「ハウルはまたおフロ?」
夕食の買い物を済ませて帰ってきたソフィーは、出かける前は椅子の上にあった恋人の姿が今は無いのを見て、ふわふわと漂っているカルシファーに尋ねた。
家にいるのに見当たらないときは、大抵バスルームか、そうでなければ自分の部屋のガラクタの奥に
――ソフィーは未だにあの部屋だけ掃除をさせてもらっていない――
もぐりこんで眠っているのだ。
なぜ一日に何度も入る必要があるのかソフィーには理解し難いが、ハウルは本当にバスルームにこもるのが好きなようで、荒地の温泉を泣かせていた(お湯はカルシファーが魔法で温泉から持ってきている)。
案の定ソフィーの問いにカルシファーは頷き、この城の主の現在地をソフィーに教えてくれた。
「もうすぐ一時間だから出てくるよ。ソフィーが出かけてすぐ、おいらお湯を頼まれたから」
「他の皆は?」
「マルクルは庭でヒンと遊んでた。荒地の魔女はその横で椅子に揺られてうつらうつらしてたよ」
「そう。教えてくれてありがとう」
「おいらは? おいらのことはきかないのかい、ソフィー」
「あら、あなたは今わたしの目の前にいるじゃない」
ソフィーは柔らかな微笑を浮かべた。
「そうね、カルシファーはわたしが出かけている間、何をしてたの」
「おいらあちこち飛び回ってた! だっておいら自由だ! もう何べんも確かめたけど、そのたびいつだって嬉しくなるんだ。だから何べんだってまた確かめるのさ、嬉しくなるために」
「良かったね、カルシファー」
にっこりして、ソフィーはカルシファーに手を差し伸べた。
ちょうどそこへ、ドアが開く音がしてハウルが入ってくる。
風呂上りのさっぱりした姿だが、魔法のおかげで髪の毛はすでに乾いていた。
そのままソフィーを見て瞳を輝かせた。
「おかえり。何してるの?」
「ただいま。これからするところよ。夕飯の支度を」
ハウルは側においてあったバスケットの中を覗き込んだ。
エプロンのひもを結びながら、ソフィーは玉ねぎを手にとって眺めている彼に、先ほど浮かんだ疑問をぶつけた。
「ねえ、あなたいつもおフロで一時間も、いったい何をしてるの?」
問われたほうのハウルが首をかしげた。そんなことを訊かれるとはまさか思わなかった、という顔だ。
「知りたいの?」
「教えてくれるなら、知りたいわ」
何の気なしにそう言ったのだが、思いもかけない彼の変化に一瞬面食らう。
な、なにか彼を喜ばせるようなことを言っただろうか?
ソフィーのセリフに、“予想もしていなかった”の顔が、“素晴らしくいいものを見つけた”顔に変わったのだ。
それがなぜかはすぐにわかった。
「じゃあ一緒に入ろうか。そうしたらわかるだろう?」
「え?」
彼の満面の笑みの理由に気づき、逆にソフィーは笑顔を引っ込めた。
頬がカルシファーに照らされたように真っ赤に染まる。
「ハ、ハウル……あの……」
「ワン!」
「あっこらヒン、ダメだよ飛びついたら!」
ハウルがソフィーをまさに口説こうとしたのと、現れたヒンがソフィーの白いエプロンの胸にジャンプしたのは同時だった。
その後ろから、慌てた様子でマルクルが入ってくる。
いいところを邪魔されたハウルの機嫌が急降下するのも、それをぶち壊した元凶の一人と一匹と相手の少女は気づいてくれなかった。
「まあ、泥だらけじゃないの!」
ソフィーは茶色くなったエプロンと、その原因となった腕の中の犬に目を落とした。
それからマルクルに視線を移すと、こちらもヒンに負けずに土とほこりで真っ黒だ。
えへへ、とマルクルは顔をごしりとやるが、綺麗になるどころか頬に余計な茶色い線を引いただけだった。
「ヒン、ソフィーの服を汚したらダメじゃないか!」
「洗濯しないといけないわね」
ソフィーはヒンを降ろすと、エプロンの端を摘まんだ。
「そうね……」
泥のついた両手を見てため息をつく。「顔と髪にも泥がはねてるよ」とマルクルが教えてくれた。
「夕食の支度をするつもりだったけど、お風呂を先にしたほうがいいみたい。ヒンも洗ってあげないと。マルクル、あなたもよ。こうなったら3人で入っちゃいましょう」
これに驚いたのはハウルである。
「ソフィー! キミが一緒に入る必要なんて無い、マルクルにヒンを洗わせればいいじゃないか!」
「そうしたらわたしが入るのが遅くなっちゃうわ。夕食を作るのも遅くなっちゃうし」
「じゃあキミが先に入ればいい」
「そのあいだ、ヒンとマルクルは汚れたままでいるの? わたしがおフロから上がる頃には、きっと部屋が泥だらけになってるわよ」
「それなら僕も一緒に入るっ」
「何を言ってるの、あなたはたった今出てきたばかりじゃないの。入る必要ないでしょう」
ソフィーの言っていることのほうがもっともだった。ただハウルにとっては理屈なんかどうでもいいのだ。
しかし、恋人が自分とだってまだ入っていないのに、先に他の人間とフロに入るのを阻止できるような上手いセリフも、これ以上は思いつきそうにもなかった。
そこで矛先を弟子に向けようと、マルクルを見た。見られたマルクルは怯えた顔で肩をびくりとさせる。
「マルク……」
「さあほら、行くわよ。いつまでも泥だらけで部屋をうろちょろされると困るから。掃除も大変だし」
師匠権限で不当な圧力をかけようとしたところを、ソフィーにさえぎられた。
あからさまにほっとした様子のマルクルと、何食わぬ顔のヒン。そして彼らを追い立てるようにして部屋から出て行くソフィー。
それらを悔しげに見送ることしかできず、ハウルはカルシファーに呟いた。
「……カルシファー」
「なんだい」
「明日、朝一でお湯を頼むよ」
次の朝、ハウルの企みが無駄に終わらなかったかどうか。それはまた別のお話。
そしてソフィーの見ていないところでマルクル(とヒン)がどんな怖い目を見るハメになったか。それもまた、別のお話。
04.11.28