「この家に来た時から、あいつは捻くれた性格をしていてね」
ラブマシーンの開発者として名乗り出た侘助は、10日もしない内に戻ってきた。
罪に問われる事は無いにせよ、混乱を引き起こす原因を作った恐るべき日本人プログラマーとして、アメリカどころか世界中で一躍有名人となってしまった。
色々な機関からスカウトが来ているらしいという話も小耳に挟んだが、侘助は喪中だと理由を付けてしばらく返答を保留しているようだった。
そうして再びこの長野の陣内家へ帰って来て、何をするでも無くのんびりと暮している。
「まぁ、生い立ちを考えると当たり前だと思う」
一方健二の方も、警察へ行って事情を離しすぐに釈放された。
その後は陣内家の後片付けを手伝ってくれ、家にいる小さな子供たちの世話や佳主馬たちと仲良くやっているようだった。
「10歳の時に、本当の母親が病気で亡くなって、この家に貰われてきた」
事件が終息してからの穏やかな数日で、その視線に気付いたのは本人たち以外ならば理一一人だろう。
未だ家族と気まずい雰囲気を抱えたままの侘助は、栄がいなくなった事で余計に時間を持て余しているようだ。
ひっきりなしに携帯を震わせるオファーのメールに女性陣が眉を顰めているのも知っているのだろう。
もっとも、彼女たちが眉を顰める理由はただ一つ、食事中にメールをするな、と言う理由なのだが。
そんな侘助が、食事を終えてビールとコップを持ってさっさと部屋に引き上げてしまうのを、追いかける視線が一つあった。
「元々の確執は侘助の所為じゃない。だからこそ、あいつは自分から歩み寄る事をしなかったし、陣内家の人間も出来なかったんだと思うんだ」
夏希ではない。夏希であれば理一はここまでそれを気にしない。
彼女は筋金入りの侘助贔屓で、ここしばらくはそれもようやく落ち着いてきたかとは思うもののそれでも時折大叔父さんにまとわりついて楽しげにしている事がある。
侘助を見つめるのはその彼女の隣で笑う、少年だ。
「その中で、ばあちゃんだけは違った。他の子供と同じように侘助に接して、いい事をすれば褒めたし、悪い事をすれば叱った。侘助にとっては、ばあちゃんは二人目の母親で、大切な恩人だったはずなんだ」
ふらりと歩いていく男の背中を、寂しそうな顔で見つめているのを何度か見て理一は舌打ちしたい気持ちになった。
侘助は昔からああいう人を食ったような性格で、世を儚み捻くれている。
育ちの所為だか何だかは一緒に育ってきた理一にはよく分かるが、同情する気は更々ない。
どんな家庭に育とうとも、どんな育ち方をしようとも、人は誰でも少しは歪んでいる者だ。
真っ直ぐだと称される人間だって、見ようによっては歪んで見える。
「だけどそれを侘助は素直に表には出せなかった。愛人の子供のくせに、そう何度も言われた言葉を、自分で自分に向けてしまってたんだろうね」
だがそんな侘助の斜に構えた所を、ことさら魅力的に感じてしまう人間がいるのも理一は知っていた。
恐らく侘助自身も十二分に自覚して、そして色々な場面で利用しているのだろう。
「だから多分、誰からも認められるような形で大きな事を成し遂げて、それでばあちゃんに褒められたかったんだと思う。事実、昔から成績は良かったよ」
そう考える時、理一はいつも高校時代の事を思い出す。
ひどく暑い夏の日の事で、できればあまり思い出したくないのだが。
自分のセクシャリティを決定付ける衝撃的な出来事だったから、忘れる事も出来ず未だ心の中で宙ぶらりんに浮いていた。
「だからね、健二君」
あの時の絶望感と言ったら、今でも思い出すたびに軽い眩暈を感じる。
だからもし、あの少年がそういう、侘助のような人間に魅力を感じてしまう人種だったとしても、できれば、そう、できればでいい。
男に思いを寄せるなんて事は、そしてそんな事実に気付いて絶望するのは。
もう少し大人になってからでいいんじゃないかと思っていたのだ。
幸運な事に彼はまだ憧れる女性がいる。
先に出てきた夏希がそうだ。
幸か不幸か彼女も健二を憎からず思っているし、彼がこのまま侘助への気持ちに気付かずに憧れを恋と取り間違えたまま幸せになればいい。
そう思っていたのに、理一の微かな希望は夜半過ぎに侘助の部屋から出てきた健二の姿に打ち崩された。
ただ出てきただけなら理一もここまで気にはしない。
理一でさえ欲しいと思った健二の頭脳を、侘助が気にならないはずがない。
こちらは組織の歯車、向こうはたった一人で開発から売り込みまで手掛けているのだ。
ビジネスパートナーは優秀な方がいい。
けれど違った。
自体は理一が思うよりもっと前から爛れた方へ転がっていた。
できる事なら今すぐあのどうしようもない叔父を殴りつけて叱ってやりたかったが、目の前の少年が何よりも彼を大事にしていると目で訴えるのでそれも出来ない。
まだ上気している頬やパジャマの襟ぐりから見える鬱血の後に、高校時代の嫌な思い出を引きずりだされたような気持ちになる。
理科実験室から出てきた叔父の、驚きに見開かれた顔が忘れられない。
理一はため息とともに、計画を変更する事にした。
そんな健二を、少し話があるからと引っ張って縁側へ連れてきた理一は、黙っている彼に冒頭の言葉から話し始めた。
「侘助が本当に欲しい物は、もう誰にも与えられないものなんだ」
「…………」
「それは手に入らずに、いや……手に入っていたんだけど侘助は多分今頃になって気付いてるんだと思う」
「理一さん……」
自分はずるい人間だ。
侘助に同情する気持ちはさらさらない。
そしてこの少年にも、同情する気持ちは無い。
聞けば彼の家庭環境も少し込み合っていて、侘助と健二は言うなればお互い似た境遇にいたのだ。
けれども自分は、二人に同情する気持ちは無いのだ。
だからこそ、この二人を引き離すような言葉を平気で言う事が出来る。
「侘助が欲しいのは栄ばあちゃんからの愛情で、君との事はそれの代用だよ。母親に愛されたいという感情を、恋愛に置き換えて満足感を得てるだけだ」
「っ……」
「そう言う事は、昔から幾度かあったからね」
ヒュッと息を飲む音が静かな縁側に響く。
自分の言葉に揺さぶられているのが分かる。
侘助の栄に対する態度は普通じゃなかった。
家族の愛情を栄に求めていた侘助を、健二も見ていた。
そうでなければ、自分の言葉がここまで健二を揺さぶるわけがない。
今自分で自分の首を絞めているのは、侘助だ。
俯いて震える健二の背中を擦りながら、理一はひっそりとほほ笑む。
健二に同情はしない。この絶望は必要な物だから。
そう、自分の所へやってくるのに必要な絶望。
本来なら、自分への思慕に気付いて絶望してほしかったが、それはそれで仕方がない。
目的が達成されるなら、多少のズレは目を瞑ってやれる。
元々、初物にあまり興味はない。
この色白で線の細い少年が、柔らかく微笑むこの少年さえ手に入れば何も問題はないのだ。
人はどんな育ち方をしても、少しばかりは歪んでしまう。
侘助に対する、自分の肉親の心無い態度は理一にも少なからず影を落とした。
自分の家族はこんなにも冷たい人間だったのか、幼心にそう思うのは酷く辛かった。
だからこの少年が欲しい。
暖かなその体温で、冷たい根の張った自分の心を溶かしてほしかった。
ふと理一は侘助の部屋の方へ顔を向けた。
家族であり仲間であり、同族である二人は、あるいは傷を舐め合う関係にもなれただろう。
けれどもそれは栄が生きている以上は無理だったし、栄がいなくなった今ではもうお互い大人になり過ぎた。
夜が開けたら宣戦布告でもしてみようか、柔らかい少年の髪を撫でながら理一はぼんやりと考えた。
20090912/完成
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