『だって俺の体を触っていたでしょう?まず思いつくのがそれで、俺のことを好きなのかと。違っていたならすみません』
『っちが…違う!……と、思う』
違うと言い切った割には小さな声で言葉を付け足し、また俯く。
本当にデリケートな問題だと内心冷や汗をかきながら、とりあえず自分が言うべき事だけを言う事にした。
『甲斐クン、俺は怒っているわけじゃない。勿論驚いたし、俺は同性に興味はないですけどね。でも今回の事で君にテニス部をやめて欲しくはない。だからこの事は誰にも言わないし、すぐに忘れる事にします』
『…………』
『けれど、次に同じ事をしたら俺は君を蹴り飛ばしてしまうかもしれないですね』
それは、きつい拒絶を比喩したようなものだった。
脚に触れたのだから、そう言う表現を使っても別段おかしくないはずだ。
だがそれを聞いた途端、甲斐の表情は劇的に変化した。
俯いていた顔を上げ、音も無く顔を赤くさせて口元を手で覆い今度は横に顔をそらした。
まるで自分の台詞に興奮したみたいだと木手は思った。
『永四郎、わーは…』
『好きだと言われても答えられませんよ』
『あらん。わー、永四郎ぬ脚がしちゅんさ』(永四郎の脚が好きなんだ)
『だから君の気持ちには………は?』
この時木手は、自分ではなく自分の足が好きだと言われ、珍しくぽかんと間抜けな表情を浮かべてしまった。
木手とて頭の悪い人間ではない、この状況で木手が、では無く木手の脚が、と言われればそれが脚のみを対象としての好意だと理解は出来る。
だがまさか、同性愛者ではないと否定した甲斐が自分の脚を?
彼は木手の足には綺麗に筋肉がついていて、長さも太さも申し分ないとまるで堰を切ったように誉めそやした。
それはまるで初恋の人を誉めるような熱心さで、余計に木手を混乱に陥れる。
どうしたものかと、更に頭を抱える木手とは逆にどうやら吹っ切れてしまった甲斐はあっけらかんと続ける。
やはりきつく怒っておくべきだったかと、デリケートな問題に慎重な態度を取り過ぎた木手は自分の選択を悔やんだ。
『またさーてぃゆたさんばぁ?』(また触ってもいいか?)
『何を言うんですか君は』
『わーがテニス部やめるの嫌だろ?さーゆんだけさ』
仕方が無いと頷くのに、大した時間はかからなかった。
「永四郎、舐めてもいい?」
触るだけ、の約束は2回目からさっそく破られた。
同性の脚にフェティシズムを感じることなど考えもしない木手には、甲斐が息を弾ませている理由も熱っぽくこちらを見る理由も良く分からない。
「後で洗ってくれるなら」
「うん」
踵を持ったまま頭を下げ爪先に唇を触れさせる時、くすぐったさと同時に頭の中が痺れる。
初めてされた時は、自分が安っぽいSMクラブの人間になったようで酷く落ち着かなかったのを覚えている。
それも慣れてしまえば、倒錯的な心情を木手に齎した。
甲斐から身も心も服従されたような優越感、自分の中の支配欲が満足させられていくのを毎回如実に感じることが出来た。
足を持ち上げられ、土踏まずへ舌が這わされる。
くすぐったさに身を竦め、肩を震わせると椅子の背もたれが軋んだ。
「じっとしてるさぁ」
「くすぐったいんです」
不満そうに脚を下ろして両手で脹脛を抱え込み、足首から脛を舌先が撫でていく。
脛にある毛穴を逆撫でされる感覚に息を詰め、相手に悟られないようそっと息を吐いた。
「甲斐クン」
「ん…?」
「中学生の内からこんな性癖を持って、苦労しますね」
「んん…あぁ…」
可哀想な物を見る冷たい眼で、木手は言った。
男の脚に異常なほど執着する彼の性癖は、例え性欲が異性に向いていたとしても異質だと思う。
床に座り込んで、男の脚を舐めている様はきっと無様でみっともない。
けれど自分も同じだと、木手は生返事を返す甲斐を見ながら考える。
甲斐にとっては脚のみが執着の、そして性的興奮の対象であり木手永四郎と言う一個人には友人以上の感情を持ってはいない。
それは木手という人格を否定しているのにも等しく、ただの玩具と同等の扱いを受けているのと同じだった。
ピチャリ、と膝から丁寧に湯が掛けられていく。
大きな盥に張った湯に足をつけ、夢中になって脚へ湯浴みをさせていた。
一頻り撫でて、舐めて、終わったら丁寧に体を洗う。
それはまるで惚れた女性に対する優しい行為のようにも思えたが、彼の目の前には男の脚がある。
滑稽だと思いつつ、左足を甲斐の太股に乗せる。
木手からの能動的な動きに顔を上げた甲斐の顔は見ず、左足の親指でさっきから存在を主張しているきわどい所に触れてすぐに離した。
自分から触れるのは、正直避けたい。
「甲斐クン」
「ん?」
「ソレ、処理しなくて辛くないの?」
「…あい、…うりしたら変態やっし」(それしたら変態だから)
「もう変わらないじゃない」
肩を揺すって笑う木手は、顔を真っ赤にして目をそらす甲斐を見て今度は声を上げて笑った。
きっとあれを脚に擦り付けられるのも、時間の問題だ。
END
2007/07/14:完成
2007/07/15:UP