
| by 戸田采女 |
本作は時系列的には浄夜八の巻「行く春」第一話前半と同時期です。 「ぜひ一度ご覧下さりませと』 近江屋に強く勧められ、お年寄の藤江も二つ返事で承諾した。 側室選びに最初から関わる天満屋も、仲間外れは業腹なのか、自分も『染』を見に来るという。 近江屋は、生け花の稽古に出かけた染を、甘味処の二階から観察する作戦をたてた。 四人で卓を囲み汁粉をすすりながら、待つこと半刻(一時間)。 往来を三人の町娘らが花を抱えて歩いて来た。 「来ました、あの小柄な左端の娘にござります」 近江屋が弾んだ声で窓の下を指差した。 手はず通り、近江屋の手代が染に声をかけ、世間話をして引き止めた。 藤江と天満屋は往来を見下ろし、染を頭のてっぺんから爪先までガン見した。 やがて娘たちが甘味処の窓の下を通り過ぎ、我々がその背を見送った後、 「ご冗談を」 と、藤江がため息混じりに首を振った。 天満屋はこめかみに手をあてて沈黙。 だが私は改めて染の姿を見て、別のことを考えていた。 (あの娘…目が誰かに似ていると思ったが) (そういえば…殿は以前、『三郎似のかわゆい女子なら』とか口を滑らしたことがあったな) 三郎の方がずっと整った顔だが、あの黒目がちの瞳で『殿様、殿様』と懐いてこられたらーー。惣一郎は一見猫好きのように見えるが、実は忠義な犬も大好きなのであった。 (これは案外いけるやもしれぬ。近江屋の眼力も侮れぬな…) さて、藩邸に戻った我々は、早速、奥の藤江の部屋で談合した。 「近江屋さん、今日という今日は呆れましたね」 まずは天満屋が口火を切った。 「あり得ませんね。殿のお相手は、その昔は久喜萬字屋の夕霧、そして今は家中一、いや関東一の美男殿。近江屋さん、あの面食いの殿がお気に召す訳ないでしょう?!」 「いえいえ天満屋さん、あなたこそ殿の男心をわかっておられません」 「何ですと?」 「こないだもほれ、ちょっと見、右近様に似た娘を探してきたはいいが、殿はえらく御不興ではありませんでしたか?」 「それはーー」 痛いところを突かれ、天満屋は悔しそうに押し黙った。 勢いづいた近江屋は、 「中途半端に美しい女子など、殿は求めておりませぬ」 何やら自信たっぷりに言った。 「藩主として、気疲れの多い日常をお慰めする、愛嬌のある娘が何より」 「そなたの言うことも一理あるか…」 意外にも藤江が同意した。 近江屋は我が意を得たり、とばかりに、 「手前も始めは見目よい町娘を探しており、染は奉公はともかく、側室にとは考えておらなんだのですが…ま、瓢箪から駒ということもありますし」 膝を乗り出した。 天満屋は相変わらず仏頂面だが、もはや反論する気が失せたらしい。 ややあって藤江が、 「平岡殿はいかがおもう?」 私に意見を求めてきた。 「そうですなあ…」 確かに悩むところだが、ここらで一度変化球を投げて見るのもよいか、と私は思い始めていた。 何せライバルは右近様である。 美しさではどの道勝ち目はないのだから、別の存在意義があった方がよい。 愛嬌に加えて、染は絵の心得がある。それもなかなかの腕前らしく、染が挿絵を描いた赤本(童子向け絵双紙)を近江屋が出版しているらしい。おお、これはほとんど同業者ではないか。 まこと、近江屋の言う通り、中途半端に見目よい娘など、殿は面白くもなんともないだろう。 私は腹を決めて、にこやかに面を上げた。 「ここは一番、賭けに出てみてはいかがでしょう」 「平岡様、正気ですか?」 天満屋は呆れ顔で私を見た。 「殿のご不興を買っても知りませぬぞ」 「それを恐れていては、埒があきませぬ」 我ながら剛毅な台詞が口をついて出た。 「なれど、ひとつ気がかりがある」 と、藤江が割って入った。 「あのように小柄で立派な御子が産めるのか?」 (やはり、そこが一番心配か) 藤江にとって、いや、側室探しそのもの至上命題は、お世継ぎ誕生なのだ。 「ご安心くださりませ」 と、近江屋がえびす顔で請け負った。 「なに、痩せているわけではございませぬ。童子の頃から、風邪ひとつひかぬ丈夫な娘と聞いておりますぞ」 藤江は肩で息をつき、 「ならばよい。試してみるか、平岡殿?」 藁にもすがるような瞳で私を見た。 藤江がそう言うのなら、もはや差し障りはないだろう。 「それがよろしいかと」 私は藤江に向かい一礼した。 「お国入りまで余り日もござりませぬ。近江屋、ふた親と相談の上、染を近日中に屋敷に連れて参れ」 「かしこまりました!では早速」 近江屋は高らかに声をあげ、芝居がかった所作で平伏した。 近江屋の行動は素早く、季節が梅から桃へと移ろう頃、染は藩邸で奉公を始めた。 あからさま過ぎないかと思われたが、奥に入って間もなく、染は湯殿の係に任命された。 しかし、あれほど教えられたにも拘らず、 「さっさと拭いてしまわねば、殿様が湯冷めいたします!」と 湯から上がった惣一郎の身体をごしごし拭いて、藤江に大目玉をくらったそうな。 公方様のように帷子を何枚も用意して、取っ替えひっかえ着せかけて水気を取る、とまでは言わないが、柔らかい布をそっと押し当てて、身体の水気を取るのが、わが藩の作法だった。 (最初から笑わせてくれるのう) 案の定、怒るどころか殿の反応は悪くなかった。 「何じゃ、あの狆のような腰元は?」 「おお、早速お目に止まりましたか?」 「目に止まったというか…変わった娘じゃと思うて。町人の出か?」 「はい。近江屋の紹介にござります」 「名はなんという?」 (おお、ようやくそこまで漕ぎ着けたか!?) 私は内心しめしめと思いながら、真顔で続けた。 「菓子舗の娘で『染』と申します。ふた親が行儀見習いのため、屋敷奉公をと申しまして」 「さようか」 殿は片手で顎を撫でさすった。 「近江屋の話だと、少しばかり絵を描くようですぞ」 「ほう」 「この染という娘。実は殿の絵にいたく感心し、当家への奉公を希望した次第で」 「え"?」 よもや四十八手枕絵ではあるまいなと、殿のぎくりとした様子が見てとれた。 「まさか。江戸名所図鑑のほうでござります」 「であるか」 殿が安心したように目尻を下げた。 「一度、絵をお描きになる時、見学させてやってはいかがですか?」 「それは構わぬが」 「では早速、染に伝えておきます。喜びまするぞ!」 声が妙に積極的だったのか、殿は私を訝しげに見た。 「よもや…あの狆が」 ほとんど聞きとれぬくらいの声で、 『側室候補ではあるまい?』と続いた。 殿はなおもまじまじと私を見つめている。 笑い出したいのを堪え、 「なにか?」 私はできる側用人の顔でクールに応えた。 「…いや、なんでもない。よきにはからえ」 「ははっ」 平伏する私を前にし、白扇を開いたり閉じたり。 何やら落ち着かぬ殿であった。 |
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