第三回
(副題:らぶらぶ同居ライフ?)




by 戸田采女


(本作品は時系列的には浄夜三の巻『邪眼』の直後です)

 右近さまが本復して数日後、殿は私に御側仕長屋を出て、今後、右近様の役宅で暮らすよう申し付けた。

 私は一瞬耳を疑った。

 当惑する私に、
「右近のやつ、余がかほどに案じておるのに、警護の者も増やさぬ、中奥で寝起きするのも嫌じゃと拒みおった」
「なれど、それがしと右近様はお役目も異なり…」
藩邸では役目ごとに割り振られた長屋に住まうのが決まりだ。
お側仕えの私が留守居役の右近様と同居など、掟破りも甚だしい。

「つべこべ言うな。藩主の命じゃ」
「殿?!」
「誰ぞ気のつく者が側におらねば…いくら爺(堀田又座右衛門)の紹介とはいえ、老僕の仁平とやらだけでは心もとない」

 なるほど。殿のお気持はよくわかる。何せ愛する右近さまが毒を盛られたのだ。叶うなら、ご自分が四六時中側に貼り付いて守ってやりたいのだろう。

 なれど、私が右近さまと暮らす?
 
 美味しすぎて眉に唾する話だったが一一。

「…それがしなどでお役にたつのでしょうか」
「余が選んだのじゃ、自信をもて」
「なれど一一」
「母屋に他の人間がおるだけで、多少なりとも牽制になるだろう」
殿は一旦言葉を切ると、
「いまひとつ。いずれ…そちの側用人の任を解くやもしれぬ」

(な、なんと?!)

 心臓がどきりと跳ね、
「そ、それがしに何か重大な落ち度がございましたでしょうか?!」
私は咳き込むように尋ねた。

(『お役御免』ということか?!やはり先日(邪眼2)出過ぎたことを申し上げたのが原因か…)

 殿はしばしの間、無表情に私の顔を眺めていたが、
「ばかもの。すぐにではないがな、いずれ留守居部屋へ移し、右近の補佐にどうかと思うておる」
あっさりと破顔した。
「それがしが留守居部屋に?」
「さよう、『問わずがたり』の2でもちらりと申したであろう?」
殿がしかとうなずいた。

 考えてもみなかった。
十四で出仕して以来、自分はずっとお側仕えだと思うていたし、何の不満もなかった。
いまひとつ、右近さまの補佐といえば既に添役の小野田がいる。
なかなか有能な男だと聞いているが一一。

「まあよい、案ずるな。先の話ではあるし、気ばたらきのできる添役が二、三人欲しいそうじゃ。右近がそう申しておった。小野田以外はあまり使えぬらしい」
「さように…ござりますか」
ご不興を買ったわけではないと知り、とりあえず私は胸をなで下ろした。

 私は殿をお慕いしているし、お側仕えの日々が楽しくもあったが、敬愛する右近さまの補佐にと言われ、正直胸が高鳴った。あの『鬼平』に仕える『木村忠吾』のように、右近さまと日々行動を共にし、右近さまの手足となって働く。

『うさぎ、供をせい』

(仙之丞:渋い中村吉右衛門さんの顔と、右近さまの顔を勝手に入れ替え、「うさぎ」を「仙之丞」と読み替えて妄想)

 くうう。な、なんと心踊る話だろう。
右近さまの仰せとあらば、盗賊宿であろうが、怪しい茶屋であろうが、何処へなりとも参りますとも!

(あああ、たまらぬ!)

 されど右近さまの役宅に住まうとなると…私には別の懸念もあった。
「何じゃ、浮かぬ顔だな」
殿が小首をかしげた。
「そ、それは…」
「申してみよ」

(…私は未熟ものゆえ、右近さまとひとつ屋根の下で暮らすなど、己を押さえられぬやもしれませぬ)

 殿はお察しくださるやもしれぬが、面と向かって口にできる言葉ではなかった。

(いかぬ、少し想像しただけで下帯がきつくなってきた一一)

 先程の浮かれ顔から一転、私が伏目がちに押し黙っていると、
「案ずるな。右近はそちにやすやすと組み敷かれる男ではないわ」
殿は余裕の笑みを浮かべた。

 私ははっと面を上げ、
「確かに…仰せの通りにござりますが!」
ぽろりと認めてしまった。
慌てて口を押さえたがもう遅い。
殿が喉をならして笑った。

(やはり…お見通しか)
 
 なれど、さようにバカにせずともよいではないか一一。
私とて一人前の男だ。もはや背丈も肩幅も、私のほうが右近さまより大きいのだぞ。
軽々とは言うまいが、抱き上げることだって…できるやもしれぬ。

 例えばだ。

 部屋中に書を広げたまま、右近さまが疲れて居眠りをしている。
「もし、右近さま。斯様な所でうたた寝なさってはいけませぬ」
肩を軽く揺すると、
「ふむ…」
右近さまは寝ぼけ眼でぼんやりと私を見る。
私は右近さまを抱き起こしながら、
「きちんとお布団でお休みくださいませ」
と、どさくさに紛れてお姫さまだっこだ。
どうだ、雄々しいだろう。
そのまま布団まで連れていき、添い寝もまた楽し一一。

 私はむくれながらも、ささやかな空想に耽っていた。

 もしくは。

 わくわく湯殿タイムじゃ。
表で老僕の仁平が汗をふきふき、かまに薪をくべ、湯加減を調節している。
『右近様、お湯加減はいかがで?』
『ふむ、ちょうどいい。いつもすまぬな、仁平』
『へい・』

 ふん。右近さまは何故か爺(じじい)に優しい。
お小さい頃父上を亡くし、お母上も病弱。ほとんど爺やに育てられたと聞くが…。幼少期のすり込みとは恐ろしいものじゃ。
 
 なれど私とて、色々と右近さまのお役にたちたいとおもう。

 そう、もっと身近な、肌の触れそうな距離で。

 私は襷がけで糠袋片手に湯殿の前に立ち、引き戸の外から声をかける。
「右近さま」
ぽちゃりという湯の音とともに、
「なんじゃ」
右近さまがけだるそうに答えた。
「お背中をお流ししますっ」
引き戸に鼻をぶつけそうなくらい、前のめりになって尋ねたが、
「いらぬ。ひとりでのんびり入りたい」
軽く右近さまに流された。
「なれど、ご自分で背中は洗いにくうございましょう?」
「うるさいのう。ごしごしやらずとも、湯に入れば十分じゃ」
右近さまの声に棘が混じり始めた。

 私はそれでも負けじと知恵を絞った。

「殿が一一」
大きく息を吸い、
「よう磨いておけと仰せです」
吐く息とともに言切った。
この際、親でも主人でも利用させてもらう。
右近さまも主命には逆らえまい。

(どうよっ)

 私は引き戸の前で拳を振り上げた。
右近さまは一瞬聞き入っていたが、
「過日…もはやその必要はなしと、申し上げた」
何やら深刻な声で低く呟いた。

「な、なんですと?」
必要なしとはいかなる一一?
それがしは何も聞いておりませぬぞ!?

「言うた通りじゃ。もはや殿に肌を見せることはない」
「ええええええ一一っ」
糠袋を握りしめ、私は思いきり引き戸を開けた。
「ご冗談を。それがしをたばかるおつもりですかっ!」
鼻息荒く尋ねれば、
「わめくな仙之丞!」
右近さまの怒号が湯殿に響きわたった。
 
「そ、そりは、殿とはもうあんなこともこんなこともしないという、お褥御辞退宣言ですか?!」
未だ信じられぬ私に、
「さよう」
右近さまが眉を寄せ、極めて不快そうに呟いた。
私は糠袋をぎゅうと握りしめ、ぷるぷると首を左右に振った。

 殿が納得されたとは到底思えぬが一一。
浅間山と富士山が一度に噴火することはあっても、それだけはないだろう。
ならば、右近さまが一方的に殿にそうおっしゃったのだろうか。

(ううむ…)

 されど…待てよ。
右近さまが殿のお情けを受ける身でなくなれば、それはもしや、フリーという意味で?!
こ、この私にも一回や二回、チャンスがあるということか?

 私が興奮のあまりと二の句がつげずにいると、
「それと、仙之丞」
「は、はい〜っ?」
『右近さまフリー』の予感に、声までひっくり返ってしまう。
私は湯につかる右近さまを食い入るように見つめた。

 右近さまは一瞬神経質そうに唇の端を上げ、
「おことの…さように血走った目で背中を流されても、心地よくも何ともない」
湯気も一気に冷めそうな声音で言った。
「血走った目など、しておりませぬっ」
思わず言い返したものの、やましさが声に滲み迫力を欠いた。
案の定、右近さまはすっと目を細め、
「鏡を見てみろ、未熟ものめ。雑念まみれならば、道場で滝川師範に稽古でもつけてもらえ!」
逆に説教される仕儀とあいなった。

 くうう、本日の妄想劇場もここまでか一一。

                      *

 殿が扇を閉じる音に、私は夢から覚めた。

「右近の役宅で暮らす件、よいな、仙之丞」
殿に真摯な声音で念を押され、
「殿お……」
私は内心慌てふためきながらも、否とは言えない。
殿は満足そうにうなずき、
「誰よりもそちを信じておる。そちなら身を呈して右近を守るだろう」
「殿?」
「ちがうか?」

 そこまでの信頼をこの私に一一。思わず胸がつまり、私は瞳を潤ませて殿を見上げた。

「しかと申し付けたぞ、仙之丞」


***


 翌日、私は荷車に荷物を積み、「正式に」お側仕長屋から右近さまの役宅へと引っ越してきた。好奇心からなのは見え見えだったが、右近さまの部下、留守居役・添役の小野田が手伝いを申し出た。

 小野田は身の丈六尺(180cm)あまり、襷がけでやる気満々だ。老僕の仁平がていねいに私の部屋を掃除した後、小野田が家財道具を運びこんだ。道具といっても文机に箪笥に衣類くらいのものだが、マッチョな小野田は嫌味なほど軽々と運び、あっというまに引っ越しは終わった。

「雑作をかけ申した」
『出しゃばりおって』と内心思いながらも、そこは接待要員の元お小姓。私は社交用の笑みで礼を言った。
小野田は浅黒く、眉の濃い顔をくしゃりと歪めた。
「櫻田様の警護なら、それがしが買ってでましたのに」
「小野田殿には右近様外出の際、しかと周囲に目を光らせるようお願い申し上げる」
私はつとめて胸をはったが、

(くそっ…まるで秋田犬に対峙する座敷犬のようじゃ)

 腕力ではこの偉丈夫にかなわぬことくらい、わかっている。

「おまかせくだされ」
小野田はゆったりと一礼した。
「しかし御小姓頭の平岡殿では、いざというとき、頼りになりませぬのう」
「御小姓頭ではなく側用人じゃ」
訂正しつつ、豪快に笑う小野田に合わせたが、
「確かにのう。こやつ、前髪の頃には大刀が重いと、脇差一本しか帯びておらなんだのだ」
右近さままでが快活な声な笑い声をたてた。

 それでは私の立場がない。

「それは十年も昔の話にござる!」

 小野田はさもおかしそうに腹をゆすり、
「平岡殿も少しは身体を鍛えられよ。よろしければご指南いたす」
「ご親切…痛みいります」
右近さまの手前、私は悔しさを堪えて頭を下げた。

「小野田、それくらいにしておけ」
ようやく右近様の助け船が入った。

(こいつは…好かぬ!)

 犬猿の仲とは、自分と小野田のことを言うのだろうと、私は歯がみした。

 かくして殿の全幅の信頼を受けながらも、私、平岡仙之丞の煩悩と闘う、楽しくも辛い日々が始まった。 

おわり






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