取るに足りない大切な事-サンプル-
(冒頭部抜粋)
高校を卒業した木手が甲斐と再会したのは、蒸し暑い八月の事だ。
沖縄がいくら暑いと言われていても、最近は温暖化の影響や色々な原因で都市部でも同じくらい気温が上がる。湿気が酷い分、沖縄育ちの木手でさえ暑さに辟易することがあるほどだ。
そんなある日、甲斐はやってきた。
昼には遅く夕方には少し早すぎる時刻にインターホンが鳴り、木手は首を傾げた。
八月初めに実家へ戻った時、大量の土産を渡された。だから当分実家からの現物支給は無いはずだ。他に宅急便が来る予定は無いし、自宅に突然来るほど親しい東京の友人はいない。
沖縄での旧友も一部は上京しているが、彼らにしたって自宅の詳しい場所は知らないはずだった。
大学に入学する前に、木手は東京で住む部屋を決めようとする両親に提案した。沖縄と違って、東京ではある程度広くないと息が詰まる、と。だから部屋選びにもかなりの時間をかけてこだわった。その結果、大学からは少し離れた奥まった場所に決めた。
思考を巡らせ来訪者の可能性を考えた結果、どうせセールスか何かだろうと判断する。そして木手は、玄関では無くローテーブルに向き直った。夏休み明けに提出するレポートの製作に取り掛かったのだ。
夏休みとはいえ、前期と後期を跨ぐ実技中心の授業をいくつか取っている木手に出された課題は山ほどある。今書いているレポートが終われば、次は実技の課題だ。セールスなどに時間を取られている暇はない。
けれどインターホンは再び押され、それだけでは足りないのか扉をノックさえしてくる。
『えー、永四郎。おらんばぁ?』
ゴンゴン、とノックにはいささか乱暴すぎる音を立てて聞こえてきた覚えのある声に、木手は扉の方を振り返った。
能天気なその声は、個性的な旧友の中では唯一連絡も取らずに突然来そうな人間だ。
だが彼の周りの人間は木手の性格も、扉の向こうで木手を呼ぶ男の性格もよく知っている。連絡ぐらいして行けよ、と男に忠告して、一部は気の利く友人は木手に連絡を入れてくれるだろう。
けれど彼はどうしてだか、全く連絡をせずに突然木手の部屋の前にやってきた。そうして、恐らくは拳でドアをノックしている。
『おらんかやー…』
帰りそうな気配を見せた声に、木手は咄嗟に立ち上がって玄関へ向かった。
中学を卒業してから、テニス部に所属していた面々はそれぞれが別の進路へ向かった。木手もまた、自分の出来得る限りの努力をして上を目指した。
高校へ進学してからも木手はテニスを続けたが、中学時代のように生活の全てを賭ける事は無くなっていた。大学へ進学考える頃になると、テニスは完全に趣味の位置に収まった。
その頃には、中学テニス部の友人とは既に疎遠になりかけていた。
代わりに木手の中で大きくなってきたのは、服飾デザインの方だ。アパレル会社に勤務している父親の影響で、かねてから趣味として嗜んできたそれに木手はどんどん傾倒していった。
中学を卒業し、高校へ入学すると全く見知らぬ人間たちと知り合う。千差万別の好みや考え方に触れて、感性を刺激し合った。それが、都会の大学でもっと学びたいと思う気持ちに拍車をかけた。
今ではもう、テニス部の面々とはほとんど連絡を取ってはいない。