晩夏の宴

 太陽の強い日差しが公園のアスファルトを焦がす。
 もうすぐ夏休みも終わると言うのに日差しは一向に弱くならず、余りの強さと暑さに目が眩むほどだと赤也は思った。

 赤也は、立海大付属中学のすぐ側にある大きな自然公園の中に造られたテニスコートにいた。
 ここ一週間ほど、午前中の間は学校で補習を受けていた。
 その補習が終わった後突然かかってきた母親からの電話で、奥様連中のダイエットテニスのコーチに無理やり借り出されたのだ。
 駄賃に貰ったジュースは既にぬるくなっていた。

 4面からなる広いコートの傍に建てられた東屋は、あるのは天井と四本の支柱だけ。
 日向よりは少し劣る物のそれでも暑いことには変わらず、今も赤也の項を汗が伝って流れ落ちていく。
 陽炎が立ち昇って揺らぐ緑を見るともなしに見ながら、このままここに居たって駄目だと思って立ち上がった。

 必死に鳴き叫ぶ蝉に辟易しながらテニスバッグを肩に抱え、じっとりと汗を掻いているズボンの中に少しでも風を通すため膝下まで布を捲り上げる。
 だらだらと足を引き摺るように歩いていると、不意に雑木林の散歩コースが目に入った。
 強い日差しの降り注ぐ帰り道の大通りより、木々が太陽の光を遮る薄暗い散歩コースは入り口に設置された地図を見れば遠回りではあるが結局は自分が向かう公園の出口に辿り着くらしい。
 少し時間がかかっても、熱い日差しを避けたい、赤也は何となくそう思って散歩コースに足を向けた。

 蝉が捕まる木々が乱立する中に足を踏み入れたのだから、大通りよりもうるさくなったのは必然だったが、それでもやはり日なたよりはましだった。
 パタパタとワイシャツの合わせを揺らして風を通しながら、赤也はため息を漏らす。

「うっせーな」

 呟く自分の声も聞こえるか怪しいほど、蝉は大勢居るらしい。
 たった1週間鳴いて消えていくなら、鳴かずにもう少し生きる道を何故選ばないのか。
 頭が悪いな、そう思うだけの赤也は額の汗を乱暴に拭った。

「ッぁ……!!」

 そんなうるさい道だったから、その声が聞こえてきたのは偶然だろう。
 蝉たちが一瞬だけ鳴くのをやめた、赤也が踏みしめる小枝や葉っぱの音がたまたま無かった。
 音の隙間とも呼べるその一瞬に、誰かの声が聞こえてきた。
 そして次の瞬間には、あたりは再び蝉の音に包まれた。

「……?」

 不思議に思って辺りを見渡しても、道の前にも先にも人はいない。
 変だな、そんな風に思ってふと道の右側に茂る背の低い木々の向こうを見た。
 どうやらこれはアジサイらしく、既に花が散ってぱっと見はただの茂みにしか見えなかった。

 そこには見覚えのあるカバンが二つ、投げ出されたように置かれている。
 こんなところに投げ出すような人物達ではないと知っているため、何かあったのかと茂みを掻き分けてカバンの傍に立った赤也は木の陰から片方の靴が見えているのに気付いた。

 靴はきちんと持ち主の足に収まっていて、赤也はほっとして声をかけようと口を開く。

「やなぎさ…」

 小さな声でよかったと後に赤也は思った。
 ビク、と痙攣するように跳ねた柳の片足は、もう一人居る人間に持ち上げられた。
 正確には、足の間に入り込んだ人間が足首を掴んでいたのだ。

 靴を履いた片足はそれ以外を身に着けてはおらず、だらりと投げ出された逆の足首に制服のズボンと下着が絡みついていた。
 普段日に焼けない太腿がやけに生白く、木々の隙間から差し込む日の光に照らされている。
 その傍には、もう一人の所有物である黒い帽子が放り投げられていた。

「…………」

 グイ、と柳の足の間に入り込んでいた人間が押し込むように腰を動かした。
 足首を持った手は太腿辺りを抱え込むようにして撫でていたが、不意に足から手が離れて柳の上半身の方へと伸びた。

 手の行く先を追わなければ、あるいは赤也はこれほどショックを受けることは無かったかも知れない。

 その手は、柳の頭の上で手首を地面に縫いつけていた。
 初めは片手で押さえつけていたのだろう、だが柳は中学生の中でも特別体格の良いほうで、いくら真田であっても易々と押さえつけられる訳は無かった。
 だが両手を自らの頭の上で押さえつけられたままの柳は、激しい抵抗をしているようには見えない。
 かといって、この交わりを喜んでいるようにも見えなかった。

 ただ、早く終われと願っているような、どうでも良いとでも言うような能面のような表情だった。

 それでも真田が手首ではなく掌を押さえつけるように拘束を変えたとき、チラリと見えた手首には紅い痕が残っていた。
 柳の体を突き上げる腰の動きは、酷く生々しく柳の快楽を誘うようにも自分の快楽だけを追っているようにも見えた。
 ただ揺らされるだけの柳の口元には、殴られたような痣が残っていた。

 これは強姦だと、脳裏のどこかで誰かが言う。
 真田が何か言葉を発しているようにも聞こえるが、それに対して柳の反応は無く、赤也の耳には蝉が邪魔をして届かない。

 まるで無声映画を見ているように、映像だけが赤也に突きつけられて現実に絶望した。
 学校で仲良さげだった2人は偽りだったのか、厳しい表情をして自分を叱る真田はその裏でこんないやらしいことを柳に強いていた。
 柳はどうしてそれを享受するのか、近しい人間…そう自分に一言相談してくれたら。

 思考がそこに至って、相談してくれたらどうなんだろうと自問自答した。
 真田に犯された、強姦された、柳のあの薄い唇からそんなことを聞いたら。

 同じことをしてしまうかも知れない、確信めいた考えが不意に浮かんだ。

 駄目だ、自分じゃなくて他の誰かに。
 駄目だ、他の誰かも同じ事を柳に強いたら。
 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ……

「蓮二……」

 突然真田の声が聞こえてきて、赤也は一歩後退った。
 その声には、甘い響きが、どす黒い独占欲が、そして何より柳からの返答を待つ真摯な想いがあった。

 たった一言、名前を読んだだけのそれに恐れをなして赤也は背を向けて駆け出した。
 音を立てたら気付かれるとか、助けを呼ばなければとか、そんな思いは全てあの声を聞いたときに四散した。

 全身全霊というものを目の前で見せられたような気持ちになって、それを見るのも、受け入れる柳を見るのも、拒絶する柳を見るのも怖かった。
 幾度目の交わりかなど知らない、真田の声を聞く限りでは初めてかもしれないし、柳の反応を見ればもう何度もそうしているのかもしれない。

 ただ、怖かった。

END

2006/05/06:完成
2009/02/04:UP