その日、柳蓮二は隣町の図書館に行った帰りだった。
規模が大きいその図書館へは電車で一駅だが、彼は度々そこへ訪れている。
今日は先週借りた本を返すついでに新しい本をいくつか借り、遅い昼食でも取ろうかと駅前を歩いていた。
卒業式を終え、部活の練習が一旦打ち切られた3月。
音も無く降り注ぐ日の光は、直射日光が苦手な柳でもまだ心地よいと思えるほどだった。
天気も良く、気温もそこそこ高い今日はコートを着て歩いていると少し暑い。
途中でコートを脱いで腕にかけた柳は、前方からこの場にそぐわない少年が歩いてくるのに気付いた。
その少年がここへいる事自体もそうだが、問題はその服装だ。
上等そうな黒いロングコートに、グレーのマフラーをしっかりと巻いている。
コートのポケットに手を突っ込んで手持ち無沙汰にふらふら歩いている姿は、何となく彼のデータからは想像が付かなかった。
このまま行くと鉢合わせるなと思ったが、自分達がそう大して親しくないのを思い出してそのまま歩いていく。
ショップのウィンドウを眺めながら歩いていた少年は、そこから目を反らして前方にいる柳を視界に入れた。
(……おや…?)
当然さして反応も見せずに通り過ぎるだろうと思っていたが、彼は立ち止まってこちらをじっと睨みつけてくる。
好戦的な性格ではあるが闇雲に争い事の種を作るような性格ではないと考えていたが、データを書き換える必要がありそうだと思い直した。
「…こんにちわ、柳クン」
「あぁ、全国大会以来だな。木手」
木手永四郎、オールラウンドプレイヤー、異名は殺し屋。
的確かつ素早く相手の急所を突くと言う情け容赦ないプレイスタイル。
沖縄比嘉中学校テニス部部長、圧倒的な統率力と指導力で部を全国大会へ導いた立役者。
(…だが…)
結果は2回戦敗退。
優勝校の青学と当たってしまったのだから仕方ないとは言え、悔恨の念は拭い去れないだろう。
風の噂――出所は仁王だが彼がこう言う時にペテンを使わないのを柳は知っている――で、どうやら沖縄比嘉中のラフプレーが少しばかり問題になったらしいと聞いた。
主催が協議をしてとりあえず来年度の出場停止などの処分は免れたが、協議に上がる事自体柳には不思議だった。
物静かなタイプだと思われている柳だが、常勝を掟とする立海でレギュラーをやっていただけあって勝ちにこだわる気持ちは強い。
相手の戦意を削ぐと言う行為は、テニスだけではなく勝負事全てにおいて自分を有利に動かす大切な材料だと思っている。
それが柳の場合はデータに裏打ちされた緻密な計算であり、豊富な語彙を駆使した話術でもある。
現に、関東大会での乾との一戦ではその駆け引きが十分に発揮されていた。
例えばそれが反則ギリギリのラフプレーであっても、それはそれで構わないと柳は考えていた。
身近な所に一人いる人間が、そうであることも理由になっている。
(比嘉中など、まだ可愛いものだ)
だからこそ、主催の態度に納得がいかない。
何故彼らのラフプレーだけ矢面に上がるのかと。
しかしそれが、全国大会常連校と24年ぶりに出場した学校との差であるならばそれもまた仕方が無いと考える。
そんなちょっとしたきっかけで、柳は比嘉中、そして部長の木手に少し興味を抱いていた。
機会があれば、情報を仕入れてみたいと思うほどには。
「こんな所で何をしてるんですか」
「ふむ…その台詞はどちらかと言えば俺の方が言いたいんだが」
ここは神奈川だ。
立海大付属中学は、電車でもう少し行ったところにある。
そして柳の自宅は隣の駅。
「俺は図書館に行った帰りだ。この道を少し行った先にある公園の側だ」
「そうですか。それはご苦労な事ですね」
「……あぁ。で、木手こそ何故神奈川まで?」
棘のある言葉に一瞬眉を寄せるが、その間にも柳のデータは瞬く間に更新されていく。
彼の履いている靴が有名ブランドの物だとか、風に乗って香ってくる香水が中学生の小遣いではなかなか手の届かない物であるとか。
そう言えば仁王が欲しいが高くて手が出ないと言っていたブランドのタグが、さりげなくマフラーに付いている。
やけにめかし込んでいるなと思うが、決定打が足りない。
沖縄から関東へ観光に来たなら、めかし込んでいてもそう不自然ではなかった。
ふ、と視線を落とした木手につられて視線を落とした柳は、コートの袖口辺りに触れる木手の手に気付いた。
一瞬袖口から覗く不似合いな時計に覚えがあって、柳はあぁ、とようやく頷く。
高級そうな服装には少し劣る、唯一中学生らしい値段の贈り物。
柳はそれに見覚えがあった。
それが決定打となった。
その時計は、柳が選んでやったものだ。
「俺は春休みを利用して観光です」
「東京へは?」
「…行くつもりでした」
「ふむ。…俺は腹が減っているんだが、一緒にどうだ」
どうして俺が、と言う顔を一瞬した木手が再び袖の中に手を入れる。
了承するだろう事を確信して辺りを見渡すと、都合のいい事にすぐ側にファミリーレストランがあった。
「あの店で構わないか」
「……えぇ」
込む時間帯を終えたファミリーレストランは閑散としていて、窓際のソファ席に案内された。
外での攻撃的な様子が嘘のように、木手は俯いてメニューを見つめたままだ。
黒いロングコートの下には、やはり黒いVネックのニット。
首元に揺れる勾玉が、照明を反射してキラリと光った。
手袋を外した後にマフラー、コートをきちんと畳む様は見た目どおり几帳面な性格のようだと分かる。
コートのポケットに入れっぱなしだった携帯を確認すると、案の定メールがいくつかと不在着信が何件かある。
緊急を要すればまたかけてくるだろうと放置する事にして、自分もメニューを見下ろした。
こう言う店は味が濃いため余り好きではないが、ほんの時折食べたくなる事があった。
「一人で沖縄から来たのか」
「君に関係がありますか」
「…無いな」
「そうでしょう」
ウェイトレスを呼ぶと俺は和食御膳を頼む。
対して木手はホットコーヒーだけを頼んでメニューを閉じてしまい、頬杖を付いて窓から外を眺めていた。
「昼食は取ったのか」
「…君と食べる必要がありませんから」
なぜここまで拒絶されているのか、疑問に思う。
彼との接点は今この場以外には全く無い。
生理的に合わないと思われているなら仕方が無いが、出会い頭の視線には自分に対して何か恨みのようなものがある気がしてならない。
「木手。俺はお前に何か恨まれるような事をした覚えはないが…」
「…………」
「弦一郎の事か」
「…君がその名前を呼ぶな…っ」
弾かれたように顔を上げた木手が、下唇を噛み締めたかと思うと静かに威嚇した。
丁度コーヒーを持ってきたウェイトレスが雰囲気に気圧され小さく叫んで動きを止め、トレイから恐る恐るカップをテーブルに置く。
激昂すると逆に冷静になるのか、などと無駄なデータの更新を繰り返しながら柳は側に置いてある水を口に含んだ。
ミネラルウォーターの冷たい感触が柳の喉を通る少しの間に、木手は舌打ちをしてソファの背凭れに身体を預け腕を組む。
高飛車そうなその態度の中にふてくされたような、拗ねたような表情を見て柳はますます疑問を深める。
「真田から話は聞いているようですね。聞いていてその態度ですか」
「…話?少し位は聞いているが…」
真田、と誰かを呼び捨てにする木手の態度が、ここにはいないあの男との親密さを物語っているように思えた。
柳の記憶には、秋口に真田がコソコソと郵便局へ切手を買いに走るようになり、10月の終わり頃に時計を買うのに付き合わされたとある。
誰に贈るんだと聞いた柳に、真田は「誰でもいいではないか」と頬を赤らめてはぐらかした。
頬を赤らめる真田など気持ちが悪いとその時は思ったものだったが、それが目の前の褐色の少年に対する贈り物だとようやく謎が解けた。
「余裕の態度を見せ付けるのも結構ですが、うかうかしていると取られかねませんよ」
「…………」
「事実、彼は君に黙って俺と会っているじゃないですか」
そう言う事か、するすると糸の縺れが解けて行くように合点がいって、柳は緩みそうになる唇を引き締める。
その誤解をわざわざ訂正してやる理由は無い。
「本当に、そう思うのか」
「えぇ、真田は良く君の事をもう少し愛想があれば、と」
ふふん、と得意げに笑う顔に柳は心の中で感嘆する。
何とまぁこれほどまでに嗜虐心をそそられる表情が良くできるものだ。
切れ長の目を眇め口角を上げてこちらを見つめる表情は、その鼻っ柱をへし折ってぐしゃぐしゃに泣かせてみたいと人に危険な欲望を抱かせる。
そうして"弦一郎は自分の事を本当はそんな風に思っていたのか"と、またしても無駄になるデータの更新をした。
「ほぉ、それで木手はそうでは無いと?その割には俺に対して随分愛想が無いと思うが?」
「君に対して愛想良くしても何のメリットも無い」
「弦一郎にはあるのか」
「…………」
恐らく、木手の頭の中では自分=愛人、柳=本妻の図式が出来上がっているのだろう。
甚だ遺憾ではあるが、木手がなぜこの勘違いをずっと心に抱いていたかと言うのには心当たりがある。
「愛想か、善処しよう」
「別に、善処してくれなくても一向に構いません」
「いや、折角の忠告だ。弦一郎との関係が悪くなったら俺も困るからな」
あえて誤解されるような言葉を選んだ柳には、今にも殴りかかってきそうな恐ろしい気迫を込めた視線が突き刺さった。
ピリピリと肌を裂くような緊張感を心地よく感じていると、怯えたウェイトレスが柳の前に和食御膳のトレイを置いて逃げていく。
「木手」
「何ですかっ」
「本当に食わないのか」
「要りません」
割り箸を割ってまず味噌汁から手を付けつつ、ずっとこちらを睨みつけたままの木手に声をかけた。
比嘉中には柳のようなタイプがいない。
その証拠に、木手は明らかに柳を持て余して大きなため息をつき頬杖を突いたままコーヒーカップを持ち上げる。
「ところで…」
「…………」
「弦一郎とはもう寝たのか」
「ッ、熱…!!」
口を付けたコーヒーカップを乱暴にテーブルへ叩きつけたため、黒い液体が散ってしまった。
備え付けの紙ナプキンでそこを拭いてやると、律儀にもすみませんと木手が言う。
「いや。で、どうなんだ」
「どうって…君に関係ないでしょう」
「関係ないと思うか?」
少し目を開いて彼を見つめた柳は、ゴクリと息を呑んで顔を背けてしまった木手を見て薄く笑う。
関係など、全く無い。
むしろ弦一郎の下の話など、柳には興味の欠片すらなかった。
「どうなんだ、寝たのか」
「そ、…それは…」
「うん?言えないのか、えらく慎みがあるのだな。弦一郎に手を出しておいて」
皮肉と取ったのか、木手の手がカタカタと震える。
沸き立つ怒りを抑えているのか、本妻から責められることに恐怖しているのか。
どちらにせよ、褐色の肌が少しずつ色を失っていく様は見ものだった。
「そう言えば、弦一郎の家はすぐそこだったな。そうか、ホテルは取らずにあいつの家に泊まっているのか」
「…………」
「当たったようだな」
焼き鯖の身を解しながら、木手をじわじわと嬲っていく。
外の通りは午後の光に溢れてなんとも穏やかだが、二人の座るテーブルの温度は酷く低かった。
「全国大会…」
「え?」
突然予想していなかった単語を出され、ポカンとした木手がこちらを向いた。
そのいっそ哀れにも思えるほどの無防備な表情に、柳はゆっくりとだが反論の隙を与えないように喋り続けた。
「全国大会で初めて弦一郎とお前は出会った。お互い好ましく思っていたお前達は住所を交換し、しばらくの間は手紙でやり取りをしていたのだろう。今時携帯ではないのは、…弦一郎の方の趣味だな。あれは携帯を使い慣れていない。そして木手の誕生日に弦一郎はその腕に付けられている時計を贈った。今度は春休みに、お前が弦一郎に会いに来た」
「どうしてそれを…」
「そうか、昨日初めて寝たんだな」
話を聞いていく内に青くなっていく表情に、ぱっと朱が散る。
案外と可愛らしい性格をしているのだなと思いながら、柳は白米を口に運ぶ。
「それも…真田から…」
「いや、予測だ。しかしコレも当たりのようだな」
悔しそうに唇を噛む木手の顔をおかずに食事を続ける柳の携帯が、再び着信を告げる。
無気質な着信音は二人の凍った空気を砕いて、束の間緊張が解けた。
失礼、と断ってから通話ボタンを押すと、間髪入れずに騒がしい下級生の声が届く。
『柳さぁ〜ん!何で出てくれないっスかぁ!』
「こうして電話には出ているだろう」
『少し前にも電話したんです!なのに柳さんが出てくれないから!だから俺!』
「わかった、分かったからもう少し小さな声で喋ってくれないか」
目の前の木手にまで届く声で話す切原に、慣れている自分よりも彼が目を丸くしていた。
それから面白くなさそうにまた外へ視線をやるが、次に受話器から聞こえてきた声に柳は心の中で笑う。
『蓮二、すまないな。2時間ほど前に顧問から電話が入って、赤也が部活中に部員と小競り合いを起こしたらしくてな』
「あぁ、そうか。ところで弦一郎」
ピクリ、と目の前の男が反応を見せる。
テーブルに置いたままの拳がきつく握り締められ、その唇から小さなため息が洩れたかと思うと財布を取り出して小銭を置きそのまま立ち上がった。
代金を払っていこうと言うところ見ると、割と律儀で感情のままに動くタイプではないらしい。
手袋とコート、マフラーを適当に引っ掴んで立ち上がり、何も言わずに足を踏み出した。
「まぁ、待て」
「っ…」
『どうした、蓮二』
自分のすぐ横を通り抜けて行こうとする腕を掴み、顔を木手に向けて制止する。
ふわりと木手から香る上物の香水を、なかなか好ましい香りだなと思いながら電話の向こうの鈍感男に声をかけた。
「弦一郎、赤也のお守りを押し付けてすまないな」
『いや、高校へ入学するまでは中学に籍を置いているからな。これも部活動の…』
「あぁ、俺は今日図書館へ行ったんだ」
『?あぁ、そうか』
真田の言葉を遮った柳に、電話の向こうの彼は不思議そうな声だったが頷く。
振り払おうとする腕を強く握り締めると、痛みに呻いて抵抗が弱まった。
その呻き声が携帯を当てた耳とは逆の耳を擽った瞬間、柳はとうとう唇を緩めて笑う。
「いつもの、弦一郎の家の側の図書館だ」
『蓮二、何が言いたい』
「すぐ側の商店街、そのファミレスで今飯を食っているんだが…珍しい人物と会ってな」
れんじ、と真田の硬い声がいっそう硬くなる。
顔色が変わってでもいるのか、後からどーしたんっスかぁ?ふくぶちょー、と頭の悪い声がした。
『まさか、お前…』
「一人で食事をするのも味気ないだろう。付き合ってもらっているんだが」
『…………』
「どうやらすこぶる楽しい事態になっているらしい。教えてもらえなかったのが残念だ」
嫌味でも皮肉でもなく、柳蓮二はこういう男だ。
自分でもそれは自覚していた。
人の隠している事や飛び切り厄介な事は、自分の好奇心を満たしてくれる格好の餌食だ。
「そうそう、この前の時計の事だが…」
『蓮二!そこにいるんだろう!その話は…!』
「相手は気に入ってくれたようだな。俺も、選んだ甲斐があると言うものだ」
その瞬間、こめかみの辺りに痛みが走って携帯電話を奪われる。
木手の爪が引っかかったのだと気づいた時には、もう遅かった。
「君は何を考えてるんですか!俺にはさっぱりわからない!もう振り回すのはよしてくれ!」
言うなり勝手に電話を切ってしまった木手は、ファミレス中の視線を集めている。
荒い息を整えようと肩を大きく上下させているのを見ながら、そっと手を離して自分のコートと伝票を拾い上げた。
「出ようか、木手」
「…………」
ポン、と肩を叩くと彼はまるで犯行を認めた殺人犯のように項垂れた。
ただ黙って付いてくるその様子に全国大会での凛々しさも雄雄しさも無く、恋をすれば殺し屋も形無しか、と柳は考える。
商店街を抜けた先にある小さな公園のベンチに木手を座らせて、柳も隣に座った。
あれほど着込んでいたコートも手袋もマフラーさえ巻かずに座り込んでいるのを見かねてコートだけ手も着せてやると、胡乱げな目がこちらを見る。
「柳クンは、彼のどこが好きなんですか」
「どこ?…そうだな、テニスが強い」
「……それだけですか」
友人としての真田弦一郎に対して好ましい所などそのぐらいしか思いつかないが、木手にはそれが信じられないようだ。
まず前提からして勘違いしているのだから当たり前だが、打ちのめされた顔を見ているのは妙に気分が高揚する。
「あいつは我侭で傲慢で王様のような奴だ。自分が望む物が、望んだ時に手に入って当たり前だと思っている」
「…………」
「杓子定規で、融通の利かない、頑固者の、どうしようもない男だ。現代日本では一番嫌われるタイプだな」
コートに袖を通す木手の襟を直してやり、マフラーを巻いてやる。
手袋を付けてやろうとしたが奪われたので、それは諦めて先ほど図書館で借りた本を開いた。
しかし一行も読み進めないうちに、その本を奪われ放り投げられてしまう。
「木手」
「柳クンは何とも思わないんですか!君と言うものがありながら彼は俺を自宅へ泊めたんですよ!」
借り物を粗末に扱われた事に対しては流石に眉を顰める柳に気付くことも無く、木手は大きな声を上げた。
立ち上がって本を拾うと砂に塗れた拍子を払い、再びベンチに座る。
「弦一郎が俺のことをどう言っていたかは知らないが…」
「冷静で穏やかで打てば響くような博識で色が白くて睫が長くて声が涼やかで先輩からも後輩からも頼りにされている立海の良き参謀だと」
「…………」
あの朴念仁にしては、まぁまぁ及第点を与えられるほどには人を誉める語彙を持ってきたものだと柳は思う。
けれどなぜそれを柳のことを話すときに使ったのか、一気に喋ってそっぽを向いた木手にわざわざ話す事ではないだろうに。
「木手、弦一郎がその手紙を書く前、お前は手紙に何を書いた」
「何って、どうして君に……。そうですね…あぁ、部活の友人と遊びに行った話を少し」
「その時、友人の事を誉めたり貶したりしなかったか」
「……落ち着きが無くて騒がしいから困っているとは書きましたが…」
十中八九、その文面が呼び水となったのだろう。
単なる友人紹介として真田が書き連ねた文面が、木手には愛情を持った人間に対する誉め言葉に取れたわけだ。
「で、お前は何と返したんだ」
「何と……って、…随分誉めてるようだけど、付き合ってるのかって…」
「弦一郎は…いい付き合いをしている、とでも答えたんだろう」
「はい」
常日頃から柳は真田の事を情緒の少し足りない人間だとは思っていたが、ここまで来るといっそ清々しく感じるほどだ。
だがそろそろ誤解を解いておかねば木手が愛想を尽かしかねない。
そうなれば、柳にとっての楽しい種がなくなってしまう。
「いい事を教えてやろう。真田弦一郎には、友人が2人しかいない」
「…………」
「柳蓮二と、幸村靖市だ。他はまぁ部活仲間だな」
勢い良くこちらを振り返り、切れ長の眼がゆっくりと見開かれて、まさか、そんな、と唇が小さく動く。
少しずつ赤く染まっていく頬を遠慮なく眺めていると、顔を反らされてしまった。
「加えて、あいつは自らを偽ったり、都合のいいように言葉を加減することが全く出来ない。単に友人を紹介したくて使ったんだろう。まぁまぁ俺のことを分かっている言葉選びだ。ギリギリ合格点と言うところだな」
「っでも…君だって否定しなかった…」
「否定?意味が分からないな。俺は木手に聞かれてはいないだろう。柳蓮二は真田弦一郎と恋人として付き合っているのか?と」
耳まで真っ赤に染まった木手が、恐る恐るこちらを向く。
忙しく眼鏡を上げ、巻いたはずのマフラーを解き手袋を脱ぎ捨てて乱暴にポケットへ突っ込んだ。
「聞かれていたなら、俺はこう言う」
「…………」
「俺が弦一郎と?…気味が悪いな」
大きなため息と共に肩を落とす木手は、ようやく自分の勘違いに気付いたらしい。
柳には真田が手紙に何と書いたのか分からないが、木手がそれを読んで真田と柳の関係を誤解すると言うことは言葉選びの苦手な真田が率直に書きすぎたのだろう。
「木手」
「何ですか…」
「あいつは相当の亭主関白だ。俺に愛想を要求しておきなら自らの愛想は皆無のような勝手な奴だ」
「ええ…そうですね」
「そう言うのが好きなのか」
別に、そういうわけじゃ、などともごもご口の中で言葉を転がしていた木手が、何か自分に納得したように顔を上げる。
「柳クンと同じです」
「うん?」
「テニスが強いからです。それに、凄く大人でしょう。落ち着いているし、頼りがいがある」
「……そうか……」
これは、真田が青学に負けて大人気なくトロフィーを拒否したことは言わない方がいいなと柳は思う。
仏心ではなく今のこの場で言うよりも、真田がいる場所で言うほうが楽しいと考えただけだ。
楽しいか楽しくないか、物事の判断基準はそれで十分。
その為に、柳はポケットからさっきのファミレスのレシートを引っ張り出し、ペンで自分の携帯電話の番号とアドレスを書き留める。
不意にベンチから立ち上がる柳につられるようにして、木手も立ち上がる。
ベンチから離れた公園の入り口付近には、二人の人影があった。
「ところで木手」
「何ですか」
「弦一郎には残念だが、服を誉める、身に着けている香水を誉める、と言う概念が無い」
あ、柳さーん!!なんて明るい声が響いてくるのと同時に、木手の表情が和らいだ。
癖毛頭の少年の隣に並ぶ年齢不詳の男を見たのだと思うと、何だか面白くない。
「そうですね。真田は、ブランドの一つも知りませんから」
「その服も香水も、お前には良く似合っていると俺は思う」
「……どうしたんですか」
「弦一郎よりは人の心を読むのに長けているし、お前の欲しい言葉も予測して言ってやれるだろう」
怪訝そうに眉を寄せて自分の方に視線をやる彼の肩を掴み、手前に引き寄せる。
一瞬抵抗した体がぐらりと傾いてきたのを受け止め、頬に唇を触れさせた。
「なっ……っ!!」
「弦一郎に耐え切れなくなったらいつでも連絡してこい。ただし、優しくは到底してやれないな」
「何を…」
「俺は弦一郎以上に亭主関白だ」
呆然としている木手のコートのポケットにレシートを捻じ込み、大慌てで駆け寄ってきた真田に向き直る。
「弦一郎、もう終わったのか」
「…あぁ、いや…終わったわけでは」
「教師のお説教を手早く切り上げてきたのか」
木手に視線をやり、睨みつけられて思わず目を反らしてずれてもいない帽子のつばに手をかけた真田を遮って柳が言った。
「いや、その…蓮二…」
「お前はなぜ永四郎の頬に口付けたのか、とお前は聞く」
「どうして…」
「どうして俺が木手を名前で呼ぶのを知っているのか、とお前は言う」
「…………」
「当たったようだな。呼び始めた時期も当ててやろうか」
呆然と言った表現が一番似合う顔をして柳を見つめていた真田は、ハッと我に返ると必要ない!と声を大きくした。
「弦一郎、こんな楽しい事をどうして隠していた。時計を選ぶ時に教えてくれれば、もう少しちゃんと選んだと言うものを」
「お、お前に言えばこうやって面白がるだろうが」
弦一郎の癖に口答えとは生意気な、とは思ったが大事な恋人の前でこき下ろすのは余りにも可哀想かと時には優しいことを考えつつ、側で成り行きを眺めているしかない木手を見た。
「木手」
「何ですか」
「明日、真田と一緒に幸村に挨拶に来い」
「どうして?」
「それが立海大の掟だ。何なら俺と一緒に行くか」
蓮二!と怒鳴られても怖くは無いが、どうやら真田が結構な勢いで本気らしいのでこれ以上からかうのは止めにする。
どうせ自分が追い詰めなくともこの後木手から腕時計のことやら手紙の内容に関してやらきっと問い詰められるだろうから。
柳の目下の楽しみはこの事を幸村、仁王、丸井に話す事に移行してしまい、とりあえず目の前の状況はどうでも良くなったのだ。
そうして柳はその欲求に逆らうことなく携帯を手に取り、電話をかけようとする。
しかしその手を掴まれて、通話ボタンを押すには至らなかった。
「何だ、弦一郎。いきなり俺の手を握るとは。気持ちが悪い」
「気持ちが悪いとは何だ。どうして幸村に報告する義務があるんだ」
「弦一郎如きが反抗期気取りか。これは、我が立海大付属中学テニス部の掟だ。それに、仲間外れにしたら可哀想だろう?違うか?」
開眼してまくし立てる柳を見て黙り込む真田を眺めていた木手が、側で同じように黙って事の成り行きを眺めていた赤也にいつもこうなのかと訪ねる。
そっスねー、と頭の悪い返事を返す後輩に、もう一度躾け直さねばといった思いが脳裏を過ぎった。
掴まれた手を外させて通話ボタンを押すと、程なくして応答した幸村に報告を開始する。
「あぁ、もしもし柳だ。靖市か。…あぁ、今とても楽しい事があってな。10月頃に弦一郎が時計を買いに行っただろう?…あぁ…その事でなんだが…」
今日は有意義な一日を過ごす事が出来、明日も充実した一日を送ることが出来そうだ。
少し傾き始めた太陽を眺めながら、柳は幸村に事情を説明し続けた。
END
2008/03/25:完成
2008/03/26:UP