【05】タバコを吸うということ 2


エルリック邸の玄関で、ジャンがエンジンをかけた軍用車のドアを開いた。
「おーし、んじゃ初登校と行きましょうか」
「え?ハボック少尉も行くんですか?」
てっきり兄と二人で士官学校に向うのだと思っていたアルフォンスが首をかしげる。
「護衛だからな。大将は並の少佐官より目立つし、内部調査なんかの都合もあるしで、准将が無理矢理校長にねじ込んだ」
「オレは別に大丈夫だって言ったんだけどな〜・・・。それより仕事が遅れるほうが気になる」
後ろ頭を掻くエドワードに、ジャンが苦笑した。
「まぁ、あそこの調査も仕事の一つだ。そう言うなよ」
軍用車に揃って乗り込む。今日もエドワードは助手席に乗った。
「ところで、この前受けた試験の結果が今日分かるんだったか?自信の程はどーなんだよ」
「別に問題はないと思うけどな」
「うん。ボクも」
顔を見合わせてあっさりと頷きあった兄弟に、ジャンが少し眉を顰める。
「ってさー・・・確か丁度中期試験の時期だったから同じ問題の試験受けたとか言ってなかったか?問題ないわけ?!今まで士官学校なんか行ったことなかったのに?!」
半分不貞腐れたような声色のジャンに、アルフォンスはあははと笑った。
「ああいうのはコツですよ、少尉」
「クソ、ブレダと同じこと言いやがって」
エドワードもアルフォンスに同意する。
「ハハッ!それに、誰もやったことのない錬成を成功させるために自力で理論組み立てるより、あんな回答が決まってるテストが難しいわけないだろ?錬金術の研究の方がよっぽど難しいよ」
「さようですか・・・」
高等士官学校の駐車場に乗り入れると、そこにはロイとリザが立っていた。
「あれ?准将?こんにちは」
「遅いぞ」
「何で准将がここに居るんだよ。暇なのか?」
顔を顰めたエドワードにロイが苦笑する。
「士官学校への入学には後見人が必須なんだよ。まして君たち兄弟は、通常の入学時期から外れての入学だからな。顔を出さないわけにも行くまい」
「そんなのハボック少尉でいいじゃん」
「馬鹿モン、部下に後見をさせるヤツがあるか!ほら、行くぞ」
「へーへー」


校長室に通され、ロイ、エドワード、アルフォンスはやたらともみ手をしている校長を前に順にソファに腰を下ろす。
リザとジャンはそのソファの後ろに立った。
「これは、マスタング准将自らおいでになられるとは、まことに光栄の・・・」
くどくどと語りはじめそうになった校長をロイが片手を上げて制止する。
「ああ、能書きは要らない。まずはこの二人の入学についてだが、成績に問題はないだろうか?」
「ええ、それはもう!二人とも最高学年への入学ということで!」
「・・・ん?」
ロイはエドワードとアルフォンスに視線を向けた。
「同じ学年で受験したのか?アルフォンスは本来もう1学年下のはずだろう」
「別にそんくらい平気だよ。なぁ?」
「うん」
兄弟は何を気にしているのかさえ分からない、と言う表情でロイを見る。
「全くその通りで。いやはや、流石はマスタング准将が目をかけていらっしゃる鋼の錬金術師殿とその弟君、まさか全教科満点を取られるとは思っておりませんでしたよ」
この兄弟の能力から言えばかなりの高得点をことは予想していたが、予想を遥かに超えた結果にロイは僅かに目を見張った。
「・・・校長、私が今日ここに来たのは、他にも優秀な人材が埋もれていないかを調べたかったのだが。参考までに同様の試験を受けた生徒たちで最も高得点を取った者は何点だったのかな?」
「え・・・と、それはですね・・・。800点満点で、692点でしたかと・・・」
「そんなものか」
と言うことは別に試験の内容が簡単だったというわけではないのだろう。
だがロイの言葉を失望と受け取った校長が、ハンカチで汗を拭き吹き慌てて言葉をつなげた。
「あ、あ、で、でもですね!最高学年には大した人間は居ませんが、ひとつ下の学年に優秀なのがおりますよ!卒業と同時に国家錬金術師資格を取るつもりだとか!」
国家錬金術師資格、の言葉にエドワードが反応する。
「つもり、ね。まぁつもりになるだけなら誰でも出来るよな。実際取れるかどうかはともかくとして」
身も蓋も無いことを言うエドワードに、思わずロイは苦笑を零した。
「まぁ、そう言うものではないよ、鋼の。実際取れるくらいの実力を持っていれば大したものだろう?」
「そらまぁ、そうだけど」
校長がふと時計を見上げる。
「そろそろころあいの時間ですので、担任教師を呼んでまいります」
猫背でぺこぺこ頭を下げながら退室する校長を見送り、エドワードが肩を竦めた。
「普段は准将ってサボり魔だわ雨降りゃ無能だわって印象しかないんだけど、考えてみりゃああやってぺこぺこされるくらいにはそれなりに偉い立場なんだよな」
「おい!」
「間違っちゃいないでしょう」
ジャンがうんうんと頷けばリザもクスクスと笑っている。
アルフォンスは校長の態度を思い出し、顎に手を当てて中空を見上げた。
「曲がりなりにも学校長が、随分腰が低かったですよね」
「まぁ、それはそうだろう。士官学校の校長と言うのは、軍の階級で言えば大尉官だからな」
ロイの言葉にエドワードが目を見張る。
「あ、そんなモンなのか?」
「一応教官達も全員階級章をつけているから、自分の目で見てみるといい。鋼のはそう言う意味では校内で一番階級が高い人間ということになるな」
「へぇ。もうちょっと皆階級高いのかと思ってた」
「実際表に出るわけでもない人間に高い階級を与えられるほど、軍に余裕がないのは君も知っているだろう。一般的な教官も大半は曹長と軍曹クラスで、君の護衛としてここに来るハボックの方が階級が高いくらいなんだぞ」
「うわぁ、それ教官たちもやりにくそうですね・・・」
同情を示したアルフォンスにロイは肩を竦めた。
「まぁ確かに、普通なら士官学校生は全員階級を持っていないからそれで事足りるはずだ、と言うのは間違いないんだがな。たまには上官の目が入るのもいい刺激になるだろう。その歳で佐官になる者が、どれくらいの能力を持っているかもしっかり見せることが出来たようだしな」
エドワードの試験の結果は予想より良かったが、良すぎて悪いと言うことは無い。
「しっかし二人揃って満点ッスか。完全に自習だけでもそんなに取れるモンなんスねぇ・・・」
ジャンは感心した様子だが、兄弟はこんなの大したことはないと言う表情で顔を見合わせた。
エルリック兄弟には、万年赤点のジャンの気持ちは全く理解できないのだろうということは想像に難くない。
「国家錬金術師ともなれば、目ぼしいライバルが居なければ主席を取るくらいは難しいことではないのだがな」
「あ、そうなんスか?准将はどうだったんで?」
「私は同期にヒューズが居たからな。二人で主席を争っていたよ」
ジャンがあからさまに『しまった』と言う顔をした。その様子にロイは苦笑する。
・・・今となっては懐かしい思い出だ。
「そう言えば私は二人とも主席で卒業するように、といったはずだが、同じ学年で本当に良かったのかね?」
「別に同じ点取ればいいだけだし」
エドワードの言葉をアルフォンスが受けて頷く。
「全教科満点なら絶対同じ点になりますし」
「・・・まぁ、口先だけではなく今回それをやって見せているから文句は言わないがね。君たち兄弟に常識を説くのは無駄なのだろうな」
「あんだよ」
大仰に溜息をついて見せたロイに、エドワードがムッとして口を尖らせた。
そこに、校長がいそいそと戻ってくる。
「お待たせいたしました!!」
「ああ、私はもう引き上げるよ。では私の部下をよろしく頼む」
「は、はい!それはもう!!」

 
「・・・ということで、このクラスにこれからエドワード・エルリック少佐が通うことになりました。えー皆さん仲良くしてください。ええと、エルリック少佐、挨拶を・・・」
「必要ねぇ。別に長い時間居るわけじゃねぇしな」
あっさり切って捨てたエドワードに、教室の後部に立っていたジャンは苦笑する。
「そ、そうですか。では、一番後ろの窓際の席ですので・・・」
どうにもやりにくそうな教官がエドワードに割りあてられた席を指示すると、エドワードは頷いて机の間を歩き始めた。
その目の前に、引っ掛けるように脚が差し出される。
エドワードはその脚に視線を落とし、思い切り蹴飛ばした。
「痛ってぇ!!何しやがる!」
「あー、短い脚必死に伸ばしてるから蹴って欲しいのかと思ったぜ」
「何だっ・・・」
あわや喧嘩になるかと思ったが、エドワードはそのまま相手を押しのけて通り過ぎ、自分の席に着いた。
「席に着け。授業を始めるぞ」
エドワードに脚を掛けようとした生徒に向けられた態度が、本来のこの教官のやり方なのだろう。エドワードを睨んでいた生徒はしぶしぶ席に着いた。
生徒たちが一斉に教科書とノートを開く。だがエドワードは教科書は開くがノートもペンケースも取り出そうとはしなかった。
あまつさえ窓の外に視線を向けている。
教官は少し戸惑ったようだが、何も言わずに授業を開始した。
授業開始から10分程度経過した頃、エドワードが荷物からペンケースを取り出した。
ようやくノートを取るのかと思いきや、その後エドワードが取り出したのは、どう見ても仕事の書類だった。
そんな堂々とした内職があるかよ、とジャンが心の中で突っ込むと、流石に気に触ったのか教官が板書の手を止める。
「・・・エルリック少佐」
「何だ」
「貴方は授業を受けるために士官学校に通うことになったのだと記憶していますが?」
「まともにやる必要のある授業ならまともに受けるさ」
教官の顔があからさまに強張る。
「私の授業には意味がないと?」
「今更物理学やってもな」
視線を逸らしたエドワードが鼻で笑う。
「そっ・・・そこまで言うなら、この問題を解いてもらいましょう」
教官が黒板に問題を書き始める。だが、その内容は大砲と標的の距離から弾道を計算し、発射角度を求めよ、というもので・・・ジャンからみても、士官学校生が解くレベルのものではなかった。実際の軍人でも解ける者はどれほど居ることやら。
・・・無論、ジャンにも無理だ。
「・・・やれやれ」
エドワードは立ち上がるとつかつかと黒板に歩み寄った。チョークを取るなり、物凄い勢いで黒板に計算式と力学のベクトルを書き始める。
「な・・・、っ」
ジャンにはその内容は理解できなかったが、絶句している教官の表情からすると、回答が正確なのは推察できた。
エドワードがカランと音を立ててチョークを黒板の溝に転がす。
「オレの邪魔をするな」
冷めた視線で教官を見やったエドワードが、自分の席に戻った。
しかし、今のはあんまりな気がする。
教官をやっているブレダから、少し聞いたことがある。ブレダは、「士官学校の教官は、絶対生徒に舐められちゃいけねぇ」と言っていた。
士官学校の生徒なんてものは、若さゆえにエネルギーが有り余っている。だから、ちょっとでも舐められればあっという間にコントロール出来なくなってしまうのだ、と。
実際自分もそういったタイプの生徒だった覚えがあるし、それは時代が移った今も同じなのだろう。
そんな中で、エドワードがあれほど舐めきった態度を見せ、その上やり込められてしまったとあっては、他の生徒にも舐められるのは必至だ。
ジャンの直ぐ目の前でガタンと椅子を引いたエドワードに、ジャンは視線を向ける。
「・・・エルリック少佐」
「何だ」
「階級こそ下でも、教官ってのは目上の人間でしょう?もう少し言い方があるんじゃないかと思うんスが」
「黙れ」
「でも・・・」
「ジャン・ハボック少尉」
エドワードがジャンを振り返る。金の瞳がジャンを射すくめた。
「黙れ、と言った。聞こえなかったのか?」
「・・・いえ」
「なら、黙ってろ」
「・・・Yes,Sir」
「大層偉いんだなぁ、少佐ってのは!!」
口を閉じたジャンの代わりに、先刻エドワードに脚を掛けようとした生徒が口を開く。
「よぉアンタさぁ、どう見たって年上なのに、ソイツにそんな顎で使われて平気なわけ?このガキ殴りたいとか思わねぇの?ぺこぺこ頭下げちゃって、なっさけねぇ」
ジャンに対する侮蔑の言葉を発した生徒に、エドワードが顔色を変えた。立ち上がろうとしたその肩を、ジャンは後ろから押さえる。
「大体そんなヤツが少佐になれるなんて、よっぽど上手いこと上の人間に取り入ったんだな」
エドワードをの肩を押して背にするように脚を踏み出し、ジャンはその生徒を力いっぱい殴りつけた。
「な・・・」
「それが上官に対する態度か!?」
派手な音を立てて床に転がった少年の胸倉を掴み、ジャンは軽々と持ち上げる。
「ぺこぺこ頭を下げる?それがどうした!そりゃあ軍に居りゃいけ好かないヤツに頭下げることだってあるさ、けどエルリック少佐に対してはそんなんじゃねぇんだよ!俺は少佐を心の底から尊敬してる、だから頭下げるんだ!」
別に自分が馬鹿にされることはどうだっていい。だがそれとつながってエドワードを馬鹿にしようとしたのは許せなかった。
大体脚をかけようとしたときにも殴ってやりたかったのだ。本人が報復したから黙っていただけで。
「やってることに疑問に思ったらそりゃ口を挟むこともある。けどな、少佐が自信を持って俺に命令する言葉なら間違ってることなんかありえねぇんだよ!テメェの命かけて戦ったこともないケツの青いヒヨッコが、偉そうなこと抜かしてんじゃねぇ!!」
「ハボック少尉、もういい!」
エドワードの静止の声に、ジャンは少年の襟首から手を放した。宙吊りになっていた少年がどさりと床に落ち、ごほごほと咳き込む。
「・・・スンマセン」
エドワードを振り返って苦笑すると、エドワードは変に顔をゆがめた。
一瞬頭を撫でてやろうかと思ったが、流石に教官やら他の生徒やらの前でそれはまずい。エドワードに触りたい衝動を堪え、ジャンはエドワードの後ろに立った。
エドワードもそれ以上は何も言わず、その日は教室内に微妙な空気を孕んだまま、午前の授業を終えた。

 
「・・・ゴメン」
校舎を出て車に乗り込んだ後、エドワードが最初に発した言葉はそれだった。
「ん?何が?」
「さっき、オレ偉そうだったろ?」
しょぼんと俯いているエドワードはいつものエドワードだ。
「いや、俺は別に。それより教官の方に謝った方が」
「それは駄目だ。あの学校内の誰がテロリストに加担してるのかわからないんだから。あの教官がその人物じゃないって保証はない」
「あ」
言われてみれば、エドワードはその内部調査を目的として学校に通うことになったのだ。
「じゃあ、アレは全部わざとだったのか。俺余計な口挟んじゃって悪かったなぁ」
「・・・少尉、それに気づいたからあんなこと言ったんじゃねぇの?」
「え?あんなことって?」
「ほら、その・・・オレが命令する言葉なら、ってヤツ・・・」
エドワードの顔は少し赤い。言われた方も照れたのだろうが、言った方はこう改められるともっと照れくさいのだが。
「いや?前も言っただろ。大将がそれがベストだって言うなら疑わねぇ」
その瞬間、エドワードがジャンにしがみついた。運転中だったジャンの手元が狂う。
「おわああああああ!?」
何とか無事に路肩に車を停止させることに成功したが、蛇行運転中もエドワードはジャンを放さなかった。
「こ、コラ!危ねぇだろ!!」
「・・・アンタ、オレに甘すぎだ」
「そうか?」
「そうだよ。・・・怒ってるって、思ったのに」
エドワードは助手席から運転席に乗りあがるようにしてジャンの胸にすがり付いている。ジャンは笑ってその頭を撫でた。
「怒ってねぇよ。ま、どうやって調査するつもりなのかくらいは、話して欲しいとは思うけど」
「・・・じゃあさ、昼飯ウチで食わねぇ?曲がりなりにも軍の直属の施設の話だから、軍の食堂とかじゃ滅多な話できねぇし。オレ飯作るからさ」
「大将が!?料理!?」
「・・・何だよその反応」
エドワードがムッとする。
「や、だっていつも料理してるのアルだろ?!大将が料理してるとこ見たことねーぞ!?」
「そりゃアルの方が時間があるからってだけだよ。オレだって師匠に一通りの料理は叩き込まれてる」
「へぇ・・・。じゃ、ご招待に預かりましょうかね」
ジャンがエドワードの額に唇を落とすと、エドワードは嬉しそうに微笑んだ。

 
「・・・エプロンっていいよなぁ・・・」
「何言ってんだよ」
しみじみと呟いたジャンの言葉に、エプロンをしてくるくると良く動いているエドワードが苦笑する。その手際のよさと包丁さばきから、エドワードも相当な料理の腕を持っていることは、下ごしらえの時点ではっきり分かった。
「いやいや、いい嫁さん見っけたなぁと思ってさ」
「よっ・・・」
エドワードが音を立てそうな勢いで真っ赤になる。
「冷やかすならあっち行ってろっ!!」
「え、本気なんだけどなぁ」
「っっっ・・・!もーーーーっ!!少尉のオムレツだけ激辛にしてやるっ!!!」
そっぽを向いてしまったエドワードは、泡だて器で物凄い勢いで卵を溶いている。けれど後ろからでも耳が真っ赤なのが見て取れた。
かわいい。
背中から抱きつくと、エドワードがビクッと肩をすくめる。
「ちょ・・・ちょっと少尉!!」
「ん〜・・・」
少し腰をかがめてこめかみにキスを落とした。完全に止まってしまったエドワードの手から、卵の入ったボウルと泡だて器を取り上げて、キッチンカウンターの上に置く。
左手を包み込むように手の甲側から指を絡め、右手でそっと顎を持ち上げた。困ったような、戸惑ったような表情をしているエドワードに、今度は唇にキスをする。
「んっ・・・」
顎を捉えていた手をゆっくりと下へ滑らせ、腰を抱き寄せると、エドワードはジャンに寄りかかるように身を預けた。左手が、くっと軽く握られる。
愛しい、と思った。
エドワードを傷つける全てのものから、エドワードを守りたい。
ジャンよりもエドワードの方が地位も戦闘能力も頭脳も遥かに上なことは分かっている。あえて勝っているところを上げればこのでかい図体くらいのものだ。
それでも、自分の出来る限りの範囲ででも構わないから、守りたいと思う。
愛しすぎて、共に過ごせば過ごすほど愛しさが募って、どうしたらいいのか分からなくなってきた。
傷つけたくない。汚したくない。自分の劣情からさえ、守りたいと思ってしまうほどに、愛おしい。
・・・けれど、精神的にはそう思っているのに、下半身だけはしっかり劣情を主張し始めるわけで。
甘い唇を貪り続けたい衝動を無理矢理押さえ込んで、ジャンは身体を離した。これ以上続けると、間違いなく理性が負ける。
「しょ・・・い・・・?」
エドワードはとろんとした瞳で、半開きの唇でジャンを見上げてくる。
その表情は勘弁してくれ頼むから。上半身の愛情が下半身の衝動に負けそうになる。
「その・・・さ。これ以上邪魔しても、昼の休憩の間に昼飯食い終わらなくなっちまうし?俺、あっちに行ってるわ」
ジャンは無理矢理にへらと笑い、キッチンを後にした。
その背を見送ったエドワードは、ゆっくりと左手の指で自らの唇をなぞる。
「・・・んだよ。バカ少尉・・・」
その声はキッチンとリビングを仕切る扉の向こうへは、届かなかった。

 
「少尉!出来たぞ!!」
「ん、ああ」
エドワードに呼ばれてキッチンに向かい、ジャンは目を見張った。
そこらのレストランで出しているランチと比べても遜色ないように見える。オムレツにかかっているケチャップが、変な角の生えた顔模様にさえなっていなければ、だが。
「すげぇな」
「え?」
「お前、ホント料理上手いんだな」
「アルだってこんなもんだろ?」
「そりゃまぁそうだけど・・・」
綺麗な形に仕上がっている鮮やかな黄色のオムレツに、付け合せのサラダやスープにいたるまで非のうちようがない。
「アルが料理も錬金術の修行のうちだ、みたいな事言ってたけど、確か准将はすげー料理下手だって聞いたような・・・」
ダイニングテーブルに向かい合って席につけば、エドワードは大しておかしくもないという様子で笑った。
「准将の師匠が特定方向のみを得意とする術士だったんだと思うけど。例えば気体の錬成しかしない錬金術師なら、何も料理なんて基礎のさらにその下地までやる必要は無いはずだしさ。オレたちはありとあらゆる錬金術でも使いこなせるように、とにかくしっかり土台を固めてあるんだ」
「へぇ、そう言うもんなのか。んじゃ、いただきます」
「いただきます」
オムレツをスプーンですくって口に運べば、卵が口の中でほろりと溶ける。
「・・・美味い!」
「あ、良かった。オレが少尉に料理作る機会なんて滅多にねぇしなぁ」
「いやこれマジ美味いわ。うん」
ガツガツ食べ始めると、エドワードが目を細めてジャンを見た。
「大将?食わないのか?」
「えっ、あ、そうだな」
エドワードもはっとしたようにスプーンを進め始める。
「そんで、大将。車の中での話だけど。何で学校であんな態度取ってたんだ?」
「あ、うん。・・・ほら、士官学校が怪しいって当たりをつけても、学校の中に居る人間なんて数百人もいるだろ?」
「そりゃそうだな」
「そんな人数に、一人一人探りを入れてたら、多分テロリストとつながってるヤツ見つける前に、相手に気づかれるからさ。だったら、向こうから出てきてくれるように、釣りあげた方が確実だと思って」
エドワードがぷらぷらと指先でスプーンを遊ばせる。
「釣りか。でも、何でそれで態度悪くするんだよ」
「アルが居るからだよ」
エドワードの言葉の意味が分からず、スプーンを止めると、エドワードはうっすらと笑っていた。
「ほら、相手がどんなタイプにちょっかいかけようとするか分からねぇからさ。だったら、色んなタイプのエサを撒けばいい。例えば、・・・成績が良く周りとの関係も良好な模範的な生徒と、成績だけは良くても規律は無視、教官との関係は最悪、友人も居ないどう見ても軍の階級社会には適応出来なさそうなヤツ・・・とか」
「そ・・・」
ふと、ジャンはロイの言葉を思い出した。
この件がなくとも、ロイはエドワードに学校へ通うことを薦めるつもりだった、といっていた。
軍の中では、意外と同期の友人、というものが占めるウエイトが高い。例え配属先の部署の人間関係が悪化しても、他の部署に友人が居ればその辛さを乗り越えることが出来るからだ。
配属部署の人間関係が縦のつながりだとすれば、同期の友人というのは横のつながりと言えるだろう。
通常の仕官と違い、学校に通うことなく仕官となったエドワードには、その横のつながりが無い。それを持たせたい、そうロイは言ったのだ。
それなのに、これでは学校にわざわざ通う意味が無い。
エドワード本人にそんなことを言えば、余計なお世話だと怒るのだろうが。
「・・・そんなに、急いで釣りすることねぇんじゃねぇのか?わざわざ周りから嫌われるようなことをすれば、後々響くと思うんだけどな」
「急ぐんだよ」
「へ?」
「アルをテロリストがうろちょろしてるような場所に置いておきたくねぇ」
「大将・・・」
「そもそもアルをこの件に参加させるのもオレは反対だったんだ!」
エドワードが強くテーブルを叩いたために、その上に載っていたグラスや食器が躍った。だがエドワードはそれを気に留める様子も無い。
「・・・悪い。少尉に当たっても仕方ねぇよな」
「いや。でもな、大将」
エドワードは急ぎすぎている。けれど、何と言ってエドワードを止めればいいのか、・・・何と言えば納得するのか、ジャンには見当がつかなかった。
「やっぱり、急ぎすぎだと思う。テロリストが居る、って言ったって、あの学校自体をテロの対象にするわけじゃないんだし。俺はその・・・大将だって、学生らしい生活っていうか、なんていうか・・・友達づきあいとかさ。そう言うのをもうちょっと余裕を持って味わってみてもいいんじゃないかと、思うな」
「オレは、そんなのいらない」
「大将・・・」
「オレはいいんだ。オレより、アルに・・・ずっと色んなものを感じ取ることさえ出来なかったアルに、そう言う当たり前の幸せを当たり前に平和に受けられる環境を作ってやりたい。テロリストのあぶり出しの手伝いなんかさせないでさ」
エドワードはふっと遠い目をして窓の外を眺めた。ジャンはその横顔に悔しさを覚えて唇をかみ締める。
エドワードがアルフォンスに対してそう思うように、ジャンやロイたちがエドワードにもそう思っていることは、エドワードには伝わらない。
守りたい、何て思ったところで、こんな小さな幸せひとつ守ってやれない。
なんだか、無性に煙草を吸いたい、と思った。



ここん所甘さが足りないかな、と思って砂糖をかけてみたら・・・
えーと・・・
書いた本人が恥ずかしくて悶えてます・・・。
続きます。

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06/07/25 脱稿