【30】君を好きということ


煙草タイム中に、ジャンの近くを通りかかったリザが、ふと脚を止めた。
「ハボック少尉。そう言えば、気になっていたことがあるのだけど」
「はい?なんスか?」
「貴方、どうしてエドワード君の家の近くに引っ越さないの? 護衛なのだから、近くに住むべきでしょう? この前エドワード君を護衛したときに、泊り込みになったのもそうだし・・・・・・今住んでいるところは、准将の護衛のために借りたのだと思ったけど」
「あ、あー。それは思ってはいるんスけど」
ハハ、と苦笑したジャンに、リザが首をかしげる。
「金が無くて・・・・・・。引越し代も出せないし、それに大将んちの周りって土地高いじゃないッスか。賃貸アパートが高くてとても手が出ないんスよ」
「どうして? 護衛のために引っ越すなら、引越し料金は全額軍から出るわよ?」
「へっ!?」
リザの言葉にジャンが目を丸くすると、リザが溜息をついた。
「まさか、知らなかったの? 部屋代も、そう言う理由で選んだ部屋なら2分の1まで補助がでるわ」
「えええええ!!」
「貴方、何年軍で働いているの」
リザは呆れている。
「し、知らなかった・・・・・・」
「まぁ、いいわ。今度申請の仕方は教えてあげるから、早く新しい部屋を探したらどう?」

 
「ってホークアイ大尉がさ」
「俺も知らなかったな、そんな制度」
「兄さん、それもどうなの」
その日のエルリック邸での夕食時、リザから聞いた話題で食卓が盛り上がる。
エドワードは既に退院していたが、もう1週間ほど自宅療養するように、といわれて、3日程立っていた。
送り迎えをしているわけではないのだから、公務としてはジャンはこの家にそんなに頻繁による理由もないのだが、毎日朝と夕にしっかり顔を出している。
「まぁ、大将は自分に関係ないことはあまり知ろうとしないほうだもんなぁ」
「下の奴に聞かれたら調べるかもしんねーけど。この家にしたって、軍から補助貰ってるわけじゃないしな」
「そうなんだ? まぁ、ボクも軍に入ったところで、この家を離れるわけでもないし、ってそう言えば」
いいこと思いついた!という表情で手を打ち鳴らしたアルフォンスに、エドワードとジャンが視線を向ける。
「ん?」
「いっそ少尉もこの家に住めばいいんじゃないの!?」
その瞬間、ジャンは口の中に入っていたものを思い切り喉につまらせた。
「げほっ、げほ・・・・・・待て待て待て! そりゃあいくらなんでもないだろ!!」
「え、何でですか?」
「別にオレもそれでいいと思うけど?」
「それじゃ俺、完璧に大将のヒモになっちまうだろうが!!」
「いんじゃね? オレが養ってやるよ」
イタズラにウィンクして見せたエドワードに、ジャンはがっくりと肩を落とす。
「よくねぇよ。俺にだって一応男の矜持ってモンがあるんだよ」
「奥さんが稼いで旦那さんが家事やってる家庭くらいあると思うんだけどなぁ」
思いふけったアルフォンスに、ふとエドワードが首をかしげた。
「ちょっと待てアル。何でオレが『奥さん』に確定してるんだよ」
「え?別にそう言う意味じゃなくて。ハボック少尉が男の矜持って言うから、男で主夫してる人もいるんじゃないかな、ってことなんだけど・・・・・・」
「いやいやいやいや、俺軍辞めねぇし!!」
手を振ったジャンに、エドワードが笑う。
「少尉に辞められたら確かに困る。大体少尉が主夫って、どんだけ出来ることやら」
「大将が何でも器用にこなしすぎなんだっつーの。ま、とにかく近いうちに引越しするから。そん時は手伝い頼んでもいいか?」
「ああ、そりゃ勿論。けどさ、オレが今軍休んでるから、復帰後しばらくは忙しくて、引越しとか無理なんじゃねぇの?」
「それがよ。ほら、現場にいた将軍たちが、『マスタング派に借りを作ったようで気持ちが悪い』とか言って、全部フォローしてくれてんだよ。ま、中将の方は単純に大将を気に入ってたっぽいのもあるけど、あの少将がこっちに手を貸してくれるとは思ってなかったな」
ジャンの言葉にエドワードが目を丸くする。
「マジかよ? だってあの少将って、前にこっちに大量の書類回してきて、嫌がらせしてきた奴だぜ?」
「あ、あのオッサンだったのかよ。でも、手伝ってくれてんのはマジだぜ。だから、仕事が忙しいとかは、今んとこ気にする必要ないからな。・・・・・・無理して出てこようとかすんなよ?」
「分かってるって」
けらけら笑いあってる二人に、ふとあることに思い当たって、アルフォンスが一人首をかしげた。

 
「ねえ兄さん」
「んあ?」
ハボックが帰宅し、二人きりになったリビングで、アルフォンスは先刻感じた疑問を、本を読んでいるエドワードにぶつけた。
「兄さんとハボック少尉って、どこまで進んでるの?」
「ぬな!?」
アルフォンスの唐突な問いに、エドワードが読んでいた本を取り落とす。
「何だよいきなり!」
「いや、だってさ〜。さっき、変だなぁ、って思ったから」
「何が!!」
「だってさ、その・・・・・・ボクもあんまり詳しくは知らないけど、男同士でそーゆーことするときって」
「待て待て待て待て!!」
エドワードが赤面して顔を押さえる。
「どっからいきなりそんな話になった!? 俺が聞いたのは何をおかしいと思ったのか、だ!」
「いや、だから。さっき、主夫がどう、って言う話になったときにさ。兄さんが『どうして兄さんが奥さん確定なんだ』って言ったでしょ」
「・・・・・・ああ、まあ、言ったな」
「むしろボクに言わせると、『何で確定してないの?』ってことなんだけど」
「何で、って・・・・・・」
戸惑っている様子のエドワードに、アルフォンスは首をかしげた。
「エッチしてたら、どっちが奥さん役か決まってるものなんじゃないかと思ってさ」
「おっ、おまっ・・・・・・」
エドワードが絶句する。
「そこんところ、どうなの?」
「おっ、お前に関係ないだろ!? そこまでお前に説明することじゃ・・・・・・!」
「まあ、説明してくれとは言わないけど、何かその手のことで困ることがあっても、兄さんって相談相手居なさそうだし?ちょっと聞いてみようかなぁって思っただけ」
ぐ、とエドワードが押し黙った。
「・・・・・・ま、やっぱりいいや。じゃ、ボクそろそろ寝るから」
「なあ、アル」
ソファから立ち上がったところで呼び止められ、アルフォンスは振り返る。
「なに?」
「お前、その手のことって、どれくらい知ってる?」
「その手のこと、って・・・・・・」
「そ、その、男同士の・・・・・・そういうこと・・・・・・」
頬を染めて視線を逸らし気味のエドワードの声は、かなりボソボソとした喋り方だ。
「あんまりよくは・・・・・・どっちかが女役みたいなことになるんだ、ってくらいしか。兄さんは知ってるんだよね?」
「いや、オレも・・・・・・」
口ごもったエドワードの回答に、アルフォンスは口を押さえる。
「分からない、ってことは当然してもいない、んだ」
「う・・・・・・」
「何だってまた。家ではまあ、ボクが邪魔なのかなとは思ってたけど、仕事いってるときとかその前後とか、色々あるんじゃないの?」
「お前が邪魔だ何て思ったことはねーよ! それに、仕事中は仕事をする時間であって、そういうことするもんじゃねーだろ!」
憤慨して言い返したエドワードに、アルフォンスは肩を竦めた。
「学校の授業では堂々と内職する人も、仕事には真面目だね?」
「それで金貰ってるんだからな」
「でも、ほんとーーーーに、仕事の時間以外とかでも、まっっっったく、そういうことできる時間がなかった、ってことは流石にないんじゃないの?」
「そ、それは・・・・・・」
もごもごと口ごもったエドワードには、心当たりがあるらしい。
「何?」
「少尉が・・・・・・」
「うん」
「多分、少尉は知ってると思うんだよ。そういうこと。でも、なんか・・・・・・途中で止めてるっぽいんだよな」
「え?少尉が?何だってまた」
「オレに聞かれたって知らねーよ。 オレはそういうことよく分からんし、だから、そ、その、そういうときは少尉に任せっきりっていうか、」
エドワードは真っ赤になって、その言葉尻は消え入ってしまった。
「兄さん、今更照れたって仕方ないんだから、もっとはっきり喋ってよ」
「だ、だから! 別に嫌がったりもした訳でもないのに、少尉が止めちまうから、オレにもよく分かんねーんだよ!!」
「止めちゃう?何で?」
「それが分かってたらオレだってこんなに困ってねーよ!」
「困ってる、ってことはしたいんだ」
「やっ、いやっ、あのっ、そのっだからっ」
エドワードはあっという間にしどろもどろになってしまう。
「いやもう、誤魔化さなくていいから」
「ううううう」
「ふうん・・・・・・。でも、ボクも兄さんも、どうやって『する』のかよく分からないんだから、何が悪いのかなんて結局分からないよねぇ・・・・・・」

 
あくる日、アルフォンスは士官学校内でブレダを捕まえ、昨夜エドワードから聞いた話をした。
あまりといえばあまりの相談内容に、当初呆れ気味だったブレダも、『どうもジャンが途中で止めているらしい』というくだりから首をかしげ、真剣に内容を聞き始める。
「妙な話だな。別に童貞でもねぇだろうに」
「あ、やっぱそうですよね」
「アイツの歳でチェリーだったらヤバイだろうが」
「まあ、それは、そうでしょうけど・・・・・・やっぱり男同士なのがネックになってるんでしょうか?」
アルフォンスの疑問に、ブレダは少し考え込んだ。
「・・・・・・今更それを気にするくらいなら、始めから付き合いたいなんて思わないと思うんだがな」
「・・・・・・ですよね。ましてプロポーズなんてするはずもないですし」
「ちょっと待て、プロポーズしたのか、アイツ!?」
「ええ、ボクもその場に居ましたよ?」
あっさり肯定したアルフォンスに一瞬呆然として、それからブレダははっと気を取り直した。
「いや、まあ、それはいいか。むしろ、そこまで考えてるくらいなら、本当になんで手出さねぇのかが謎だ、そう言うことだな」
「そうですね。なんだか、兄さんもどうしたらいいのか、かなり戸惑っているみたいで」
「・・・・・・エドの方には、その気があるのは確かなんだな?」
「それは間違いなく。そうじゃなきゃ、いくらボクでも、ここまで詳しく知ってる訳はないでしょう? 兄さんが話してくれたんですよ」
「ふむ・・・・・・。しかし、エド側からの情報だけじゃよく分からんな。……と言うかアルお前、それも考慮に入れて、相談相手に俺を選んだな?」
ジロリ、と視線を向けられてアルフォンスは頭をかいて笑う。
「あは、流石ブレダ少尉。話が早いですね」
「・・・・・・ま、俺も疑問に思う部分がかなりあるしな。ハボの方には、俺から聞いてやらぁ」

 
ブレダに「たまには付き合え」と無理矢理呼び出され、以前はよく一緒に通っていたバーの片隅、ジャンはブレダと並んでカウンターに座り、グラスを合わせてから最初の1杯に口をつけた。
エルリック兄弟が酒を飲まないこと、常に車での移動であることも影響して、ここのところそう言えば殆どアルコールを口にしていない。
「・・・・・・で、だ」
1杯目のビールを飲み干したブレダが、カウンターに肘をついてジャンを見る。
「お前最近、どうなんだよ?」
「どうって・・・・・・別に何も変わんねーよ?あ、大将の具合はもうほぼピンピンしてるな。軍に出て来んなって押さえる方が大変なくらいだ」
「流石に若いと、回復が早いな」
「まあ・・・・・・大将の場合は、怪我慣れしてるっぽいのもあるけどな。機械鎧もそうだけど、よく見ると体中傷跡だらけだ」
ジャンは苦笑しながら、ブランデーの入ったグラスを回した。
「・・・・・・傷、見たことあんのかよ?」
「へ?何がだ?」
「体中傷だらけってことは、お前さんその体中を見たのか、って聞いてんだ」
「ああ・・・・・・まあ、更衣室とかでそりゃ見るぜ?」
「更衣室かよ」
溜息をついたブレダに首を傾ける。
「何だよ?」
「付き合ってるくせに、更衣室でしか裸見たことねぇのか、って聞いてんだ」
「んな!? ななな、何言い出してんだよお前!!」
「四捨五入したら30の男がその程度のことでうろたえんなよ」
しれっと言い放ったブレダが、追加できたビールに口をつけた。
「いや・・・・・・けどよー」
「そんなことでうろたえる、ってことは、やっぱりマジで手出してねぇんだな、お前」
「・・・・・・やっぱりって何だよ」
「アルがんなようなことを言ってたからな」
「んな、何でそこにアルが出てくるんだよ!?」
「別にそれがどうしてかなんてどうだっていいだろうがよ。んで、何で手ださねぇんだ、お前」
単刀直入なブレダの問いに、返答に詰まってジャンはグラスに口をつける。
ブレダは無言で、様子を見定めるような目でジャンをみていた。
「何で、ってその……まだ、大将にゃ早い、だろ」
「早いか?17で初体験なんて、珍しくも無いと思うけどな。まあ、初めてアイツに会ったときの年齢の印象から変わってねぇなら、そう思うかもしれねぇがな」
「変わって無いなんては思ってない、けどよ」
むしろ、成長してきたと一番感じているのも自分だと思う。時折、はっとするような色気を感じる……なんていうのは、惚れた欲目なのかもしれないが。
「そう言う意味の『早い』じゃなくて、俺達の関係として早いっつーか……」
「……お前、初めて会ったその日にやるのは駄目だとか、そんなロマンチストな小娘みたいなこと言う気じゃねぇだろうな」
「別にそこらのカップルがそういうことやってたってどうも思わねぇよ。でも、大将は駄目だ」
ブレダが片方の眉を上げる。これは、納得していないときのブレダの癖だ。
「アイツは、確かにガキ臭いところもかなりあるが、そんじょそこらの17歳よりならよっぽど修羅場くぐって来てんだろうが?ちょっとやそっとのことじゃ動じねぇ。何を今更」
「だからだっつーの!」
カウンターに叩きつけるようにブランデーのグラスを下ろす。
「修羅場くぐりすぎなんだよ! 自分が痛かろうが辛かろうが、死に掛けようが気にしようとしねぇ! 他人が傷つくなら自分が傷つくことを選んじまう、だから、だから……本人が平気だって言っても、傷つけるような真似は絶対にしたくねぇんだよ!」
「……ハボ」
「そういう雰囲気になったことが無いわけじゃねぇけど。そんとき抵抗されたとかそう言うんでもないけど、でも。大将が俺がしたいならしてもいい、程度に考えてんなら絶対駄目だ。大将が、したいって自分から望むまでは」
ブレダは何も言わなかった。ジャンもそれ以上何か言う気にはなれなかった。
グラスに残っていたブランデーを煽る。
「悪い、やっぱり帰るわ。多分俺……今の時期酒飲んでも、酔えねぇし」
「……大将が本調子でもないのに、酔えねぇか。ま、そりゃそうだろうな。悪いな、つき合わせて変な事聞いちまって」
「いや、……本当にこっちが落ち着いたら、また誘ってくれよ」
「そうだな」
ブランデー1杯分の代金をカウンターに置いて、ジャンは席を立った。
その背中を見送り、ブレダは溜息を吐く。
「結構、厄介なことになってんなぁ」
エドワードの身体の傷は癒えても、ジャンの精神的な傷が全く癒えていない。それを、本人が表に出そうと全くしないせいで、それを癒すべき人間は、今でもあそこまで傷ついていることに気がついていないのだろう。
元々、ジャンはロイとは別の方向で、過保護なまでにエドワードを大切にしているような状態ではあった。だから、今日のように無理矢理踏み込んで話を聞きださなければ、これまでの延長線上、更に過保護になっただけだと感じていても無理は無い。
しかし、そこまでジャンが傷ついていることをエドワードが知れば……それはそれでエドワードを傷つけることが分かっているから、ジャンは何があっても隠し通そうとするだろう。
「こりゃ、放って置くのはどっちにとってもいいことはない、か……?」
残りのビールを飲み干し、ブレダは腕組みをして思案に耽った。



続きます。
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2007/5/13 脱稿