「あれ、ゾノ先輩どこに行くんですか?」
バットを掴んで立ち上がった前園を、携帯をいじっていた春市が見上げる。
先刻前園を訪ねた御幸は、大しておしゃべりをするでもなく、さっさと開いているベッドにもぐりこんでしまっていた。
「ちょっと、素振り行ってくるだけや」
「御幸先輩来てるのに」
「寝てるやろ。ソイツはどうせ寝床さえ確保できりゃいいんやから放っとけ」
「でも・・・・・・」
戸惑っているような春市に、前園はふと春市の心境に気がついた。
一応一軍に上がったし、一緒に練習をしているとは言え、春市はあまり御幸のことをよく知っているわけではない。
同室の3年は、合宿で友人が集まっている部屋へ行ってしまっているし、御幸と二人きりで部屋に残されるのが少し不安なのだろう。
「何やったら、お前も誰か友達んとこにでも遊びに行けばいいやろ? 別に御幸相手に泥棒の心配なんぞすることもないし」
「でも俺、友達居ないから」
ぽつりと春市が呟いた言葉に、前園はいぶかしんで眉を顰めた。
「沢村は?」
「あ、栄純君は友達ですよ。降谷君も、多分そう言っていいかもしれないですけど。・・・・・・でも、今メールしたら、先輩たちにパシリに使われて忙しいって」
「他の1年は?」
「・・・・・・」
そう言えば、沢村と降谷以外の1年と、春市が仲良く話をしている姿を見たことが無い。考えてみれば、その3人はかなり早い段階で1軍や2軍に上がってしまったから、あまり同学年と一緒に練習する時間はなかったのだ。
沢村はまだ他の1年とじゃれている姿もたまに見かけるが、春市と降谷に関しては、沢村を含む1軍1年の3人の誰かといるか、上の学年の者と一緒にいるか、一人でいるか、そんなところしか見かけたことがなかった。
まあ、今はそれよりも、今現実に直面している問題は、春市が御幸と二人きりで部屋に残るのは嫌らしいが、他に行くあても無いらしい、ということだ。
別に放っていっても文句は言わないだろうが、どちらかと言うとそういう行動をとるのは、自分自身が後味が悪い。
春市は、時々妙に庇護欲をかきたてるようなところがあった。
「・・・・・・お前、暇なんやったら俺のバッティングフォームのチェックしてくれへんか?バッティング得意やろ?」
「えっ?いや、まぁ、そうですけど」
「合宿で疲れとるだろうが、見るだけならできるやろ?頼むわ」
「あっ、ハイ」
春市が立ち上がり、前園に従えられて部屋を出る。
鍵が閉まる音を確認し、背中を向けて寝たふりをしていた御幸が、ゴロンと転がった。
「さっすがゾノ、面倒見いいねぇ♪」
屋内練習場で、バットを無言で振り続ける前園を、春市はベンチに座って無言で眺めていた。
前園は、本気で春市にバッティングフォームを見て欲しいと思っていたわけではないことは分かっている。気を使ってくれたのだ。
前園は、口は悪いがかなり面倒見はいい。
ぶん、と音を立てて前園のバットが空を切る。
前園の素振りのフォームは綺麗だ、と春市は思った。素振りでやってる分には、全く申し分が無い。恵まれた体格、そしてしっかり鍛えられた筋肉。それらの力を、上手くバットに集約させていると分かる、力に溢れたフォームだ。
ふと、前園が手を止めて春市を振り返る。
「おい」
「はい?」
「お前、沢村と降谷以外とは、仲良うしたいとは思わへんのか?」
まさかさっきの話の続きになるとは思っていなかった春市は、一瞬黙り込む。そして、言葉を選んで口を開いた。
「仲良くしたくない、とまでは言いませんけど・・・・・・」
あまり仲良くしたい、というわけでもない、という意味が暗に含まれた返答に、前園が溜息をついた。
「今は大して役に立たんとしても、チームメイトやぞ?」
「別に嫌いなわけじゃないですよ?」
好き好んで話しかけたいとは思わないだけで、一緒に居るのも嫌だとか、そんなことを言う気はないのだ。
「お前、大人しいほうではあっても、人当たりが悪いタイプでもないやろ。2軍のメンバーとは仲良くしとったしな。先輩の中に放り込まれても上手くやってけるやつが、仲良くしたくない言うたら、十分嫌いやろ」
そう言って前園は素振りを再開する。ブン、と風を切る音がした。
「でも、だって・・・・・・仲良くするのって、こっちだけ仲良くしたいって思っても、しょうがないでしょう?」
「あ?」
「あの人たちも、俺達と仲良くしようとは思っていないみたいだから」
「んなことはないやろ? 一緒に練習する時間が短いだけや」
「その、短くなった理由が問題だったんだと思いますけど。あの人たちプライドだけは高いから」
春市の言葉に、前園が無言になる。前園の素振りの音に、春市ははっとして口を押さえた。
つい、一緒に2軍に居た時間が長かったせいで忘れていたが、今は春市は1軍で、前園は2軍だ。そういった意味では、他の一年と距離は同じようなものなのだ。
「あ、あの、えっと」
慌てて取り繕おうとした春市は意に介さずに、何でもないことのように前園が口を開く。
「そういや、お前に素振りのフォームを見てもらいたかったんやが、何かないんか?」
「えっ、でも、あの」
「何や」
「俺、1年だし・・・・・・」
同学年の人間でさえ、上に昇格したらあんな態度なのだ。まして、上の学年の前園が、思うところがないはずがない。昇格選手の発表の後も、前園が全く以前と変わらずに春市に接してくれていたから、そんな簡単なことにも気がついていなかった。
少し悲しくなって俯くと、前園の溜息が聞こえた。
その後、ざっざっと歩み寄る音が聞こえる。顔を上げようとすると、その直前に頭を叩かれた。
「痛っ!!」
「この阿呆!見損なうな!!」
「え・・・・・・」
「ウチは実力が全てや。実力のある奴が上に行くんは当然のことや。俺はお前の力をよーく知っとる。お前が上に行くんは、当たり前のことや。誰が何を言おうと、お前がそれを恥じることや無い」
前園が再び春市から離れ、バットを握る。
「先に行かれたことが悔しくないわけやない。けど、それでお前に当たるのは筋違いや。だからもっともっと練習する、その方がいいと思ったらお前に練習を見てくれとも頼む。嫉妬なんかしとる暇があるなら練習すればええんや、ただそれだけの話じゃ!」
びゅん、と音を立ててバッドが空を切った。
淀みも迷いもないそのスィングは、試合であればきっとどんな球でも青空に吸い込まれていっただろうと思わせるような切れ味だった。
「・・・・・・ゾノ先輩」
ふと、『この人と同室でよかったな』と春市は思った。こういう人がいるから、尚更1軍に上がった責任は重大だと思うし、その分頑張ろうとも思える。クリスに懐く沢村も、似たような感情を感じているのだろうか。
・・・・・・あそこまで懐こうとまでは、思わないけれど。
「ゾノ先輩、じゃあ、俺の思ったことをはっきり言ってもいいですか?」
「へ!? お、おう! 何かまずいとこあったか?」
「ゾノ先輩は、素振りは申し分ないと思いますよ」
ベンチから立ち上がり、近くにあったボールを拾う。
「先輩は、素振りとかトスバッティングのときって、何を考えてやってます?」
「ん?何って・・・・・・そら、フォームとか芯で捉える様にとか、そういうことやろ?」
「ああ、やっぱり。だからかな。・・・・・・えっと、じゃあ、想像してください。これは試合で、ゾノ先輩は今打席に立ってます」
「おう」
「試合は9回裏、一点ビハインドです。で、2塁3塁にランナーがいて、1打逆転サヨナラのチャンス、でも2アウト」
前園がぎゅ、とバットを強く握った。それを見て春市は少し首をかしげる。
「カウントは2−3。長打を狙ってください!」
言うなり、春市は手にしていたボールを放った。
トスはど真ん中のストライク、普段の前園ならホームランコース。前園のバットが風を切る。
・・・・・・だが、前園は見事に空振った。ボールがてぃんてぃんと音を立てて転がっていく。
一瞬の静寂の後、前園は慌てて手を振った。
「・・・・・・っいやいやいや!!ちょっと待て、今のは失敗した!もっかいや!!」
「同じですよ。それが、ゾノ先輩の欠点です。肝心なときになると、力みすぎなんですよ。チャンスであればあるほど、打てないでしょう?」
「うっ・・・・・・」
「フォームとか、そういうのも大事ですけど。ゾノ先輩はもう完全にいいフォームがしっかり身についているんだから、練習のときは出来るだけ試合をイメージして、試合中のつもりで練習する方がいいと思います。そうすることで、試合でも練習と同じ感覚で打席に立てるようになると思うから」
春市の言葉に、前園はむむ・・・・・・と考え込むと、溜息をついてがっくりと肩を落とした。
「あっさり人の弱点見抜きよって・・・・・・! ホンマ、お前の野球センスは大したもんや」
「そ、そんなことは・・・・・・」
褒められると恥ずかしい。困って俯くと、前園が笑った。
「せやけど、お前、そんなに簡単に教えていいんか? お前の1軍の席、奪いにいくぞ?」
「あはは、受けて立ちますよ」
尊敬する先輩だけれど、無条件で席を譲ろうなんて思わない。尊敬してるからこそ、全力で競うライバルでありたい。
「トスバッティング、手伝いますよ?」
「いいんか? お前疲れてるやろ?」
「トスするくらいなら、大したことないですよ」
「そうか?んじゃ頼むわ」
二人でネットやボールを用意する。その途中で、春市はふと前園を見上げた。
「ゾノ先輩」
「なんや?」
「さっき俺の1軍の席奪うって言ってましたけど、俺はどっちかっていうと、いつかゾノ先輩と並んで1、2塁を守りたいです」
前園が目を丸くする。それから、みるみる赤くなって、春市の頭にグローブのような手をおいた。
「はっ、恥ずかしいこというんじゃねぇ!アホ!!」
わしわしと力強く撫でるその手から前園の気持ちが伝わってきて、春市は笑った。
これをゾノ春と言いきっては偽りあり、ですかね?
ちょっとダメな愛すべき先輩と、ちょっと人間関係に不器用な出来る後輩、そんなイメージです。
2軍の2年を叱ったゾノがかっこよかったのと、春っちって結構友達居ないし、初登場のときは態度悪かったなぁ・・・・・・と思ったので書いて見ました。
ゾノ先輩の関西弁は、本誌を見た感じでは大阪っぽい気がするんですが、私が書くとどうしても神戸弁調になります・・・・・・
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