
| by 戸田采女 |
(本作品は時系列的には浄夜三の巻『邪眼』の直後です) 右近さまが本復して数日後、殿は私に御側仕長屋を出て、今後、右近様の役宅で暮らすよう申し付けた。 私は一瞬耳を疑った。 当惑する私に、 「右近のやつ、余がかほどに案じておるのに、警護の者も増やさぬ、中奥で寝起きするのも嫌じゃと拒みおった」 「なれど、それがしと右近様はお役目も異なり…」 藩邸では役目ごとに割り振られた長屋に住まうのが決まりだ。 お側仕えの私が留守居役の右近様と同居など、掟破りも甚だしい。 「つべこべ言うな。藩主の命じゃ」 「殿?!」 「誰ぞ気のつく者が側におらねば…いくら爺(堀田又座右衛門)の紹介とはいえ、老僕の仁平とやらだけでは心もとない」 なるほど。殿のお気持はよくわかる。何せ愛する右近さまが毒を盛られたのだ。叶うなら、ご自分が四六時中側に貼り付いて守ってやりたいのだろう。 なれど、私が右近さまと暮らす? 美味しすぎて眉に唾する話だったが一一。 「…それがしなどでお役にたつのでしょうか」 「余が選んだのじゃ、自信をもて」 「なれど一一」 「母屋に他の人間がおるだけで、多少なりとも牽制になるだろう」 殿は一旦言葉を切ると、 「いまひとつ。いずれ…そちの側用人の任を解くやもしれぬ」 (な、なんと?!) 心臓がどきりと跳ね、 「そ、それがしに何か重大な落ち度がございましたでしょうか?!」 私は咳き込むように尋ねた。 (『お役御免』ということか?!やはり先日(邪眼2)出過ぎたことを申し上げたのが原因か…) 殿はしばしの間、無表情に私の顔を眺めていたが、 「ばかもの。すぐにではないがな、いずれ留守居部屋へ移し、右近の補佐にどうかと思うておる」 あっさりと破顔した。 「それがしが留守居部屋に?」 「さよう、『問わずがたり』の2でもちらりと申したであろう?」 殿がしかとうなずいた。 考えてもみなかった。 十四で出仕して以来、自分はずっとお側仕えだと思うていたし、何の不満もなかった。 いまひとつ、右近さまの補佐といえば既に添役の小野田がいる。 なかなか有能な男だと聞いているが一一。 「まあよい、案ずるな。先の話ではあるし、気ばたらきのできる添役が二、三人欲しいそうじゃ。右近がそう申しておった。小野田以外はあまり使えぬらしい」 「さように…ござりますか」 ご不興を買ったわけではないと知り、とりあえず私は胸をなで下ろした。 私は殿をお慕いしているし、お側仕えの日々が楽しくもあったが、敬愛する右近さまの補佐にと言われ、正直胸が高鳴った。あの『鬼平』に仕える『木村忠吾』のように、右近さまと日々行動を共にし、右近さまの手足となって働く。 『うさぎ、供をせい』 (仙之丞:渋い中村吉右衛門さんの顔と、右近さまの顔を勝手に入れ替え、「うさぎ」を「仙之丞」と読み替えて妄想) くうう。な、なんと心踊る話だろう。 右近さまの仰せとあらば、盗賊宿であろうが、怪しい茶屋であろうが、何処へなりとも参りますとも! (あああ、たまらぬ!) されど右近さまの役宅に住まうとなると…私には別の懸念もあった。 「何じゃ、浮かぬ顔だな」 殿が小首をかしげた。 「そ、それは…」 「申してみよ」 (…私は未熟ものゆえ、右近さまとひとつ屋根の下で暮らすなど、己を押さえられぬやもしれませぬ) 殿はお察しくださるやもしれぬが、面と向かって口にできる言葉ではなかった。 (いかぬ、少し想像しただけで下帯がきつくなってきた一一) 先程の浮かれ顔から一転、私が伏目がちに押し黙っていると、 「案ずるな。右近はそちにやすやすと組み敷かれる男ではないわ」 殿は余裕の笑みを浮かべた。 私ははっと面を上げ、 「確かに…仰せの通りにござりますが!」 ぽろりと認めてしまった。 慌てて口を押さえたがもう遅い。 殿が喉をならして笑った。 (やはり…お見通しか) なれど、さようにバカにせずともよいではないか一一。 私とて一人前の男だ。もはや背丈も肩幅も、私のほうが右近さまより大きいのだぞ。 軽々とは言うまいが、抱き上げることだって…できるやもしれぬ。 例えばだ。 部屋中に書を広げたまま、右近さまが疲れて居眠りをしている。 「もし、右近さま。斯様な所でうたた寝なさってはいけませぬ」 肩を軽く揺すると、 「ふむ…」 右近さまは寝ぼけ眼でぼんやりと私を見る。 私は右近さまを抱き起こしながら、 「きちんとお布団でお休みくださいませ」 と、どさくさに紛れてお姫さまだっこだ。 どうだ、雄々しいだろう。 そのまま布団まで連れていき、添い寝もまた楽し一一。 私はむくれながらも、ささやかな空想に耽っていた。 もしくは。 わくわく湯殿タイムじゃ。 表で老僕の仁平が汗をふきふき、かまに薪をくべ、湯加減を調節している。 『右近様、お湯加減はいかがで?』 『ふむ、ちょうどいい。いつもすまぬな、仁平』 『へい・』 ふん。右近さまは何故か爺(じじい)に優しい。 お小さい頃父上を亡くし、お母上も病弱。ほとんど爺やに育てられたと聞くが…。幼少期のすり込みとは恐ろしいものじゃ。 なれど私とて、色々と右近さまのお役にたちたいとおもう。 そう、もっと身近な、肌の触れそうな距離で。 私は襷がけで糠袋片手に湯殿の前に立ち、引き戸の外から声をかける。 「右近さま」 ぽちゃりという湯の音とともに、 「なんじゃ」 右近さまがけだるそうに答えた。 「お背中をお流ししますっ」 引き戸に鼻をぶつけそうなくらい、前のめりになって尋ねたが、 「いらぬ。ひとりでのんびり入りたい」 軽く右近さまに流された。 「なれど、ご自分で背中は洗いにくうございましょう?」 「うるさいのう。ごしごしやらずとも、湯に入れば十分じゃ」 右近さまの声に棘が混じり始めた。 私はそれでも負けじと知恵を絞った。 「殿が一一」 大きく息を吸い、 「よう磨いておけと仰せです」 吐く息とともに言切った。 この際、親でも主人でも利用させてもらう。 右近さまも主命には逆らえまい。 (どうよっ) 私は引き戸の前で拳を振り上げた。 右近さまは一瞬聞き入っていたが、 「過日…もはやその必要はなしと、申し上げた」 何やら深刻な声で低く呟いた。 「な、なんですと?」 必要なしとはいかなる一一? それがしは何も聞いておりませぬぞ!? 「言うた通りじゃ。もはや殿に肌を見せることはない」 「ええええええ一一っ」 糠袋を握りしめ、私は思いきり引き戸を開けた。 「ご冗談を。それがしをたばかるおつもりですかっ!」 鼻息荒く尋ねれば、 「わめくな仙之丞!」 右近さまの怒号が湯殿に響きわたった。 「そ、そりは、殿とはもうあんなこともこんなこともしないという、お褥御辞退宣言ですか?!」 未だ信じられぬ私に、 「さよう」 右近さまが眉を寄せ、極めて不快そうに呟いた。 私は糠袋をぎゅうと握りしめ、ぷるぷると首を左右に振った。 殿が納得されたとは到底思えぬが一一。 浅間山と富士山が一度に噴火することはあっても、それだけはないだろう。 ならば、右近さまが一方的に殿にそうおっしゃったのだろうか。 (ううむ…) されど…待てよ。 右近さまが殿のお情けを受ける身でなくなれば、それはもしや、フリーという意味で?! こ、この私にも一回や二回、チャンスがあるということか? 私が興奮のあまりと二の句がつげずにいると、 「それと、仙之丞」 「は、はい〜っ?」 『右近さまフリー』の予感に、声までひっくり返ってしまう。 私は湯につかる右近さまを食い入るように見つめた。 右近さまは一瞬神経質そうに唇の端を上げ、 「おことの…さように血走った目で背中を流されても、心地よくも何ともない」 湯気も一気に冷めそうな声音で言った。 「血走った目など、しておりませぬっ」 思わず言い返したものの、やましさが声に滲み迫力を欠いた。 案の定、右近さまはすっと目を細め、 「鏡を見てみろ、未熟ものめ。雑念まみれならば、道場で滝川師範に稽古でもつけてもらえ!」 逆に説教される仕儀とあいなった。 くうう、本日の妄想劇場もここまでか一一。 * 殿が扇を閉じる音に、私は夢から覚めた。 「右近の役宅で暮らす件、よいな、仙之丞」 殿に真摯な声音で念を押され、 「殿お……」 私は内心慌てふためきながらも、否とは言えない。 殿は満足そうにうなずき、 「誰よりもそちを信じておる。そちなら身を呈して右近を守るだろう」 「殿?」 「ちがうか?」 そこまでの信頼をこの私に一一。思わず胸がつまり、私は瞳を潤ませて殿を見上げた。 「しかと申し付けたぞ、仙之丞」 翌日、私は荷車に荷物を積み、「正式に」お側仕長屋から右近さまの役宅へと引っ越してきた。好奇心からなのは見え見えだったが、右近さまの部下、留守居役・添役の小野田が手伝いを申し出た。 小野田は身の丈六尺(180cm)あまり、襷がけでやる気満々だ。老僕の仁平がていねいに私の部屋を掃除した後、小野田が家財道具を運びこんだ。道具といっても文机に箪笥に衣類くらいのものだが、マッチョな小野田は嫌味なほど軽々と運び、あっというまに引っ越しは終わった。 「雑作をかけ申した」 『出しゃばりおって』と内心思いながらも、そこは接待要員の元お小姓。私は社交用の笑みで礼を言った。 小野田は浅黒く、眉の濃い顔をくしゃりと歪めた。 「櫻田様の警護なら、それがしが買ってでましたのに」 「小野田殿には右近様外出の際、しかと周囲に目を光らせるようお願い申し上げる」 私はつとめて胸をはったが、 (くそっ…まるで秋田犬に対峙する座敷犬のようじゃ) 腕力ではこの偉丈夫にかなわぬことくらい、わかっている。 「おまかせくだされ」 小野田はゆったりと一礼した。 「しかし御小姓頭の平岡殿では、いざというとき、頼りになりませぬのう」 「御小姓頭ではなく側用人じゃ」 訂正しつつ、豪快に笑う小野田に合わせたが、 「確かにのう。こやつ、前髪の頃には大刀が重いと、脇差一本しか帯びておらなんだのだ」 右近さままでが快活な声な笑い声をたてた。 それでは私の立場がない。 「それは十年も昔の話にござる!」 小野田はさもおかしそうに腹をゆすり、 「平岡殿も少しは身体を鍛えられよ。よろしければご指南いたす」 「ご親切…痛みいります」 右近さまの手前、私は悔しさを堪えて頭を下げた。 「小野田、それくらいにしておけ」 ようやく右近様の助け船が入った。 (こいつは…好かぬ!) 犬猿の仲とは、自分と小野田のことを言うのだろうと、私は歯がみした。 かくして殿の全幅の信頼を受けながらも、私、平岡仙之丞の煩悩と闘う、楽しくも辛い日々が始まった。 |
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