裸の王様

「永四郎、くりでやーはわんのもんばぁ」
「…………」

 大きな執務机の上に腰掛け、足をぶらぶらさせながら小首を傾げる仕草はまだ少年ぽさを残していた。
 彼の為に仕立てられたスーツの内ポケットから宝石の埋め込まれた華美なシガレットケースを取り出すと、側に控えていた黒いスーツの男が黙ってライターを差し出す。
 目を伏せてタバコに火を付けると一瞬眉を潜めたが、顔を上向けて大げさに煙を吐き出した。

「二代目のアマちゃんなんてもう言わせんどー」

 机の正面、絨毯の上で後ろ手に手錠をかけて座らされている男へ、彼はにこやかに話しかける。
 まるで子供が親に褒めてでも欲しいかのような口調に、男は鼻先で笑い飛ばして顔を背けた。

「で、俺をこれからどうするって言うんですか。組織は壊滅状態、俺の家も財産も焼け落ちてしまった。これ以上俺を生かしておいてプラスになることは無いはずでしょう」
「ぬーいゆってるばぁ。わんはやーを手に入れるためにやってきたんばぁよ」
「そうですか、それはおめでとうございます」

 突っぱねた言い草に少しムッとした少年が、机の上から飛び降りて床に足をつける。
 革靴が床に付く音も立たないほどに柔らかい絨毯を踏みしめて男に近づくと、しゃがみ込んで顔を覗き込んだ。
 それでも顔を背ける男の顎を右手で掴んで無理やり自分の方へ向け、口の両端を引き上げて笑みを作る。

「ぬーが、気にいらんばぁ?わん一生懸命やったさぁ」
「気に入る入らないの話ですか、これが」
「永四郎はいっつもそうさぁ。わんがやった事はいっつも気に入らん。やしが今回はわんの勝ち」

 タバコを持った左手をすっと背後に差し出すと、間髪入れずに灰皿が差し出された。
 もみ消されたタバコの銘柄が自分の愛用しているものを同じだと男は気付いたが、それには触れずに肩を竦める。

「えぇ、今回は甲斐クンの勝ちですね」
「だーるなー?んじゃ、後は二人で…」

「お待ちください裕次郎様。木手永四郎を解放するわけにはいきません」

 男の背後に回って手錠を外そうとした少年甲斐に、それまで無言で事の成り行きを見守っていた大柄の黒服の男が静止した。
 不機嫌そうな顔をも隠さずに振り返るが、黒服は頑として表情を崩さない。

「甲斐クン、そちらの方の言うとおりです」
「何でね」
「甲斐クン、君はこの半年間一体何をしてきたんですか」

 不思議そうに首を傾げる甲斐に、木手永四郎は崩れた髪の毛が目元にかかるのを頭を振って払う仕草をし、目の前の甲斐がそれに気付いて髪の毛を避けてくれるのに礼を言いながら続ける。

「すみませんね、お手数をかけて。いいですか、君は半年前代替わりをして父上から組織を受け継いだ。事もあろうに和平協定を結んでいた俺の組織に戦争をしかけ、俺にとっては家族にも等しい仲間達を次々と襲いましたね」
「うん」
「それどころか君は自分の部下を鉄砲玉代わりにして俺の家へ突っ込ませた。結果的に俺の家は焼け落ちて、残っていた側近も君の大事な部下も皆死んでしまった」
「だって、永四郎もみんなもわんじゃ務まらんって言ゆったさぁ。あんせー、わんにも務まるってとこ見せんとならんばぁ」

 幼い頃から先代の父親に甘やかされ続けて育ってきた甲斐に、裏社会の仕事が務まるとは誰も思っていなかった。
 だから跡継ぎは組織の中から決める事になっていたのに、土壇場になって父親に強請り倒した甲斐が世襲したのだ。

「もう一度言いますよ。俺は家族にも等しい仲間達を君に殺されています。そんな俺をどうして解放できますか」
「え、だって…」
「君が俺を手に入れたいから戦争を起こした。それはいいでしょう。面と向かって欲しいと言われてはいそうですかとあげませんからね。戦争を起こした結果、俺を手に入れた。おめでとうございます。目的は達成しましたね。でもね、甲斐クン」

 いつもかけているメガネが無く、後ろ手に縛られているためどこか手持ち無沙汰な木手は代わりに長いため息をついてたっぷり間を取った。

「そこからが問題です。俺をどうしたいんですか」
「永四郎と恋人になりたい」
「結構。では部下の方に俺を奴隷としてきっちり調教するように命令してくださいな。後は俺が部屋に届くのを待ってればいい」

 ポカン、と口を開けたまま木手を凝視する甲斐が、木手の言った意味を遅れて理解した後一気に顔を真っ赤にする。

「ぬーがよ!そのプレイ!そういうのは、その、もっとお互いを良く知ってから…な?興味は、あるけどさぁ」
「いまいち言っている意味が伝わっていませんね。プレイではありません。そんなこと真っ平ごめんです。俺は君と敵対する組織の幹部です。そして家族を君に殺されてしまった。そんな俺を恋人にするにはリスクが高すぎる」
「…やしが、永四郎はわらびん時からくまに遊びにきてたさぁ?皆永四郎のこと知ってるばぁ?」

 なぁ?と甲斐に話を振られた黒服は、えぇまぁ、と言葉を濁して咳払いをする。
 お互いの父が属する組織が協定を結んでいた頃は、そういったやり取りがあったのを木手も覚えている。
 その時の軽はずみな自分の言動が、今の出来事を引き起こしているのも木手の方はしっかり自覚していた。

「えぇ、皆さんよくご存知です。俺が君とは違って組織を世襲するためだけに引き取られた孤児だということも、生まれたときから愛情いっぱいに育った君とは根本的に違うという事もね」
「永四郎…?」
「君は俺の事が好きだ。多少歪んでますがそれは認めましょう。ですが今ここで俺の手錠を解いて解放して、恋人としてこの屋敷に住まわせたとして、君の部下は心配で夜も眠れなくなりますね。わかりますか?君は俺の家族を殺した。俺は君に恨みを持っている。俺は幼い頃から組織が何よりも大切なものだと教育されてきましたから、それを奪われた恨みは深い。君の寝首を掻くかもしれない」

 いつしか木手の前に正座して話を聞いている甲斐は、寝首を掻くという言葉に何度も瞬きをして信じられないという表情を見せる。
 背後で黒服がこめかみに手を当てているのを見て、木手も自分も同じ気持ちだと心中で嘆息する。

「だから、俺を側に置きたいのであれば薬で壊してしまうか調教してしまうかして、お人形にしてしまいなさい」
「やだ!」
「なら殺してしまいなさいよ。放っておけば俺はいつか組織を再結成して君に報復するよ」
「何で!」
「何で?君はそれほどの事やったんだ。俺と部下達は皆幼い頃に父親に集められました。何事においても競わせて、より能力の高い跡継ぎに育てるためです。それでも俺達は兄弟みたいに育ってきた。誰が継いでも残ったメンバーでそれをサポートして行こうと約束し合った。成果が出せなくて折檻される事もあったし、口では言えないおぞましい事をさせられた事もありました。そういうときに一緒に居て励ましてくれた仲間を、大切な家族を君は俺から取り上げてしまったんです」

 甲斐が黒服を振り返ると、黒服は音も無く静かに頷く。
 木手に視線を戻しても、もうこちらを見てはいない。

 膝に置いたままの手をきつく握り締めて俯いていたかと思ったら、次の瞬間には木手に飛びついていた。

「やだ!」
「嫌だ嫌だばかりで通る世界じゃありませんよ」
「やだ!永四郎わんが好きっていゆったさぁ!」
「えぇ、俺は甲斐クンが好きです。だから、余計に憎らしいんです」

 部屋のドアが突然開き、数人の男達が入ってくる。
 木手にしがみつく甲斐を引き離して、態度だけは恭しくしかし有無を言わせず扉の方へ引っ張っていった。

「裕次郎様。もうお休みください」
「連日の戦闘指揮でお疲れでしょう」
「この男の始末は我々にお任せください」

 腕っ節だけで渡ってきた男達に抱えられてしまえばいくら暴れても大した抵抗にはならない。
 ズルズルと引きずられながら連れて行かれる甲斐の悲痛な声を背中に聞きながら、木手は彼の声にかき消されないよう殊更大きな声でゆっくりと別れを告げた。

「やだ!永四郎!わんのこともう嫌いになったばぁ!?」
「さよなら甲斐クン」
「永四郎!くぬ格好だって、タバコだって、永四郎が好きそうだから着てるんばぁよ!何でわんのモンになってくれんばぁ!」

 パタン、と扉が閉まった後も彼は喚くのを止めなかった。
 永四郎に何かしたら皆殺してやるだとか、物騒な事も混じっている。
 次第に声が遠くなってくると怒鳴り声よりは泣き声に近くなり、とうとうそれは消えてしまった。




「…もういいでしょう、田仁志クン」

 顔を上げた木手が言うより早く、黒服の男が彼の背後に回って手錠を外す。
 何とか手首を擦った木手は、軽く残った跡に不服そうな顔をして立ち上がった。

「全く、世話の焼ける二代目ですね」
「あぁ」

 所々煤けたスーツの埃を落とし、髪の毛を撫で付ける。
 自宅を焼き払われて命からがら逃げ出してきたような風体だった木手は、瞬く間に普段と変わらぬ様子を取り戻した。
 体のあちこちを簡単に点検してこのスーツは高かったのになと呟く。
 自宅が焼かれたのは事実だから、どうしてもあちらこちらに焼けた跡が残ってしまっていた。

「これでいいのか」
「えぇ、君の部下が"うっかり"俺の監禁場所をばらしてくれさえすれば、甲斐クンは必ず逃げ出しますよ。俺を連れてね。逃走場所は打ち合わせ通りに」

 先ほど甲斐が座っていた大きな執務机に腰掛け、スラックスの尻ポケットからタバコを取り出す。
 ソフトケースのそれはぐしゃりと潰れてしまっているが、取り出した中身は先ほど甲斐が吸っていたものと同じ銘柄だった。
 ひしゃげたタバコを伸ばして唇に挟み込むと、田仁志がライターを差し出してくれる。

「申し訳ないですね、わがままに付き合わせてしまって」
「いや…元々わんはあにひゃーにはこっちの世界に来て欲しくなかったんばぁよ」
「そうですね。先代もそれを望んでいたみたいですし」
「だーるな。あんせー、やーから話を聞いたときは驚いたばぁ」
「君なら乗ってくれると思ったのでね。それに、甲斐クンの命令と称しながら部下を動かせるのは君しかいない」

 勢いよく煙を吐き出し、指に挟んだタバコをしげしげと眺める。
 甲斐がお前と同じ銘柄だと嬉しそうに見せてくれたのはいつだったっけと思い出しながら、再びそれを咥えた。

「似合わないタバコなんか吸って…、俺が本当はタバコ嫌いだって知らないのよね甲斐クン」
「あにひゃー単純だからよ。永四郎に似合う男になる!っつってな」
「馬鹿ですよ…ほんとに。普通に暮らしていれば、人並みの幸せが手に入ったものを」

 立ち上る煙を目で追う木手の視線は穏やかだが、口調にはありありと自嘲が満ち溢れている。
 そんな木手を気遣わしげに見やった田仁志は、声のトーンを落として問いかけた。

「いいのか、ほんとに」
「…何ですか今さら。この三か月、俺がどれだけ気を使ってやってきたと思ってるんですか」
「そうだけど、やーはこっちの世界で充分やっていけるのに…」
「何のための大芝居ですか。何のための茶番ですか。全部甲斐クンを守るためでしょう。甲斐クンが裸の王様になったとしても、彼をこの世界から安全に立ち退かせるための最善の策でしょう」
「……そうだな……」

 机の値段を気にもかけず直接煙草の火を押し付けて消した木手が捲し立てるのを、田仁志は苦虫を噛み潰した顔で聞いていた。
 肩を落として頷くのを見た木手もため息を漏らし、ゆっくりと机から立ち上がる。

「知念クンも、平古場クンもうずうずしてます。俺達が消えたら、サッサと呼んでやってくださいな」
「わかった。甲斐には…」
「頃合いを見て伝えますよ。まぁ…逃げ出した先を見れば…ある程度予想がつくんじゃないかと思いますが、甲斐クンですからね」

 木手が懐から取り出したカギは、コピーの作れないタイプのものだ。
 それだけでもそのカギが開ける扉の中は相当な値打のある部屋だとわかるが、三か月もの間だまされ続けてくれた甲斐が気づくだろうかというのは二人の共通した意見だった。

「永四郎…甲斐を頼む」
「勿論、言われなくとも分かってますよ」

 鍵を内ポケットにしまった木手は、目の前で頭を下げる田仁志を見てクスリと笑う。
 気苦労を抱え込む立場の彼を案じながら、こぶしで彼の胸板を軽く小突いた。

「頑張ってくださいね。次期首領は君だ」
「あぁ…」
「甲斐クンは俺に任せてください。大丈夫ですよ。何しろ、先に彼を欲しいと思ったのは俺ですからね」

 手の中に自分から転がり込んで来るなら好都合だ、と随分人の悪い笑みを浮かべて木手は部屋を出ていく。
 扉を開けた先にいる男たちに部屋までの道案内を命じ、忘れ物ですよと自分の腕に手錠をかけさせた。

 夜明けまであと5時間、屋敷から二人が消えるのはもう少し後のこと。


2008/09/03:完成
2008/09/03:UP