＿＿＿＿＿＿＿＋鳥は歌い人は笑う＋＿＿

「兄さん」
耳まで赤く染まっているのが後ろからでもよくわかる。
「兄さん、兄さんってば」
エドはアルの呼びかけに振り向きもせず、乱暴な足取りでずんずんと前に進んで行ってしまう。
怒りながら照れている、いや照れながら怒っている？
どちらにしても器用な感情の爆発のさせ方をしている姉に、アルは『はぁ』とため息のようにして呟くと、彼女の足を止めさせるべくまた声をかけた。
「姉さん」
ぴた。
効果は覿面で、エドの足はその場に貼りついたように一瞬で止まった。
「……それ、やめろって言っただろ」
「仕方ないじゃないか、兄さんちっとも話を聞いてくれようとしないんだから」
ぎぎぎ、とまるで錆び付いたような動きで振り返ったエドに、アルは肩をすくめて自身の正当性を主張した。
エドはうんざりした顔で、犬みたいに舌を出した。
「話なら、ゆうべさんざん聞いただろ……これ以上いったい何を聞かなきゃならないんだよ」
うえー、とエドは本気で嫌がっているらしい。
だがアルだって本気なことに変わりはない。ここで引き下がってはなにもかも有耶無耶だ。
今すぐにでもはっきりさせておきたいというのに。
大切な姉に関わることだから、いつもより余計に心配になるに決まっている。
「兄さん、大佐にされたこと、ほんとに納得してるの」
「だから、それもちゃんと説明しただろーが。もういいんだって」
「嘘だ。もういいなんてそんなはずない」
アルは断言した。
「だって強姦じゃないか。犯罪だろ、それって。ボクは男だしまだ子供だけど、それでもそのぐらいはわかるんだからね」
「そ、そう言われるとそうかもしんないけど……ちょっと違うよーな」
「大して違わないよ！　兄さんはどうしてそんなに我慢してるんだよ」
エドはぐっとつまった。どうやら弟に見透かされていたらしい。
なんでこいつはこんなにオレのことがわかるのか。
アルの言うとおり、本当はずっと我慢していた。平気なふりをしていた。ちっとも平気なんかじゃなかったのに。
嫌だ、気づかせないでくれ。お願いだから、それ以上言うな。アル、お願いだから。
「兄さん、大佐のこと好きなの？」
「なんでオレがあんなすかしたたらしの腹黒童顔無能親父に惚れなきゃならないんだよっ!!」
否定させて欲しかった。
勝手に期待して、そうじゃなかった場合、馬鹿を見るのは自分だ。
お茶を飲もうと。あんなのただの社交辞令かもしれないのに。
それなのに、ロイの一言で自分の心臓はみっともないくらい反応するのだ。
恥ずかしい、こんなの自分じゃないみたいだ。
ああもうなんて腹の立つ。だけど今のエドは、その感情の持って行き場を知らない。
「あいつに抱かれたからって、なんでそれであいつを好きってことになるんだよ」
「じゃあ兄さんは、好きでもない男に犯されても、大丈夫なんて言うんだ」
「……いまさらそんなことぐらいで傷ついてられるか」
エドはぶっきらぼうにそういい捨てた。
「犬に噛まれたとでも思って、忘れるさ」
「兄さん。兄さんは、犬に噛まれたこと忘れられるの？　普通の人は無理だと思うよ」
「……オレは、普通じゃないから」
そうだ。オレは普通じゃない。こんな女の出来損ないみたいなオレの処女なんて、最初から無いも同然だ。
だから気にしない。こんなのたいしたことじゃないって、そう思う。
じっさいこのいらいらは、処女喪失に対するものじゃなくて、もっと別の何かが原因なのだ。
自分を痛めつけるような声音のエドに、アルもはっと口をつぐんだ。
「ごめん兄さん……ごめん」
こんなひどい言葉を、兄さんの口から言わせるつもりじゃなかったんだ。
誰よりも傷ついているのは姉であるはずなのに、その彼女を、自分がまたも追い詰めてしまった。
自己嫌悪に陥りそうになった弟を、姉はばんばん叩いた。
空洞の鎧が振動して音が響く。
「いーって。お前もオレを心配して言ってくれてんだってことぐらいちゃんとわかってるし」
「……うん。でも、わかってるならあんまり無茶なことするのやめてくれない？」
「それとこれとは話が別！」
あっはっは、と笑顔が戻った姉の顔を見てアルも安心する。
やはりエドには笑っていて欲しい。せっかくこんなに素敵な笑顔を持っているのだから。
「ねえ兄さん」
「ん？」
「それでもボク、兄さんは大佐のこと好きなんだと思うよ」
「お前もたいがいしつこいな」
エドはあきれたように自分よりはるか上にある弟の顔を仰ぎ見た。
「よし、じゃあ万が一、万が一にだぞ、オレが大佐に恋してるとしてだ。うえ、自分で言っててきしょい」
そう、だからこれは仮定の話。現実にはありえない絵空事。
自分はまだ子供で、彼は一回りも年の離れた大人。
自分は女の魅力などかけらも無く、彼は男盛りで相当に女に不自由しない。
ロイが本気で自分を相手にするとは思えない。
向こうにとってみればただの気まぐれ、ほんの遊び、暇つぶしに決まっている。
そんなことでぼろぼろになるのは絶対にごめんだ。
だから。本気にはならない。
「だとしても、それでなにがどうなるってんだ？」
「え……」
「大佐とどうこうなんてありえないだろ。お前はオレに何を求めてんだ、ん？」
「えと……し、幸せになって欲しいなって」
「で、オレの幸せと大佐とがどうやって結びつくんだよ」
「女の人の幸せっていったら、結婚なのかなと……」
「オレと大佐が結婚なんてできるはずないだろ。それに」
そこで一度区切って、
「オレの幸せをお前が決めんな」
エドはきっぱりと前を向いて言った。その目は凛として、とても綺麗だとアルは思った。
「それにしても、なんでお前そんなにこだわんの」
「……兄さんが、離れていっちゃうきがしたんだ……」
思いもよらなかったアルの告白に、エドは驚いた。
アルは俯きながら、ごめんねと繰り返した。
大好きな姉がどこかに行ってしまうようで、たださびしくて、無性にやるせなかった。
だからこんなにむきになってしまったのだ。
エドは、はぁ――――……と長い息を吐いて、
「いいかアル。オレがもし大佐を好きになったとしても」
よく聞け、とアルに指をびしっと突きつけて言った。
「オレは、お前と大佐が溺れてんの見たら、お前を先に助けるぞ。絶対だ」
アルは涙が出るかと思った。
実際は、この鎧の身体にそんな機能は無いのに。
どれほど嬉しい言葉だったか、姉には言ってやらないけれど、ああボクは姉さんが大好きだ。
世界で一番大事な。最愛の。姉。
「兄さん泳げないくせに。一緒に溺れちゃうよ」
「例えだ例え！」
二人して笑う声は、頭上に広がるこの空みたいに晴れやかだ。
「オレはお前が大切なんだってこと、ちゃんと信じてろ」
「……うん」
「よし！」
今度はゆっくりと歩き出す。
次の目的地に、一体何が待っているかはわからないけれど、二人ならきっと大丈夫だ。
リゼンブールでは帰る場所となって待ってくれている人たちがいるし、もうひとつ、お茶をする約束のある相手もできてしまったことだし。




ＢＡＣＫ


エドの中ではアル＞ロイなんだよってことで。
日頃の行いが行いなだけに、なかなか信用されない無能。頑張れ。