蒼賀(そうが)紗由里(さゆり)は、ヒビの入った鏡に映る姿に、疲れたように重い溜息を零した。

 肩に付く位だった黒髪は綺麗にまとめられ、白無垢に身を包み、元々白い肌に白粉を塗り、唇に紅を差した顔が己のものとは思えず、他人事のようにただ眺める。

つい先日十六になったばかりの彼女にとって、こんなに早く、それも強制的に花嫁衣裳を着る事になるとは思わず、つい数時間前まで派手に暴れた。近くにあるものを手当たり次第に投げつけ、衣装を引き裂こうとした所で両親が止めに入り、それでも尚暴れた為、薬を使って眠らされた。気がついたときにはこの姿で、誰もいない六畳間に座らされていた。

新しく替えたのであろう畳の匂いと、白無地の襖に囲まれたこの場所が、紗由里には牢獄のように思えた。

とっさにこれを脱ぎ捨てようとして、はたと紗由里は気付いた。

誰からも、自分が結婚する相手を聞かされていないという事に。

――相手は、一体誰?

――自分よりも遥かに年上の人? まさか、かなり年下?

――それとも、私の相手は……

考えを廻らせた彼女は、綿帽子を毟り取り、誰かがこの部屋に来るのを待つ。母や祖母が、何かしら取り繕いや説明に来るだろうと思ってのことだった。しばらくは、壁に掛けられた柱時計の振り子の音だけが響いていたが、ふとどこからか囁き声が聞こえてきた。

彼女が耳をそばだてていると、どうやら

「ソウガのお嬢さん、あの家に嫁ぐんだって?」

「ああ。それも、向こうからたっての願いだって言う話だ」

「ススイやソノモリの者は知っているのか? それに、クロザクラも……」

「まさか。知ってたら真っ先に乗り込みに来るさ」

 声色から、成人した男のものだとわかったのだが、当てはまる者が身内にいない。父親や祖父とは声色が違う為、すぐに除外した。兄弟も、十歳下の弟が一人だけ。残るは従兄弟だが、成人はしているが女性が数人いるだけ。

伯父や遠縁の人かとも思ったが、その辺りは曖昧すぎて該当するかどうかも分からない。

途方も無い不安に駆られた紗由里は、ふと弟がどうしているのか気になり、襖に手を伸ばす。すると彼女の目の前で、勢いよく襖が開かれた。

黒曜石のような目を大きく見開いた彼女は、息を呑み、思わず一歩後退る。

逆光で顔は見えないのだが、背の高い男が、腰を抜かした彼女を見下ろした。

「惣賀紗由里で間違いないな?」

 鋭い刃を突きつけられたようなその声に、紗由里は頷く事も忘れ、呆然と男を見詰め、ようやく一言呟いた。

「――貴方は?」

 だが、彼は不愉快気に眉を顰め、再度居丈高に声を発した。

「質問しているのは私だ。惣賀紗由里だな」

「そうだと、言ったら?」

 ムッとしながらも、彼女が再び質問で返すと、意外にも今度は素直に答えてくれた。

「君を、我が黒桜阪(こうさか)家へ迎え入れたい」

彼の言葉に、紗由里はただ呆然とするしか出来なかった。

つまり、今目の前の男が、己の花婿なのだ。

全く、身も知らぬこの青年が、だ。

「お断りします」

今までの不満と相俟って、紗由里は自分のものとは思えないほど低い声を発した。だが、彼はただ首を横に振り、言葉を紡ぐ。

「これは、すでに決定されている事だ。ご両親も承知されている」

「嘘よ!」

とっさに彼女の口から出た言葉にも、彼が表情を崩す事はない。とはいえ。どこか呆れを含んだ溜息を一つ零すと、膝を折り、彼女と視線を合わせる。

「嘘ではない。ともかく、その辺りの説明も含め、君には一度来てもらわねばならない」

 青年の目は真剣そのもので、紗由里は困惑しながらも暫し考えた。

 このままここで、両親達の釈明を待つか。敵陣の真ん中へ飛び込み、彼らの言い分を聞くか。

「嘘をついたら、怒るわよ」

「嘘は言わない」

 そう言った青年の声が思いのほか真剣で、彼女は唇を引き締めて彼に向かい手を差し出す。その手を難なく取ると、彼は紗由里の身体を引き寄せ、おもむろに走り出した。

なぜ走る必要があるのかと思いながらも、彼女は慣れぬ着物に苦戦しながらも追走する。森のように広い庭園を駆けていると、背後から多くの人のざわめきに混じり、両親の叫び声が聞こえてきた。

「まて! 紗由里を返せ!」

「紗由里! 行っては駄目よ!」

その声に思わず振り返った瞬間、彼女の体が宙に浮く。何事かと目を剥くと、青年の顔がすぐ近くにあった。先程は逆光で見えなかったが、彫の深い、端正な顔立ちの美丈夫である事がうかがえた。それに、しっかりと抱える腕の逞しさや、人を抱えても緩まぬ速度に、紗由里はうっかりトキメキを感じてしまう。頬が熱くなるのを感じているうちに、彼らはいつの間にか門を潜り抜ける。同時に、彼女は側付けされていた二頭立ての馬車へと押し込まれた。そのまま青年も乗り込み、短く目的地を告げた。

「急ぎ、広小路の屋敷まで」

「かしこまりました」

 御者の涼やかな声と共に馬が嘶き、ゆっくりと馬車は走り出す。

 紗由里が後ろを振り返る頃には、己の家から溢れてきた人々が、芥子粒のように小さくなっていた。

 そこでようやく、彼女は正気を取り戻した。居住まいを正し、青年へ視線を向けると、彼も紗由里を見つめていた。

「聞きたい事が、あるのだろう?」

「――私は貴方が花婿かと思っていたんだけど、違うの?」

「正確には、花婿ではない。だが、候補ではあった」

「どういうこと?」

しばらく青年は問いに答えず、その目を鏡のようにして彼女の姿を映していた。だがやがて、重々しい口調で彼は答えた。

「元々君は、我が黒桜阪家、朱穂(すすい)家、苑杜(そのもり)家のどこかに迎え入れられる事になっていた。もちろん、本来ならば君の意思も汲む予定ではいた」

「――無理やり結婚させられそうになって、今は別の所に拉致されようとしてるのに?」

「急場しのぎだ。今しばらく、君は我等三家の元に匿う事になっている」

 この辺りで、紗由里はあの時の不思議な囁きを思い出した。

「ねえ、その三つのうちどれかに嫁ぐ予定、って言ってたわね」

「ああ」

「貴方が乗り込んできたって事は、その三つのうちの何所でもないとこに、私は貰われそうになったってこと?」

「そうだ」

 青年が頷いたところで馬車が止まり、扉が開かれる。

 彼らの目の前に、西洋風の門構えを持つ大きな屋敷が飛び込んできた。

「到着いたしました」

恭しく頭を下げる御者へ小さく頭を下げ、彼が先に降り立ち紗由里に向かい手を差し出した。連れ出されるときと逆だな、と思いながら、彼女は白く小さな手を、骨ばった力強い大きな手へ乗せた。それは、己の父親を思い起こさせ、途端に不安と寂しさで胸を埋め尽くされるが、彼女は見ない振りをしてただ手を引かれた。

門をくぐり、真っ直ぐ屋敷まで伸びる道の脇には、沢山の桜の木が植わっており、時折花弁が風と共に二人の前を横切っていく。傍から見れば、若き二人の良き日を祝福するようにも見える。迷い無く進む青年の横顔をみながら、紗由里はある事に気がついた。

「そういえば、貴方の名前は? 貴方ばかり私の名前を知っていて、私が知らないのは不公平じゃない」

 すると彼は足を止め、じっと彼女の目を見つめた。

 そのまま何も言わない彼に、紗由里は身の置き場が無く、視線を逸らそうとした。その時、彼の目元が若干赤く染まっているのと、己と同じ色かと思っていた双眸が仄かに青みがかっている事に気付く。

 互いにしばらく見詰め合っていると、青年が先に口を開いた。

「私の名は黒桜阪、黒桜阪 美陽(みはる)だ」

 

 

*    *    *

 

 

 

【今後のあらすじ(?)】     

*御三家イケメン勢揃い!   

*何で私は逆ハー作ってるの? 

*花婿は穏健派?       

*花嫁は武闘派!       

*仕切りなおして大団円!   





……多分続かないよ! 







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