_______+そして全てに幕は下りる+___
色が変わるほど、ぎゅっと唇を噛む。
ロイはエドのほうを振り返りもせずに、おかまいなしに進んでいく。
繋がれた手が気になったが振り解くわけにもいかず、エドは黙って唇を噛んでいるしかなかった。
――痛いって、離せよ。
――あんたと話すことなんて何もない。
――さっさとオレたちを行かせてくれ。
それらのどの言葉も口から出ることはなく、内側に浮かぶだけで泡のように消えた。
心が竦む。ロイが何を考えているかわからないし、自分自身の感情もよくわからない。
自分じゃないみたいだ。
どうした、エドワード・エルリック。お前はこんなに情けないヤツだったか?
機械鎧のこぶしを握り締める。廊下が随分長く感じた。
執務室の前まで戻ってくるとロイはドアを開き、エドを連れて中に入った。
続いて間近で聞こえた施錠の音に、エドはぎくっとして思わずロイの顔を見た。
しかしついと視線をはずし、なんでもないようなふりをする。
彼の前ではいつもの鋼の錬金術師でありたかった。そうでなくては、何かが許せない気がした。
「で、話ってなに」
「君に訊きたいことがある」
「訊きたいこと?」
ロイの黒曜石の目が、至近距離からエドを見下ろしている。
黒曜石がナイフのように鋭い切れ味を持つこともある鉱石だというのを、エドはふと思いだす。
ずたずたにされるかもしれない、と思った。
「昨日からの君の態度だ……さっきも」
「そんなこと訊くために今のこの状況があるわけ?」
エドは肩を壁に触れさせた。また眩暈がする。おかしい。
無理矢理強い声音を作ると、切り捨てるように言う。
「どうだっていいだろ」
「私にとってはどうでもよくない。なぜ、私を避ける?」
「別に、避けてなんかねぇって……いつもどおりだし」
「嘘だな」
彼はきっぱりと断言した。
この男は誰だ。エドは身の内をわななかせた。
今のエドがエドらしくないというなら、ロイも同じだった。
別人のように見える。だがこれも、ロイなのだろう。
焔の大佐として名をはせ、野心を抱えた実力者として君臨するこの男の一部、あるいは本性か。
彼の手袋に掴まれている身体から、じりじりと火傷が侵食していくようだった。
縫い止められたように、その場から一ミリも動けない。
ただロイに目を覗き込まれ、そこに映る自分の顔を見ていた。
顔がゆっくりと距離を狭めてきても、エドは目を閉じることなく、彼の伏せられた睫毛を見続けていた。
唇をふさぐロイの唇は思っていた温度と違って、熱いというよりは温かく、エドは片隅に追いやっていた記憶を探る。
あのときは全てを飲み込むような深さだったが、今度のキスは重ねるだけの浅いものだった。
さてどうしよう、ぶん殴ってやろうか、それともこれを口実にその扉を開けて逃げてしまおうか、一体なんのつもりだとなじろうか。
けれど考えるだけで実際に行動に移されることはなく、エドはなぜ自分が何のリアクションもせず黙って突っ立っているのか不思議に思った。
ロイもそう思ったらしく、困惑を僅かに滲ませて言った。
「抵抗しないということは、私の己惚れではないと考えても構わないのか?」
なにが、とエドは目だけで問う。
「君の態度がおかしかったのは、嫉妬によるものだと」
いつもの余裕の欠片も感じられないロイに、彼も自分となんら変わりはないのだということが知れた。
それがわかった途端、エドを縛り付けていた――自分で縛っていた――ものが、嘘のように霧散した。
……ねえ、あんたも同じ気持ちだった?
エドは長く長く息を吐いた。それでようやく笑えた。
笑ったといっても苦笑だったが、自分を少しずつ取り戻せている証拠だった。
「あんたってほんと、順序がめちゃくちゃな。普通そっちを先に確認するだろ。それを、いきなりキスって」
今なら――――今なら素直になってしまってもいいかもしれない。
意地を張るのをやめれば、新しい関係に踏み出せるかもしれないじゃないか。
恐れてばかりでは何も始まらないのと同じで、傷つくのが嫌で動かないでいるなんてのは、それこそ自分らしくない。
エドは生意気に笑った。
「オレが単に、あんたを嫌いで避けてるだけだったら?」
「……そうなのか?」
たちまち不安がよぎったらしいその様子が面白くて、エドははぐらかしてみせた。
「わかんない」
「な、っ」
「だからさ」
もう一回キスしてくれたらわかるかも、と言って、今度こそ目を閉じた。
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