動く城の主、世間では少女の心臓を奪うと恐れられている魔法使いハウルは、実はとても、他人が自分の城に入り込むことに無頓着な青年だった。
なぜなら彼の城を守っている火の悪魔カルシファーが、害意を持ったものを城の中に入れることはないからだ。
裏を返せば、城に入れた人間はカルシファーが許した、安全な人間だということになる。
ハウルは時折お互い憎まれ口を叩きつつもこの火の悪魔の力を信用していたので、カルシファーが城に入れたものを無理に追い出そうとはしなかった。
まあただ無関心だっただけ、とも言うかもしれない。
そんな風にして最初はマルクルが加わり、次にソフィー、今はいつのまにやら荒地の魔女やらサリマンのスパイ犬だったはずのヒンまでもがハウルの城に住んでいた。
しかしそんな寛大なハウルも、目の前の人物を入れたことに関しては、カルシファーを問い詰めたくなった。
そう、彼は今、普段のように気にせずに放っておくには少々無理のある光景を眼にしていたのだ。
恋人のソフィーが、自分ではない若い男にお茶を出している。
見覚えはある顔だ。ただ、あまりちゃんと見たことはない。
男が隣国に旅立つその別れ際に少し会話した、その程度だ。
男は呪いでずっとカブ頭のかかしに変えられていて、ソフィーのキスでようやく元の姿に戻った隣国の王子だった。
「とても美味しいです、ソフィー」
「まあ、ありがとう」
にこやかに会話している二人はハウルの神経をちくちく刺激する。
「いい奥さんになれますね」
「あら……」
「……言われなくてももういい奥さんだよ、僕の」
そこに不機嫌を隠さず口を挟んだ。
「こんにちは、魔法使い殿」
ハウルは王子の上品な挨拶を綺麗に無視し、薪の上で燃えている悪魔に話しかけた。
「カルシファー、なんで彼を入れたんだい?」
「おいらのせいじゃないよ。ソフィーがドアを開けたんだい」
思わず額を押さえたくなる。
頭の痛いことに、ハウルの恋人は彼の気持ちなどまるでわかっていないらしい。
「ソフィー!」
「いいじゃない、わざわざ遠くから訪ねてきてくれたのよ」
「キミに会うために、ね」
むっつりとハウルは答えた。
「ソフィーときたら危機感がなってない」と自分のことを都合よく棚に上げて、王子を軽く睨む。
「もう、ハウルったら」
王子もさるもの、恋敵の言葉もどこ吹く風で、ハウルをたしなめるソフィーに笑顔を向けた。
「いいんですよ。まあもとから歓迎されないだろうとは思っていました」
「わかってるなら来なければいいのに。ソフィーに妙なちょっかいをかけたら、王子様といえど叩き出すからね」
「さあ、妙なちょっかいとはどんなことでしょう。紳士的に女性を口説いているだけですが」
「そうそう、荒地のマダムがあんたを待っているんだっけ」
「あのマダムにも申しましたが、人間の心はわからないものです。ソフィー、お茶のおかわりを頂いても?」
ソフィーにティーカップを渡す。
「あんまり馴れ馴れしく僕のソフィーを呼ばないでもらえるかな」
「ああ、ありがとう、ソフィー」
ティーカップを受け取った王子に、ハウルはにこやかに言った。ただしお約束としてその眼はちっとも笑っていない。
「……僕が魔法使いだってこと忘れない方がいいと思うよ。次の瞬間にまたかかしに戻りたくなければ」
「そうなったらもう一度戦争が起こって、あなたも王宮付き魔法使いとして戦わされるかもしれませんね」
「ふたりともいい加減になさいな!」
焼きたてのマフィンが載った皿を持ちながらソフィーは怒鳴りつけた。
目をぱちくりさせた二人の男がソフィーの顔を見る。
「子どもみたいに喧嘩をするもんじゃないわ! まったく、みっともない」
ソフィーは彼らのくだらない言い合いにすっかり怒ってしまって、くるりと背を向けた。
そしてカルシファーの側に歩いていき、にやにやと成り行きを見ていた炎に話しかける。
「はいカルシファー、どうぞ」
薪の上に落とされたマフィンをぱくりと一口に含んだカルシファーは美味しそうに赤く燃えた。
もぐもぐと口を動かし、
「うまいよ」
「そう、良かった。残りはマルクルとおばあちゃんと一緒に食べましょ」
「ソフィー、僕のぶんは」
「知らないわよ」
振り返りもしないで、ソフィーはマルクルと荒地の魔女のいる部屋へ行ってしまった。
残されたのは情けない顔をしたハウルと、目を見開いたままの王子と、マフィンを味わえた火の悪魔。
元気に赤々と光りながら、カルシファーは哀れな男二人にこう言った。
「ハウルが魔法使いだとかあんたが隣の国の王子だとかよりも、ソフィーが気が強くてなかなか頑固で、一度怒るとやっかいだってことを忘れない方がいいと思うよ」
さて、彼らはこの教訓を生かせたかどうか。
04.11.27