_______+午後3時の悪魔+____
職場の味気ない廊下を歩いていたロイ・マスタング大佐の目は、ドアに耳を押し付けて中の様子を伺っているのだろうか、とにかく挙動不審人物にしか見えない、そんな腹心の部下のひとりであるジャン・ハボック少尉の姿をとらえた。
仕事をサボってこんなところで何を、と上下関係にかこつけてここぞとばかりに少々からかってやろうかと思い近づくと、ロイに気づいたハボックは慌ててドアから耳を離した。
こんな状況を不審に思わないほうがどうかしている。ロイは形のよい眉をひそめた。
「何をしているんだ?」
問い詰めようとしたロイに、しかしハボックは己の口の前に一本の指を立てた。どうやら静かにしろということらしい。
いったいドアの向こうに何があるのか、ハボックは再びぴたりと耳をくっつけると、声をひそめてロイに話しかけた。
「なんかすげー話をしてるみたいなんスよ」
「すごい話?」
好奇心の勝ったロイもハボックにならってドアに顔を寄せると、ひんやりと冷たい感触が伝わってくるとともに、室内の声が聞こえてきた。
それは彼のよく知る二人の人物の話し声で、それだけなら特に変わったことはない。こうやって盗み聞きのような真似をする必要性もないだろう。
しかしハボックいわく二人は「すごい話」をしているらしい。
そして、ロイは思わず二人――鋼の錬金術師エドワード・エルリックとリザ・ホークアイ中尉――の会話に聞き入ってしまった。
「いいなぁ中尉、オレぜんぜん上手に出来ないから……」
うらやましい、と話すのはエド。
いつも生意気な少女が、ホークアイの前だと年相応に素直で可愛らしくなる気がする。
「私はあんまりそういったことはしないし好きじゃないんだけれど。そうねぇ、エドワード君よりはうまいのかもしれないわね、ふふ」
ホークアイは笑っている。
いったい彼女たちの話題になっているものはなんなのか、ロイは自分と同じく二人の会話を聞き漏らすまいと耳をそばだてるハボックの顔を見た。
いつになく熱心なハボックの様子は、まるで部屋の中で交わされている話が重要機密ででもあるかのようだ。
男二人に聞かれているとも知らず、エドは話を続ける。
「どうすればいいのかな、コツとかある?」
「うーん、まずは舌の使い方かしら」
「舌?」
「ええ。大きく立派なものにしてあげるには、どうやって舌を使うかが重要なポイントなの」
「ふむふむ」
こ、これはもしかしてもしかしなくても。
ロイは扉に耳をくっつけたままでまたハボックを見た。向こうもロイを見ていた。
目が合った男たちは、どちらからともなく頷いた。
「口の中で動かすでしょう? それから、柔らかく舌でほぐすような感じね」
「なるほど。舌が重要、と」
「先をすぼませるようにして形を意識するの」
「形かあ。なんか奥が深いね」
「そうね、うまく大きくしたいのなら細かいところまで気を配らなくてはダメよ」
いまやロイもハボックもびったりとドアに張り付いている。はたから見るとかなり異様な光景である。
誰も通りかからないのは幸いだった。
「でも、さっきも言ったけど私はあんまり経験がないのよ。なんだかあの味がダメで」
「あー、確かにお世辞にもお上品とは言いづらい味だし、好みもあるだろうね。オレは結構好きなんだけど、でもさすがに長い間口に入れてると変な味に思えてきて気持ち悪くなったりするかも」
ロイは思い出している。
いつまでも口に含んでいると吐きそうになるからとっとと飲み込んだと言っていたエドのことを。
「ねぇエドワード君、やっぱり私より他の人に訊いたほうがいいんじゃないかしら?」
「え、や、やだよ!! 中尉ならいいけど、他のやつになんか訊けねぇよ」
「どうして? 参考になるかもしれないわよ」
「だ、だってこんなこと訊いたらぜってぇからかわれるし、みっともないし……恥ずい」
ロイの頭に、頬をうっすらピンクに染めながら恥らうエドの仕草がありありと浮かんだ。
ハボックは少し前かがみになっている。しかし扉から耳を離さないところはさすがだ。
「ところでエドワード君、どうしてそんなこと知りたいと思ったの?」
ホークアイの問いに、しばらく部屋には沈黙が満ち、ロイののどはごくりと鳴る。生唾が内側を滑り落ちていく。
ようやく聞こえてきたエドの声はロイ自身の呼吸と脈拍の方が大きく感じるほど小さくて、注意していないと聞き取りづらかった。
「見返してやろうと思って……」
どこか悔しそうな色が、その声には滲んでいる。どんな表情をしているのだろう。
「だってあいつ、オレのことヘタヘタって、バカにすんだぜ!? 自分がちょっとばかりうまいからって……」
そう言えば経験値の少ない彼女をこの間抱いたとき、ロイは冗談で「もう少し創意工夫しようという意欲はないのかね」などと言ってしまったことを思い出した。ひょっとして気にしていたのか?
本当はロイだって、処女を失ってまだ間もないエドに最初から多くを求めているわけではないし、だからこそこれからゆっくり開発していく楽しみが味わえると思っていたのだ。
「ああそうさ、確かにオレはヘタさ! しょうがねぇだろ、うまくやれるかやれないかなんて、そんなの個人差じゃねぇか!」
「エドワード君……」
「こうなったら練習して、うまく出来るようになって、あいつをぎゃふんと言わせてやるって決めたんだ」
ぎゃふんは死語だぞ鋼の……。心の中でロイはつっこむ。
それに勝手に練習されて、本当に上達されたりなどしたらたまったものではない。
それでは教え込んで自分好みに育てる醍醐味もくそも無いではないか。男のロマン台無しである。
そんなことは断固阻止だ。暴走する彼女の方向性を正さなくてはと、ロイは今夜の予定を決めた。
そうと決まればこうしてはいられない、残業なしの定時帰宅と甘い夜をすごすためには、今現在の仕事をきっちり片付けておく必要がある。
こんなところで油を売るより、さっさとやるべきことをやって今夜に備えた方がよっぽど得策、建設的だ。
「あれ、大佐……行っちまうんですか」
首を縦に振って肯定の意を示すと、ロイはハボックを残して、自主的に仕事をこなしに向かった。
ともすれば緩みそうになる頬を引き締めながら。
「ほんとにもう、ガムもうまくふくらませられないのかなんて……バカにされて黙ってられるかってんだ」
「ふふふ、頑張ってね、エドワード君。応援しているから」
「うん、ありがと中尉!! よっしゃ、見てろよあのガキ……!! 負けないくらいでっかいのつくってやるからな!!」
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