K面 甲斐視点短編集-サンプル-
犬と王様、隣の芝生はいい芝生?のサンプルです。
(犬と王様冒頭部抜粋)
「うぃーす」
「おう、裕次郎。これお前の分な」
いつもと何も変わらない放課後、甲斐がテニス部の扉を開けると扉のすぐ側にいた平古場から割り箸を一本だけ手渡された。唐突なことをする平古場自体は珍しくないが、やはり突然のことに面食らって甲斐は辺りを見渡す。
部室に残っているレギュラー全員が、自分が手渡されたのと同じ割り箸を持っている。
木手はこの騒ぎに我関せずと職員室にあるような事務机に部誌とノートを広げてパイプ椅子に腰掛け、今日の練習のメニューを組んでいる。しかしその彼さえ手元に割り箸を置かれていた。
各々が雑談に興じる騒がしい部室には、24人のテニス部員の内半数ほどが練習が始まるまでの時間を過ごしている。残りは練習の準備をするため既に着替えて外に行ってしまったらしく、残りも本来ならレギュラーよりは早く外に出てアップを始めなければならない。
けれど彼らは平古場が始めた遊びが気になるのか、誰もが普段よりもゆっくりと着替えているようだった。
「ぬーがよ」
「王様ゲーム」
「はぁ?」
王様ゲーム。
飲み会などでよく使われるアレだ。上手くやれば酒の勢いやら場の勢いで色々『美味しい思い』が出来ると兄から聞いたことがある。
しかしこのゲームは異性のいない今の状況でやったって面白くない。一瞬はそう思ったが、こちらには背を向けてノートを見下ろしている木手を見る。
数ヶ月前から、甲斐は木手に許しをもらって『恋人』というボジションをもらった。許しを得て、という言い方は木手が好きだと隠しもせずに騒ぎ立てる甲斐に、仕方なく折れた木手を見ていたレギュラーからの表現だ。
関係は順調だが、ここ最近は近付く全国大会の準備で木手が忙しく、なかなか二人だけの時間を取れないでいる。
「平古場クン、部活始まるまでだからね」
「わーったわーった。おーし、みんな回ったばぁ?」
平古場の悪ふざけなどいつものことで気にもしていないのか、木手は片手間に言うだけで振り返りもしない。そんな事よりもメニューの作成の方に悩んでいるらしく、背凭れに体を預けて足を組み替えた。
(隣の芝生はいい芝生?冒頭部抜粋)
胡乱な甲斐の視線が、比嘉中テニス部の部室を巡る。現在は部活が終わった後の、それぞれ開放感と疲労感に包まれた和やかな時間だ。
パイプ椅子に逆向きに座って背凭れに腕を預けた甲斐は、そこへ顎を乗せて隣同士で服を着替えている不知火と新垣の後姿を眺める。
彼らは微妙に近い距離を保っていた。その隙間は15センチほどだ。狭い部室内では、別段珍しくも無い距離感だろう。お互い、顔も見ずに話をしている。
「浩一、ちゃんと髪とかさないと絡まってるぞ」
「知弥くんやって」
「…………」
靴を履き替えながら不知火の顔も見ないで櫛を差し出した新垣に、不知火も何事も無かったように受け取る。そのまま自分の着替えを一旦中断して黒髪に櫛を通してやるのだから、もう見てられない。
あ〜あヤダヤダとしょっぱい顔をして眺めていると、心地良さそうに目を細めた新垣が甘え声で言う。
「知弥くん、明日俺がお昼ご飯作ってくるから持ってこなくて大丈夫さぁ」
「おー、助かる」
「食パンばっかりじゃ栄養偏るばぁ?」
「おー」
昼休みに食パン一斤をそのまま貪り食うような、テニスと貯金以外にはてんで関心の無い男だった不知火と幼馴染の新垣が付き合ってからはいつもこうだ。
週に何回かの割合で、クッキー作りが趣味とか言う新垣の美味しい手作り弁当が不知火に振舞われる。中身はいたって振るうだが、時折ウインナーがタコさんだったりおにぎりの海苔が文字を象っていたりする。
それは学校で食べる昼飯の割合であって、もっと個人的な、甲斐や他人が入り込めないプライベートな時間ではもっと頻繁なのは明白だ。
別に、手作りの弁当が羨ましいとか、タコのウインナーが羨ましいとかではない。絶対。