「一、二の、三で地面を蹴るんだ。いくよ、一、二の」
 ハウルの掛け声とともに、ソフィーは思い切り地面を蹴った。
「三!」
 ふたりは手をつないだまま、一気に上昇する。
 店先のひさし、カフェのテラス、洗濯物の干されたベランダ、高い建物の屋根さえ目の下を通り過ぎていった。
 まるで風に吹かれた羽のように軽く舞い上がって、ソフィーとハウルは空に浮かんだ。
 風が髪の毛とスカートの裾を膨らませ、足元には小さな色とりどりの人形のような人々の行きかう街がある。
 手を伸ばせば白い雲だって綿か何かのようにちぎり取れそうな気がする。
 気分が高揚して、とても楽しい。ソフィーは明るく笑った。
「足を動かして」
 ハウルの言うとおりに空を歩く。
 二人きりの空中散歩なんて、なんてどきどきする素敵なデート。
 肩を引き寄せられた。甘い気分が胸を満たす。
「ねえ、訊いていい?」
「なあに?」
「ソフィー、キミはまだ僕のことが好きかい?」
 思わずかぶっていた帽子を投げつけそうになった。
 さっきまでのときめきは一瞬のうちにどこかへ行ってしまって、見えなくなった。
 恋人に対して、これほど失礼でデリカシーに欠けた質問はない。
 ふつふつとこみあげてくる怒りを押さえながらソフィーは言った。
「……ハウル、わたしにはよく意味がわからないんだけど。わかるように説明してくれるかしら」
「キミはさっき、知らない男に声をかけられていたね」
「見てたなら助けてちょうだい」
「助ける前にキミが自分で断ったから。でも」
 ハウルはわざとらしくため息をついた。
「キミはもう少し気をつけるべきだよ。キミは可愛いんだから、それを頭に入れて行動してくれ」
「わたしが可愛い? それは流石に言いすぎよ」
 そりゃあ今のソフィーは昔みたいに自分を必要以上に貶めることはやめたので、わたしだってそれほど悪い器量ではないと思えるようになったけれども、だからといって可愛いと誉められるほどだとは思わない。
 容姿に恵まれたハウルやレティーを間近に見ているからなおさらだ。
 しかしハウルはそんなソフィーにおかまいなしに力説する。
「何を言ってるんだ、キミは可愛いよ、可愛いんだよ! 思わず繰り返してしまうぐらい」
「それは……ありがとう」
 手放しに誉められて嬉しくない若い娘などいないだろう。
 ソフィーは初々しく頬を染めて素直に礼を言った。
「でも、それとさっきの質問と、どういう関係があるの」
「わからない?」
「全然」
 そもそも、ソフィーの見た目と、ソフィーがハウルを愛しているかどうかは別次元で、まったく関わりのない話に思える。
 それにソフィーはハウルが金髪じゃなくても、化け物でも、魔王だったとしたってかまわず好きなのだ。
 ハウルだってそうだと思っていた。実際ソフィーが老女の姿をしていたときだって親切にしてくれたハウルなのだから。
 でもそれは、なにかソフィーの勘違いだったのだろうか。
「ソフィーも知ってるように、僕は己惚れやだ。そして臆病者」
 手を握っている力が強くなる。彼の手のひらは、少し汗ばんでいた。
「僕は自分がソフィーに好かれるぐらい素晴らしくいい男だってことを知ってる。でもね、同時に怖くなるんだ。いつソフィーに嫌われるんじゃないかって」
「まあ、ハウル!」
 ソフィーは驚いて言った。
「わたしが信じられないっていうの? わたしが心変わりすると思うの?」
「キミのことは信じてるよ。ただ、さっきも言ったろう。僕は怖がりなんだ。君を守りたい。失ったらと思うとぞっとする。いつだって怖くてたまらないんだ」
 ソフィーも手を握り返す手に力を込めた。それとともにありったけの思いも込める。
「大丈夫よ、わたしはあなたの側にずっといるし、わたしには世界一の魔法使いとすごい力の火の悪魔がついてるんですもの。ただ、それでもあなたが怖いと言うなら――」
 ハウルの気持ちが嬉しかった。怒りなんかとっくに消えている。
「わたしは何度だって、あなたに好きだと伝え続けて、安心させてあげる」
「それを聞いてほっとした」
 ハウルは小さく息をした後、すぐにいたずらっこのきらりと光る眼でソフィーを見た。
「じゃあさっそく、いまここで安心させてくれ」



04.11.26