【02】頭を撫でる

エドワードが本日もみっちり書類を処理している『エルリック少佐執務室』の隣。エドワードの直属の部下が仕事を行う『エルリック司令室』で、ちょうど一つの書類を書き上げたジャンは煙草に火を点けた。
「そう言えばロス少尉、聞きたいことがあったんだが」
隣で書類にペンを走らせている新しい同僚にふと声をかける。
「何?」
「アームストロング少佐の下だった頃から、こっちに移ってきたばっかりの頃、結構嫌がらせされてたって聞いたんだけど、もうすっかり収まってんのか?」
ジャンの問いに、ロスはペンを止めてジャンに視線を向け、それから苦笑した。
「そう言うことって、本人に直接訊かなくない?」
「あ、悪ぃ」
「別に良いけど。あの頃に比べれば随分減ったわ」
「まだされてんのか?最近じゃ、アームストロング少佐の部下も結構食堂で見かけるのに」
ロスがペンの頭を顎につけて宙を見る。
「アームストロング少佐の所への嫌がらせはもう全部収まったって聞いたわよ」
向かい側で聞き耳を立てていたブロッシュが顔を上げた。
「僕らの場合別口がありますからね〜」
「?今度は大佐の部下だからってんじゃないよな」
「そっちじゃないわ。『エルリック司令室』の人間だから」
「は?」
意味がわからず、ジャンがロスとブロッシュの顔を見比べると、ブロッシュが笑った。
「ハボック少尉は鈍いってマスタング大佐が仰ってましたけど、本当なんですねぇ」
「まぁ、ハボック少尉は対象になっていない見たいだしね」
「え、何?どういうことだよ」
「エドワード君、すごく人気があるんですよ」
ブロッシュの言ったことの意味が分からず、眉をひそめるとロスが苦笑してペンを置いた。
「つまり、エドワード君を狙ってる人とか、そこまで行かなくてただのファンとか?そう言う人たちがね。結構色々やってくるの。私たちを部下に引っ張ったのは、名目上マスタング大佐と言うことになっているけど、エドワード君が希望したんだっていうのも今はもう有名な話だし」
「うぇ!?マジで!?」
「もー凄い地味で古典的な嫌がらせされてますよ。シャワー使ってさあ靴履こうと思ったら画鋲入ってたり。逆に近寄ってくる人はコネ作ってここに潜り込みたい人だし、エドワード君が軍に入る前から結構仲良かった奴まで、エドワード君盗撮出来ないかとか持ち掛けてきたり。マスタング派とアームストロング派以外の人間とはもう付き合えないですよ」
「・・・ちょっと待てブロッシュ。シャワー室で画鋲って、お前男性用のシャワー室だよな・・・?」
「当たり前じゃないですか。今言ったの全部男ですって」
「それに女性の方も大差はないわよ」
呆然としたジャンを見て、ロスとブロッシュが笑っている。
「ああ、でも、僕は最近少しマシになりましたよ。マスタング大佐のお陰で」
「え、何大佐何かやったのか?」
「いや、そうじゃなくて。マスタング大佐のエドワード君の可愛がり方は異常だ、きっと付き合っているに違いないとか言われてるんですよ」
本気で火の点いたままの煙草を噴き出してしまい、ロスとブロッシュがああっと声をあげた。
「ハボック少尉、書類が!!」
「あわわわ」
慌てて書類の上に落とした煙草を拾い、灰皿に捨てる。書類はギリギリセーフだった。
「すみません、驚かせちゃいましたね」
ブロッシュが済まなそうな顔をする。でもどうしてそこまで驚いたかなんて言えるわけが無い。エドワードと付き合っているのは俺だ、だなんて。
「でもそこまで言ってるのは一部ですよ。ただ、マスタング大佐が参戦してきたら勝ち目が無いってんで、やる気が削がれてる人間はかなり居るみたいですね〜」
「そうなの・・・。こっちは全然変化無いわよ」
「大変ですね〜」
世間話のように話している二人にはもう慣れたことのようだった。
「しっかし何だって大佐と付き合ってるだなんて・・・」
「だって、ハボック少尉がエドワード君の副官じゃないですか。ハボック少尉って、マスタング大佐が2番目に重用している部下だって言われてましたから、そんな人間を自分のとこから離してエドワード君につけるなんて、よっぽど大事にされてるんだーとか色々言われますってそりゃ」
違う。それは違う。でも真実はどうだったのか話すことも出来ない。
「その・・・大将の副官になったのは、俺と大将双方の合意で、別に大佐がやれって言った訳じゃねーんだけど・・・」
「あっそうなんですか?でもマスタング大佐ってやたらとエドワード君の執務室に来ますよね」
「・・・エドワード君は常に噂の的だから、先週エドワード君とハボック少尉が休日に強盗を取り押さえたって話ももう皆知ってるのよね」
突然話題を変えたロスに、即ブロッシュが反応する。
「あっ、アレ!休日まで護衛してるなんて、ハボック少尉は凄い忠犬だ、マスタング大佐はそこまでエドワード君を守りたいのかとか言われてるんですよ!!」
予想外の解釈に、ジャンは机に突っ伏してゴンと頭をぶつけた。ロスが大きな溜息を吐く。
「ブロッシュ軍曹、貴方ハボック少尉は上官なんだからもう・・・」
その時、エドワードの執務室に続くドアが開いた。
「うぁ〜〜〜!終わった〜〜〜〜!ハボック少尉、オレのデスクにある書類全部終わってるから大佐んとこ持ってって」
「お、おう」
慌てて立ち上がりジャンが隣室に姿を消す。
それを見送って、ロスが溜息を吐いた。
「ブロッシュ軍曹、貴方も相当鈍いんじゃない?」
「えっ、そんなこと無いですよ〜。いつだって流行の最先端も噂話もチェックしてるんですから!!」
「そう言う意味じゃないんだけど・・・あら、エドワード君どうかしたの?」
調子が悪そうに首を回しているエドワードに声を掛ける。
「あー。平気平気。下士官の訓練見に行くまでにあと30分くらいあるから、オレちょっと休憩とってくるわ」
どこかフラフラした足取りで部屋を後にするエドワードを、ロスは大丈夫かしらと心配しながら見送った。


「またサボってやがるのか大佐」
天気の良い午後の日差しに誘われて、ロイが人目につかない木陰でサボっているとエドワードが現れた。
「こんな所に来るあたり君だってサボりだろう」
ロイの隣にエドワードがよっこらせと腰を下ろす。
「アンタと一緒にすんなよ。今日の書類は終わってる。練兵場に訓練の視察に行くまで、ちょっと時間があったから寝に来ただけだ」
「・・・独りでか?こんな人目につかないところで独りで眠るものではないぞ」
特に君は、と内心で付け足すものの、他者の視線に無頓着なエドワードにはきっと意味が分からないだろう、とも思った。
「いくら副官っつっても、居眠りの護衛までさせるわけにゃいかねぇだろ。それに仮眠室嫌いだし・・・」
「ハボックならそれでも喜ぶと思うが・・・」
「まさか。ふぁ・・・」
エドワードは大あくびをすると、ロイの方に倒れ掛かってきた。
「おい!!上官に膝枕をさせる奴があるか!!」
「うるせぇ。グダグダいうと大声でホークアイ中尉呼ぶぞ」
「う・・・」
サボりの現場を押さえられているのは分が悪い。
「君が甘えてくるなんてきっと明日は槍が降るな」
「お望みなら実際に降らせるけど」
実行可能な能力を持つ人間に言うには少々たちの悪い冗談だったか。ロイは苦笑してエドワードの頭を撫でた。
「・・・上官と部下って、そんなに距離が出来るもんかな」
「なんだ、何かあったのか?」
「むしろ無くなった」
「主語と目的語を抜かすな」
「・・・少尉がさー」
軍の中で言えば少尉官など腐るほど居るが、まぁ間違いなくあの垂れ目のことだろう、と確信し、ロイはエドワードの頭を撫で続ける。
「撫でてくれないんだよなー・・・。昔はよく撫でてくれたのに・・・」
「撫でられたいのか?」
問うてもその返事は返ってこない。
「撫でられたいならそう言えば良いじゃないか」
「・・・オレが言って撫でられるんじゃ意味ねーもん・・・」
甘えることが昔から下手だった子供は、少年と青年の狭間の歳になった今でも甘えることが下手だった。
「やっぱ上司だとダメなのかな〜・・・」
「そんなことは無い。アイツがへたれなだけだ」
「・・・」
もしかすると、今自分に甘えているのは、本当はあのバカにやりたいことなのか?とふと思い当たる。滅多に弱音を吐かないエドワードが、おそらく初めて出来たのであろう恋人のことについて弱音を吐いているのは微笑ましいし、その愚痴を言う相手に自分が選ばれたのは少々嬉しいとも思った。
とりわけ優しく、ゆっくりと撫でてやる。そう時間を置かずに、エドワードは寝息を立て始めた。
全く寝顔は可愛らしいのにな、などと思いながら頭を撫で続けていると、エドワードの副官がエドワードを呼ぶ声が聞こえた。
ここに居ると教えてやっても良いが、大声を出すと膝で眠る猫が目を覚ましそうだ。どうせ放っておいても直ぐに見つけるだろう。
「たいしょ・・・あ」
やってきたジャンがロイとエドワードを発見する。どれ、ひとつ説教でもしてやろうかと視線を向けると、不穏な目つきになったジャンが銃を構えた。
「う、うわ!?落ち着け馬鹿者っ」
「・・・アンタやっぱり大将にまで手を」
「出すわけが無いだろう!!コレは不可抗力だ!!!」
だがジャンはロイの言葉に耳を貸さず、銃の安全装置を外した。
「・・・そう言えば大佐、前に可愛い新人の女の子が来るのかって聞いたとき、新人と女の子ってのは否定したのに、可愛いってのは否定しなかったッスよね・・・」
「そんな細かいこと今更文句を言うな、覚えていない!大体私はお前の身代わりにされたんだ、コレが甘えたがっているのはお前だろうが!!」
ロイの言葉にジャンが間抜けな顔をする。
「・・・はい?」
「ちゃんと甘やかしてやらんか馬鹿者。お前が最近撫でて来ないとふて腐れていたぞ」
「え、ええ?!」
「それに随分疲労も溜まっているようだぞ?真面目に仕事をするのは構わんが、鋼のは根を詰め過ぎる。無理矢理にでも休憩は取らせろ」
呆然と立ち尽くしているジャンを手招きで呼び寄せ、隣に座れと地面を指差す。
と、そこに銃を手にしたロイの副官が現れた。
「大佐!」
銃を構えようとしたリザに、ジャンとロイが揃ってシーーーッと人差し指を立てる。エドワードを見たリザが、銃を降ろした。
「珍しい光景ですね」
「随分疲れているようでね。今コレの副官に無理矢理にでも休ませろと説教していたところだよ」
「・・・確かにエドワード君はがんばりすぎですね。大佐と半々だったら丁度良いのでしょうに」
「う・・・」
「そうか、仕事しない人の副官は仕事をさせなきゃならないし、仕事をしすぎの人の副官は休ませなきゃなんないってことッスか。なるほどね」
「・・・鋼のを渡したら直ぐに戻るとも。ところで中尉、相談があるのだが」
「休憩の延長は認められませんが」
ぴしりと言い放ったリザに、ロイは苦笑した。
「違うよ。10分後からの練兵場での兵の訓練を、鋼のの隊と合同にしてくれないか?今日は鋼のの隊も私が見よう」
そんなことを10分前に突然言われても困ることは百も承知で、リザに頼むと、リザも苦笑する。
「仕方ありませんね。準備してまいります」
そのままリザが走り去った。何を言っても、結局皆エドワードには甘いのだ。・・・ロイ自身も含めて。
「ということだハボック。ちゃんと休ませろよ」
「うす」
エドワードが目を覚まさないようにそっと持ち上げ、ジャンの膝に移動させる。エドワードは僅かに唸ったが、目を覚まさなかった。
「やれやれ、昼寝をするには良い天気だったのに・・・仕方ない、たまには真面目に仕事をするか」
ジャンが幸せそうにエドワードの頭を撫でているのを横目で確認し、ロイは練兵場に向かうために立ち上がった。


ハボさんはブロッシュ軍曹の噂を聞いた直後に大佐がエドを膝枕してるのを見てしまったわけで。
そら銃も抜きたくなります。

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06/05/25 脱稿