「鋼の。君のところはいつも順調に書類を片付けているようだね」
執務室を訪ねてきたロイに、エドワードはデスクに肘をついた。
通常なら将軍の方が佐官の執務室を訪ねたなら、デスクに座ったままなどと言うことはあってはならない。が、エドワードとロイの間に置いては、その辺りの関係が変化することは全く無かった。
「アンタが順調じゃなさ過ぎるんだろ。こうやってサボりにくるから」
「まぁ、そう言うな。少し話があるんだが、休憩にしないか?」
エドワードが溜息を吐いて立ち上がる。
「しょうがねぇなぁ。コーヒー飲むか?」
「ああ・・・、君が淹れるのか?ハボックはどうした」
ポットの前に立ったエドワードは、手際良くドリップとコーヒーの粉を用意しながらロイを振り返った。
「今煙草吸いに行ってる。この部屋禁煙だから」
「・・・そういえばこの部屋は煙草の臭いがしないな」
ジャンはロイの下に居た頃は、ロイの執務室だろうがなんだろうがぷかぷか吸っていたものだが。
「同じ部屋であんなに煙草吸われたらオレの成長が止まる」
「ぶっ」
「笑うな!!!」
「いやいや・・・」
それでは言うことを聞かざるをえないだろう。
「それに、少尉はコーヒー淹れるの下手くそでさ。これじゃ薄いとかこれじゃ濃いとか言っても、それ以前に毎日同じ味に淹れられないから、何度教えても上達しねーの。だからいつも自分で淹れてる」
「・・・本当に役に立ってないんじゃないか?アイツは」
「後片付けはしてくれるけど?あと、ここに置いてあるコーヒーの粉とかポットとかそろえてるのも少尉だしさ」
言われてみれば、とふと室内を見渡してみれば、通常の執務室より観葉植物も多く、本棚は綺麗に整理され、ほこりひとつ無い。ソファも手入れが行き届いている。ロイが好んでこの場所のソファで居眠りしようとするのは、それが一因でもあるのだ。
そしてポットやらコーヒーやらは、普通の執務室には無く、副官たちは給湯室でコーヒーを淹れて運んでくるのが普通だ。それがここにあるのは、エドワードがいつでも直ぐにコーヒーを淹れられるようにしてあるのだろう。
・・・この部屋は、エドワードが居心地良く過ごすためだけに作り上げられている。それも、おそらくエドワードの意思ではなく、ジャンの意思によって。
「どうかしたのか?」
エドワードがロイの前にコーヒーカップを置く。
「いや。君、この部屋に用も無く出入りする人間が結構居るんじゃないのか?」
「筆頭がアンタだろうが」
そう言われれば、返す言葉も無い。だがそれもこの部屋の居心地がやたらといいせいだ。
「それは、否定できないが。私以外にも居るのでは、と訊いているんだ」
「あー・・・。なんかただ世間話をしに寄ってく将軍は結構居るな。色々面白い情報くれるから、別に困ってもいないけど」
そう言いながら、エドワードは戸棚からマフィンとクッキーを取り出した。
「・・・そんなものまで完備されているのか、この部屋は。それもハボックが?」
「これは違うよ。ほら、前に強盗に入られたケーキ屋があっただろ?あの店結構ああいうのに狙われるらしくてさ。市街の巡回のときにあの辺りの見回りを強化するように指示したら、よく前日に売れ残った焼き菓子をくれるようになったんだよな」
「ほう、あの店のか。では、味も折り紙つきだな」
甘い物はさほど食べないロイも、あのケーキ屋の商品だけは美味いと感じる。
「大佐もあそこのなら食うだろ?」
「ああ、ありがたく頂こう」
コーヒーに口をつけて、ロイはふとその味にも驚いた。
「・・・美味い」
「あ、コーヒー?そりゃ、軍で支給されてるインスタントよりゃ美味いだろ」
確かに給湯室に配給されるコーヒーは全てインスタントだ。と、言うことはこのドリップ一式もわざわざ別に手に入れたということか。
「とは言え、君の蒸らし加減も中々だな」
「そらどーも。アルがコーヒーに・・・ってか、味のあるもの全般にうるさくてな。何年も物を味わったり出来なかったから、やたらと美味しい食い方飲み方にこだわってさ。覚えちまった。こうやって目の前でコーヒー淹れると、世間話に来た将軍も喜ぶしな」
そう言えばここのところ、対立派閥の将軍の幾人かの態度が軟化してきている。会議のときにエドワードに声を掛けて談笑していたようだし、あの辺りがここに通っているのだろう。
通常なら副官に淹れさせる筈のコーヒーを、佐官が手ずから淹れてもてなし、しかもそれが美味いとあっては喜ばない将軍は居まい。エドワードには取り入ろうなどという意識が全くないから、尚更だ。
この少年は無意識のうちに人を惹きつけ、いつの間にか中心となって人を動かす能力がある。
「けーど喜んでくれるのはいいけどさ、娘やら孫娘やらと見合いしないかとか言われるのには参ったぜ〜?」
「何、そんなことまで?!それで君はどうしたんだ」
「断ったよ。当たり前だろ。恋人が居ますから、って」
「ハボックのことは解っているが・・・しかし少しもったいないな。出世のいい足がかりになるだろうに」
エドワードが苦笑してクッキーを口に放り込んだ。
「『もったいない』って・・・。アンタもあの将軍たちと同じこと言うんだな。別にそこまで出世に興味はありません、オレはオレの大事な人たちを守りたいだけだから、って言ったらやたらと感心して諦めたよ」
「・・・君は、直球勝負なお陰で逆に世渡りが上手いのかもしれないな」
普通なら自分の娘との見合いを断られたら機嫌を損ねるところだ。それを逆に評価を上げるキッカケにしてしまう辺り大したものだ。
「別にそんなつもりは全然ねーんだけどなぁ。ま、アレ以来色々裏情報流してくれるから助かってはいるけど」
「・・・余程気に入られたんだな、君は」
「そうか?・・・あーそうそう裏話といえばさ。准将、アルが入る予定のセントラル高等士官学校なんだけど、あそこテロリストの温床になってるかもしれないって話知ってるか?」
「何!?」
「やっぱ知らないか・・・」
エドワードがマフィンにかぶりつく。
「あそこには週1度ブレダが講師に行っているが、そんな話は聞いたことがないな」
「ふぇ、ふふぇふぁひょーひふぉうふぃふぁんふぁふぁっふぇふふぉ?」
頬いっぱいに物を詰め込んだリスのような顔をして喋るエドワードの言葉は、人語をなしていない。
「口に物を入れたまま喋るな!」
顔を顰めたロイに、エドワードはコーヒーを口に流し込んだ。
「ブレダ少尉講師なんかやってるんだ?」
「ああ、アイツは主席で卒業してるからな。現役の軍人と触れ合うのも勉強になるということでやっている」
「へぇ・・・。でも週1じゃなんとも言えねぇなぁ」
「その話の根拠は何なんだ?それくらいは聞いたのだろう?」
再びマフィンにかぶりついていたエドワードが顔を上げる。
「ふぇっふぉー」
ロイが無言でコーヒーをびしっと指差すと、エドワードは少し苦笑してマフィンを飲み込んだ。
「えっとな、この前セントラルで起きたテロの実行犯捕まえてみたら、士官学校の卒業生で、卒業後姿を消してたヤツだった・・・ってニュースは知ってるよな?」
「ああ・・・確か護送中に暗殺されてしまった犯人だな」
「そう、それ、実は護送中じゃなくて刑務所の独房に入れた後だったんだと」
「何だって!?」
「逃げ出せない代わりに外からの侵入も許さないはずの刑務所で暗殺されたなんて、ニュースに出せないから護送中ってことで発表したらしい。けど、刑務所を調査しても全然そんな侵入されたって言う痕跡が無かったらしくって。それだとテロ側の侵入スキルが高いっつーより軍に簡単に入り込める人間が暗殺したって考える方が自然だろ?」
「ふむ・・・。しかも軍に入隊せずにテロリストになったはずの人間だから、軍関係で係わり合いがあったはずの場所、となると士官学校が怪しいということか」
「そそ。茶飲みに来てた将軍にさ、弟が士官学校に入る、って言ったら教えてくれたんだけど。内部調査は全然進んでないらしいし、アルは入学する気満々だし、どうしたもんかと」
エドワードがずーと音を立ててコーヒーをすする。コイツ他の将軍の前でもこの調子なんじゃないだろうな、と少々不安になりながらもロイは口を開いた。
「私は君にアルフォンスと一緒に士官学校に通う気は無いか、と薦めに来たんだが、丁度良かったかも知れないな」
「へ?オレ?!何で?!」
「週3回程度でいい。今は飛び級システムもあるから、士官学校卒業の資格は取っておきたまえ。その方が昇進するときにうだうだ言われなくて済む」
「いや、だから昇進には大して興味が無いんだって・・・」
エドワードが戸惑ったように顔を顰める。無論、ロイだって権力欲に無縁なタイプであることは百も承知で勧めているのだ。
「興味がある無しの問題ではない。君に新しい仕事を振るために昇進させたいというような時でさえ、面倒なことになるんだ。出世欲どうこうを除いても持っておくべきだ」
「むー・・・」
「今回の件の調査にも何かと都合がいいだろう?生徒として入ることで、ブレダには見えなかったところも見えるだろうし、君の護衛という名目でハボックも自由に入り込むことが出来るようになる。ついでに、そんな場所にアルフォンスを一人で通わせるのも嫌なんじゃないのかね?」
アルフォンスの名に、エドワードがピクリと反応する。
「ふむ、アルフォンスにも協力してもらう方が都合がいいかもな・・・」
「待て!!アルを巻き込むな!!」
噛み付くように怒鳴って立ち上がったエドワードに、ロイは溜息を吐いた。
「士官学校生は一応学生だが、半分はもう軍人になっているようなものだ。動員される場合もあることを、知らないわけではないだろう?それに、君が潜入操捜査を行っている場所に一緒にいて、君の弟は手を拱いていられる性格をしているのかね?」
「う・・・。わ、わかったよ」
そのとき部屋にノックの音が響いた。
「ジャン・ハボック戻りました〜・・・っと、准将?やっぱココッスか」
「?やっぱり、とは・・・」
ジャンの後ろからリザが姿を見せる。
「准将・・・」
ジャキッと銃をリロードする音に、ロイは及び腰で立ち上がった。
「わ、わーーーー!待て待て待て!今は仕事の話をしていたんだ!!そうだろう、鋼の!?」
「仕事の話になったの偶然だけどな〜」
「余計なことは言わないでくれ!」
「オレに同意を求めるからだろ」
エドワードが苦笑して立ち上がる。
「中尉、ソファーにどうぞ。今コーヒー入れるから。少尉、ブレダ少尉呼んできてくれ。今打ち合わせしちまおう」
「鋼の、アルフォンスはどうする?」
エドワードはコーヒー粉の缶を持っていた手を止めて、暫し逡巡した。
「・・・本人が参加したいって言うかどうか、だな。まずは計算に入れないで捜査手順を決めちまって、それからアルも参加するか本人に聞く」
「いいだろう。それと情報をくれた相手には一応君から報告しておけ」
「りょーかい」
「・・・て訳でな。お前、どうする?」
その日の夕食後、リビングでお茶をしながらかいつまんで説明したエドワードに、アルフォンスは何を言っているの、という表情を向けた。
「やるに決まってるじゃないか。何で軍人になりたいって言ったと思ってるの?」
「だよなぁ・・・。いいか、無茶はするんじゃねーぞ?」
「無理なことはしないって」
「お前が無理じゃないと思ってもはたからみりゃ無茶やってることってあるしなぁ・・・」
横で聞いていたジャンがぶほ、と噴き出した。
「何だよ少尉っ!!」
「だってお前それ・・・テロリストのアジトに突入したときの、准将と大将の会話と殆ど同じ」
「う・・・」
「准将も過保護な親父みてーだけど、大将も随分過保護な兄貴だよなぁ?」
ジャンがアルフォンスに視線を向ける。アルフォンスは苦笑した。
「ですよねぇ」
「う、うるせぇなっ!!」
「ま、そいつはともかく。そういうことでアルの入学する日とおなじ日から、大将も週3回午前中に士官学校に通う、と」
「兄さん、週に3回だけなの?」
「軍の仕事もあるからな。今更やり直す必要もなさそうな授業は、レポートだけだして単位に換算してもらう」
「うわっ、ずるい」
顔を顰めたアルフォンスにエドワードが苦笑した。
「軍の仕事があるんだっつってんだろーが。いかない日だって遊んでるわけじゃねーっつーの」
「むー・・・」
唇を尖らせたアルフォンスに、ジャンが禁煙パイプを口から放す。
「大将のレポート換算って、別に大将だけ特別扱いな訳じゃねーぞ?ブラッドレイ政権が潰れてからできたシステムなんだよ」
「え、そうなんですか?」
「人手が足んなくて、出来るだけ早く優秀な人材を軍に引っ張れるように、ってな。だから、やろうと思えばお前さんにも出来るよ」
「へぇ・・・」
「つっても大将のは軍で実務経験があるから楽に書けるだろうが、お前さんが合格点もらえるレポート書くにゃかなりの勉強がいるだろうけどなぁ」
ハハハ、と笑ったジャンにアルフォンスは首をかしげる。
「じゃあ、ハボック少尉勉強教えてくださいよ」
「いっ!?無理無理無理!!俺ペーパーテストは全部追試で通ってきたんだから!!!」
慌てて手を振ったジャンをエドワードが振り返った。
「全部?」
「おう!赤点取んなかったテストはひとつもないぜ!!」
胸を張って言い切ったジャンに、アルフォンスとエドワードは揃って苦笑した。
「自慢になんねー!」
「でも、逆にそれも凄いかも・・・」
「いや〜追試のたびにブレダには世話になったぜ・・・」
ふっとジャンが遠い目をする。
「って訳でな。勉強を教えてもらうならブレダがいいと思うぞ?」
「ブレダ少尉、主席卒業だって言ってたしなぁ」
「えっ、そうなの!?凄い!!」
素直に感心するとジャンは苦笑した。
「おいおい、凄いとか言ってる場合じゃねーぞ?准将が、『エルリック兄弟は二人とも主席で卒業するように』つってたからな」
さらっと爆弾発言を落としたジャンに、アルフォンスもエドワードも目を見開く。
「えええええ!?」
「ちょっと待て、オレそんな話聞いてねーぞ!?」
「どちらか片方だけでも主席じゃなかったらアルフォンスはエルリック司令室には配属しない、だとさ」
エドワードが頭を抱えた。
「何だよそれ、クッソ手ぇ抜けねぇ!!あんま回数通う余裕ねぇから適当なところで手を打っとくつもりだったのに・・・!」
「うわ・・・絶対主席取らなきゃ・・・」
「ブレダから卒業試験の過去問集貰ってきてやったから、まぁがんばれや」
ジャンが取り出した冊子を、エドワードが受け取る。
ぱらぱらとページを捲っていたその視線が不意に真剣になりはじめた。
「え、おい、今から勉強始めるのかよ?」
「限りがある時間を無駄にするのは趣味じゃねぇんだよ」
「へーへー。んじゃ俺はそろそろおいとましましょうかね」
立ち上がってジャンがリビングを出て行く。ジャンを見送るために、アルフォンスも立ち上り、玄関へ向かった。
「あの、ハボック少尉!兄さんは少尉と居る時間が無駄っていった訳じゃ・・・」
「ああ、解ってる解ってる。士官学校のテストまでの時間に限りがある、ってつもりだろ、アレは。お前もがんばれよ」
「はい」
ジャンの大きな手がアルフォンスの頭に置かれ、わしわしと撫で回す。
「あと、気になってたことがひとつあるんですけど」
「ん?」
「ハボック少尉、最近あんまり煙草吸いませんよね?今も、禁煙パイプみたいですし」
「ああ、これ?でも別に本数減らしてるとか言うわけじゃないぜ?お前とか大将の前で吸う本数を減らしただけだから」
「えっ」
「ま、お前が鎧だった頃は気にすることもなかったけど、今は身体本調子じゃないんだし、傍で吸うのは良くねーだろ?大将も一緒に居る時間長いしな。だから、食後の一服以外は目の前では吸わないようにしてんの。俺はもうニコチン中毒だから、止めるってのはちょっと無理だからな」
当たり前のことのように笑ったジャンに、アルフォンスはいささかの感動を覚えた。
エドワードがジャンのことを透き通る青空だと評したのを聞いたことがあるが、その通りだと思う。なんというか、包容力が違うのだ。
「こういう人を捕まえた兄さんが偉いのか、こういう人じゃないと兄さんの相手が務まらないのか・・・」
「んぁ?」
「いえ、何でもないです。おやすみなさい、少尉」
「おう。また明日な」
続きます。
「学園物っぽいの書きたくなっただけでは?」というツッコミは禁止です。(笑)
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06/07/17 脱稿