「それ、やめてくださらない?」
隣に座る妙の言葉に、土方はただでさえ悪い目つきを更に悪くした。
スナックすまいるの店内には、酒と煙草、それから女の化粧や香水の匂いが充満している。
お世辞にも空気がいいとはいえない。
「俺が吸うのやめたって、そんなん今さらだろ」
それにキャバクラで客に煙草を吸うなとは、むしろホステスはライターをいつでも出せるように用意しておくのが普通であり、だから土方は、目の前の灰皿に煙草を押し付けようとはせずに、ただ銜えていた口から外しただけだった。
しかし妙はにこりと笑った。土方は、それが彼女の営業用の顔だとよくよく知っていた。
「煙草じゃありません。それですよ」
妙が指したのは、土方と彼女の目の前に置かれた、マヨネーズのかたまり。
いや、数分前にはきちんとした茶漬けだったのだが、今は米も茶も大盛りのマヨネーズの下に隠されてしまっているのだ。
「……一応、理由を聞いとくか」
「着物にマヨの匂いがうつるんですよね、そうすると帰ったとき新ちゃんに怒られてしまうし」
「あぁ? なんで弟が怒るんだよ」
「あら、あなたとあんなことやこんなことをしてるって知ったら、きっと怒りますよ」
「けっ、重度のシスコンだな、そりゃァ」
「そう、そして私も結構なブラコンなのよ。しなくていい喧嘩はしたくないんです」
にっこり、という効果音には似合わない、背景の般若。
この女はなかなかの曲者で、一筋縄ではいかない。
だからこそ、土方は彼女とのスリリングなゲームめいた関係を楽しんでいる。
土方は、煙草の先のじりじり増える灰を、灰皿の上に落とした。
「別に、ばらしちまえばいいじゃねェか。相手が俺だって。何か困んのか」
「大事な弟を、屯所に殴りこませるわけにはいきませんから」
「まァ、殴りこんだとしても返り討ちに遭うのは目に見えてるしな」
「新ちゃんに怪我なんかさせたら、次は私が殴りこみますけど」
「……肝に銘じとくぜ」
覚醒した彼女の強さ、恐ろしさは身にしみている。
色恋沙汰で真選組壊滅なんてことになったら、みっともないし他の隊士にも申し訳がたたない。
だが、たかがマヨネーズでそんな事態が引き起こされるとは、土方にはどうも思えなかった。
というか、あっさり好物を諦めるのが惜しかったのだ。
話しているうちに、指に挟んだ煙草はほとんどが灰へと変わってしまっていた。
こいつはもう吸えねェな、と判断して、短くなった煙草をぎゅっと灰皿に押し付ける。
次の一本を出そうとして、止めた。微笑んだ妙の目にぶつかったからだ。
「まず、そのどんぶりを片付けてくださいな」
せっかく注文したものを(マヨネーズは持参だが)、箸もつけずに下げさせろってか。
土方は煙のかわりに溜息を吐こうとした。
だが、妙のほうが早かった。極上の酒よりも酔える甘い笑顔を浮かべて、
「マヨネーズの味のする接吻なんて、私は嫌ですよ?」
駆け引きにはタイミングが重要だということを、土方はうっかり失念していた。
そうして案の定負けてしまった。
土方はボーイを呼び、テーブルの上を綺麗にすると、妙の肩を抱き寄せた。



本誌での会話おめでとうございます(06.04.04)

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