「失礼します。エルリック少佐、よろしいでしょうか?」
「ん、ホークアイ中尉?どうぞ」
書類を持ったリザがエドワードの執務室を訪れたのは、エドワードが軍務について4日目のことだった。
「ある仕事をお願いしたいのですが、お時間を取れませんでしょうか」
「ああ、中尉。オレの執務室に居る時は前と同じでいいよ?なんつーかむしろオレが話しにくい」
微笑んで首をかしげたエドワードに、リザも微笑する。
「では、そうさせてもらうわね。この件なのだけど、お願いできないかしら」
差し出された書類を受け取って、エドワードが表紙に目を落とした。
「軍の施設の視察?」
「ええ。大佐の護衛兼補佐をエドワード君とハボック少尉にお願いしたいの」
「大佐も行くのか?なんだってこんな時期に・・・」
「はっきり言ってしまえば、忙しいのを見越したハクロ准将の嫌がらせね」
「またアイツか・・・」
げんなりしたエドワードにリザが苦笑する。
「本当は私が付いていくことなのだけど、この日は私はどうしても東部に行かなくてはならない用事があって、護衛が出来ないのよ」
「中尉が居なくたってそれだったら普通ブレダが付いていくんじゃないんスか?」
口を挟んだジャンに、リザが溜息を吐いた。
「それは、その書類を見てもらえば分かるわ」
「ん?」
エドワードの上からジャンはエドワードの手元を覗き込んだ。
「軍用犬育成施設、ね・・・」
「ああ・・・」
それでは犬嫌いのブレダには無理だろう。
「曲がりなりにも将軍からの視察の命を受けて、大佐のお供が准尉以下というわけにも行かなくて。お願いできないかしら」
「ふぅん・・・」
エドワードが書類に目を走らせる。
「それでさ、中尉」
「何かしら?」
「本当はその日ブレダ少尉をオレのとこに寄越して替わりにハボック少尉を貸せば用は足りるのに、わざわざオレを連れて行く理由はオレの予想通りなのかな?」
リザが驚いたように口を押さえた。
「やっぱり、分かるかしら」
「そりゃ変だとは思うだろ。大佐そんなにオレがハクロ准将に勧誘されてるの気にしてるのか?」
「気にしている、と言うより、どうも裏でハクロ将軍がエドワード君を自分の部下に変更できないか、随分暗躍しているようなのよ。諦めさせるにはエドワード君にその意思が無いと見せるのが一番早いとおっしゃって」
「はぁ・・・ハクロのおっさん何でそこまで大将にこだわりますかねぇ」
「少なくともあなたと同じ理由ではないと思うから安心なさい」
さらっと揶揄したリザにジャンとエドワードが同時に頬を染めた。
「いやっあのっ別にそういう心配をしたわけじゃ無くてッスねっ」
「なななな何言ってんだよ中尉!?」
リザはクスクスと笑っている。
「とにかく、そういうことなのだけど行って貰えないかしら?」
「分かった。そういう予定を組んでおくよ」
「それにしても犬ねぇ・・・」
視察当日、ジャンの運転する車に乗ったエドワードがぼそりと呟いた。その隣に乗っているロイが肩を竦める。
「まぁ、軍の狗に対するハクロ将軍のあてつけだろうな」
「いや、別にそれはいいんだけどよ。軍の狗なんて言葉がいずれ無くなるようにすればいいだけの話だろ」
「そうだな。これからはそうなるだろうし、そうしていかなければならん」
「そんなことすら考えずに、このクソ忙しいときに嫌がらせ優先する阿呆なんか、少なくともオレは相手にする気は無いな」
「君ならそう言うと思っていたよ」
ロイが愉快そうに笑った。
「で、その阿呆は来るわけ?この視察に」
「来ないのだったら私も来ていないよ。准将本人が来ると言われれば流石に断れなくてね」
「うわ、面倒くせぇ・・・」
「鋼の、この視察に君を連れてきた理由は知っているだろう。面倒などと言わずに協力してくれたまえ。裏でごちゃごちゃやられる方が余程面倒なんだよ」
「あーあー分かってる分かってる」
「スンマセン大佐。質問いいっスか?」
運転席のジャンが前方を見たまま後部座席のロイに声をかける。
「何だ?」
「犬が嫌味ってのは分かるんスけど、そんなちゃちぃ嫌味の為に准将まで視察するんスか?ヒマなんスかねあのおっさん」
「この施設は准将が作った施設なんだ。当然責任者も准将だ」
「あ、そうなんスか?」
「『錬金術師の作るキメラより余程役に立つ』と言うのが准将の弁でね。錬金術師を優遇していた軍の中にいて、准将の部下には国家錬金術師は居なかったからな。少なからず錬金術師にコンプレックスがあるようだ」
エドワードが大仰に溜息を吐いた。
「そういうことな・・・。じゃ今回オレが来たのって結構まずいんじゃ・・・」
「?どういうことだね?」
「・・・ま、躾けられてるなら大丈夫かもしんないけど。まずい事態になるときは見てれば分かるよ」
「いや、まずい事態になるならそれはその前に対応策を考えておくべきだろう?何が・・・」
そういっている間に、車が停止した。
「着いたッスよ」
車を降りると、建物へ続く道の途中に放し飼いの犬とフェンスのみで仕切られている場所があった。
駆け寄ってくる犬を見たエドワードが、そっとジャンの陰に移動する。
「鋼の・・・?君は犬が嫌いだったかね?」
「いや、好きだよ」
「だよなぁ。ブラックハヤテ号とかとも普通に遊んでたし、でかい犬に懐かれてるのも見たことあるし・・・」
エドワードの不可解な行動にロイとジャンが顔を見合わせていると、ハクロ准将が現れた。
「やぁ、マスタング大佐」
「ハクロ将軍。お疲れ様です」
「エルリック少佐もよく来てくれたな」
「将軍、お疲れ様です」
ロイには挨拶のみで、エドワードに向かって握手を求める手を差し出したハクロに、エドワードはわずかに戸惑った表情を浮かべた。
その横であからさまに嫌な顔をしたジャンの足をロイが踏む。
結局エドワードは握手を受け、ハクロに向かってにっこりと微笑んだ。
「今日はご自慢の施設を将軍自ら案内してくださると伺ってきたのですが」
「うむ、是非君には軍用犬の素晴らしさをその目で見て欲しい。まずはトレーニングの成果をショーとして見てもらおうか」
エドワードの反応に気を良くしたらしいハクロが、近くに居た士官を呼んだ。
「エルリック少佐たちを観覧室に案内してくれたまえ。エルリック少佐、私はトレーナーたちの所に行くので少し失礼する。ショーが終わったらそちらに行くので是非感想を聞かせてくれたまえ」
「恐れ入ります」
案内された観覧室で人払いをし、士官が居なくなった直後にロイの雷がジャンに落とされた。
「あそこであんなあからさまに嫌な顔をする奴があるかこの馬鹿者!!」
「け、けど馴れ馴れしいじゃないッスか!」
「あ、大佐をシカトしたからじゃないんだ・・・」
ちょっと驚いたようなエドワードに、ロイが肩を落とした。
「そんなことはこれまでもよくあった。コイツもそこまでバカではないが」
「オレにちょっかいかけられて嫌な顔するのも、大佐をシカトされて嫌な顔するのも、バカ度は変わらないとオレは思うけどな」
「・・・そんな否定しにくいツッコミを入れないでくれ」
「いやちょっとアンタ方!!」
あまりといえばあまりの物言いに、ジャンが目をむく。
「オレにちょっかいかけてくるだろうなんてのはここに来る前から分かってた話だろ〜?」
エドワードは椅子に座って脚を組み、ジャンに向かって白い目を向けた。
「・・・ん?鋼の、君はもしかしてハボックが怒ったのは君を引き抜こうとしているせいだと思っているのか?」
「へ?そうだろ?」
全く意味が分かっていないエドワードに、ジャンががっくりとうなだれる。
その肩をにロイがポンと手を置いた。
「お前も大変だな・・・」
「同情はいらねぇッス・・・」
「な、何だよ?!」
なんかむかつく!と吠えたエドワードにロイが向き直る。
「しかし鋼の、君のさっきの行動も不可解なのだが?アレでは将軍は諦めるどころかますます君を配下に治めようと躍起になるぞ」
「あ〜。いや、行きたがってないとかより、いっそオレが扱いにくいとか将軍の面子を潰したとかやって嫌われた方が早い気がしてさ」
「何だよ大将。何かやる気か?」
「多分、オレが何かやる必要はないんじゃねぇかな〜・・・」
「は?」
先刻から意味不明なことばかり言うエドワードに、ジャンとロイが顔を見合わせる。エドワードはちらりとそちらを見てあごに手を当てた。
「まぁ、もしもヤバイ状況になったら救出してくれるとありがたい」
ハクロが自慢するだけのことはあり、ドッグショーは確かに見事なものだった。
「どうだね。主に従順で、量産にも問題ない。扱いも一般兵でも可能だ。匂いで火薬をかぎ分け、地雷を発見することも出来る」
自慢げに言うハクロに、エドワードがにっこりと返事をした。
「素晴らしいですね。誰でも扱えると言うのであれば、錬金術師以外には扱えないキメラよりも用途があるかもしれません」
「うむ、そうだろう?君なら分かるとおもっていたよ、ハハハ!」
「将軍、誰にでも扱えるということは私が近づいても大丈夫ということでしょうか?」
「近くで見たいのかね?いいともいいとも、さあ行こう」
嬉しそうにエドワードの肩を抱いたハクロに、ロイは少し眉を顰めた。
もう、またあからさまに嫌な顔をしているジャンを咎めようとも思わない。少々触りすぎだ。まさか本当にアレにそういう感情を抱いては居ないだろうな、とあらぬ心配をしてしまう。
ロイにとってエドワードはどうしても保護対象で・・・言ってみれば父親と兄の中間のような感覚でエドワードを見ている。正直ハクロの態度は見ていていただけなかった。
犬の居る広大な檻の前で、エドワードがハクロに向かって再度確認した。
「この犬たちは命令無しに知らない人間に飛び掛るようなことはありますか?」
「ハハハ、そんなことあるわけ無いだろう。命令しなければ大人しいものだ」
「では私が檻の中に入っても大丈夫ですよね?入ってもいいでしょうか?」
「ああ、構わないとも。どれ、鍵を開けさせよう」
檻の中にエドワードが足を踏み入れる。と、2、3歩も進まないうちに檻の中に居た犬がエドワードに視線を向けた。エドワードが身構える。
「来るか・・・来たーーーーーー!!」
次の瞬間、その場に居た犬が全てエドワードに向かって全力疾走し始めた。それを見たエドワードが走って逃げ始める。
「な、何だ?!」
「鋼の?!」
だが当然犬の方が足が速く、エドワードはあっという間に大群の犬に飛びつかれ、押し倒された。
「こ、これは一体どういうことだ?!」
取り乱したハクロがトレーナーを叱責している。ロイが発火布の手袋をはめると、その手をジャンが押さえた。
「大佐・・・あいつら、尻尾振ってますよ」
「何・・・?」
「どうも、じゃれてる・・・つもりらしいッス」
ハイテンションな犬の団子の中から人の手がにゅっと挙げられた。
「た、助け・・・わぶっ」
「・・・確かに生きてはいるな」
「とりあえず救出してくるッス」
ジャンが檻の中に入っていく。犬の間を掻き分け掻き分け、唯一見えている手を掴んで引っ張り上げてジャンはそのままエドワードを肩車した。
が、それでもエドワードに飛びつこうとする犬が、ジャンに体当たりをしている。
「う、うわ!?ちょ、ちょっとアイテテテっ!!」
今度はジャンが完全に取り囲まれてしまって身動きが取れなくなってしまった。
エドワードがロイに視線を向ける。
「大佐!道作ってくれ!!」
「そうだな・・・鋼の!腰布を外して道を作りたい方向に向かって投げたまえ!!」
エドワードが指示通りに腰布を外して宙に放り投げる。
それに向かって火花を飛ばし、腰布を燃やすと火に驚いた犬が飛びのいた。
その隙にジャンが走って戻ってくる。
ようやく檻の外に出て、ジャンとエドワードがそろって溜息を吐いた。
「鋼の、無事か?」
「おう、何とか。助かったよ」
だがそう言うエドワードはボロボロだ。
ロイが手を差し伸べるとエドワードは不思議そうな顔をした。
「肩車に乗せるのは兎も角、君くらいの体重の人間を乗せたままかがませれば、かなりの確率でハボックが腰を痛めるぞ。こっちに降りたまえ」
「え。でもちょっと待ってそれって・・・うわぁっ」
有無を言わさずエドワードを抱きかかえる。ゆっくりと地面に下ろすとエドワードはむっとした顔で少し頬を染めていた。プライドの高いエドワードにはロイに抱っこされるというのは非常に悔しいのだろう。
「どーもっ」
「どう致しまして」
「エルリック少佐、大丈夫かね?!」
ハクロが慌てて近寄ってくる。
「ええ、まぁ・・・マスタング大佐とハボック少尉のお陰で無事です。まさかあんな風に飛びつかれるなんて思っていなかったので驚きましたが」
エドワードの言葉にロイははっとした。これが目的だったのだ。
「ハクロ准将。キメラよりも種として能力が劣っているのに、さらにあのように少佐に飛びついたりするようでは、軍事用としては少々疑問が残りますね」
ハクロがロイを睨む。ロイにとっては痛くも痒くも無いが。ロイはエドワードの肩を引き寄せた。
「どうも犬たちがエルリック少佐に懐いたゆえに起きた事態のようですが、と言うことは仮に実用に投入できたとしてもエルリック少佐が居る場面ではおそらく全く役に立たなくなるでしょう。まぁ・・・軍事用としては相性が悪いとしか言いようがありませんね」
「くっ・・・」
「さて、見るべきものは見せていただいたかと思いますがまだ何かありましたか?」
「失礼するっ!!!」
ハクロが足早に立ち去った。それを見送り、ロイはふとまだ肩を抱いたままのエドワードを見下ろした。
「君の言う『ヤバイ状況』というのはこういう事だったんだな」
「・・・大佐それは兎も角さっさと大将を放してくれませんかね・・・?」
背後から地の底から響くような声で指摘され、ロイはエドワードから手を放した。
「ハボックお前、本当に嫉妬深いな」
半ば呆れて振り返れば、ジャンは本気でむっとした表情をしている。
「これでも結構我慢したんスけどね。大佐じゃなかったらとっくに殴ってます」
ジャンがエドワードの前に膝をついた。
「大将、怪我は無いか?さっき思いっきり転んだだろ?」
「ああ、ああなるって分かってたから受身取ったし。大丈夫だよ。それより舐められまくってべたべただから、早くシャワー浴びたい」
見れば確かにエドワードは全身べたべただ。その上どうも軍服をあまがみされたりもしたらしく、真新しかった軍服が穴だらけになっている。
「ふむ、軍部に戻ってシャワーを浴びた方がいいな。ハボック、車をこっちに回せ」
「了解ッス」
ジャンが駐車場に向かって走っていく。
「鋼の、それにしても・・・ああいう事態になると分かっていたのか?」
この施設に向かっているときからのエドワードの不可解な言動から考えると、どうもエドワードは自分が犬に飛びつかれると確信していたように思える。
「ま、中に入ったらああなるなとは思ってた。オレなんでだか分からないけど、やたらと犬に好かれる性質でさ。急に飛びつかれて押し倒されるのしょっちゅうあるんだ。犬がよく散歩してる公園とか行くとそりゃもーえらいことに・・・」
「なるだろうな。今日の様子を見ていると・・・」
あそこまで行くとじゃれているようにはとても見えない。
「でも君、犬が嫌いではないのだろう?」
「まぁな。1匹ずつ来るんなら、遊んでやろうとか思うんだけど・・・一度に大量に来られると流石に困る」
「自分で犬を飼おうとは思わないのか?今はもう家も在るし、飼えないことは無いだろう?」
エドワードが困ったように頭を掻いた。
「んあー・・・でも今手元に居る一匹で十分だし?」
「何だ、もう飼っているのか?」
「ああ。青い目で、体のでかいやつを一匹ね。オレがハクロ将軍にちょっと触られただけで、唸り声上げてたやつ」
エドワードの揶揄にロイは噴出した。
「確かに、言えてるな。犬だ、アレは」
エドワードアイドル化計画(笑)
ブラハに飛びつかれて思いっきり押し倒されたエド萌え!なのです。
エドは犬に好かれて猫に嫌われる性質らしいですよ(イラスト集コメントより)
ハボが今回ろくに喋ってないなぁ・・・本当にずっと妬いてただけかも(^^;
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06/05/21 脱稿