
| by 戸田采女 |
(時系列でいうと、下弦の月・「春雷」と「若紫」の間くらいでしょうか…) 桜の季節も終りに近付いたある日、三郎は陽光差し込む縁側に腰掛け、友人の内藤弥一郎から借りた書を読んでいた。 「伊勢物語」である。 メジャーな古典なのだから、本丸の書庫にもきっとある。守役の誠之進の蔵書の中にもあるだろう。だが、せっかく友が勧めてくれたのだ。三郎は喜んで借りて帰った。 今日は藩校も休み。天気が良いから野駈けでもと思いきや、肝心の誠之進は所用で外出している。 ちょっとつまらない三郎だったが、読み始めた伊勢物語は存外面白く夢中で読み進んでしまった。しかし、さすがにこのぽかぽか陽気につられ、ついうたたねしていたらしい。 ゆさゆさと揺すぶられて目が覚めた。 思わず『せいのしん…』と甘い声がでかかったが、自分を見下ろす丸顔に気付くやいなや、三郎は思わず頬を引きしめた。 「何じゃ、源蔵。ひとが気持ちよう寝ておったものを…」 憮然として胡座をかく。ぶっきらぼうな物言いは当然照れ隠しである。 「おや。せっかく起こしてさしあげたのに」 源蔵はつんと横を向き、手に握ったものをひらひらとふりかざした。 「おっ!」 「…兄うえ様からお電話です」 「なにッ。は、はようよこせ!」 「礼くらい言ったらどうですか?」 江戸の兄より、平賀源内先生作の携帯電話が届いたのが昨年末。はじめは妖術使いの仕業だなんだと、電話を火あぶりにしようとした源蔵だが、さすがに今では得心している。もちろん、当時『携帯電話』などという言葉はないので、西の丸の館では『銀の切り餅』と呼ばれている。 「つべこべ言わずに早うよこせっ」 三郎は源蔵の手から、銀の切り餅をひったくるように奪った。 「もしもしっ…兄うえにござりますか?!」 弾むような声音で三郎は呼びかけた。 源蔵は隣に胡座をかき、横目で三郎をじい〜っと睨んでいる。 乳兄弟で大の仲良しには違いないが、源蔵は一応『家来の分』を守りながら三郎に接している。と同時に、冷徹な視線で主人を観察しているときもある。 (何ですか…猫を二、三匹かぶったような声を出して…) ぢつは源蔵は三郎と誠之進の秘密を知っている。 一月前、初めてふたりが口を吸いあっているのを見た時、胃の腑が口から飛び出るほど驚いた。犬も歩けば衆道にあたるこの時代、ではあるが、やはり身近なふたりの濡れ場を目撃したのは衝撃だった。 しかし、何といっても「落花流水」はやおいサイト。まっとうな時代劇のふりして始まったものの、若君と守役とくれば、いずれデキてしまうのは当然のなりゆき。読者様も待ちに待ったその時がとうとう来たか…と母親のお福ともども感慨にひたるのだった。 さて、三郎は相変わらず兄と歓談している。 『で、あれからどうじゃ、誠之進にそなたの想いは伝えたのか?』 三郎はみるみる頬を赤らめた。 三郎は源蔵にくるりと背を向け、銀の切り餅をぴったり耳に押し付けて声を落とした。 「は…はい。伝えましてござります」 『ほう…。して、誠之進は何と』 三郎は誠之進の父、溝口主膳が突然館を訪なった日を回想した。元服のあかつきには養子にいくのだと、にこやかな笑みを浮かべつつ、残酷なひとことを主膳ははなった。動揺する三郎を誠之進はやさしく抱きしめ…。(下弦の月「梅が枝」) 「せ、誠之進も私を…いとしゅう思うていると」 思い出しただけで身体が熱くなってしまった。 ややあって、 向こう側で惣一郎がうなずく気配がした。 『そうか。…でかしたぞ、三郎』 深く、喜びに満ちあふれた声音だった。兄が心から祝福しているのがわかり、三郎は涙ぐんだ。 (惣一郎が扇子片手に狂喜乱舞する映像は…皆様、各自ご想像ください) 「あ、兄うえ…これも皆、兄うえのおかげにござります」 『何の、身供はそなたの背中を押しただけ。しかし…ほんにめでたいのう。祝着至極じゃ』 「あにうえ!」 『そなた、この兄を見事、助太刀したのだぞ!』 「は…助太刀とは?」 『え、そ、それは一』 「…?」 『お、弟の幸せは兄の幸せという意味じゃ』 「あ、…左様にござりますか」 余人には意味不明である。 『あはははは…』 「あはははは…」 江戸と越後にわかれた兄弟は、おそろいの『切り餅』を手にしながら、良く似た照れ笑いを浮かべていた。呆れた源蔵は縁側に胡座をかいたまま、暇つぶしに鼻をほじっていた。 『ところで三郎、過日そなたが話していた件、いかが相成った?』 「それが…はかばかしくござりませぬ」 急に声を落とした三郎を、源蔵が手をとめてみやった。 過日の件とは、女中の補充についてだった。 『伴天連祭り』の騒動で、西の丸の若い女中が大量に暇を出された。もっとも男ばかりのこの館、事実上『奥』はなく、ここでいう女中もほとんどは下働きの下女である。 その後、三郎は高齢の男女ばかり雇ったものの、足腰が弱いものが多く十分な仕事をこなせない。最近、三郎の乳母兼女中頭のお福からクレームが出ていた。 しかし伴天連祭りの狂乱ぶりに懲りた三郎は、若い娘を雇うことを断固拒否している。西の丸に奉公にあがりたい女は山ほどいるのだが、皆の目当てはわかっている。誠之進だ。 皆がカツブシを前にした牝猫のように誠之進を狙っている。 三郎はぎりりと奥歯をかんだ。 「兄うえ…、いかがすればよろしいでしょう?」 とにかく年頃の美しい娘など、ぜったい近付けてはならない。 『うむ…そうじゃなあ。お福が欲しいのは元気で体力のある使用人であろう?』 「はい」 『若くても、美しくなければよいではないか』 「そうでござりますね…」 たしかに。誠之進は面食いのはず。 『よし、身供が広告文を考えてやるゆえ、お福に命じて、それを口入れ屋に持っていかせるがよい』 「あ、ありがたき幸せにござります!」 さすがは兄うえ。私が考えあぐねている事を、すいすい解決してくださる。行動も早い。 電話の向こうで、何やらかちかちと叩く音が聞こえ、『仙之丞、メールで送っておけ』とおっしゃった。 惣一郎は再び電話を手にとり、 『ところでそなたたち、思いを伝え合った後、しかと契ったのであろうな?』 「そ、それは…」 契ったといわれると微妙な段階だったのだ。 三郎は耳まで紅に染めて押し黙った。 『三郎…?』 「そ、それは…多分、まだにござります」 『何としたことじゃ?!』 兄うえがお怒りだ!どうしよう…。 『未だ契っておらぬとは…三郎、これはまだ安心できぬぞ』 「そんな…」 『心してかかれ。そなた、うかうかしておると、どこぞの牝猫に誠之進を奪われてしまうぞっ』 「麗しい牡猫なら心あたりがござります!」 三郎は間髪を入れずに叫んだ。 電話の向こうで惣一郎が息をのむ音が聞こえた。 三郎の脳裡に美しい毛並みの『牡猫』の姿が浮かんだ。三郎を横目で見ながら、繊細な桃色の舌で優雅に毛づくろいをしている。切れ長の濡れた瞳が三郎に挑んでいるかのようだ。 『そうか…その牡猫、ぜったいに誠之進に近付けてはならぬぞ』 「も、もちろんにござります!」 『よし、その意気じゃ。』 惣一郎は鼻息荒く三郎を激励した。 『それより早う、誠之進と契ってしまえ』 「あ、あにうえ!」 『誠之進はそなたの愛らしさに、もはやクラクラのはずじゃ』 「左様でしょうか…」 『されど家来が主人を組み敷くのは、相当勇気のいることぞ』 「うっ…そ、それは」 『下・克・上』 「下・克・上」 兄弟ははからずも同じ台詞を口にした。 三郎は何やら下腹がむずむずしてきた。 いつぞや内藤邸で見せられた枕絵が、色鮮やかに瞼の裏に浮かんだ。 『そなたも男ならわかるであろう、察してやれ、三郎』 またもや有益なアドバイスをして、御満悦の惣一郎であった。 電話を切るなり大きく伸びをすると、 「さて、謡の稽古でもするかのう」 上機嫌で小姓達をひきつれて広間へ向かった。 小姓頭の仙之丞も小さく首を左右に振りながら、主人のあとに従った。毎度のこととはいえ、惣一郎の三郎を焚き付ける才能には感心する。このお方、バカ殿のふりをして、もしや平賀源内級の天才ではないかと畏敬の念を抱くのだった。 人気のなくなった惣一郎の居室で、パソのモニター画面だけが皓々と光っている。 おお、先程の求人広告の文面、まだ皆様にお知らせしておらなんだ。 『御城、西の丸御殿。下女数名求む。 明朗快活、足腰強健でよく働く四十歳以上の老女求む。高給優遇。 年増や若い娘の場合は、勇壮な体格の大女に限る。 丸太のような腕、馬車馬のような太い足ならばさらに良し』 後日、口入れ屋を通して、城下のみならず、近隣の村からもかなりの応募者が集まった。 みな三郎の眼鏡にかなう良き百姓娘や婆たちで、惜しくも選考にもれたものたちは、三郎手ずから「お駕篭代」と菓子ひと包みを渡してひきとらせたという。
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