リボンのついた帽子をかぶる。
 以前作っていたようなごてごてした飾りのものは、やっぱり自分にはしっくりこず、こっちのほうがらしい気がする。
 でもあの頃と違うのは、しっかりした意志がこの胸にはあること。
 うつむきながら道を歩くこともない。前を見据えて堂々と背を伸ばし、びくびく怯えたりなんかしない。
 鏡に向かってにっこり笑ってから、ソフィーは声をかけた。
「マルクル、ちょっと買い物に行ってくるからね」
「僕も行く! 荷物を持つよ」
 ぱたぱたと小さい足音が聞こえ、魔法の布をかぶって老人の姿になったマルクルが走ってくる。
「またじゃがいもと魚を大量に買ってこられたんじゃ困るもん」
 小さくつぶやいたのをソフィーは聞きとがめて、
「あら、荷物を持ってくれるなんて言って、実はそれが本音なのね」
「違うよ、ハウルさんが……」
 マルクルは両手でひげの生えた口を押さえた。
「ハウルがなに?」
「なんでもない。行こうよソフィー」
 怪しいとは思ったが、ハウルのことだ、考えても無駄だろう。それにどうせまた仕様もないことかもしれないし。
 彼ときたら、妙なことをしでかすことに関しては天才的なんだから。
 そう考えて、ソフィーは気にしないことにした。
 もし気にしたってソフィーなんかには彼のたくらみを上手く阻止するなんてことは出来ないのだから。




「卵とベーコンを買おう、ソフィー」
「野菜もね」
 妙にしわがれた声のマルクルが袖を引っ張るものだから、ソフィーは苦笑した。
 そんなにじゃがいもが嫌いなのだろうか。
「毎日卵とベーコンとチーズじゃ、身体にいいとは言えないわよ」
「でも美味しいよ」
「美味しいだけじゃ駄目なの」
 言いながらじゃがいもをバスケットにいれ、代金を払う。マルクルの目は少し不満げだ。
「わし、少しあちらを見てくる」
 老人言葉で言い置くと、ぷいと向こうの人波に消えてしまった。
 最近じゃがいもも食卓に並べば気にせず食べているのだが、どうも積極的に買うところを見るのはまだ面白くはないようだ。
 そういうところ、すこし師匠に似ているのかしら。
 ソフィーは彼女の恋人でマルクルの先生でもある魔法使いを思い浮かべた。
「お嬢さん、重くないかい? 持ってあげようか」
 頭上から声が聞こえたのはそのときだ。同時にひょい、と腕の中にあったバスケットの重さがなくなる。
 流石のソフィーもいきなりのことに驚いてしまって、声も出さずに横を見上げた。
 そこには背の高い見たことのない若者がいて、たった今ソフィーから奪ったバスケットを持っていた。
「家はどこ? この近くなのかな。よかったら送るよ」
「……あの、結構です」
 言ってソフィーは荷物をとりかえそうと手を伸ばしたが、若者はすばやくバスケットをソフィーから遠ざけてしまった。
 なかなか侮れない。以前の路地裏の兵隊のように、ソフィーが若い娘だから声をかけてきたのだろうか。
 警戒のまなざしで若者を見ると、悪びれなく若者は笑った。ハウルとは違う黄土色っぽい髪の毛に、灰色の目。
 なかなかにハンサムだが、やはりハウルには及ばない、背だってハウルのほうが高い、ハウル……
 そこでソフィーは自分の基準が完璧にハウルばかりになっていることに気づいて、少し悔しくなった。
 その悔しさを目の前の現状をどうにかする力へと変換し、わざと乱暴に言い返す。
「一人で持てます」
 なんとか彼からバスケットをもぎ取り、背を向けてすたすたと歩き出した。
 このまま帰ろうかと考えたが、でもマルクルを探さなくては。一緒に来た以上、いくらなんでも置いてはいけないだろう。
 男はついてきているだろうか、諦めてくれればいいんだけれど。
 目でマルクルを探すものの見当たらない。そのままにぎわいを抜けてしまった。
 もう一度戻って探しなおすかと思ったとき、また声をかけられた。
「どこへ行くの? 小ネズミちゃん」
 後ろから聞こえた声に、ソフィーは答えた。
「買い物です」
「ではわたしが飲み物を買ってさしあげましょう」
 ソフィーは笑った。
「残念ね、こう見えてもわたし夫がいるの」
「ああ、それは本当に残念だ。あなたの幸運な夫はどのようなお方でしょう」
「とっても強い魔法使いよ。それにとっても己惚れやでとっても嫉妬深いから、あなたがわたしに声をかけたと知ればきっとあなたの心臓を奪って、死ぬほどの呪いをかけてしまうわ」
 楽しげにくすくす笑う。
 男の声もつられるように明るく華やかだ。
「なんて怖ろしい。けれどわたしも、魔法に関してはなかなかに自信があるのです。きっとその男の呪いを撥ね返してみせます」
「そうね、あなたならできるかもしれない」
 くすくす笑いのままソフィーは振り向いた。
「なにせ世界一の魔法使いですものね。どうしてここにいるの? ハウル」
「奥さんの言うように、嫉妬深い狭量な夫だからだよ」
 ハウルはソフィーの腕のバスケットを片手に持った。
 もう片方の手とともに身体を曲げて恭しくお辞儀のポーズをとる。妙に芝居がかった仕草だが、ソフィーは微笑んだ。
「可愛らしいお嬢さん、よろしければ、僕と空のデートをしていただけませんか」
「でも、マルクルが」
「マルクルならもう帰らせたよ」
 ソフィーは呆れて息を吐いた。
「……最初からずっとついてきてたのね」
 マルクルが口を滑らせそうになったのはこのことだったのか。てっきり出かけていると思っていたのに。
「で、どうなのかな。小ネズミちゃん」
 答えをわかっているくせに相手に言わせたがるのだ。
 ソフィーは出された手を上品な淑女らしくとった。
「――よろこんで」



04.11.25