第二回
(副題:殿の夢)




by 戸田采女


 世はなべて事もなし。

 五月ぼけの季節、殿と私は中奥の縁側でまーたりと碁を打っていた。

「ところで殿」
「うむ…」
「及ばずながらこの平岡仙之丞、殿の『自由時間』の過ごされ方を色々と考えてみました」
「そのようなこと、案じてもらわずとも今のままで十分じゃ」
殿は真面目に次の一手を考えているらしく、
「お城勤めと絵の創作で、余は十分に多忙である」
半ば上の空で呟いた。
「まあそう申されずとも。まずは世に埋もれた学者を探し、結城家の侍読として召し抱えるのはいかがでしょう」
「よきにはからえ」
相変わらず適当に答える殿に、私は淡々と続けた。
「今の殿御自身を磨くことに加え、その者が後世に名を残す学者ともなれば、登用した殿の慧眼もまた、後々の世まで語り継がれましょう…」
「おい…」
殿はようやく黒石を手にしたまま、顔を上げた。
「余は別に歴史に名を残す気などないぞ」
何やら嫌な予感がするのか、殿は頬を強張らせた。

 右近様が留守居役に就いて以来、私は名実ともに殿の一の側近となった。右近様からも殿を思う存分躾けるよう許可をもらっている。敬愛する右近様の期待に応えるべく、私は殿の『名君改造計画』に並々ならぬ意欲を持っていた。

 ところが殿は意外な反撃を繰り出した。
「のう仙之丞。そなたさほどに弁がたつなら、いずれ右近に代わって留守居役を勤めてはいかがじゃ?」
「は?」
このお方は…。
駄馬だ迷君だと内心侮っていると、決まってこちらの意表をつく。
「私が…留守居役ですと?」
「うむ」
殿は大真面目な顔でうなずいた。
「そうじゃ、やはりそのほうがよい」
「殿!?」
「そなた、宴会関係は得意であろう?」
「はあ…」
苦手とはいいませぬが一一。
「そもそも右近は宴席なぞ大嫌いなのだ。それを余が藩主として恙無く勤められるようにと、無理をしておる」
「いや、それは…」
「余のために、時には鼓を打って下手な謡いに合わせたり、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、すべては藩主たる余のためと堪えて、どこぞ親爺に手を握らせることも…くくくっ」
「殿…それはちと(妄想が過ぎるのでは)」
「うむ…右近はもしや学者になりたかったのやもしれぬ。早々に俗っぽい留守居の仕事からは解放し、余の側用人として仕える傍ら、学問を極めるのもよいではないか」
「も、もしもし?」
「侍読など外から雇わずとも結城家には右近がおる! 右近が膝枕を貸しながら、四書五経を講じてくれると言うのなら、余は毎日でも拝聴しようぞ」

 冗談のつもりで言った言葉に、殿は何か閃いたようだ。
「ふむ。よいなあ…この計画」
にんまり笑って顎を撫でさすった。

 右近→学者→膝枕

 キーワードの連鎖が殿の脳内で起こり、妄想劇場の幕が上がった。

 ああ、こうなるともう手がつけられない。

「仙之丞、たとえばこんな筋書きはいかがじゃ!」
殿は嬉々として語り始めた。




 ともかく一日も早く隠居する。何が何でも隠居じゃ。窮屈な屋敷を出て、近江屋(枕絵の版元)に申し付けて小体な寮でも借りよう。右近は市井の学者、余はその亭主?で絵師。危な絵をばんばん描いて稼ぎ、右近に古今東西の貴重な書物を買い漁ってやる。おお、これこそ包容攻めのあるべき姿。

 そうじゃなあ…タイトルは『惣一郎夢日記』!

 ふむ、何やら似たような語感のTV時代劇があったが…まあよい。名君は細かいことにこだわらぬもの。

 さてさて、奥の間には三段重ねの絹布団が万年床状態。
もちろん右近は毎朝一度片付けるのだが、私が昼寝と称してすぐに出してしまうのだ。
ああこの自堕落さが絵師らしゅうてたまらぬ。

 着流し姿で布団の上に寝転び、わざと昼間から右近を誘ってみる。
右近はいつもの通り、書見台の前でぴーんと背筋伸ばして座っている。
毎日毎日、よくも飽きぬものじゃ。

「右近、書にかじりつくのはそれくらいにして、早うこちらへ参らぬか」
「お戯れを。まだ陽が高うこざります」
うむ。
ぴしりと退けられても、それは毎度のこと。
余も今さら凹んだりはせぬ。
「かたいことを申すな。もはや藩主と留守居役ではないのだ。好きなときに睦み合うて何が悪い」
「時と場所をわきまえぬ交わりは、犬畜生と同じにござります」
「ぐっ‥。余は犬並みか…」
「はい、それも極め付けの駄犬」
右近は三十過ぎても美しい顔でくすくす笑い、
「そんなにお暇なら茶々丸相手に三味線の稽古でもなされませ」
と、軽く私をあしらう。
(茶々丸とは我らの飼い猫じゃ)

 市井の暮らしでも、きっと斯様な毎日に違いない。が、それもまた楽し…じゅるり。

 右近は習い子の手前、品行方正なふりをしておるが、ひとたび閨に引き摺りこんでしまえばこちらのもの。

 人目が気になる藩邸とは違い、町家では右近も誰憚ることなく、声も上げ放題じゃ…もごもご。

 碁盤攻めか淀の水車、今宵はどんな趣向で参ろうか…。

 そうじゃなあ、一度『お店ものごっこ』もしてみたい。
美しく真面目な手代を蔵に連れ込み、無体を働く骨董屋の隠居…おお、萌えるのう。

 白髪のヅラとちゃんちゃんこも用意してじゃな。

 手代が真面目に棚の品を調べているところ、後ろから羽交い締めにするのじゃ。
まずは懐に手を入れて、乳首を嬲る。
『お、大旦那様、何をなさいますっ!』
手代の手から大福帳がばさりと落ちた。
すかさず着物の裾を割り、前を握り込んでしまえばこちらのもの。
町人は袴もつけておれらぬゆえ楽勝じゃ。
『よいではないか。見事儂を喜ばせたら、おまえに暖簾わけをしてやろう』
ほれほれいかがじゃ、とか言いながら、やわやわと袋を揉んでやる。
『あっ…ああ、そのような浅ましいこと、て、てまえは…っ』
『ん? てまえは何じゃ? どれ、ずいぶんと息が上がってきたようだが?』
『うぅ…あん、お、おおだんな…さまぁ…』
『おおおお、かわいいのう。ほれ、じっくり可愛がってやるゆえ、そこの長持の上に…』




 うっとりと宙を見つめ涎を垂らさんばかりの殿に、私は溜息を洩らした。

(ああ、またもや、右近さまをおかずにあんなことや、こんなことや…)

 妙に生々しく共感できる自分も自分だが。

 殿はすっかり対局のことなど忘れてしまったらしい。
碁盤に身を乗り出して嬉しげな声をあげた。
「いかがじゃ、仙之丞! 『青嵐』が終わった後はこれに決まりじゃな」
「なにをたわけたことを。『青嵐』の後さらに一作、本編は続きますぞ。それで今度こそ打止めのようです」
「なに?! 『青嵐』の最後はすっかり終わりの雰囲気じゃったが…」
「甘い!」
私は碁盤の上に勢い良く両手をついた。
白黒の碁石があたりに音をたてて飛び散った。
「大坂へとんずらした内藤帯刀、弥一郎と彩之介のその後を知りたい読者様もおられますぞ!」
「なれどきゃつらは脇役であろう。どうでもよいではないか、内藤のその後なぞ…」
「いいえ、内藤様だけではござりませぬ」
「殿にはまだまだ大事なお役目が」
「はて…」
「胸に手をあてて考えてご覧なされ」
殿は言われた通り、思案顔で胸に手をあてた。
「ううむ…。裏でひと暴れするくらいしか思いつかぬ」
「何を愚にもつかぬことを…」
私は思わず眉を寄せた。
 
「殿。宝寿院様、いえ、家中待望のお世継ぎはいかがいたします!?」

 案の定、殿はわざとらしく頭を抱え、碁盤の上に突っ伏した。
「うううっ…仙之丞! 何やら頭が…卒中やもしれぬ。早う医師を呼べっ」
「下手な芝居はおやめなされ。殿、もはや崖っぷち。逃れられませぬぞ!」
「仙之丞ぉ〜〜。たのむ、そなたが替わりに作ってくれ!」
涙目で縋られても、こればかりは致し方ない。
「愚かなことを。以前から申し上げておりますでしょう? お世継ぎ誕生がなくば、右近様が方々からねちねちと苛められるのです」
「なに…?」
「…現に宝寿院様からは幾度かにわたって、奥へ呼ばれてお叱りを受けた御様子」
「は、母上が右近を?」
やはりお母上が恐いのか、殿はぶるりと身を震わせた。
「ともかく、お世継ぎを作らぬうちは隠居などありえませぬぞ」
「あうう…」

 あたりまえだ。
藩主の第一の責務は血を絶やさぬこと。
それを放棄して右近さまとしっぽり町家で暮らそうなど…。
羨ましすぎて鼻血が出そうだ。
そのような役目ならいくらでも替わって差し上げるのになあ…。

 と、こちらも思わず殿に習って妄想の自家発電を始めた。




 私だって右近さまとの長屋暮らしはあこがれだ。
いっそ海に近い、明るい町がよいなあ。
右近さまが書を読んだり書き物をなさる間、晩のおかずを暢達に釣りに出かけるのもいい。

 大切な大切な右近さま。

 掃除洗濯、家事は一切私がやろう。右近さまは料理もお上手だが、手の荒れるような水仕事はさせるまい。薪割りも水汲みも、右近さまと暮らせるなら力仕事だって喜んでやるぞ。

 たとえばこんなある日の午後。
『右近さま! 今日は良いお天気でしたから、布団がゆっくり干せました』
『うむ。よかったな』
『たっぷりとお日さまを浴びましたゆえ…』
『うむ』
『ふかふかにござりますっ!』
『さようか』
『ふかふかにござりますゆえ‥』
『…なんじゃ』
『早う、お試しくださりませ!』
『まだ昼間だが?』
『…ちょっとだけでも、お試しくださりませ』
私は俯いてぼそっと呟いた。

 右近様は『そういうことか』と苦笑され、ふわりと目元を和ませた。書を閉じて、すっと立ち上がり襖の向こうへ消える。ほどなく、するすると帯を解く音がした。右近様が小袖を脱ぎ捨て布団に横たわる気配を、私は全身で追っていた。思わず鼻息も荒くなる。

 右近様はほっと溜息を洩らし、
『おお…まさしくふかふかじゃ』
うっとりと呟いた。
『お、お気に召しましたかっ?!』
私は思わず前屈みになって、よろよろと襖のほうへいざってゆく。
すると唐紙の向こうから、しっとりと誘うような声が一一。

『仙之丞、そなたもはよう…』
は、はいただいまっ!
『こちらへ参らぬか…』
ではお言葉に甘えて、頂戴つかまつりますう〜!




「なれど綾は腹の底が知れぬのが不気味でな…。とても床を共にする気にはなれぬ」

 妄想も佳境に入ったところで殿のぼやきに邪魔をされた。
夜具の上、しどけない姿で私を誘う右近様のお姿が、しゃぼん玉のように消え去った。

「殿…いま何と?」
強烈にとげとげしい声が出た。
私は内心歯がみしながら殿と会話を続けた。
しかし些細なことにこだわら名君な殿は、ま〜たりと話し掛けてくる。
「綾ではその気になれぬと申したのだ」
「それはご正室様に対し、あまりなお言葉では…」
「どうしてもと言うなら、いっそ町家から奉公にあがっておる女中が気楽でよい。そうじゃな…、三郎に似た素直でかわゆい女子なら、余とて考えぬこともない。和子でもあげれば、お部屋様として家中でも大切にされるだろう」
「…なにゆえそこで三郎ぎみなのですか?」
「ものの例えじゃ。ともかく…腹に一物あるタイプは好かぬ」

 右近さまも十分腹に一物お持ちでしたが…。

 私は殿の御都合主義にひたすら呆れた。それにこの学習能力のなさはどうだ。三郎ぎみに似た側室など、信輝公の二の舞いではないか。綾姫様を第二の宝寿院様にするおつもりか。おおこわっ。

 右近さまのみならず、我ら近習も前途多難である。

 私は深い溜息を洩らしながら、
「わかりました。心掛けておきましょう…」
一の側近として、大人な対応でその場をおさめた。

 とにもかくにも、『惣一郎夢日記』など、お世継ぎ誕生まで始まるわけもなし。

おわり






TOP | 滑稽本書庫・目次



壁紙は『kigen』さんからお借りしています。


Copyright © 2006 戸田采女
All rights reserved.