ア ル サ ッ ク の 、 花 弁 が 舞 う 。


春先の強い風に、ざぁっと音を立てて花弁が舞い上がる。
満開のアルサックの下、キールは一人佇んでいた。
「ハヤト・・・」
今はここにはいない、想い人の名を呼ぶ。彼と初めて出遭ったのは、ちょうど一年前の、アルサックがほころび始めた季節だった。
アルサックと共にやってきた彼は、アルサックが散るころには一度は自らが生きるべき世界へ帰ってしまった。
けれど、彼への想いを絶てなかったキールは彼を追って彼の世界を訪ねた。彼への想いを告げたキールに、彼は言った。
「一緒にリィンバウムに戻ろう」
ハヤトはキールの想いを否定しなかった。けれど、肯定もしなかった。ただ、一緒に帰る、と言ってくれた。
「ハヤト・・・」
アルサックの木に寄りかかり、空を見上げる。ひらひらと舞い落ちる花弁を、キールは堪らなく憎らしく思った。
―もしもこの花が散り終わったら。またハヤトは僕の前からいなくなってしまうのではないだろうか?
キールの想いに、答えをくれなかったハヤト。こんなどうしようもない不安に駆られ続けるくらいなら。キールがハヤトの傍にいる資格さえ取り上げないでくれるのならば、いっそ否定された方がマシだった。何も言葉をもらえないことで、救いようもなく不安ばかりが大きくなっていく。
(もしも、このままハヤトが帰ってこなかったら・・・?)
ハヤトは今、「用事がある」と言って自分の世界に帰ってしまっている。もうすでに3日も、ハヤトの顔を見ていない。たかが3日、と人は笑うかもしれない。けれど、キールにとってはこの時間が永遠に続くような気さえしていた。
「ハヤト・・・!」
彼を失ったら。きっと自分は壊れるだろう。
確信にも近い思いに、自重の溜息を漏らす。
「すでに、おかしくなっているのかもしれないな・・・」
狂おしいほどに、ハヤトばかりを想う。
こんな自分を、ハヤトが必要としてくれることなど、きっとありえないだろう。



このまま、消えてしまいたい。

自分の存在を、消してしまいたい。

こんな自分などいらないのに。

このままアルサックの花弁に埋もれて、ハヤトへの想いと共に眠りについてしまえば。

この苦しみからも、逃れられるのだろうか・・・



ゆらゆらと舞い落ちる花弁の残像に、ゆっくりと目を閉じる。
自らに花弁が降り積もる感覚にも反応せずに、ただずっと佇み。
どれほどの時間が経ったろうかという頃に、突然キールの背中に衝撃が走った。
「!?」
驚いて振り返れば。
「・・・」
なんだか不安そうにハヤトがキールにしがみついているではないか。
「ハ・・・ハヤト?」
これは幻ではない。本物のハヤトだ。しかし、久しぶりに会えた喜びよりも、そのハヤトの不安そうな表情が気になってキールは戸惑った。
「ど・・・、どうしたんだい・・・?」
ハヤトは何も言わずにぎゅうぎゅうとキールにしがみついてくる。
「ハヤト・・・?」
キールがハヤトの背中をそっと撫でると、ハヤトはようやくしがみついた手を緩めた。その様子に少しほっとして、キールは微笑を浮かべる。
「お帰り・・・ハヤト。一体急に、どうしたんだい?」
するとハヤトは、ちらりとキールを見上げた後、少し頬を染めて俯いた。
「わ、笑うなよ・・・?」
そんな小さな仕草が可愛らしいと思う。キールは笑って頷いた。
「ああ、約束するよ」
ハヤトの男性にしては小さな手が、キールのマントをぎゅっとつかむ。そして、風の音にすらかき消されそうな小さな声で呟いた。
「なんか・・・さ。キールが・・・」
「僕?」
「キールが・・・消えちゃいそうな、気がして・・・」
キールは驚いて目を見開いた。確かにいっそそうなればいいと願ったのは事実だが。まさかそれをハヤトに感づかれようとは。
「ハヤトは・・・」
「ん?」
「ハヤトは、僕が消えてしまったら嫌かい?」
「当たり前だろっ!?」
即答されて、キールは苦笑した。ハヤトに必要とされない自分など、必要ないと思ったけれど。
「君がそう言ってくれるのなら。僕は消えないよ」
ハヤトが自分を惜しんでくれるのならば、消えたりはしない。キールの存在価値は、ハヤトにこそあるのだから。
「ハヤトが僕を傍に置いてさえくれるのなら、僕は消えたりしない。君にそれ以上を求めたりもしないから・・・」
キールの言葉に、ハヤトがふと顔をあげる。
「キール・・・それって、あのさ・・・その・・・もう、俺のこと諦めちゃったってこと・・・?」
「えっ・・・?」
ハヤトの予想外の問いかけに、思わずハヤトを凝視する。
ハヤトが困ったように視線を彷徨わせた。
「だから!!そのっ・・・だから、俺そのキールにっ・・・」
あうあう、とハヤトがうろたえる。そしてハヤトは綺麗にラッピングされた何かをキールの胸に押しつけた。
「???」
「これ、やる!」
ハヤトが何をしたいのかが分からなくて、どう反応すればいいのか分からない。
「今日は、バ、バレンタインだから!!その、これ買うのすっごい恥ずかしかったんだからな!?」
「『ばれんたいん』?」
聞きなれない言葉に首をかしげると、ハヤトがう〜っと唸った。
「やっぱリィンバウムにはバレンタインってないのか・・・。その、俺の世界のイベントなんだけどさ・・・」
とりあえずその包みを受け取る。ハヤトが真っ赤になってぽりぽりと頭をかいた。
「その!あの、それチョコレートなんだけど!その・・・すっ・・・」
「『す』?」
「バレンタインって言うのは!!好きな人にチョコレートをあげる日なの!!」
そう言い残すと、ハヤトはキールにくるりと背を向けて走り去ってしまった。
「・・・。」
呆然とハヤトを見送る。キールは何が起きたのかを分析しようとした。
ハヤトが僕にチョコレートをくれた。
今日は「バレンタイン」という日だとハヤトは言った。
「バレンタイン」と言うのは、好きな人にチョコレートをあげる日だ、とハヤトは言った。
「・・・?!」
そこで、キールの頭はショートした。ぐるぐる頭の中で、その分析の過程だけが回り続け、そこから先の結論が導き出せない。
キールはチョコレートの包みを持ったまま、ただ立ち尽くしていた・・・。



「キールったら、遅いわねぇ。一体どこにいっちゃったのかしら・・・」
おたまを持ったリプレが首をかしげる。とっくに夕食の準備は終わっているというのに、キールが帰ってこないのだ。
「ハヤト、キールがどこにいるか知らない?」
一番知っていそうな人間に尋ねる。するとハヤトは何故か顔を紅くした。
「そ、その、昼間にアルク川にいたのは見かけたけど」
その後は知らない、というハヤトにリプレは溜息をついた。
「昼間、じゃさすがにもういないかもね。困ったわ・・・」
普通、フラットでは全員がそろってから食事をする。食べないとか、後で一人で食事をするとかそういった予定が分からない限り、先に食事が始まることはありえないのだ。
「まさか、なぁ・・・」
ぼそっと呟いたハヤトをリプレが振り返る。
「ハヤト、何か他に心当たりがあるの?」
「あ、いや、そういうわけじゃないんだけどさ」
ハヤトががたんと椅子から立ち上がった。
「俺、探してくるよ。遅くなると悪いから、先に食べてていいよ。2人分、残しといてくれよな?」
「分かったわ。お願いね」
うん、と頷いてハヤトがフラットをでる。
ハヤトはまっすぐにアルク川のほとりのアルサックの木へと向かった。
さすがにもういないとは、ハヤトも思ったけれど。が、しかし。
「・・・嘘だろ・・・」
まさかと思ったのに。キールはハヤトからチョコを受け取った姿勢から全く変化することなく、同じ場所に立ち尽くしていた。



「・・・ル、キール!!」
自分を呼ぶ声にはっとして、焦点を合わせると、目の前に走り去ったはずのハヤトがいた。
「・・・ハヤト?」
「ハヤト?じゃないよ!一体何やってんだよ?!」
ったく、頭にすげーいっぱい花弁ついてるし、とハヤトが背伸びをしてキールの頭を払う。が、キールには未だまともな思考能力は戻ってこない。
「何、って・・・。君こそ、いつの間に戻ってきたんだい・・・?」
キールの言葉にハヤトが思いっきり眉をひそめた。
「いつの間にって・・・。ていうかさ、キール。お前あれから何時間たってるか分かってる?」
え、と驚いてキールが辺りを見渡すと、とっくに日は落ちて真っ暗になっていた。
「まさか、あれからず〜〜〜〜〜〜っと、そうしてたわけ・・・?」
「・・・そう、みたいだね」
「みたいだね、じゃない!心配するだろっ!?」
ぷんぷん、と怒っているハヤトの頬にそっと手を触れさせる。そしてようやく、キールは先刻何があったのかを思い出した。
「・・・ハヤト」
「ん?」
「君は・・・僕のことが好きなのかい・・・?」
キールの質問に、ハヤトが一瞬にして真っ赤になった。
「どっ・・・どこからその話に飛んだ〜〜〜っ!?」
「どこから、と言われても・・・。今ようやく、そうなんじゃないかという結論に達したのだけど・・・ちがうのかい?」
「ち、違っ、違・・・・」
ハヤトは耳まで赤くなって口をぱくぱくさせている。やはり、違うのだろうか。ハヤトが自分を好きになるなど有り得ないのは、百も承知ではあったが・・・。
「ちちちち違わないけどっ!!そんなこと訊くか普通?!あそこまで言ったらわかるだろこの馬鹿馬鹿馬鹿!!」
ぼかぼかと真っ赤なハヤトに叩かれて。何故ハヤトが怒っているのか分からず、そのままハヤトの気が済むまで叩かれる。少し痛いけれど、どうやらハヤトは本気で怒っているわけではないらしいことは、あまり強く叩かれないことから推測できた。
「・・・バカたれっ!!」
ようやく気が済んだらしいハヤトが、キールの胸に顔を埋める。キールは何故ハヤトが怒り出したのかを考えようと、先程自分とハヤトが行った会話を思い返した。
「・・・!?」
そしてハヤトの言葉の中に、信じがたい言葉を発見し、慌ててハヤトを問いただす。
「ハ、ハヤト!君は今、『違わない』と言ったのか!?」
「っだ〜〜か〜〜ら〜〜〜!!そういうことを訊くなっつってんだろうがこのバカ!!」
ハヤトの拳骨が飛んできて、ゴン!と殴られる。今のはかなり痛かったので、キールが頭を押さえると、ハヤトがきゅっとキールに抱きついた。
「ハ、ハ、ハヤト」
「大体キール、反応遅すぎ・・・。キールって意外とバカなんじゃないのか?」
ハヤトを抱き締め返していいのか分からなくて、ハヤトの背中でおろおろと手をさ迷わせる。取り敢えずそっとその背に手を添えてみると、キールに抱きつくハヤトの腕に力が篭った。どうやら抱き締めてもいいようだ、とキールも手に力を篭める。
「どうやら僕は・・・ハヤトのことになるとバカになるみたいだ・・・」
他の人にはそんな風に怒られたことはないのに、ハヤトにだけは何度も何度もバカと怒られる。だからきっと、そうなのだろう。
「バ〜カ」
ああ、また言われた。けれどハヤトの腕の力は抜ける気配が見えないから、キールも尚更強くハヤトを抱き締める。そっとハヤトの頭を撫でると、ハヤトが嬉しそうに微笑んだ。
「こんな日が来るなんて、想像したこともなかった・・・。きっと君は、僕を振りかえってくれることなどないだろう、と思っていたよ・・・」
キールの正直な感想に、ハヤトが不満そうに唇を尖らせる。
「じゃあキールは、俺がなんでリィンバウムで暮らそうって決めたと思ってたんだよ?」
「え・・・?」
「・・・ッキ、キールのためだって言うの!!少しは考えろこのバカッ!!」
ハヤトの言葉に、キールは心底驚いた。真っ赤になってバカバカ言っているハヤトに、何を言えばいいのか分からなくて困惑する。嬉しいのだけれど。いや、嬉しすぎるから、何と言えばいいのか分からない。
「ありがとう・・・」
取り敢えずそれしか思い浮かばなかった言葉を告げ、ハヤトをきつく抱き締める。その時急に強く吹いた風がアルサックの花弁を舞い上げ、世界を薄紅色に染め上げた。今なら・・・この光景を、キールも美しいと素直に感じることが出来る。
「ハヤト・・・」
「・・・なんだよ」
「キスしても、いいかい・・・?」
「・・・んなこと訊くな!!バカキール!」
もう耳まで真っ赤なハヤトが可愛らしくて、キールは微笑む。先程からの会話の中で、ハヤトの言う「バカ」には肯定の意味も含まれているらしいことを、キールは学習していた。
「ハヤト」
「あ・・・」
顔を寄せれば、緊張したようなハヤトが、ぎゅう、と目を瞑った。少し強張った頬に触れ、怖がらせないように優しく撫でながら、ハヤトの弾力のある唇を啄ばむ。
「・・・っ」
唇を離すと、ハヤトは恥ずかしそうに目を瞬かせた。そんなハヤトが、キールは愛しくて仕方がない。
「愛してるよ」
キールがそう囁くと、更に顔を紅くしたハヤトからは
「バカッ!!」
という返事が返って来た。そこでキールはあることにはたと思い当った。
「ハヤト・・・もしかして、君の言う『バカ』には『好き』という意味も含まれているのかい?」
「・・・・・・こ、このばかたれ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
次の瞬間、キールはハヤトに思いっきり殴られた。


バレンタインにまた性懲りもなくラブラブバカップルを書いてしまいました・・・。
実はハヤトが自分の世界に戻った「用事」と言うのは、サイジェントでは手に入らなかったらしいチョコを買いに行ってたんです(笑)。愛されてるね、キール。
この話では二人はリィンバウムにいましたが、もしも二人がハヤトの世界で暮らしていた場合、キールがピンクのハートのリーフレットとか見つけて、ハヤトに「あれはなんだい?」とか訊くんでしょうね。それでハヤトに説明してもらって、キールがいたく感心して。そんなキールを見てハヤトは「チョコあげたほうがいいのかな・・・」とか悩んで、チョコを買おうとしても恥ずかしくてバレンタイン用のチョコとか買えなくて、板チョコとかチロルチョコとか買ってくるんです。5円チョコとか。キールは普通にバレンタイン用のチョコ買いそうですけど・・・。それでバレンタインは二人でチョコ交換してラブラブしてるんです。結局いちゃつくのか・・・。
ところでこの話は実は先日友人の同人誌に載せた小説を少々手直ししたものだったりします。・・・ま、どうせ地元でしか売らない本だし。

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