【11】カタオモイ

 
全てが、片付いた。
国の上層部に巣食っていた暗部は一掃され、アルフォンス・エルリックは身体を取り戻した。
そして、ジャン・ハボックの身体も回復し、軍に復隊することも決まった。
エドワード・エルリックは今だ機械鎧を身につけたままだが、その事についてはこれ以上追い求める気は無いのだと言う。
死に直面するようなことでもないのに、無理に追い求めて代わりに他のものを失いたくは無いというのがエドワードの弁。
その内心には、母を取り戻そうとして弟を失ったときのことが深く刻まれているのだろうと言うことが事情を知るものには理解でき、それについて口を挟む者は居なかった。
平和を取り戻すに当たって、人一倍の功績者はその当のエドワード・エルリックとロイ・マスタングの両名。
だが本人達はその苦労を零すことは無い。
むしろ今は、こぼす閑もないと言ったほうが正しいか・・・。
上層部を一掃したとは言え、国を解体すれば市民に混乱が起き、世情が荒れるのは必須。さらに国内が片付いたとはいえ、既に種を蒔かれた他国との戦争も終結したわけではない。当然、軍自体は機能を維持することが必要とされた。
国内に混乱を来たさないためにも、今回の件は内々に処理され、関わっていなかった将軍職は全員現職のまま。その状態で突然ロイ・マスタングが大総統になることもありえず、当然ロイも現職のままとなった。
しかし上層部から排除された人員の数は相当なもので、軍の機能を維持しようと言うことになれば当然残っている者にこれまでの数倍の仕事が振ってくることになる。
マスタング組を手元に呼び戻すことは出来たものの、その後は大量の仕事に忙殺され、サボリ癖のあるロイでさえサボらずに仕事をしていると言うほどの大修羅場と化していた。
一方エドワードはと言えば、ようやく取り戻した弟の身体は衰弱を極めており、即入院の運びとなった。命に別状は無いものの、回復するにはかなりのリハビリを必要とする・・・との診断に、日々弟の世話に追われている。
「平和になって、良かったんだか何なんだか・・・」
咥え煙草でぼそりと呟いたジャンに、即上官から叱責の声が飛んでくる。
「ハボック!!ブツブツ行っている閑があったら手を動かせ手を!!何のためにお前を戻したと思っているんだ!!」
そう言っている間にもロイの手は止まることは無い。以前書類を溜めては修羅場を巻き起こしていた為、修羅場に慣れているのだろう。特技と言えば特技だが、身についた過程は誉められたものではない。
「へいへい〜〜っと」
とりあえず生返事をして目の前の書類にサインする。
そうは言っても、身が入らないのだ。
どうしても会いたい人が・・・今のうちに会っておかなければならない人が軍に来ない。
そしてジャンも軍に缶詰の現状では会いに行くことも出来ないのだ。
しかし大量の書類にげんなりしているジャンとは違い・・・きっと彼は念願かなって取り戻した弟の身体を、きっと幸せいっぱいで世話しているのだろう。
「はぁ〜〜〜〜・・・」
大きく溜息を吐くと、この手のことには寛容な珍しくリザが注意を促した。
「ハボック少尉、いい加減その溜息は鬱陶しいわ。何回目だと思ってるの?」
「あ〜〜〜〜すんませ〜〜〜ん。今日10回目くらいッスかねぇ」
半ば自分で自分に苦笑いして返せば、ファルマンがかぶりを振る。
「本日21回目ですよ。自覚しておられないようですね」
「数えてんのかよ・・・」
ツッコミにも更にげんなりして肩を落とす。
「ハボック、お前を元の階級のままで復隊させるのにどれほど苦労したと思っているんだ?!いつまでもそんな調子なら降格するぞ!!」
「あー分かってます、分かってますって!!でも大佐だって知ってるじゃないっスか、俺は現場向きで書類と闘うのは向いてないんスよ!」
「・・・お前さん書類にうんざりして溜息吐いてるようには見えないんだがな」
付き合いの長いブレダは流石に痛いところを指摘してくる。
「分かってるっての、やりゃいいんだろやりゃ!!!」
煙草を灰皿に押し付けて書類に向き直る。リザが呆れたような顔をした。
「ハボック、その目の前の山が片付いたら仮眠を取っていいわ。少し休みなさい」
「・・・へい」
正直大して疲れているわけでもなかったが、こんな気分で書類に向うよりは随分マシだろう。ありがたい申し出だった。
兎に角その目の前の山を片付けてしまおうと、ジャンは椅子に座りなおした。

 
仮眠室のベッドで横になっても、ちっとも眠くならない。
目を閉じれば会いたい人の顔ばかりが思い浮かんでしまう。
ジャンの身体を治療したのは、エドワードの錬金術だった。
その術の開始までは、治る可能性がある、とだけしか言われず、可能性があるのであれば試したいと願ったのは他でもない自分だ。
そして術は成功し、ジャンは自由に歩ける脚を取り戻した。・・・だが、その時に初めて言われたのだ。もしも失敗していたなら、その反動はジャンではなく術者のエドワードを害したはずだ、と。
なんて馬鹿な事を、と思った。エドワードと引き換えになるくらいなら脚など失ったままで良かったとさえ思った。
幸いにして成功したが、もしも失敗していたなら自分は一生自分を許せなかったことだろう。
そして気がついた。
あれほど望んだ元の身体を、エドワードを危険に晒すくらいなら必要ないとはっきり言ってしまえるほどに。
自分があの少年に惹かれていたのだ、と言うことに。
そんな相手から、生涯かけても返しきれないほどの大きな恩を受け、相手は自分が恩を返す間も無く自分で長年の願いを叶えた。
自分どころか彼にとっては最早軍ですら必要なものではなく、自分にはもう彼にしてやれることは何一つとしてない。
今はアルフォンスがセントラルの病院に入院しているからセントラルに居るが、弟が回復し次第きっと田舎に帰ってしまうだろう。
そうなってしまえば、もうそう簡単に会う事は出来まい。だから、何としてもその前にもう一度だけでも会いたかった。
どうせ会えなくなるなら、玉砕覚悟で想いを伝えておきたい。それが出来なくても、せめて一言礼を。
「大将・・・」
頭の中が彼でいっぱいで、もう何も手につかない。
何よりももう、想いを伝えたいとか、礼を言いたいとか、それらですら最早言い訳に過ぎないのではないかと思うほどに、エドワードに会いたくて堪らなかった。


ジャン・ハボックが仮眠室で鬱々と思い悩んでいる頃、ロイ・マスタングの元に一本の電話が入った。

「ああ、君か」
『       』
「忙しいよ。君だってそうなると事前に予想していただろう」
『                   』
「ほう、それは良かったじゃないか。おめでとう」
『                』
「・・・何?」
『                   』
「正気で言ってるのかね?」
『                          』
「ありがたい申し出なのは事実だが・・・はその話に同意しているのか?」
『                         』
「そうか・・・。では直ぐにでも書類を用意するよ。悪いが本当に時間がないんだ」
『       』
「あ、いや・・・そうだな、ハボックに持っていかせる。1時間後でいいかい?」
『         』
受話器を置いたロイに、部下たちの視線が注がれる。ロイがあんな話しかたをする相手は身内だけで、今この場にいない身内となれば当然かなり限定される。皆、誰からの電話だったのか予想がついているのだ。
「エドワード君ですか?」
口火を切ったのはリザだった。
「ああ。アルフォンスが退院したそうだ」
「へぇ!回復したんですね!」
「じゃあ大将喜んでたでしょう」
「ああ。幸せの絶頂のような声をしていたよ。それで、届けなくてはならないものがあるんだが・・・フュリー、ちょっと」
「はい?」
手招きされてフュリーがロイに近づく。
「以前新しく導入したいと申請のあったこの機械についてだが・・・今すぐ使用テストは出来るか?」
見せられた書類に目を通して、フュリーがああ、と頷いた。
「はい、準備だけはしてあります。いつになるかわからなかったからそのままにしていたんですけど・・・」
「では直ぐに準備してくれ」
「はい」
フュリーが書類を持って部屋を出て行く。
「それから中尉。この書類を一揃い準備して欲しい」
「はい」
手渡されたメモを見て、リザが目を丸くした。
「大佐、これは・・・」
「そういうことだ。まだ他言は無用だぞ」
ニヤリと人を食ったような笑みを浮かべたロイに、リザが苦笑する。
「かしこまりました。では、ハボック少尉も起こしますね」
「ああ、頼む」
執務室を出て行くリザを見送り、ロイは楽しそうに笑った。


「少尉。ハボック少尉。起きなさい」
リザの声に、ジャンは首を起こした。
「あ、起きてるッスけど・・・」
「そう、丁度良かったわ。頼みたい仕事があるの」
「え、仕事・・・?」
仮眠室に入ってまだ30分も経っていない。そんなに急な仕事が出来たのだろうか。だとすれば今の自分には回さない方がいいんじゃないか、とジャンは自分で思った。
「いえ、仕事というよりはお遣いね。今丁度電話が来たものだから」
「でん、わ・・・?」
「大佐がエドワード君に届けて欲しいものがあるそうよ」
まさかと思った恋焦がれた名前が出てきて、ジャンは飛び起き・・・ようとして2段ベッドの天井に強かに頭を打ちつけた。
「っ痛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・・・・・・」
「何をしているの・・・」
「い、いや・・・」
呆れたようなリザの声ににへらと笑って見せるが、ちょっと目から火花が出るかと思ったほど痛かった。
「まぁいいわ。詳細は大佐から伺って頂戴。私は渡すものを準備しなくてはいけないから」
「っス」
颯爽と部屋を出て行くリザに軽く敬礼して見送った後、ジャンはガッツポーズをした。
会える。エドワードに会える。
居ても立ってもいられなくて、ジャンは転がるようにして執務室に駆け込んだ。
「た、大佐!し、仕事だそうッスけど!!」
「落ち着け馬鹿者。今必要な書類をホークアイ中尉が取りに行っている」
「あ・・・」
そう言えばリザもそう言っていた。
「えと、大将から電話来たって聞いたんスけど・・・」
「ああ。アルフォンスが退院したのだそうだ」
その内容に、喜びが急に半分に萎んだような気がした。
「これでもう、今まで通りの生活をする必要はないということでな。これからの鋼のの処遇について必要な書類を届けてやって欲しい」
ああ、やっぱり。アルフォンスが退院した以上、入院費やら何やらを維持する必要はない。国家錬金術師を辞めて、田舎に帰ってしまうつもりなのだ。
「大佐、お持ちしました」
「ああ、ありがとう」
現れたリザの手にあったのは、人事に関する書類がぴったり収まるサイズの封筒。
封筒の中を覗いて確認したロイが、頷いて封をした。
「届けてくれるな?」
「・・・うす」
内容はどうあれ、少なくともエドワードに会えるのだ。ジャンは唇を噛んで頷き、封筒を受け取った。
「・・・ハボック!」
部屋を出ようとドアの前に立ったところで、後ろからロイに呼び止められる。振り返ると、ロイが歩み寄ってきてジャンの肩に手を置いた。
「お前、鋼のに言いたいことがあるんじゃないのか?」
「へ・・・?」
「いつまでうだうだ悩んでいる気だ」
からかう気か、いやそれ以前に何で知っているんだ、とロイを見れば、ロイはごく真面目な顔をしていた。
「いい機会だろう。きちんとケリをつけて来い」
そこでようやく、気づいていたからロイが自分を書類を届ける役に指名したのだということに気がついた。
そうだ、先刻までもう一度だけでも会えたら玉砕覚悟で想いを伝えようと考えていたじゃないか。このチャンスを生かさないでどうするんだ。
ジャンは無言でロイに敬礼し、走り出した。
視界の端に微妙な表情をしているフュリーが映った気もするが、今は兎に角エドワードに会いたかった。


「大将!」
「あ、少尉。悪ぃな、届けさせたりなんかして」
「いや・・・」
「でも今忙しいんだろ?」
封筒を受け取ったエドワードが少し困ったように微笑んだ。
あああ、可愛い。
「ま、まぁその大佐なんかもう鬼気迫る感じで書類やってるな。俺はまあ、ちょっと今息抜きしていこうかなーなんて」
可愛いが忙しいなら直ぐ帰れとか言われてしまったら困る。
後ろ頭を掻きながらハハハと誤魔化せば、エドワードが笑った。
「しょうがねぇ少尉だなぁ。ちょっとだけサボりに付き合ってやるよ」
そう言うエドワードは、以前と少し雰囲気が変わったような気がする。昔のような、張り詰めた糸のような気配がないのだ。
むしろ、今のエドワードが本来のエドワードなのだろう。ようやく肩の荷を降ろすことが出来たのだ。
「アル、退院したんだってな。おめでとさん」
「ん、ありがとう。退院って言っても、リハビリはまだまだ続けなきゃならないし傍に居てやらなきゃなんないけどな」
そういって笑ったエドワードの笑顔は、アルフォンスにだけ向けられる類の笑顔なのだろう。本当に優しい顔をしていた。
こんな表情を自分に向けてくれたなら。そういくら願っても、こればかりはエドワードの意思が全てで、ジャンにはどうしようもない。
出来ることと言ったら、もう自分の想いを伝えること位しかなかった。
「なぁ、大将。俺、大将に言わなきゃなんないことがあって・・・」
「ん?なんだよ?」
「ええと、その・・・まず、俺の脚治してくれてありがとな」
「それ、錬成したときも聞いたぜ?」
何で今頃また?と首をかしげたエドワードに、首を振ってみせる。
「あの後、大佐に聞いたんだよ。もしも失敗してたら・・・錬金術のリバウンドってのは術者に返るものだから、危なかったのは俺じゃなくて大将だったんだって。俺んなこと知らなかったから・・・」
ごめん、と続けようとするとエドワードが鼻で笑った。
「少尉、バッカじゃねーの?オレを誰だと思ってんだよ。天下のエドワード・エルリックが錬成失敗なんかすると思ってんのか?」
「え・・・」
「錬成理論は完璧。準備も万端でこのオレが錬成失敗なんかするわけねーだろ、っての!実際成功してるんだしさ。だから少尉がんなこと気にするのは無駄!以上!」
勝気な瞳で不敵に笑ったエドワードは、ジャンのよく知るいつものエドワードで。何故か緊張が解れたような気がした。
「ああ。ありがとな」
「だーかーらー改めて礼を言ったりするなってい」
「好きだ」
「は!?」
「礼と、もうひとつ言いたかったこと。俺は大将が好きだ」
言葉を途中で遮られたエドワードが、目を丸くして口もぽかんと開いて固まっている。
「大将はアルが退院したら田舎に帰っちまうだろうって思ってた。だから、その前にどうしても伝えておきたくて」
「え、え?いや、だって」
「俺が言って置きたかっただけだからあんまり気にしないでくれ。そんで、その住所とか教えてくれないか?手紙とか書きたいし」
「あ、いや、まだ住所は決まってないんだけど、その」
「じゃ、決まったら教えてくれるか?」
「うん、それはいいけど、あの」
「良かった。とりあえずこんなこと言って嫌われないかってのが心配だったんだ。じゃ、俺仕事に戻るから、元気でな!」
「え、ええええええ?!」
言いたいことを全部言ってしまった後、ジャンは走り出した。正直、今はエドワードの顔を直視できない。
ジャンが走り去った後には呆然としたエドワードが取り残された。
「・・・自分が言いたいことだけ勝手に全部言って、人の話聞かないで逃げやがった・・・」
ふと、手の中にある封筒に目を落とし、エドワードは封筒を睨みつける。
「大佐め・・・!」



この後お題【10】只今遠恋中に続きます。
フュリー曹長が微妙な顔していた理由もそちらで(笑)
いつもハボエド←ロイな話ばかり書いていたので、お題のシリーズは横恋慕しない大佐にしようと思っています。

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06/05/15 脱稿