絶妙なバランスによって保たれているトランプタワーは、ほんの少しの狂いであっけなく崩れ去る。
だからこそ集中力が要求されるそれを、アウルは彼にしては珍しいことに、じっと根気よく組み立てていた。
わずかな空気さえも乱さぬようなるべく息を殺して、カードを二枚合わせて釣り合いを取る。
指先に込めた力が強すぎても弱すぎてもいけない。
アウルは瞬きをする暇も惜しいというように、高さを増していく塔をじっと見ながら作業をしていた。
3段や4段までなら、手持ち無沙汰なときに戯れに作ったことはある。
けれど今日のように真剣に5段に挑戦したのは初めてだった。――――たぶん。
たぶん、というのは、自分の記憶が確かなものではないからだ。
ひょっとしたら以前にも作ったことがあったかもしれない。ただ覚えていないだけで。
でも今そんなことを言っても意味はないし、それならこの瞬間の意味づけをしたほうがよほどいいとアウルは思っていた。
とても深い呼吸をして、それから最後の、とっておきの仕上げに取り掛かる。
この一番上を乗せてしまえば完成なのだ。
達成の悦びとここまでの辛抱を思ってアウルは鼓動を早めた。
ちょっとガキっぽいかもと内心突っ込みを入れても、楽しいものは楽しいのだから、アウルは頬の筋肉を持ち上げながら、王冠を乗せるかのようにそっとカードを乗せた。
出来た。
用心して手を離し、少し遠巻きに眺めてみる。なかなかいい。
そしてじっくり作り上げたこれを、一瞬で崩すのだ。
こんな紙で出来た塔、つついただけでバラバラに散らばって壊れるだろう。
にやりと笑い、アウルは残酷な死刑を執行するために人差し指を伸ばす。
ドアが開いた。
「……?」
入ってきた金髪の少女により空気は乱れ、塔は『絶妙なバランス』を失って脆くも崩れ去った。
アウルの心に烈火のごとく怒りが巻き起こる。ふざっけんなよ!!
ステラはまるで小鳥の仕草で可愛らしく首をかしげたが、それはアウルの炎を更に煽った。
「畜生! ステラお前、なんてことしてくれたんだよ! このバカ! ボケ!」
激しい勢いで怒鳴りつけると、ステラがびく、と肩をすくませ一歩後退した。
その足元には飛び散ったカードの一枚が裏になって落ちている。
踏まれる、と認識した瞬間、アウルはステラの腕を力任せに掴んでひっぱった。
別にカードの一枚ぐらい踏まれたってどうってことはないのだが、では何故、――――こいつがどんくさいから。
こいつがどんくさいから、転ぶんじゃないかと思ったのだ。
ステラは痛いとも何も言わずにアウルの胸の中に納まった。ああくそ、いらいらする。
「お前のせいで一番楽しい瞬間が台無しになったじゃないか。どうしてくれんだバカ!」
「ステラ……のせい……?」
もぞもぞと動く華奢な身体。強化されてはいても、肉体はちゃんと少女らしさを損なっていなくて、それどころか危うい美しささえ持ち合わせている。
「そーだよ、お前のせいだよ。あーあ、せっかく初めて成功したのにさ、5段」
「初めてを、ステラのせいで失くしちゃったの? アウル」
「だからそーだって言ってんだろ、馬鹿ステラ」
「じゃあ、ステラのをひとつあげるから……そうしたら、許してくれる……?」
「あげるってなに……」
あげたりできるもんじゃないだろ、初めてってのはさあ。
そう言おうとしたのに、ステラの行動のほうが早かった。
ステラのくれると言った「初めて」がいったい何なのか理解したと同時に、怒りに熱くなっていたアウルの頬が、別の熱を持つ。
唇に触れた柔らかなこれは、ステラの?
「……」
離れた後、なんだか悔しげな顔をしてむすっと押し黙っているアウルに、ステラはまた小首をかしげてくる。
アウルは沈黙が過ぎるにしたがってその眉と目じりが段々力なく下がるのを、口元を押さえつつ睨み付けるように見ていた。
「お、怒った……? ごめんなさい……」
おずおずと尋ねてくる様に、アウルは小さく舌打ちする。
それを聞きとがめたステラが、やはり怒っているのかとしょんぼり俯いてもう一度「ごめんなさい」と繰り返した。
アウルは彼女の両頬をとらえてその顔を上げさせた。
「お前、初めてなの?」
「う……?」
「キス」
言って、ちょん、ちょんと自分の唇を人差し指でつつく。
こくり頷いたステラにでこぴんをかましてやった。
「嘘つけ」
初めてかどうかなんてわからないだろ。忘れてるだけかもしれないし。
「嘘じゃない……もの」
額を押さえる少女の手のひら。アウルはその手をとってぎゅっと自分の手の中に握りこんだ。
部屋に散乱したままの無数のカード、目に留まるハートとダイヤ。ステラの目の色と同じ赤。
「あーはいはい、もういいよ。許してやるから」
「ほんとう?」
良かったと、心底安心したように微笑むステラと、自分との関係は、危ういバランスで保たれている。
もしさっきのあれがステラの「本当の初めて」じゃなかったとしても、この瞬間に意味はあると思えた。
だからもう、それでいいのだ。
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