こんなことで、今までこれほど悩んだことがあっただろうか。
差し出されたペットボトル。口をつければ間接キス。
彼に密かな慕情を抱いて以来、こんなチャンスが今まで来たことはなかった。
自分は、どうも素直に好意を表現できないらしく、口をついて出るのはいつでも悪態ばかり。
おかげで、彼との関係は良好とは言えない状態で、一緒に食事に行くことさえままならない。
そんな状態で。
これは、一世一代の大チャンスかも知れないのに。

何で君が差し出すのは、よりにもよって極甘シュガーミルクストロベリーなんだい・・・?
「いらないのか?」
ああ、急かすなよ。僕は今、今まで生きてきた中で最も難しい選択を迫られているんだ。
このチャンスを上手く生かして、間接キスをモノにしておけば、彼との関係も少しは好転するかもしれない。
けれど、なにせこの乳飲料の味ときたら、ケーキに砂糖ぶっかけたより甘いんだ。口に入れた瞬間に吐き出してしまうかもしれない。そんなことしたら、いくら頭の中に万年桜が咲いているテル先生だって、不愉快になるだろう。そうなったら関係は現状より悪化する・・・。
・・・いや、なまじ吐き出さなかったとしても、この乳飲料を飲んでにこやかに談笑する根性は僕にはないかもしれない。これはどう考えてもリスクの方が大きいか・・・。
「遠慮しておくよ・・・」
「そうか?」
ああ、もったいない。せっかくの間接キスのチャンス。せっかく彼が僕に飲み物を勧めてくれたというのに。
少しは甘いものに対する耐性をつけた方がいいのかもしれない。なにせ、彼ときたらこの乳飲料が大好物だというほどの甘党だ。甘いものに手が出せないと、今後もこういったチャンスを逃し続ける可能性がある。
僕は溜息をつきながら自動販売機に向かい、コインをいれた。迷った末に、甘そうなココアのボタンを押す。これも、修行だ・・・。
「何飲んでんの?」
「うわっ?!」
背を向けていたテル先生に肩越しに手元を除かれて、僕は思わず取り乱した。君は何だって全く、背後から突然急接近して来たりするんだい?!人前で取り乱したりするのは僕の主義に反するんだ!・・・近づかれることは、嬉しいけれど・・・。
「ココアかぁ」
「・・・僕がココアを買っちゃ悪いかい?」
テル先生は、僕が取り乱したことにも、愛想のない物言いをしたことにも特に反応はせず、にっこりと笑った。
「さっき俺もココア買うかシュガーミルクストロベリー買うか悩んだんだけどさぁ。いっつもコレだから、たまには違うの買おうかなって思ったんだけど、結局これかっちゃったよ」
何だってそこで君はココアを買わなかったんだい?!ココアだったらまだ飲めたのに・・・クソ、ついてないな・・・。
僕は心の中で溜息をつきながら、缶のプルトップを開け、口をつけた。ああ、やっぱり甘い。
「なぁ、四宮」
「・・・何?」
「それ、一口飲まして」
え?!
「シュガーミルクストロベリー一口やるからさ」
「いらないよっ!」
「ちぇ〜」
あ、しまった。シュガーミルクストロベリーと聞いて、反射的に拒否してしまった。テル先生は諦めたように再びシュガーミルクストロベリーに口をつけている。
僕は意を決して、ココアの缶をテル先生に差し出した。
「え?」
「・・・飲みたいんだろ?」
「サンキュー!!お前やっぱ意外と良い奴だよな〜!!」
ぱっと明るい笑顔を浮かべた彼から、慌てて顔を背ける。きっと僕は今、真っ赤な顔をしているはずだから。
「これくらいのことで良い奴だなんて言われる筋合いはないよ」
・・・今、自分でもおかしなことを言ったのが分かった。イヤミになってないじゃないか。まったく、ペースを乱されてばっかりだ。
僕の手から缶が離れたのを感じて、横目で彼の顔を見る。先刻まで僕の唇が触れていた部分に、柔らかそうな彼の唇が触れるのが見えて、僕はえもいわれぬ気分になった。
「あ、悪ぃ。結構飲んじゃった」
「・・・いや、構わないよ」
本当は別に、ココアが飲みたかったわけではないから。真実は飲み込んで、返されたココアの缶にゆっくりと口をつける。今、彼の唇に触れたならば、この味がするのだろうか。

いつも甘いものばかり食べている彼の唇は、いつでも甘い味ばかりするに違いない。

「・・・テル先生」
「ん?」
「先日ナース達が話していたんだけど・・・美味しいケーキを出す喫茶店が近くに出来たらしいよ。今度一緒に行かないかい?」
「え、マジ?!行きたい!・・・あ、でもお前、たいして甘いもの好きじゃなかったんじゃ・・・?」
「いや・・・まぁ、甘いものも悪くないなって思っただけさ・・・」


戻る