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余が父上の跡を襲って早一年。
大名の仕事である、千代田のお城への登城も数えること数十回を超えた。行事や儀式ごとに面倒くさい決まり事があり、装束や胸紐の色まで、幕府からいちいち指図されるのじゃ。
ま、左様な役目は右近と仙之丞が完璧にやってくれるので、余は心配無用。
しかし毎回あの退屈さは何とかならぬものかと、内心思っている。余は石高多めの譜代大名であるからにして、登城して公方様に拝謁する際、『帝鑑間』に待機して順番を待つ。しかるにこの待機場所を『詰めの間』と呼ぶのじゃ。
今のところ、帝鑑間には御家門と譜代大名が六十家ほど属しているらしい。参勤交代で半分は国許に行っておるから、毎回およそ三十家ほどが詰めの間に集うことになる。家格によって『何畳目に座るか』席も決まっており、くっちゃべるのも左右とか、近くに座る諸侯とだけになってしまう。いつもの面子とのトークが盛り上がらなくても、どこぞの宴会のように、ビール片手に移動するわけにはいかぬのだ。
幸い、左隣は余の知己である阿部備中守なので、気が紛れて助かっておる。備中守は余より四、五歳年下で、今年(明和六年)家督したばかりだ。屋敷も近いので元服前から付き合いがあった。右近の前では大きな声で言えぬが、吉原に出入りしていた頃の、余の遊び仲間じゃ。
斜め後ろには郡山藩の柳沢美濃守様がいらっしゃる。この柳沢御大、吉保公の孫にあたるが、几帳面なお人で日記をつけておられる。俳諧や歌舞音曲をよくし、風雅の道に通じたお方だ。余もあのように年を重ねたいものだ。
前の方には小田原藩の大久保様、御家門の方々のお席が設けられておる。
詰めの間でのイベントは、諸侯との歓談と昼時に弁当を食すこと。備中(阿部)とは時々菜(おかず)を交換したりしている。帝鑑間の譜代大名は皆そこそこの石高ゆえ、そこそこの弁当を持ってきておるが、小藩の外様大名の家中は、やれ倹約だの何だのとうるさいらしい。弁当の菜も漬け物とちっこい焼き魚一切れ、などという気の毒な藩主もおるそうな。
さてさて、斯様な退屈きわまりない城中で、しかしながら椿事は起こった。
明和六年、十月某日。
「山城守様」
名を呼ばれ、声の方を見やれば、御坊主の木阿弥がすり足でこちらへやってきた。
余の前まで来て畳に座ると、
「御留守居役の櫻田殿からです」
と、小紋の布で包んだ弁当を渡された。
台所の者が本日は弁当はいらぬと思っていたらしく、朝、出立の際、間に合わなかったのだ。
「よろしいですなあ。御留守居役が手ずから弁当をお持ちになるとは」
「右近が持ってきたのか」
「はい。今朝も麗しく♪」
木阿弥の口の端が、一瞬だらしなく緩んだ。
この坊主、絶対右近に気があるぞ。高山藩結城家の担当になった時、小躍りして喜んでいたらしい。右近も役目柄、御坊主は大事にせねばならぬから、笑顔を振りまき、付け届けなどしているという。内心アホらしいと思いつつも、きっと何もかも余のために我慢しておるのだ。
「主従仲睦まじゅうて、山城守様はお幸せものです」
木阿弥め、いつまでもくっちゃべってないで、早う失せろ。
周りでも諸侯がくすくす笑うておるではないか。
「木阿弥殿、ご苦労でござった。ささ、お忙しい身であろう、もう行かれよ」
余は一刻も早くこいつを追い払いたくて、ばか丁寧に一礼した。
隣の阿部備中は案の定、白扇を口元に当て、腹がよじれるほどの笑いを懸命に堪えている。
私は備中をひとにらみして立ち上がり、部屋の一角にある弁当置き場に包みを置きにいった。
*
そして待つこと一刻(二時間)。正午となり、待ちに待った弁当タイムが訪れた。
諸侯は銘々に弁当を開け、食し始めた。
余も本日は松茸飯か栗ご飯かと、期待しながら包みを開き、輪島塗りの弁当箱の蓋を開けると、
「あっ」
思わず後ろにひっくり返った。
なんと弁当箱の中身は空っぽだったのだ。
「いかがした、山城殿?」
後ろの柳沢様が前を覗き込んだ。
(しまった、見られたか)
このあり得ぬ事態、どう理解するかも問題だったが、どう取り繕うかがより大事だった。
余はすばやく蓋を閉め、再び小紋の布で包み直した。
「山城殿?」
周囲の諸侯も案じるような声で問いかけた。
「いや、朝、十分に食したゆえ、まだ余り腹が空いておりませぬ」
「お加減が悪いのか?」
親身なお尋ねに対し、
「大したことはござらぬが、少々胃の腑が・・」
苦しい言い訳をすると、後ろの柳沢様が助け舟を出してくれた。
「それはいかぬな、山城殿。あちらの御坊主部屋で休まれては。儂が付き添ってしんぜよう」
「まこと、面目ござりませぬが・・・」
とりあえず柳沢様の厚意に甘え、からくもその場を逃れた。
松の廊下近くまで遠ざかり、
「ご親切痛み入ります。ここからは一人で参れますゆえ」
余は丁寧に頭を下げた。
「なんのなんの」
柳沢様は破顔したが、急に真顔になって続けた。
「それより山城殿、申し上げたき儀がござる」
何やらただならぬ様子に、余は周囲をうかがった。
「半刻(一時間)ほど前に、遠江殿が弁当を持って御坊主部屋へ行かれたが…」
本当はNGなのだが、時々、早弁をする大名もいるらしい。
「それがなにか?」
「その弁当袋の柄が、山城殿のものとよく似ておりましての」
「では、遠江殿が間違ってお持ちになったと?」
「いや、証拠もなしにこう申しては何ですが…」
余は言い澱んだ柳沢様を目顔で促した。
「遠江殿は貴公の弁当に手を出さずにはおられなかったのでは?」
「はて、話が見えませぬが」
「山城殿はお気づきでないやもしれませぬが、遠江殿はな」
と、柳沢様がさらに一段声を落とした。
「あのように美麗な留守居役がおる、貴公が羨ましいのじゃ」
「まさかそのような・・・」
一応否定してみせたが、余は内心鼻高々…もごもご。
「遠江殿の態度を見ておれば、わかり申す」
「さようにございましたか。さすが年の功。柳沢様は慧眼でいらっしゃいますな」
「ふっふっふ」
まあ、とりあえず年長者はたてておいた方がよい。
遠江殿とは天ヶ崎藩の松平遠江守。二、三年前に家督し、確か右近と同い年だ。大人しい男で俳句なぞ詠むようだが、余と心易い付き合いはない。遠江守の席は、余の席から少し離れた斜め前だった。今朝の木阿弥とのやり取りは聞こえる距離だった。
気を良くした柳沢様は、にこにこと続けた。
「ましてや本日、留守居役殿が『手作り弁当』を持参と聞き、もはや辛抱ならんかったのじゃ」
(はて、手作りのはずはないが・・)
どこでそんな話になったかは知らぬが、ともかく、人の弁当を盗み食いするなど、大名にとってあるまじき所行じゃ。
(これは余への宣戦布告か?)
「いやはや褒められた話ではないが、辛抱たまらず手を出すとは、遠江殿もお若いのう。儂もあやかりたいものじゃ」
柳沢様の話がとんちんかんになってきた。
(おのれ遠江守の若造め)
これはただでは済まさぬぞ、と余は受けて立つ覚悟を決めた。
*
余は何食わぬ顔で帝鑑間へ戻り、
「少し歩いたらようなりました。ご心配には及びませぬ」
と、弁当を食す一座の方々と歓談を続けた。
四半刻後(三十分)、ちと所用がござりますゆえ、と座を抜けて、余は帝鑑間を退出した。
公方様へのご挨拶は済み、本日の御用はもう終わりじゃ。
木阿弥を呼ぶのも面倒で、余は自力で本丸玄関に向かい、首尾よく城を出た。
草履取りや挟箱持ちを従え下馬所まで戻ると、
「殿、おひとりで参られたのですか?!」
仙之丞が慌てて駆け寄ってきた。
「そのようなことはどうでもよい。仙之丞、これから皆を連れて立寄る所がある」
「いったいどちらへ?」
「天ヶ崎藩邸じゃ」
「何用にござります?」
「遠江殿からご招待を受けたのだ」
「遠江守様から?」
仙之丞は首をかしげながら、あたりを見回した。
「なに、遠江殿は所用がおありだとかで、先に屋敷に行っておくつろぎ下さいとのことだ」
「なれど、あちらのお留守居役からも何も聞いておりませぬが」
「くどいのう、つい先ほど、我らふたりの間でそういう話になったのだ。さっさと参ろうぞ」
これ以上、仙之丞に根掘り葉掘り聞かれてはまずい。
余は供の者たちに声高らかに呼びかけた。
「これ、皆の者。今から天ヶ崎藩邸に向かって出立じゃ。あちらでは皆にも振る舞い酒が出るそうだ」
これには陸尺や下士の者たちが、
「おお?!」
一斉に天高く拳を突き上げた。
熱狂した彼らに押し込まれるようにして、余は乗り物に乗り、行列は驚くべき速さで鉄砲洲の天ヶ崎藩邸を目指した。
*
「さあ、皆の者、ありがたい遠江守様のご招待じゃ。瀬戸内山海の珍味、存分に食すがよい。灘の生一本も飲み放題じゃ!」
高山藩結城山城守来訪となれば、天ヶ崎藩も門前払いではすまされない。
主人から何も聞いていないとはいえ、江戸家老も開門せざるを得なかった。
仙之丞たち側仕えはおかしいと思いながらも、お乗り物を担ぐ陸尺たちの余りの速さについて行けず、行列に遅れてしまった。鉄砲洲に着いた時には既に宴たけなわだった…。
午後、帰邸した松平遠江守は、家臣からとんでもない報告を受けた。
「あれよあれよと言う間に、結城山城守様御一行は台所へ乱入されまして、
『昼時で腹も空いておる、湯漬けにても振る舞われよ』
と、のたまう山城守を先頭に、お供の衆までも散々飲食して帰られました」
胸に覚えのある遠江守は、
「やられた・・」
ひとこと呟いたきり、絶句したという。
*
余は後日、右近から大目玉をくらった。
「まったく…開いた口が塞がりませぬ」
柳眉を顰め、右近が首を横に振った。
「悪いのは向こうじゃ。余の弁当を盗み食いしおったのだぞ」
「遠江守様は阿部備中様にかつがれたのです」
「備中が何を?」
右近は咳払いをすると、
「殿の弁当が私の『手作り』だなとと、埒もないことを遠江守様に吹き込まれたようで」
さも迷惑そうに言った。
「あやつがさようなことを?」
「木阿弥殿が御留守居役が『手ずから』弁当をお持ちに』と言ったのを、遠江守様が『手作り』と聞き違えたらしく、それを阿部備中様が面白おかしく脚色されたとか」
なるほど、いたずら好きな備中ならやりそうなことだ。
阿部家の留守居役が、申し訳ないことをした、と後で右近に耳打ちしたそうな。
「阿部様にも困ったものにござりますな」
右近が深いため息をついた。
「殿もご友人を選ばれたほうが…」
伏せた睫毛の隙間から、右近が余をちらりと見た。
文武両道、政務にも意欲を見せる大名と付き合えとでも言うのだろうか。
その手の硬派な大名は、池田とか上杉とか外様に多いのだ。
帝鑑間の譜代大名は皆、閑雅というか、余と似たようなものじゃ。
過日の件は、余も大人気なかったと思うておる。
なれど近頃、皆よってたかって世継ぎだ側室だと、うるそうてかなわんのじゃ。
余とてストレスが溜まるわい。
「だからと言って、遠江守様に八つ当たりはおやめなされ」
余の腹の中を読んだかのように右近が呟いた。
「この始末、私に任せていただけますか?」
漆黒の瞳が余の目の奥を見つめている。
「殿、お返事は」
おお。いつもながら、たまらぬなあ、その目。
余に否やがあろうはずもなく、
「よきにはからえ」
と、涎を堪えつつ鷹揚にうなずいた。
*
後に仙之丞から聞く所によれば、右近は松平家の留守居から遠江守の好物を聞き出し、御坊主の木阿弥を通して弁当を届けたそうな。ご丁寧に文まで添えて。
『過日は当家の者が、非礼にも突然大勢にて押しかけたにも拘らず、手厚くおもてなしいただき、恐悦至極にござります。名家の当主とはかくあるべきと、遠江守様のご器量に感服いたした次第です。本日はお詫びに、当家で弁当を用意させていただきました。私の手料理にてお口に合いますかどうかわかりませぬが、お召し上がりいただければ望外の喜び。今後とも当家の愚殿をどうぞよしなに』
先日、遠江守が目を潤ませ、米粒ひとつ残さず完食しておったのは、その弁当じゃな。
どうせ作ったのは仁平であろう? 右近も罪なことをするのう…。
おわり
あとがき:この弁当エピソードの元ネタは、幕末の羽倉外記という人が記した、後に老中となる阿部候と大久保候の若き日の逸話です。阿部候が大久保候の弁当を盗み食いし、仕返しに大久保候が供を引き連れて、阿部候の屋敷でさんざん飲み食いしていったという話。
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