【05】タバコを吸うということ 8


「エルリック少佐、参りました」
「入りたまえ」
ドアの外からノックの音と共に聞こえたエドワードの声に、ロイが応じる。
扉が開き、エドワードが将軍たちの控え室となっている教室に足を踏み入れた。
「ご苦労、エルリック少佐」
数名の将軍がエドワードを迎え入れる。他にも士官学校の教官全員が教室後方に並び、各将軍のすぐ傍にそれぞれの副官や護衛が控えていた。
ロイの護衛の任に付いているジャンは、当然ロイの斜め後ろに後ろ手に手を組んで立っている。
時刻は午後1時45分。
ロイとは対立派閥ではあるが、エドワードを気に入って情報をもたらした中将が、エドワードを見てにっこりと微笑んだ。
「射撃の腕前を見せてもらったよ。見事な腕前だったね」
「恐れ入ります」
全くもって違和感の無い談笑の裏には、表からは決して読み取ることの出来ない高い緊張感が含まれていることを、作戦に参加するものは皆知っている。
次いで別な対立派閥の少将が口を開いた。
「流石はマスタング准将ご自慢のエルリック少佐だ、ということかな? まさかこの大会は君を自慢したいがために開かれたものじゃないだろうな」
その言葉に、ジャンは僅かに眉を上げる。ロイも表には出ていないものの、やや憮然としているらしいことは気配でわかった。
無論少将とてテロのことは知っている。だが、それでも平常時と変わらずイヤミを吐くあたり、流石に肝が据わっているとも言えた。
だがしかし、当のエドワードはそもそもこの手の揶揄の真意を察することが出来ない。
「マスタング准将が自慢するならホークアイ大尉だと思うんですけど・・・・・・?」
きょとんとして間抜けな返事を返したエドワードに、ぷっと先ほどの中将が吹き出した。
「エルリック少佐は本当に軍というものに染まらないな」
「は、はい?すみません」
「いや、中将は悪い意味で言っているわけではないよ」
ロイも苦笑している。
「じきにエルリック少佐の弟も軍に入ると言っていたかな? 二人揃ってこうでは困る気もするが」
くっくと中将が苦笑しながらエドワードを見る。
「いえ、私は彼の弟のこともよく知っていますが、弟はもう少し常人の感性に近いと思いますよ」
しれっと中将に返答したロイの言葉に、エドワードがむっとして口を尖らせた。が、流石に他の将軍も居るような場所でロイに噛み付くほどエドワードは愚かでは無い。
「それは良かった、というべきか残念だというべきか・・・・・・」
「中将、今ご自分で二人揃っては大変だと仰ったではありませんか」
「いやいや、それで二人揃ってマスタング准将の下につくというなら、それはそれで面白いものが見れそうだと思ってね。うろたえる君とか」
中将はエドワードは気に入っていてもロイのことは気に入らないらしい。気に入らない、というよりはやはり対立派閥であることは変わらないというところか。
談笑だか派閥抗争だか分からない会話の中で、やはりこういった会話にはあまりなじめないらしいエドワードが困った顔をしている。その表情にジャンは苦笑した。
中将の言葉ではないが、エドワードは本当に良くも悪くも軍に染まらない。
今度の作戦にしたって、テロリストに勧誘された生徒も救いたいだなどと、そんな無茶が良く通ったものだと思う。
エドワードの傍に移動したいところではあるが、今日のジャンの役目はロイの護衛である。本来の護衛であるはずのリザは、狙撃の腕を見込まれ、向かいの校舎の上階に伏兵として待機している。そこで、護衛がいなくなるロイの傍に、エドワードから離されたジャンを回すという運びになったわけだ。
しかし、エドワードはこの手の配下の兵も大量に動かす作戦に参加した経験は無い。先程の様子を見ても、本当は横で支えてやりたかった。
だがそれでは作戦の進行に支障がある。エドワードはそれを望まない。
ロイの斜め後ろに待機したまま、ジャンは誰にも聞こえないように小さな溜息をついた。


かすかに鈴のような音を聞き分け、ふとエドワードは目を細めた。それとなく教室の中をふらりと歩き始める。
聞き取れないほどのかすかな鈴の音は、5分置きに鳴らされる。陣の中に入ってから、2回目の鈴の音だ。ということは1時55分になったということになる。
時計は、見ない。時計を見れば、時間を気にしていることがターゲットにも伝わる可能性がある。
時限爆弾を発見済みだというのは軍側のカードの1枚になっている。時刻を気にしていたらそれを気づかれてしまう可能性が高い。
だから、それが時刻を知らせる音だと知っているものにしか分からないように、窓の外でかすかに音を鳴らすように指示したのだ。
刻限まで、後5分を切った。
ずくり、と心臓が萎縮したかのような感覚に、エドワードは表情を崩さないように気をつけながら周囲に視線を走らせる。
将軍たちも、その護衛たちも。誰一人として普段と変わった様子は見せていない。
皆、こういう状況に慣れているのだ、と思った。この場にいる自分以外の全員が。
事情を知らないシロの教官はともかく、これからテロを画策しているであろう教官でさえ顔色一つ変えていない。
うろたえるな、と自分を叱咤して歯を食いしばる。不慣れだから、そんな理由で作戦を失敗させるわけにはいかない。
ゆっくりと、気づかれないように細く長く深呼吸をした。
少し落ち着いたような気もしたが、逆に自分の心臓の音がはっきりと聞き取れるようになったような気もした。
もう一度息を吸い込む。と、その途中でふと視線を感じた。
敵意のある視線では無い。むしろ包み込むような優しさを感じてそちらに目をやると、ジャンと目があった。
まるで顔を顰めるかのような、ヘタクソなウィンクをして見せたジャンに、エドワードはプッと吹き出した。
その途端、急に肩の力がすぅっと抜け、視界が広くなったような錯覚を覚える。
いや、実際緊張して狭まっていたものが広がったのは確かなのだろう。耳についてうるさいほどだった心臓の音が、急に意識の外へ出て行った。
ジャンはいつもそうだ。エドワードがまだ旅を続けていた頃から、肩に力が入りすぎているとあっさりとそれを見抜き、エドワードに安らぎを与えてくれていた。
かなわないな、と時々思う。それが年の功と言う物なのか、個人の性質によるものなのかは定かではないが、何故かジャン・ハボックという人間は、とげとげしい気分を和らげてしまうようなところがある。そういう人間が、常に自分の傍らに居てくれるというのは、幸運なことなのかもしれなかった。
よし、と気合を入れなおして顔を上げる。
止まっていた足を再び動かして、教官たちが並んでいる方へと近づいた。
教官の方には目を向けないまま、2mほど手前で立ち止まる。
再びかすかな鈴の音が聞こえ、エドワードは手袋をぎゅ、とはめなおした。
時が、満ちた。
懐中時計を取り出して時間を確認した義足の教官に、視線は向けずにエドワードははっきりと声を発した。
「待ってても爆発は起きないぜ。爆弾は解体済みだ」
はっとして教官が顔を上げると同時に手を上げる。
「構え!!」
その声に応じ、将軍の周囲に控えていた兵が一斉に銃を教官に向けて構えを取る。
「なっ?!こ、これは?!」
「動くな!」
うろたえた様子の校長を目で制した。ロイが人を食ったような笑みを浮かべる。
「士官学校内にテロリストが潜んでいる可能性があったのでね、エルリック少佐に秘密裏に調査してもらっていたのだよ。2時に爆発するようにセットされた時限爆弾が先程発見されたのでね・・・ならば、2時ちょうどに動き出すタイミングを見計らって頭を叩けば、全員抑えられるというわけだ」
「計画は既に失敗している。諦めて投降しろ」
エドワードの視線を真っ向から受けた射撃教官が、口の端を吊り上げたが、目は笑っていなかった。
「なるほど、それでですか。愚かな子たちがあんなことを言い出したのは。あなた方に情報を売った・・・というわけですね」
射撃教官の言い回しに、エドワードはふと眉を上げる。爆弾の情報をエドワードたちにもたらしたのはアルフォンスとラッセルで、彼らがこの教官と接触があったらしいということも聞いてはいた。だが、もともとアルフォンスたちは『こちらの』人間だ。情報を売った、という言い方はおかしい。
「彼らを誑かしたのは、貴方ですか?エルリック少佐」
「彼ら、って誰だよ」
「おやおや。貴方のせいで命を落とすのだというのに、気の毒に」
言うなり、教官は隣の小部屋へと続く扉を開いた。扉の向こうから倒れこんできた人間に目を留めて、エドワードは目を見開く。
「ソイツは・・・・・・」
先刻、エドワードに絡んできた少年たちの一人だった。手を縛られ、猿轡を噛まされ、片方の脚は血に染まっている。一見して、銃で撃たれた傷だと分かった。
「な、んで・・・・・・仲間なんだろう!?」
食って掛かったエドワードにも、教官は顔色一つ変えない。
「仲間?そうですね、仲間だったかもしれませんが、これから裏切りますと言われて放置する馬鹿がどこに居ます?余計な情報を持って組織を離れようとする人間なんて、始末するに限る」
教官は床にうずくまる少年の襟首を掴んで、無理矢理立たせて前に突き出した。そしてそのこめかみに、銃を突きつける。
「さあ。撃ちますか?彼もこちらの組織に居たという事実は間違いなくありますがね」
溜息混じりにロイが腕を組む。
「何か含みがある言い方だな?」
「所詮軍はそう言う組織だと言うことですよ、准将閣下。どんな美味い事を言ったかは知りませんが、いざ邪魔になったら簡単に切り捨てるのでしょう?」
「別に美味い事を言った覚えは無いがね」
舌戦に突入しようというロイを横目に、エドワードは唇を噛んだ。
完全に、判断ミスだった。テロリストに勧誘されてそれに入ろうと思うほど相手に傾倒していたならば、相手に対して疑いを持たせても、それを本人に対して真意を問いにいく可能性は予見できたことだった。あの場では、逃がすのではなく無理矢理にでも自首させなくてはならなかった。
中途半端なことをした結果がこれだ。テロリストたちを救うどころか、ただ味方を危険に晒しただけだ。
ぐっと、痛みを感じるほどきつく唇を噛んだ後、エドワードは顔を上げた。
まだ全ては決していない。反省は後ででもできる、今はとにかく今できる最善の手を考えなくてはならない。
・・・・・・救えるものを諦める気は、無い。
「大体、邪魔な人間を簡単に切り捨てたのはテメェらだろうが?現にソイツだってそうじゃねぇか!」
エドワードの言葉にも射撃教官はたじろがない。
「軍だって同じようなことをしているのだから、そんなことを言える筋合いではないと思いますが?」
「・・・・・・軍に恨みでもあるようだな。 曲がりなりにも軍籍を持つものが」
鼻を鳴らしたロイに、教官が冷笑を浮かべた。
「大したことではありませんよ。死地に赴くような計画の任務に向かい、結果命は何とか落とさなかったものの、足を失い・・・・・・挙句傷痍軍人として辞めるはめになったというのに、退役金は足を失った人間が一生暮らすなんて到底不可能なはした金」
ジャキ、と銃の檄鉄がはずされる音が響く。こめかみに銃を押し付けられたままの少年が、ビクッと身を竦ませた。
「将来を嘱望されていたのに、食うにも困って、惨めにコネを使って教官なんかをする羽目になって。自分はもう上を望むべくも無いのに、自分が送り出した、大した能も無い連中が、上に上がっていくのを見ていろと?」
「それで軍を逆恨みか?勘違いも甚だしいな」
教官の恨み言を、ロイがばっさりと断ずる。
「・・・・・・鋼の、何も言わないのか?君はこのテの根性無しが嫌いだろう?」
話を振られて、エドワードは眉を顰めた。
「オレは本格的な戦場とかに行ったこと無いし、傷痍軍人として退役ってのがどれほど人生を左右するのか、分かんねぇし・・・・・・」
分かりもしないで偉そうなことは言えない、と思う。戦争で実際に戦ったことが無い自分が、口を挟んでいいものか分からない。錬金術師同士とかであるなら、まだ話しようもあるのだろうが。
「この場合、戦争そのものが問題なのではないよ。そこの馬鹿者は、『退役金で一生暮らすのは無理』と言っただろう?そんなのは当たり前だ、足が片方無くとも働ける職場くらい存在する。軍の任務のせいで、一切自分で収入を得ることが出来ない身体になったというならばまだしも、自分で稼げる人間の生涯を、保障しなければならない謂れは無い。実際今現在、職について生活できているのだからな」
ロイが腕組みをして冷めた視線を教官に向ける。あからさまな侮蔑を受けて、教官がクククッと喉で笑った。
「流石、将軍閣下ともなれば厳しいものですね?他者の痛みなどどうでもいい訳だ」
「痛み、な。・・・・・・鋼の、上着を脱いでみたまえ」
「上着? 何で・・・・・・」
「いいから。早くしなさい」
ロイに言われた通りに軍服の上着を脱ぐ。エドワードは軍服の下は、いつも黒のタンクトップだ。
ふと、教官が息を飲んだのを感じてそちらに視線を向けると、ロイが言葉を続けた。
「そもそも、この国には、機械鎧と言う技術がある。半身不随だというわけでもなく、四肢の1本失ったくらいなら、退役金で機械鎧手術をすれば、復帰して再度上を目指すことだって可能なはずだ。現に、ここに機械鎧を身につけて働いているものが居る。……当時12歳の鋼のが、右手左足の機械鎧手術に耐え、軍属となっているというのに、いい大人がそれが出来ないはずが無い」
ロイの声は、冷たい。
「怪我をしたことによって、命をかけた仕事を続けることに恐れでも抱いたか?それとも機械鎧を身に着けたところで、お前程度では上にいけないと、自覚してしまうことを恐れたか? いずれにせよ、逃げたに過ぎない。軍への恨み言を口にすることで、自分の不甲斐なさを覆い隠してな」
「・・・・・・貴方とこれ以上意見を交える余地は無いようですね」
睨みあうロイと教官を見ながら、エドワードはふと教官の言動に不審を覚えた。
現在相手が人質に取っている少年が、どんなことを言ったのかは定かではないが……少なくとも現状を見る分には、はっきりと組織を離れたいといったはずだ。
ならば、軍側からのコンタクトがあったことは簡単に予想できる。そして軍からのコンタクトがあったということは、イコールテロを起こすことがとっくに軍に漏れていることも分かる。にもかかわらず、逃げもテロを中止もせず、この場にいる。どう見ても人質一人で切り抜けられる状況でも無いのに、諦める様子も見せない。
・・・・・・何か、切り札を持っている。
エドワードは、全神経を相手の動きに集中させ、どんな不審な動きにも即対応できるように、ゆっくりと構えを取り直した。
「これ以上話しても時間の無駄というものだな」
ロイの言葉に、教官がニヤリと笑った。
「私は無駄とまでは言いませんが。こうして話している時間そのものは、必要な時間ですから」
「何・・・・・・?」
「准将閣下?私は従軍時代は、狙撃手をやっていたんですよ。まぁ、だから射撃教官なんてやってるわけですが」
何を言い出すのか、とロイが僅かに眉を上げる。教官はそれには構わずに言葉を続けた。
「狙撃手が好む場所というのは、大体決まっていましてね・・・・・・建物の多い街中なら選択肢も多いですが、こんな場所では限られてくる。例えば、そこの建物とか」
教官が、リザが潜んでいるはずのその建物を指差した、その瞬間。
爆発音が、轟いた。
その建物が爆発したことに、エドワードと教官以外の全員が、一瞬気を取られる。
その一瞬が、選択肢の可否を生んだ。
教官が人質の背中に仕込んであったサブマシンガンを抜く。
銃を持つ兵が、教官より先に撃つことは不可能なタイミングだった。
ただ一人、それを予測していたエドワードは銃を持っていない。
教官が人質を突き飛ばしてサブマシンガンを構える。
護衛の兵たちには、選択の余地はなかった。
ジャンがロイの前に庇うように飛び込み、他の将軍の護衛も同様に身体を盾にするように自分の上官を背に庇う。
だが護衛が居ないエドワードの前には当然ながら、誰も居ない。
エドワードが何もしなければ、エドワードを含めた数名が死傷するのは目に見えていた。
だが、タイミング的に、全員を守る盾を錬成することは不可能だった。そのためにはエドワードと他のメンバーの立ち位置が離れすぎていた。
選択肢は、二つに一つ。
即ち、自分の身を守るか、銃の前に飛び出して、自分以外の人間を守る盾を錬成するのか。
エドワードは、迷わなかった。
両の手を打ち鳴らし、教官の方へ向かって飛び出した。

 
廊下に通じる窓の外に、ブレダ、ラッセルと共に潜んでいたアルフォンスは、はっとして立ち上がった。
エドワードが手を打ち鳴らした瞬間に、その目を見ただけで、アルフォンスにはエドワードがどんな選択をしたのか、すぐに分かった。
「あんの、バカ兄っ!!」
すぐさま両の手を打ち鳴らし、エドワードを守るための盾を錬成する。
エドワードとアルフォンスの錬金術が交錯し、エドワードの盾は目的を見事に果たした。
アルフォンスの盾は、エドワードに向かった2初目以降の弾を阻止した。だが、動き出しが一瞬遅れたため僅かに初弾だけ間に合わず、錬成光の中をその弾はすり抜け、エドワードを撃ち抜いた。
右胸を抑えてエドワードが崩れ落ちる。それを見た護衛の兵たちが、教官へ向けて銃を構えた。
エドワードの錬金術によって、殆ど目的を達せてい無いことを見て取った教官も、サブマシンガンをリロードする。
崩れ落ちながらもそちらへ視線を向けたエドワードが、怒鳴った。
「殺すな!!」
その声に、兵たちが銃のトリガーを引く指が止まった。
それとほぼ同じタイミングで、窓の外からの銃撃が、教官のサブマシンガンを跳ね飛ばす。
窓の外には、リザが居た。
教官の手から武器が無くなったことを見て取り、数人の兵が教官へ躍りかかり、取り押さえる。
「兄さん!!」
アルフォンスは、先刻錬金術で破壊した廊下の窓の残骸を飛び越え、エドワードの下へと駆け寄った。
「大将!!」
ジャンも駆け寄ってくる。
「大将!!大将!?おい、目開けろよ!!」
エドワードは既に意識が無く、どれほど呼びかけても反応しなかった。
「生徒達の避難誘導を行え!! 避難はさせても、逃がしたりはするなよ!一人残らず確保しろ!!」
ロイが的確に部下達へ指示を出していく。その元へリザが駆けつけた。
「准将!」
「ホークアイ大尉、無事だったか」
「はい、爆発の数分前に私の元に投降してきた生徒がありまして、爆弾が仕掛けられているとの情報を得たのです。建物内の避難誘導を優先させましたので、報告が遅れました」
「いや、適切な判断だ。ではその生徒と共に、他の爆弾についての探索も頼む」
「了解しました」
振り返って他の兵にも指示を出そうとしたロイの肩を、中将が叩く。
「ここはいい、こちらに任せろ。君はエルリック少佐の所に行け」
「いや、しかし……」
少将も中将の脇で頷いた。
「私たちを守るために、あんな若いのが死んだと言われても寝覚めが悪い。行きたまえ」
その言葉にロイは僅かに眉を上げ、無言でお辞儀をしてから踵を返した。
「鋼の・・・・・・おい、ハボック」
「大将!!大将!!!」
ジャンはロイが来た事にも気づかず、ずっとエドワードを揺さぶって声を掛け続けている。
エドワードの倒れた場所には、既に血だまりが出来ていた。そしてその赤い液体は、刻々と大きくなっていく。
「ハボック!!」
ロイがいきなりジャンの襟首をつかんで立たせ、頬を殴り飛ばした。
「何を腑抜けている!! さっさと車を回して来い、ここからなら救急車を呼ぶよりその方が速い!!」
「あ・・・・・・は、はい!!」
ロイに叱咤され、我に返ったらしいジャンが慌てて走り去る。それと入れ替わりに、ロイがエドワードの傍らに膝をついた。
「アルフォンス、君は医療系の錬金術はどの程度使える?」
「人体錬成を応用できるとはいっても、ボクはあまり・・・・・・兄さんなら出来るのに・・・・・・!」
「私も得意ではない・・・・・・が、やら無いよりはマシか」
「あのっ!! 俺、やります!!」
ロイが振り返る。そこには、ブレダと共にラッセルが立っていた。
「君は・・・・・・?」
「ラッセル・トリンガムといいます。エドとは古い知り合いで・・・・・・医療系錬金術をベースに、植物の錬成の研究をやってます。だから、一通りの医療系のベースは出来ます」
ロイがブレダにちらりと目をやる。
「俺は錬金術のことはよく分かりませんが、信用できる人間だってのは保障しますよ」
「・・・・・・分かった。頼む」
ロイが道を開け、ラッセルがエドワードの傍らに座り込んだ。
「完璧に治すのは無理ですけど、応急処置なら・・・・・・」
掌の部分に錬成陣が描かれた手袋をはめ、ラッセルがエドワードに手をかざす。
錬成光が走り、真っ青だったエドワードの顔色が僅かに色を取り戻した。
「・・・・・・弾丸を摘出して、大きな血管と臓器の穴はとりあえず繋ぎました。すぐに病院に運べば大丈夫だと思います」
そこに、建物に突っ込むかという勢いで、ジャンの運転する軍用車が到着する。ロイがエドワードを抱き上げた。
「よし、では急ごう。アルフォンス、ラッセル、着いてきたまえ。ブレダ!!」
「ハッ」
「ホークアイ大尉と協力して、隊の者を纏めろ。指示はここに残る将軍たちに従え」
「了解です」
「よし、急ぐぞ!!」

 
数日後。
ようやく集中治療室を出たエドワードの病室で、ロイの怒声が響き渡った。
「この大馬鹿者っ!!」
「じゅ、准将、声でけーよ・・・・・・傷に響く・・・・・・」
「ああ、響いて結構だ。しばらくベッドの上で反省していたまえ!!」
「仕方ねぇだろ、自分守ってたらそっちは間に合わなかったんだから。それにんな怒ることねぇだろ? 一応味方の死傷者0で済んだんだし」
「0ではない!! 自分が怪我をしているだろう、忘れるな!!」
「へぇへぇ・・・・・・」
揚げ足を取られたエドワードが小さく溜息をつく。
「・・・・・・自分の身を守ることを考えろ、と言ったはずだ。 あの場ではまだ他の者もいたが、もしも誰も指導者がいないときにあんな選択肢をしてしまったら、君が倒れた後は誰が部下を導き、命を守ってやるんだ?自分以外の人間を守れればいいのではない。自分を含めた全員を守れ」
「・・・・・・アンタにだけはソレ言われたくねぇわ。自分だってどてっぱらに穴開けたままうろちょろして、足手まといになるほど無鉄砲なくせに」
エドワードにやり返されて、ロイがぐっと一瞬つまった。
「・・・・・・そう私に文句を言うのなら、まず自分の行動を見直せ。アルフォンス、君も何か言ってやれ。私の言うことでは聞く耳を持たん」
溜息混じりにロイに話を振られ、アルフォンスは苦笑しながら首をかしげる。
「ボクは……兄さんが集中治療室に入ってる間に、もう怒る気も失せちゃって……。ただ、兄さんが無事でよかった、それだけで……」
「アル……」
「でもね、兄さん」
アルフォンスは、エドワードの機械鎧の手にそっと触れた。
「ボク、もう、兄さんが、血の海にうずくまるのを見るのは嫌だな……」
「……っ」
アルフォンスの言葉に、エドワードが一気に表情を曇らせる。
「ごめんな。気をつけるから………………極力」
「極力、を付けるな。全く……」
ロイの溜息に、アルフォンスの頭を撫でていたエドワードが少し苦笑いして首を傾げた。
「それに結局……ちゃんと全員、助けられたとは言えねぇし。アイツにも、怪我させちまったしな」
「・・・・・・人質になった少年のことか」
「ああ。それに、ホークアイ大尉も危ない目にあわせちまったし・・・・・・」
「その件については、私は意見が違うな」
ロイの言葉に、布団に視線を落としていたエドワードが顔を上げる。
「ホークアイ大尉は、投降してきた者から爆発物の情報を得たからこそ、無事だった。彼らは、事件前に君とコンタクトがあったものだ。あの教官の元に詰め寄ったとき、あの人質の少年が撃たれ、『同じ目に合いたくなければ爆発物を仕掛けにいけ』と命じられてあの建物へ向かった、と言っていた。けれどそれが逆に君の指摘が真実であると確信させ、投降する気になったのだ、とも。・・・・・・おそらく、それがなければ他のものが爆発物を仕掛けに行き、爆発物の情報を得ることもなく、ホークアイ大尉は爆発に巻き込まれていただろうな」
「それは結果論だ」
「ああ、結果論だ。君が自分を守ろうとせず、『死者は0だったのだから、あの盾の錬成は間違っていない』と今主張しているのも、結果論だな」
「うぐ・・・・・・」
しれっと言い返したロイに、今度はエドワードが言葉につまった。
「ハボック、お前は何も無いのか」
ロイが窓辺で外に向かってスパスパ煙草を吸っているジャンに視線を向ける。
「・・・・・・」
ジャンは無言で煙を吐き出すばかりだ。
「ハボック少尉?」
不思議そうなアルフォンスの声にも返答は無い。ジャンのそんな様子を、目を細めて暫し眺めた後、特にコメントもせずに、ロイはエドワードに向き直った。
「そうだ、鋼の。君に問いたいことがある」
「何だよ?」
「君は、気を失う直前に、『殺すな』と・・・・・・確かそう叫んだな? あれは、何故だ」
「何故、って、別に、変なことは言ってねぇだろ?」
「十分変だ。あの時点では、人質もヤツから離れ、相手は発砲するために銃をリロードしていた。それに、罪状から考えれば、ヤツは既に銃殺刑になるのも確定していたようなものだった。人質を巻き込む心配も無く、遠からず処刑されることも分かっている人間が、こちらに危害を加えようとしているのに、だ。止める理由が全く無い。軍人100人に聞いたら、100人が『撃つ』と答えるぞ、あの場面は」
ロイの言葉に、エドワードの瞳が強い光を宿し、正面からロイを射すくめる。
「私刑は、駄目だ」
「何・・・・・・?」
「いずれ公の司法の場で裁かれれば、死ぬことが決まってたとしても。それを、軍人のオレ達が、現場で勝手に裁いちゃ駄目だ。そりゃ、撃たなきゃやられるって場合もあるだろうけど、そうじゃないときはやっちゃ駄目だ、ちゃんと公の場で、裁判を受けさせなくちゃならない。そう言うことがまかり通ってきたのはこの国が軍事国家だからであって・・・・・・アンタはそれを変えていくんだろうが」
どこまでも真っ直ぐなエドワードの視線に、ロイが目を見開き、エドワードをまじまじと見た。
そして、フ、と笑みを漏らす。
「そうだな、君はそういう人間だ。・・・・・・が、しかしこれはこれで困るな」
「何がだよ」
むっとしたようなエドワードには答えず、ロイはジャンを見た。
「おい、ハボック! お前に任務を与える」
「・・・・・・何スか」
ようやく反応したジャンに、ロイは笑った。
「今後、たとえどれほど僅かでも身の危険を伴うような任務が合った場合・・・・・・、何があっても、どれほど作戦だのなんだのごねようとも、絶対に鋼のの傍を離れるな」
はっとしたジャンが振り返る。エドワードが不満そうに声を上げた。
「はぁ? 何だそりゃ、オレは自分で自分の身くらい守れるっての」
「君には言っていないぞ、鋼の。私が命令しているのはハボックだ。いいな?ハボック。何と引き換えにしても、絶対に、鋼のを守れ」
「了解ッス!」
立ち上がって勢いよく敬礼したジャンとロイをエドワードが交互に見比べる。
「少尉も何了解してんだよ、おい、准将!!」
「さっ、我々は出ようかアルフォンス」
「え?え?え?」
突然ロイにがしっと背中から肩をつかまれ、アルフォンスは廊下に無理矢理押し出された。
「あの、准将、ちょっと、え、兄さん?」
うろたえるアルフォンスを押し出した後、ロイは半開きの扉のノブをつかんだまま、病室を振り返る。
「それこそ、命に代えても、だぞ」
「分かってます」
「何物騒なこと言ってんだよオイ!!」
怒鳴るエドワードのことは気にも留めずに、ロイはドアを閉めた。
「私に文句を言われるより、ハボックからの方が余程効果がありそうだからな」
「あのう・・・・・・准将?」
「どうした?」
首をかしげたアルフォンスをロイが僅かに見下ろす。並ぶと、まだロイの方が5cmばかり身長が高い。
「あの、命に代えてもって言うのは、酷いんじゃないかと・・・・・・」
「それは、誰にとって、酷いのかな?」
「誰って、勿論ハボック少尉ですけど・・・・・・」
「ハボック本人は、私の意図を正確に理解したようだぞ? まぁ、奴の望むところでもあるだろうが」
「へ?」
先に立って歩き出したロイを、アルフォンスは小走りで少し追い、隣に並んで歩き出した。
「本当に、ハボックに鋼のの身代わりとして死ね、と言うのであれば、少なくとも鋼の本人の前では言わないな。そんなことを受け入れられるような性格はしていないだろう、君の兄は」
「じゃあ……」
「どれほど口をすっぱくして言おうと、毎回怪我をしてから反省しようと、どうしても自分の身より他人の身を優先してしまう。ならば、自分の身を危険に晒す事で、自分よりも先に怪我を負う人間が居れば、鋼のはどうするかな?」
「あ……あ!!ず、ズルっ……」
思わず口をついてでたアルフォンスの言葉に、ロイが苦笑する。
「ずるくて構わんさ。死なれるよりはな。そして加えて言えば、そのほうが鋼のだけではなくハボックも安全だろう。今回こそ傍に居なかったが、普通ならばわざわざ命令しないでも傍に居る。鋼のが身を投げ出して他者を救おうとすれば、それこそ命じていなくとも、ハボックが自分の身を省みずに鋼のを守ろうとするだろう。それより前に……鋼のが危険に陥る状況を、最初から回避しようと考えるようにするためには、その事実を本人に突きつけておくのが一番だ。ハボックを守りたいのであれば、鋼の自身が危険を回避しなければならん、とな」
ふと、前方から歩いてくる人間を目に留め、ロイが足を止めた。
「ホークアイ大尉? どうした」
「軍から、本日の会議の結果について、准将に連絡がありました」
リザがロイにメモを差し出す。それに目を通し、ロイが顔を顰めた。
「私は反対したんだが……対立派閥からの後押しが強力だったと言うのも、前代未聞だな。・・・・・・まあ覆しは出来んだろうが、苦情くらいは言っておくか」
少し待っていてくれ、と言い残してロイが病院の公衆電話に向かう。アルフォンスは、その背をじっと見つめた。
「准将がどうしたの?アルフォンス君」
「えっ、あっ、ど、どうしてですか? ホークアイ大尉」
「随分、見つめているみたいだったから。気になることでもあるの?」
「いえ、その・・・・・・兄さんが撃たれた時、准将は最初、兄さんの心配とかしないで指示出してたじゃないですか。だから、ちょっと冷たいなって思ってたんですけど。でも、今話してみたら随分兄さんのこと心配してるみたいだし、どうしてだろうって思って・・・・・・」
確かにロイの言うとおり、エドワードを守って死ね、などとジャンが言われていることをあの兄が知れば、何をおいてもジャンを、そしてロイの目論見どおりに自身の身を守るだろう。有効な手段であることは間違いない。
だがそれでは、事実を知らないエドワードの中では、ロイの存在が悪役になってしまう。それも承知でそんな手を使うくらいには、ロイは心配しているのだ。
にも拘らず、ロイはエドワードが撃たれた直後には、全く動揺を見せなかった。それが、分からないのだ。
「簡単なことよ。それは、あの人が『准将』だから」
「・・・・・・え?」
リザは微笑んでアルフォンスを見ている。
「あの現場の指揮官は、エドワード君だった。エドワード君が倒れた後、混乱無く指揮権を引き継げるのは、当然同じ派閥の准将よ。だからそうしなくてはならなかったのよ」
そして、電話に向かっているロイの背中に目を向けた。
「准将があの時エドワード君に行える手当てと、同レベルの手当ては他の人間でも出来たわ。だから准将でなくてはならない理由は無い。でも、その手当てをする場所の安全確保は、准将でなければならないこと。准将が兵の指揮を放り出し、手当ての最中にテロリストの残党に襲われたら。発見されていなかった時限爆弾が至近距離で爆発したら。そんなことをさせるわけには行かないでしょう、もしそうなったら間違いなくエドワード君を死なせてしまうもの。あの人は、あの場でエドワード君の為に自分が出来ることのうち、最良の選択肢を選ぼうとしただけよ」
ロイに絶対の信頼を置いているようなリザの言葉に、アルフォンスはふと、ブレダが以前『エドワードに限らず、准将や上の方に居る人間は、多かれ少なかれ他人に見せない重荷を抱えている』と言っていたことを思い出した。
「・・・・・・大変そう、だなぁ」
「何が?」
「人の上に立つ責任って、大変そうだなと思って。ボク、兄さんを目指して頑張ろうって思ってたんですけど・・・・・・あの場所に自分が立ったときに、同じようにやれるって自信、持てないです」
外から見て、憧れている分にはまだいい。けれど、実際にその立場に立ったとき、それは憧れだけでどうにかなるような、気楽なものではないのだろう。
俯いたアルフォンスを、リザが少し窺っている気配がした。
「そうね、その責任は重いわ。だからこそ、皆が皆、トップを目指したりはしないのでしょうね。私やハボック少尉が、トップを目指さないように」
ロイやエドワードのように、真っ直ぐに自分の道を持つならば、その為に重荷を背負うことも出来るだろう。そしてリザやジャンのように、彼らを支えていくことも、また、一つの道だ。それはけして、卑下されるものではない。
「・・・・・・ボクも、兄さんを支えられるような、そんな人間になりたいです」
アルフォンスが視線を上げると、リザは微笑んでいた。
「いいと思うわ」
アルフォンスも微笑み返す。そしてロイに視線を向けると、電話に向かって激しく口論しているような様子のロイが見えた。
「あれ・・・・・・准将、どうかしたんですか?」
「ああ、あれはね。エドワード君の昇進に反対しているの」
「・・・・・・は、はい?」
訳が分からず、リザに再び視線を向けると、リザも困った顔をして首をかしげていた。
そこに叩きつけるように受話器を置いたロイが戻ってくる。
「やれやれ、やはり駄目か」
「そんなに反対することも無いのではありませんか?」
「まだ早い。大体だ、中佐官以上には通常、士官学校卒と自分の直属に当たる将軍による推薦が必要なはずなんだ。にも関わらず、私が反対して本人は今現在仕官学校生だというのに、何故昇進会議で受理されているんだ!!」
「対立派閥の将軍からの推薦でしたものね・・・・・・。でも会議の出席拒否までなさるとは思いませんでしたが」
渋い顔のロイと苦笑しているリザに、アルフォンスは訳が分からずぽかんとした。
「あの・・・・・・?」
「ああ、アルフォンス。私としては非常に不本意だが、君の兄は近々中佐に昇進することになったぞ」
「何で不本意なんですか?ボクまだ学生だからよく分かりませんけど、自分の派閥の人間が昇進することになったら、普通喜ぶものなんじゃ・・・・・・」
「……昇進すると、部下が増える。部下が増えるということは、守る対象も増えるということだ」
そこでロイは一度言葉を切って、大きく溜息を吐き出した。
「今現在でもあんなに無茶ばかりしているというのに、だ!! 大体だ、あの馬鹿者はそれこそ自分の味方だけでなく敵まで救おうとするような性格をしているんだぞ!! 今回の事件だってそうだ、鋼の能力ならば、相手を生かしたまま無力化することが不可能だっただけで、発砲される前に相手を殺すことは可能だったはずだ! どうせ、そんな選択肢は思いつきもしなかったんだろうが」
ロイがイライラした様子で、エドワードの病室へ向かう廊下を歩き始める。
その様子を見て、ふとジャンの言葉を思い出した。
「そう言えば、准将のことを『過保護な親父』って言ってたっけ、ハボック少尉……」
「どういう意味だそれは!!」
「勿論兄さんに対する准将の態度ですよ。本当にその通りだなぁと思って」
あっさり肯定したアルフォンスに、ロイが微妙な表情で固まる。リザがぷっと吹き出した。
「アルフォンス君、でもきっと、貴方が軍に入ったら、その『過保護』は貴方に対しても発生すると思うわよ?」
「た、大尉!」
「うわ、それじゃボク、兄さんの過保護と准将の過保護ダブルになっちゃいますよ」
「ああ、そうよね。エドワード君も准将並に過保護だものね」
「ちょっと待ってくれ大尉。私が鋼の並の過保護だと言うのか!?」
「准将、エドワード君がアルフォンス君に対して過保護だとは思っていらしたんですね。てっきりそれが普通だと思っているから、エドワード君にもああなのだと思っていたのですが」
リザとアルフォンスにタッグを組んでやり込められ、ロイが憮然として押し黙った。
それから、再び大きく溜息を吐いて、腕を組む。
「まぁ、今更どうこう言っても仕方が無い。決まってしまったものは覆らないしな。昇進は退院後になるだろうが、本人にも伝えておくか」
ノックをせずにエドワードの病室のドアノブにロイが手をかけた。
それを見てはっとしたアルフォンスは声を上げた。
「あっ、准将!! こ・・・・・・」

 
「おい、少尉!! 何であんなの了解してんだよ!! 准将が何言ったのか、分かってんのか!?」
ロイとアルフォンスが出て行った病室で、エドワードが吠えた。
ジャンが煙草を灰皿に押し付け、窓辺の椅子から立ち上がる。
「おい、少尉・・・・・・?」
無言でベッドに歩み寄り、じっと見下ろしているジャンに、エドワードは戸惑った。
「な、何だよ?」
ジャンは窓を背にしているため、エドワードには逆光で表情がよく見えない。
「・・・・・・なぁ、何か言えよ」
ジャンの態度に不安を覚え、エドワードはジャンの手を掴んだ。その手が驚くほど冷たくてどきりとする。
「しょっ・・・・・・」
と、突然掴んだ手を握り返され、覆いかぶさるように抱きしめられて、エドワードは身を竦めた。
「少尉・・・・・・?」
読んでも、ジャンは返事をしない。ただ、エドワードを抱きしめる手に力が込められた。
その身体が、僅かに震えているのを感じ、エドワードははっとする。
ぎゅっと抱きしめかえし、ジャンの肩へ顔を埋めた。
ジャンは何も言わず、そのまま、暫し病室の時計の音だけがチッチッと音を立てていた。
「何か言えつったって・・・・・・もう、何言っていいのかも分かんねぇよ・・・・・・!」
ようやくジャンが口を開く。搾り出されたようなジャンの声が、エドワードの胸をひどく締め付けた。
その一言だけで、今回の自分の行動が、どれほどジャンを傷つけたのかはよく分かった。
「頼むから、俺の手が届かない場所で・・・・・・あんなっ・・・・・・」
「ごめ・・・・・・ゴメン」
「謝ってほしいわけじゃないんだよ」
ジャンがゆっくりとエドワードから身体を放し、正面から見据えられる。その瞳は苦悩とも悲しみとも怒りともつかない色を浮かべていた。
「でもな。アルも言ってたけど、俺もあんなのはもう・・・・・・2度と見たくない」
「ゴメン・・・・・・」
ゆっくりとジャンの顔が近づいてくる。目を閉じると、そのまま唇が重なった。
僅かに啄ばんだ後、ジャンの舌がエドワードの口内に侵入する。舌と舌が触れ合ったとき、エドワードが驚いて身を竦めると、すぐに唇は離れた。
「に、苦っ・・・・・・! いつもこんなに苦かったか?」
「ああ・・・・・・大将が目を覚ますまでの間、ひっきりなしに煙草吸いまくってたからな」
「最近本数減ってたのに・・・・・・」
「・・・・・・しょうがねぇだろ。イライラが収まらなかったんだから」
ジャンは、多少イラつくことがあっても、ニコチンを補給すればある程度まで落ち着く性質だ。けれど、そんな誤魔化しではどうにもなら無いほどの衝撃を与えてしまったことは、エドワードにも言われなくとも分かった。
少し口に手を当てて考えた後、エドワードは上目遣いでちろっとジャンを見上げる。
「キスでも、イライラ収まらねぇのか?」
するとジャンは僅かに目を見開き、そしてようやく笑顔を浮かべた。
「今、すぐやめちまったから分からねぇな」
そしてそのまま再び唇を重ねてくる。エドワードはジャンの背に手をまわし、その手に力を込めた。
「おい、鋼の・・・・・・あ」
突然ロイが病室のドアを開け、エドワードは飛び上がった。だが、背中をバシバシ叩いても、ジャンが吸い付いて離れようとしない。
「ああ・・・・・・だから、こういう状況のときにノック無しでドア開けちゃまずいって言おうと思ったのに・・・・・・」
アルフォンスは頭を抱えて背中を向けている。
「じゅ、准将、出ましょう」
リザは視線を逸らしてロイを引っ張っているが、にやにやしているロイは動こうとしない。
「いや、中々見れるもんではないしな」
「んむ〜〜〜〜〜!!」
悪趣味なことを言うな!!と叫びたかったが、口がジャンで塞がっていて言葉にならない。大体、立ち位置的に見えてはいないだろうが、3人の声は聞こえているはずで、と言うことはジャンは分かっていてやっているということだ。
「いやいや、熱烈だねぇ」
ロイの冷やかしの言葉が耳に入った瞬間、エドワードの堪忍袋の尾が音を立てて切れ、ジャンの頭に機械鎧のチョップが振り下ろされた。



な、長かった・・・・・・!
ようやく「タバコを吸うということ」のお題は終了です。
話の関係上、どうしてもエドの怪我はさけて通れなかったのですが、正直個人的にはあまりああいう話は好きじゃないです。自分で書いててなんですが。

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2007.3.1 脱稿