(第一回は三郎14歳、師走のお話でした。今回は年が明け、三郎15歳の二月。本編『下弦の月』でいうと十三の巻『梅が枝』の少し前になります♪)
先週の吹雪きが嘘のように、昨日今日と、空は晴れやかに澄み渡っている。高山城、西の丸の館の庭先にも春めいた日ざしが差し込んでいた。鮮やかな橙色の福寿草の花が、残り雪の合間からひょっこりと可愛い姿をのぞかせていた。
如月の初旬のある日、三郎は近習の源蔵相手に竹刀を振って一汗かくと、夕餉の前のひととき、人払いをして自室にこもり、手文庫から『例のもの』を取り出した。
三郎の宝物。年末に江戸の兄・惣一郎から送られた『銀の切り餅』だ。江戸時代にはあるはずもない携帯電話だったが、「おしえて兄うえ!」は時代考証無視なのでどうかつっこまないでいただきたい。
さて、こんな小さな箱から兄の声が聞こえてくるなど、三郎も初めは狐につままれたのかと思った。だが肉親の縁薄い三郎は、実の兄に優しい言葉をかけられると、もうそれだけでお目目うるうる。途端に警戒心を解いてしまった。今ではこの切り餅が江戸の兄と自分を繋ぐ貴重な道具と理解し、それはそれは大切に保管しているのだ。兄に言われたように、このことは大好きな守役の誠之進には内緒である。
江戸表より『銀の切り餅』が届いてからしばらくの間、近習の源蔵は妖術使いの仕業だといって聞かず、一度はをかまどにくべて火あぶりにしょうとした。『銀の切り餅』が火に投げ込まれる寸前、三郎は源蔵に組み付いて何とか阻止した。慌ててその場で兄に電話し、兄から源蔵をきつく叱ってもらった。
『これ源蔵。血迷った真似をすると、身供(みども)が手討ちにいたすぞ。平賀源内先生が我ら兄弟のためにと、せっかく作って下された品だ。かまどにくべるとは何事ぞ!』と、威厳のある声?で叱責され、源蔵はまだ疑いを捨てきれなかったが、唇をかんで渋々引き下がったのだった。
今日、三郎は兄の惣一郎に尋ねたいことがあった。
如月に入ってから、屋敷の奥女中たちがどうも浮き足だっているのだ。廊下で女たちのおしゃべりを小耳に挟んだところ、14日に何か特別なことがあるらしい。おまけに噂話のなかに誠之進の名がしょっちゅう出てくるものだから、三郎としては気になって仕方ないのだ。
三郎は火鉢の側で丸くなると、二つ折りの『銀の切り餅』を開いて、江戸にいる兄の番号を押した。
つーーー、つーーーー、るるるるる、るるるるる、るるるるる、…
「あれ…どうしたんだろう。今日はなかなかお出にならない…」
三郎が首をかしげると、
『…もしもし』
聞こえてきた声は兄のものではなかった。三郎は返事をするべきか、一瞬迷ってしまった。
『もしもし…三郎ぎみではござりませぬのか?』
「あ…」
いきなり名を呼ばれて面くらう。三郎は切り餅をきつく耳に押し当てた。
『三郎ぎみでござりますな』
「う、うむ…そなたは?」
『驚かせて申し訳ござりませぬ。私、惣一郎様の小姓で仙之丞と申します。若殿はいま、絵を描いておられまして、手が離せませぬのじゃ』
「さ、左様か。ならばまた後日かけ直すゆえ、兄うえによしなに…」
秘かに兄弟の名乗りをしたとはいえ、惣一郎は世嗣であり異母兄だ。三郎にはまだまだ遠慮があった。
すぐに聞きたいことがあったのにと、三郎は内心肩を落としていたが、
『…あ、お出になるそうです。しばしお待ちを』
『切り餅』を握る三郎の目が一転してきらきらと輝いた。
『おお、三郎か。ようかけてまいった』
いつもと同じ、兄の親し気な声音に三郎はほっと息をついた。
「あ、兄うえ、…お忙しいところ、お邪魔して申し訳ござりませぬ」
『なにを言う。身供もそなたの声がきけて嬉しいぞ。そちらはまだまだ雪深いのであろう?』
「はい、なれどここ数日は天気もよく、庭先のふくら雀もよく鳴いておりまする」
『左様か。のどかで良いのう…』
『切り餅』を通して、あちらで惣一郎が鷹揚にうなずく気配が伝わった。
『して、今日はいかがした?』
「じつは…」
今さらだが、どう切り出そうか三郎は困っていた。
『何じゃ、遠慮せずとも良い。申してみよ』
「はい…では、お尋ね申し上げます」
『うむ』
「兄うえ、如月の14日は何か特別な日なのでござりますか?」
『14日とな? ふむ…初牛もお事納めも14日には終わっておるゆえ…彼岸まではこれといって江戸でも行事はないぞ』
「その…奥女中たちが、近頃そわそわしておるのでござります」
『そわそわとな?』
「はい…」
『木の芽どきにはちと早いが…単なる発情期ではないのか?』
惣一郎の声の後ろから、『若殿!そのような戯れ言を!』と、先程の小姓の声が飛んだ。
三郎も思春期の入り口。こういう言葉には敏感である。
ほんのり頬を染めながら三郎は続けた。
「女中たちが話しておるのを小耳に挟みました。南蛮菓子の『ちよこれいと』がどうのとか、せ、誠之進様はいくつおもらいになるのだろう、とか…」
誠之進の名前を出すとき、三郎の心の臓がおおきく跳ねた。
『ほう…奥女中たちが左様なことをのう…ふふふ…』
『切り餅』から、いかにも愉し気な兄の含み笑いが聞こえてきた。
何だろう、やはり兄うえは御存知なのだろうか。
『三郎、それは伴天連祭りの一種でな』
「ば、ばてれん?」
『左様。ばれんたいんでーと申すものじゃ』
「な、なんと! ならばご禁制の祭りではござりませぬか!」
『そうとんがることはない。切支丹の信仰とは何の関係もない、ただの戯れごとじゃ』
「…いったい、何を祝う祭りなのですか?」
『いや、たあいないことよ。南蛮では、好きな殿御に女子のほうから夜這いをかけても構わぬ日、ということらしい』
(天の声:おいおい兄さん、いたいけな三郎に、そんな拡大解釈を教えちゃあいけないよ)
「な、なんと…はしたない」
絶句する三郎を前に、惣一郎は得意になって講釈をたれた。
『「ちよこれいと」なる菓子を好きな男に渡すのじゃ。それが今夜夜這いをかけます、という合図じゃ。普段慎ましやかな振りをしておる女子どもも、この日ばかりは野獣と化す』
電話の向こうで再び小姓が、
『若殿、いい加減になされませ!』
とたしなめていたが、頭に血がのぼった三郎にはまったく聞こえていなかった。
三郎の頭の中では、南蛮菓子→誠之進=奥女中×夜這い、という方程式が出来上がっていた。
(こ、これは一大事…)
押し黙ってしまった三郎に、惣一郎が案ずるような声音で言った。
『三郎、いかがした?』
「あ、兄うえ…」
『何じゃ、情けない声を出して』
「奥女中どもは誠之進に「南蛮菓子」を渡すと息巻いておりまするっ!」
『さもあろう。誠之進は滅多におらぬ美丈夫だからな。いくつもらうか見ものじゃな。ふっふっふ…』
「兄うえ!おもしろがっている場合ではござりませぬ!」
ほとんど金切り声で三郎が叫んだ。
『三郎、なにゆえそのようにムキになっておる?』
のんびりとした意外そうな声音に、三郎は余計にあおられた。
「多数の女たちに、われもわれもと南蛮菓子を押しつけられては、たまったものではありませぬ!」
切り餅の向こうで惣一郎が喉を鳴らして笑った。
『それはもっともじゃ。全員の相手をしていたのでは、いくら誠之進でも身がもたぬ』
「身、みがもたぬとは?!」
三郎の頭の中では、『夜這い』『全員の相手』『身がもたぬ』の文字が、真っ赤に溶けた銑鉄のように、うねり、のたくり、あばれまわっていた。
混乱のあまり黙りこんだ三郎に、
『何じゃ、そなた藩校で生物の時間に習わなかったのか?』
「は、はあ…?」
『一つの卵子をめがけて、無数の精子が突進する図式と同じだ。平賀源内先生に「けんびきょう」とやらで見せたもろうたが、いやはや、川中島の合戦と見まごう壮絶な戦いじゃった…』
「お、おっしゃる意味がわかりませぬ…」
『自然の掟。適者生存の仁義なき戦いじゃ』
「あ、兄うえ、私にもわかるようにお話くださりませ!」
あたりまえだろう。藩校では性教育の時間はおろか、生物の時間すらない。三郎がそんなことを知るわけがない。おまけに惣一郎が懇意にしている『平賀源内』の影響か、ときどき飛躍しすぎる惣一郎の思考に、三郎がついていけるはずもない。
惣一郎は三郎の戸惑いを無視し、かまわず続けた。
『しかし、この伴天連祭りは普段の逆ゆえ、女どもが南蛮菓子を片手に誠之進に向かって突進するわけじゃ』
「あ、あにうえ…?」
『女どもの壮烈な戦い、足の引っ張りあいが今から目に浮かぶのう…』
事も無げに残酷な言葉を口にする兄。三郎は色を失った。
兄の言うとうりなら、母屋から誠之進の居室、離れに通じる渡り廊下は、血の海と化し、そこには奥女中たちの屍体が累々と横たわるのだろうか…。
(天の声:三郎ちゃん、そんなこと誰も言ってないよ…。誇大妄想はあんたらの家系か…?)
まあいい。奥女中の命運など知ったことではなかったが、
「そ、そのように勝手に突進されても、誠之進にとっては迷惑千万。せ、誠之進は奥女中に興味などござりませぬ!」
三郎の声はほとんど涙声に変わっていた。
『ほう…そなた、なぜそのようなことがわかる? 誠之進とて若い男だ。美しい女子に迫られれば、ついふらふらとその気に…』
「誠之進はそのような男ではござりませぬ!」
指の関節が白くなるほど『切り餅』を握りしめ、三郎は激しくかぶりを振った。
『何じゃ、そなた…誠之進が女から菓子をもらうのがいやなのか?』
「い、いやでござります!」
三郎はやおら立ち上がると、『切り餅』をふりかざして叫んだ。
そうだ、大好きな誠之進のもとへ女が夜這いをかけるなど、断じて許せなかった。考えただけで鼻の奥がつんとして、涙がじんわり込み上げてくる。誠之進は自分の守役だ。自分だけのものだ。奥女中などに、指一本触れさせるわけにはいかない。
『左様か…』
惣一郎がため息のように呟いた。
我に返った三郎はふたたび正座すると、すがるような声音で兄に尋ねた。
「あ、兄うえ…いかがすれば、あやつらを止められまする?」
『そうじゃなあ…。屋敷内に「伴天連祭り禁止」の高札をたてるか…』
「破ったものは厳罰に処すのですね!」
『うむ…』
「まとめて水牢に放り込んでやりましょう!」
涙声のまま勇ましく叫ぶ三郎に、
『まあ、待て。もっと穏便な方法もある』
「穏便な…?」
『左様。…そなたが誠之進の寝所で寝ずの番をすればよかろう?』
「わ、私が?」
『そうじゃ。館の主人であるそなたがでばっていれば、奥女中ごとき近寄れはしまい。離れには、ねずみ一匹たりとも入り込む隙もない』
「なるほど…」
さすがは兄うえ!と三郎は膝を叩いた。
そうだ、この館の主人は私なのだ。奥女中どもなぞ、何を恐れることがあろう。
惣一郎は一度小さくせき払いして続けた。
『敵は女中だけではないやも知れぬ。いろいろと他へも目配りしておくように。よいな』
「他とは…?」
首をかしげた三郎に考える暇を与えず、惣一郎はここぞとばかりにたたみかけた。
『三郎、正直に申してみよ。そなた、誠之進が好きなのか?』
三郎は『切り餅』を前にして耳まで紅に染めた。
「そ、それは…誠之進は守役として…、幼いときから私に良く仕えてくれましたゆえ…」
『うむ…。そなたも誠之進を頼りにしておるのだろう?』
「はい…それはもう兄のごとく…」
三郎は正座したまま、もじもじと俯いた。
『誠之進が好きなのだな?』
「そ、それは…」
『慕わしく思っているのだろう…?』
さあ、吐け、吐いて楽になれと言わんばかりに、惣一郎は初老のベテラン刑事のような声音で囁いた。
「あ、兄うえ…」
『よいのだ…この兄はいつもそなたの味方じゃ』
「ま、まことに?」
『そなたの心。この兄にだけは包み隠さず申すが良い』
「…う、ううっ」
感涙にむせびながら、三郎は兄の言葉に耳を傾けた。
『…そなたの一途な想い、何とか叶えてやりたいのう…』
「兄うえ…」
『江戸と越後に離れておらずば、身供が出ていって、いくらでもお膳立てしてやるものを…』
『切り餅』を握りしめ洟をすする三郎を前に、惣一郎はうっとりと呟いた。
*
惣一郎はその後三郎に、次から次へと秘策を授けた。
兄の助言に従い、翌日から三郎は着々と手を打っていった。まずは乳母のお福を味方につけると、お福に女中たちの動きを見はらせ、ブラックリストを作成した。お福はゲシュタポのごとく、忠実に三郎の指令に従った。
南蛮菓子舗を一時出入り禁止にし、『伴天連祭り』で浮かれ騒ぐものは、騒乱罪で厳罰に処すと札を立てた。にもかかわらず、14日当日、廊下で擦れ違いざま、誠之進の懐に南蛮菓子を押し込もうとする不届きものが十人あまり出た。ほとんどのものはその場でお福に取り押さえられた。
三郎は早速そのものたちを呼びつけ暇を出した。14日を境に西の丸の館の若い女中の数は激減し、かわりに使用人には中高年が増えた。獅子奮迅の働きをしたお福には、忠義の鑑として金一封が授けられた。
三郎は兄の言葉をひとつひとつ忠実に実行した。
『敵は女中だけではない。いろいろと他へも目配りしておくように。よいな』
この一言の意味を、汲み取れぬ三郎ではない。
兄の言う『他』には心あたりがあった。三郎にとって、奥女中より恐ろしい、もっとも警戒すべき人物だ。『彼』がもし南蛮菓子を持って夜這いをかけてきたら、誠之進は…。
ダメだ、それだけは何としても阻止せねばなるまい。
誠之進を誰にも取られたくない。なれど自分は恋の相手としてはあまりにも幼く…。今はまだ、こんな子供じみた手しか使えないのが口惜しいが、それでも…。
*
「三郎ぎみ…斯様なところでうたた寝してはお風邪を召しますぞ」
「案ずるな…風邪などひくものか。それに炬燵が暖かくて気持ちいい…」
五つ半(午後9時)を過ぎてから、漢籍の書を片手にわからないところがあるからと、三郎は誠之進の部屋に押し掛けた。そのまま碁を打ったり他愛ない話をしているうちに、気がつけば深夜に近くなっていた。
「さあ、もう夜もふけましたゆえ、そろそろお部屋にお戻りくださりませ」
「いやじゃ、せっかくあったまったのに…ここを動きとうない」
「三郎ぎみ…」
「今夜は…ここで寝る」
「聞き分けのないことを申されますな」
「いやじゃ、ここで寝る…」
三郎はこれみよがしに炬燵につっ伏すと、まぶたを閉ざし、すやすやと寝息をたててみせた。
誠之進が苦笑して立ち上がる気配がした。
ややあって、厚手の綿入れがふわりと三郎の背にかけられた。
「いつまでも…赤子のようにござりますな」
三郎の狸寝入りなど、誠之進はお見通しなのだろう。
それでも部屋から追い出そうとはしない。三郎は安堵したのと、炬燵や綿入れの暖かさも手伝って、ほんとうにうとうとし始めた。
眠りに落ちる寸前、誠之進の指先が三郎の前髪に触れるのを感じた。ゆっくりと慈しむように髪を梳かれ、三郎は満ち足りた思いで目を閉じた。
来年は…勇気を出して、「ちよこれいと」なる南蛮菓子を注文してみようか。私が誠之進に菓子を渡したら…誠之進はいったい何と思うだろう。
誠之進とふたりで食べる「ちよこれいと」はどんな味がするだろう…。
兄うえは、もう「ちよこれいと」の味を御存知なのですか?
どなたと‥召し上がったのですか?
兄うえ、今度ぜひ教えてくださりませ…。
おわり
2004年バレンタイン企画は予定が大幅に狂い、一転してこんなギャグになっちゃいました(汗)「dolce」の続きを待っていてくださった方々、この埋め合わせはいつかきっと…。m(__)m