甲斐クンちの家族-サンプル-
(冒頭部抜粋)
牧場の朝は早い。
まだ暗い内から起き出した甲斐は、あくびを漏らしながらロッジの外に出る。目尻に浮かんだ涙を適当に擦り、朝のひんやりした空気に身震いした。朝靄に霞む広大な敷地は、新鮮な牧草の香りを含みひんやりと冷えている。深呼吸をして体内に取り込んだ瑞々しい空気が体に充満すると、寝ぼけていた頭が次第にはっきりしてきた。
「よし、ちゅうもちばるどー」
まだしんと静まり返っている牧場内を一頻り眺めた後、ロッジの傍に作られた犬小屋を覗き込んで声をかける。丸くなって寝ていた犬のユージローが、その声に反応して耳を動かし顔を上げた。
「うきみそーち。ユージロー」
自分と同じ名前の牧羊犬に声をかけ、元気な鳴き声が返ってくるのに笑顔を浮かべる。転がるように犬小屋から飛び出してきた犬の頭を撫で、連れ立って歩き出した。
この茶色い毛玉のような犬が甲斐の元へ来たのは、まだほんの仔犬の頃だった。近くに住む友人たちが山に捨てられていたのを拾い、裕次郎にでーじ似てるばぁ、とゲラゲラ笑いながら連れて来た。甲斐から見ればそう大して似ているとは思わなかったものの、他の友人も口を揃えて似てると言う。しかも甲斐の所へ連れてくる前に勝手にユージローと名付け、仔犬もそれが自分の名前だと既に覚えてしまった後だったため改名も出来なかった。それから、牧場主の甲斐裕次郎と犬のユージローは兄弟のように仲良く一緒に暮らしている。
拾った友人が甲斐の所へ仔犬を連れてきたのは、一緒に拾ったもう一人の友人が犬嫌いだったからだ。最初はなんて無責任なとさすがの甲斐も思ったが、今では感謝している。
ユージローがいなければ、甲斐の生活は色々な意味でもっと味気なかっただろうから。この家族がいなければ、たった一人で暮らしていかなければならなかった。
牛舎の扉を大きな音と共に開けた甲斐は、傍にある灯りのスイッチを入れる。オレンジ色の電球が奥まで照らし、藁の敷き詰められた牛舎内が一望できた。ゴム長靴を引きずるようにして奥へと歩いて行くが、手前の方に牛はいない。
「うきみそーち、起きてるばぁ?」
牛舎の一番奥、二メートル四方の壁と柵に囲まれた場所に一頭の牛がいる。分厚く積まれた柔らかい藁の上になぜか紫色の敷布を敷き、ベッド代わりにして眠っている。
一見すると、その牛は人間の男によく似ていた。手足も顔の作りも服を着ているところだってまさに人間と同じだった。おまけにこの牛は、人間の言葉を理解しそして喋る上にアンダーフレームのメガネまでかけている。けれども頭には牛特有の小さな耳と角が生えており、先端だけにふわふわの毛が生えた尻尾も持っていた。
もはや人間でいいのではないかと思ってしまうこの生き物が、甲斐の飼っている乳牛だ。