弾む陽光、手のひらに
「ハボック少尉?」
小さなノックのあと、ドアから顔を覗かせたのは上司がいたくお気に召している少年だった。
金の髪に気の強そうな金の瞳が印象的な、史上最年少の国家錬金術師。
「よう、大将」
軽く手を上げて挨拶すると、彼は病室の中に入ってきた。続いて、彼の弟である巨大な鋼の鎧も入ってくる。
「見舞いに来てくれたのか」
ベッド脇の椅子を薦めると、エドワードはうなずいて腰を下ろした。
「うん・・・アルに聞いてさ」
少し戸惑っているような表情を見せているのは、ハボックの怪我が一体どういった状態なのかも聞いたからだろう。
「足・・・全然、動かないのか?」
「ああ。・・・感覚も全然ねぇ」
目を合わせずにそっけなく事実を述べる。今更隠し立てしても仕方ない。実際、動かしがたい事実なのだから。
「・・・ごめん」
「は?」
驚いてエドワードを見ると、エドワードは膝の上でこぶしを握り締めてうつむいていた。
「その怪我、オレのせいだ・・・」
「何言ってんだよ。大将関係ねぇだろ?大体オレがやられたとき、アンタ東に居たんだろうが」
「でも!今回の件ってロス少尉のことが発端なんだろ!?ロス少尉だって・・・ヒューズ・・・准将だって、オレが巻き込んだ!!」
ぱっと顔を上げたエドワードの瞳に宿っているのは、後悔の色。
「二人だって、オレが巻き込まなきゃ、自分たちで何とかしてたらあんなことには・・・」
「馬鹿野郎!!」
子供の癖に全てを自分で背負い込もうとするエドワードに苛立ち、ハボックは思わず怒鳴りつけた。驚いた様子のエドワードが息を呑む。
「そうやって何でも独りで背負って突っ走る馬鹿が居るから逆に周りに迷惑かけるような結果になるんだ!何でもかんでも自分でやろうとするんじゃねぇ!!」
「あ・・・」
数度目を瞬かせたあと、エドワードが再度膝に視線を落とす。
「それ、ロス少尉にも言われたことがある・・・」
苦笑した風のエドワードにハボックも苦笑した。
「他にもあるんじゃねぇのか?大将のことだからよ」
「実は先週アルにも言われた・・・」
「・・・ってついこの前じゃねーかよ」
少し離れたところに立つ鎧に目を向ければ、アルフォンスは腕組みをしてうんうんと頷いている。
「これで3回目かよ。いい加減覚えろや」
ため息交じりの苦笑をもらすと、エドワードは顔はうつむいたまま、目だけ上目遣いでハボックを見た。
「ごめん・・・なさい」
「あーもういいもういい」
普段は無理に大人びた態度に見せようとするエドワードも、時折こうして実年齢より低く見えるしぐさをすることもある。
(ま、大佐が大将を放っておけないってのも分かるよな、こうして見ると)
どうにも危なっかしい。下手に知恵も力も権力もあるだけに尚更暴走しやすく、目が放せない。
まぁ、大佐の場合どうもそれだけの理由に留まってはいないらしいが。
「あ!そうだ!肝心なこと忘れるトコだった。ハボック少尉、傷見せてくれよ」
「傷?何でまた」
「医学じゃ治せないものも、錬金術でなら治せるかもしれない」
真っ直ぐな淀みのない瞳は、『かもしれない』と言いつつ、治せると信じているようにも見える。
だが、ハボックは知っていた。彼と同様のことを考えた錬金術師が、既にその方法を模索しておりそして結果を出せていないことを。
「あ〜大将?無駄だと思うからやめときな」
「何で無駄だって決め付けんだよ」
「とっくに大佐が調べてんのさ」
情報を集めるだけなら、大佐の方が立場上エドワードより多くの情報を集めることが出来る。
「大佐の情報網で見つけ出せてねーんだ、しょうがねーよ。軍人になったときから、こういうことが起きる覚悟はしてたしな」
「勝手に諦めんな!!いいから服脱げよっ!!」
言うが早いか、エドワードはハボックに馬乗りになった。
「って、ちょっ、待っ、おわぁ、大将?!」
「兄さん!ハボック少尉が困ってるよ!」
アルフォンスは口頭では兄の行動を咎めるものの、行動に移す様子はない。
「アルフォンス!困ってるよとか言ってないでお前も兄貴力づくでも止めろよ!」
「え、でも・・・」
「アル、少尉を押さえろ!!」
「え?え?え?」
アルフォンスがおろおろしている間にもエドワードがハボックの病院着の前をはだけさせる。
腰から下が全く動かないハボックではろくに抵抗も出来ない。
「上だけじゃ見えねーな・・・よし、下も脱がすか」
「ぎゃああああ!やめろ!!脱がされるんなら可愛い女の子がいいーーーーーっ!!」
エドワードが病院着のズボンに手をかけた瞬間。
「何を騒いでいるの?!」
病室のドアが勢いよく開かれた。
「あ」
「ホークアイ中尉・・・」
病室の中に恐ろしい沈黙が流れる。
滅多なことでは取り乱さないホークアイは、ハボックの姿を見、エドワードがハボックの病院着に手をかけているのを見、アルフォンスがうろたえている様子を確認した後、くるりと背中を向けた。
「出ましょう、アルフォンス君」
「あ、はい。ホークアイ中尉」
「ちょ・・・待ってください中尉!誤解ッス!!俺は無実だーーーっ!!」
振り向きもせずに病室を出て行ってしまったホークアイに悲鳴のような声で訴えると、アルフォンスが振り返った。
「だ、大丈夫ですよ少尉!ボクがちゃんと中尉に説明しておきますから!!」
そう言い残すとアルフォンスはがしょんがしょんと走ってホークアイを追いかけて行ってしまった。
「ま、待て!!お前まで居なくなったら誰が大将を止め・・・」
ハボックの引き止める声もむなしく、病室のドアが閉められる。
「あああああ・・・」
「おとなしくしろって。別に医者に診られるのとかわらないだろ?」
「いろいろあるんだよ。大人の立場とか男の矜持とか・・・」
「はぁ?」
どうあっても止めるつもりはなさそうなエドワードに、ハボックはため息をついた。
「ああもう・・・勝手にしろよ・・・」
お手上げ、のポーズをしておとなしくベッドに横たわると、エドワードはハボックの病院着のズボンを下着ごと下げ、傷口のガーゼをはがした。
「あ。毛が無い」
「うるせぇ!手術するのに剃られたんだ!!」
だから見られたくなかったというのに。こんな小さな少年に良いようにされているのが情けなくて、目を閉じて顔を背ける。
「火傷も酷いんだな。これじゃ手術も大変だっただろーな」
「けど焼いて血止めてなきゃ死んでたってさ。今生きてんのはまぁ大佐のお陰なのは確かだ」
「うん、それも聞いた」
ふと視線をエドワードに向ければ、エドワードは真剣な目で傷の周辺を調べていた。
「・・・障害があったのは神経信号だけか。下半身の壊死の心配はなし、内臓は・・・」
「つーか大将、大体のことはカルテ見れば書いてあるんじゃないのか?」
「カルテはさっき見てきた。ちゃんと覚えてるよ。照合したいだけ」
「は・・・」
あっさりと『覚えている』と言い放ったエドワードにしばし絶句する。本職の医者だって、大半はカルテとにらめっこしながら傷の診察を行うというのに。普段の彼からはとても想像できないが、やはり国家錬金術師という人種は頭の構造が違うらしい。
「でも大将が傷の診察して一体どうしようってんだよ。医療系の錬金術師じゃないと難しいんだろ?大将だって大佐と同じで本職じゃないじゃねーか」
「あのさぁ。少尉、オレの本職の錬金術って何だと思ってる?」
ガーゼを傷口に貼りなおしながら苦笑したエドワードの問いに、ハボックははて?と首をかしげた。
「よく錬金術に使ってるのは・・・機械鎧の鋼と、あと地面のレンガとかも錬金術の材料にしてるよな?」
「違うよ。それは戦うのに必要で練成してるだけだっての。本職って言うのは、長い時間かけてその系統について研究してるもののことを言うんだよ」
「へ?大将が研究してるモノ・・・」
「人体練成だよ」
表情も変えずさらりとエドワードが言い放った言葉に、はっとして息を呑む。
「悪い・・・」
「何で謝るんだよ。事実なんだから大したことじゃないだろ?」
「いや、でもさ・・・」
エドワードにとってはその話は間違いなく楽しい話ではあるまい。作れなかった母親、鎧の身体になったアルフォンス。失った右手と左足。その全てを自らの業としてエドワードが背負っている、その事実を突きつけるものだから。平然として見えるのが逆に痛々しくさえ感じる。
何と言ったものか、とあごに手を当てると、エドワードがバン!と布団を手のひらで叩いた。
「だーかーら!別にいいの!それはそれ!!これはこれ!!違う話!!分かったか?!」
「あ、ああ・・・」
苛立ったように話を変えるエドワードに頷くと、エドワードは苦笑して話を続けた。
「錬金術ってのは、練成しようとしてる物をちゃんと知ってないと練成できないんだよ。だから確かに医療系ではないけど、大佐に比べれば俺のほうがよっぽど人体については詳しい、ってこと!」
ハボックの着衣を戻すと、エドワードは迷いのない真っ直ぐな瞳でハボックを見た。
「医療系錬金術師のあてがダメなら、研究すればいい。絶対治してみせるから、諦めたりすんなよな」
「大将・・・」
エドワードを見ていると、何でこうも真っ直ぐで居られるのかと不思議になることがある。幼いとは言え、「大人の世界」に入ってきて既に3年を超えている。薄汚いモノだってたくさんその目に見てきただろうに。
「大将・・・それはダメだ」
「何でだよ?!」
だからこそ、彼は軍部に居てはいけない。これ以上酷いものを見てしまう前に、軍から解き放たなくてはならない。
「大将は何のために国家錬金術師になったんだ?」
「・・・アルの身体を元に戻すため」
「だったらそのことだけに集中しろよ。他の事にかまってるヒマなんかねーはずだろ?」
「じゃあ!!アンタはどうするんだよ!!」
腹立たしげにエドワードが床をダン!と踏み鳴らす。
「さっきも言っただろ。軍に入ったときから、こういうこともあるって覚悟は出来てた」
「嘘だ!!」
「嘘じゃねぇよ。大体何で大将が勝手に俺のこと決め付けてるんだよ」
「アンタオレが身体無くす気持ち分からないとでも思ってんのか?!」
エドワードの右手が、ハボックの胸倉を掴む。触れた金属の感触に、ハボックは息を呑んだ。
「わ、悪い・・・てか、俺今日大将の地雷踏みまくり・・・?」
「んなことどうだっていい!!」
「は、はひ・・・」
エドワードの剣幕に押され、既に手はホールドアップ状態である。
「オレはもう決めたんだよ!!もう誰も犠牲になんかしないって!!!誰も死なせたりしない、誰も辛い思いなんかさせない!!そうやって前に進むって決めたんだ!!オレはアンタを助けるのを諦めたりなんかしない!!オレが諦めてないのにテメェ独りで勝手に諦めてんじゃねぇこのボケナス少尉ーーーーーッ!!!!!」
息継ぎなしで一気に怒鳴り、エドワードが息を荒げている。
「た、大将・・・」
「何だ!!」
「そこに、俺の意思は・・・?」
「無い!!」
「無ぇのかよ!?」
思わずツッコミを入れると、エドワードはハボックの胸倉を放してビシッと鼻先に指を突きつけた。
「ンな簡単に諦めちまうような根性なしに選択の余地は無し!!オレが決めてやる!あんたは元通り動けるようになる!!オレが戻す!!!」
あんまりなエドワードの言い草に、ハボックは口をあけてエドワードを見るしか出来なかった。
何たる言い草。何たる傍若無人。
確かに軍内部での立場で言えばエドワードのほうが上ではあるが、年長者に対する遠慮も本当に微塵も無い。
なんだか可笑しくなってしまい、ハボックは吹きだした。
「プッ・・・アデデデ、アダダッ!!た、大将、まだ傷ふさがってないんだから笑わすなよっ・・・」
「わ、笑わしてない!!笑うな!!オレは真剣なんだからなっ!?」
「わ、分かった分かった、ププ・・・アダダダダダッ」
「笑うなって言ってるだろーーー?!」
ようやく笑いを収めてぜいぜいと息を整えていると、エドワードの手がハボックの手に触れた。
「大将?」
「・・・アンタは生きてる」
「へ?」
エドワードの言いたいことが分からず問い返すと、エドワードはハボックの手を強く握った。
「死者は絶対に蘇らない。失われた人間は再構築出来ない。それが真理だ。人は・・・死んだ瞬間に、その人間が持つ可能性はゼロになる。どんな手段を用いようと、それは変わらない」
黄金色の瞳が、真剣な眼差しをハボックに向ける。
「でも、アンタは生きてる。生きてるってことは、それだけで可能性を持ってる、ってことなんだよ。アンタは可能性を持ってる。だから、諦めるな!泥の沼の中でもがいてでも生きてる限り可能性を探せ!!」
「大将・・・」
その言葉は、まさにエドワードが歩いてきた道なのだろう。母親の人体練成を行って以来、逃げることなく可能性を探して戦い続けたエドワードだからこその、言葉。
その意味は重いはずなのに、まるで闇の中に指した一条の陽光のようにも感じた。・・・いや、言葉だけではなくこの少年そのものが光なのかもしれない。
「大将は、強いな・・・」
「少尉が弱すぎんだよ」
「ハハ、キッツ・・・」
「で、返事は?」
「は?返事??」
一体何のことかと問い返せば、エドワードが口を尖らせた。
「だから、諦めるなって言ってるだろ?!その返事!!諦めない、って言えよ!!」
選択の余地なしと言っておきながら返事を求め、しかしその返事の内容は一点強要。また吹きだしそうになり、ハボックは必死で笑いをこらえた。・・・しかし傷が痛む。
「た、大将、あのさ・・・」
「何だよ?」
「ほら、俺大将の言うとおり『根性なし』だからさ。ちっと大将の強さを分けてくんねーかな」
「あ?別にいいけど・・・でも、ンなもんどうやって分けんだよ?」
きょとんとしたエドワードに手招きすると、素直に近寄ってきた。
そのまま頬を掴んでゆっくり引き寄せ、唇を重ねる。
エドワードは一瞬戸惑った様子だったが、特に抵抗はしなかった。
軽く口内を味わい、唇を離す。
「苦い・・・」
開口一番エドワードの口をついて出た言葉に、ハボックは笑みを浮かべた。
こういったところは、まだまだ子供だ。
「大将が来る前に一本吸ってたからな」
「重症のくせにタバコ吸ってんなよ・・・。んで、これで根性は出たのか?」
「ああ・・・まぁ、諦めないで治す方法が見つかるのを待とうかなってくらいにはな」
「その程度かよ!?」
「その程度、って大将アンタ・・・!?」
俺に何を求めてるんだよ、といいかけた言葉はかき消された。
今度はエドワードの方から唇が重ねられたのだ。
「た、大将?!」
うろたえたハボックの鼻先に再びビシッと指が突きつけられる。
「他人任せにするな!努力しろ!止まってる暇があったら自分で動け!!」
言うだけ言うと、エドワードはマントを翻して早足でドアへ向かっていった。
「え、あ、大将!?」
ハボックの声にも振り向かず、勢いよく病室のドアを開ける。
「アル!帰るぞ!!」
「えっ?あっ、待ってよ兄さ〜ん!!」
がしょんがしょんがしょんがしょん・・・と鎧の足音が去っていくのを呆然と聞いていると、ホークアイ中尉が病室に入ってきた。
「元気が出たようなのはいいけれど・・・今のはちょっとまずいわね」
「へっ?今の、って・・・」
「エドワード君にちょっかいをかけると、怒り狂う人が居るでしょう?」
「はうっ・・・!」
エドワードに振り回されまくったせいで、途中ですっかり某大佐のことを失念していた。
「・・・ってアレ?!中尉、もしかして見てたんスか!?」
「ええ、まぁ。何かあっては困るもの」
「あっちゃぁ〜〜〜・・・」
思わず頭を抱え込んだ後、ふとある疑念が頭をよぎる。
「あれ?中尉、大佐が怒る・・・ってことは」
顔を上げてホークアイを見る。表情からは何を考えているかは読み取れない。
「あの二人、もう付き合ってたんスか?俺、一方的に大佐が口説いてるだけだと思ってたんスけど・・・。それに大体大将だって、付き合ってる相手が居るならあんなコトしたらまずいんじゃ・・・」
「違うのよ。逆」
「え?」
ホークアイが大きくため息をついた。
「周りから見れば一目瞭然なほど必死で口説いているのに、エドワード君、かけらも気づいていないのよ。お陰でキスの一つどころか、指一本手を出せていないの」
「ええ?!」
女性を相手にすれば向かうところ敵なしのロイ・マスタング大佐。ハボックとて何人彼女を奪われたか知れないというのに・・・その彼が3年も口説き続けて今だ反応なしとは、それはそれですごい話だ。
「いくら子供で同性ったって、3年もあればほだされそうなモンなのに・・・」
「ほだされるも何も、気づかないんだもの。理解してもらえなければ反応も無いでしょう。だというのに・・・」
もう誰も居ないドアのほうを見ていたホークアイが、ちら、と横目でハボックを見る。
「突然横から、先に貴方とキスしちゃった・・・どころか、エドワード君のほうからしてもらった、なんて聞いたら・・・」
「っ・・・俺、消し炭にされるっ・・・」
「可能性は高いわね」
あっさりと肯定したホークアイに、ハボックは冷や汗が流れるのを感じた。
「お、俺どうしたらいいんスかね・・・?」
「とりあえずエドワード君の口から大佐に漏れないように祈るしかないわね」
暗に自分は言わない、と言ってくれたホークアイに感謝しつつ、ハボックはため息をついた。
「高いキスになっちまったな〜・・・」
ふと、先刻与えられた感触を反芻する。急に黄金の瞳に覗き込まれ、頬に柔らかな金糸の髪が触れ・・・弾力のある幼い唇が押し当てられた。
「・・・あんな陽の光が掴めるなら、消し炭にされたっていいかもしんない・・・」
「え?」
「あ、いや・・・なんでもナイッス」
戻る