天気のいい日だった。
絶好の洗濯日和だったので、ソフィーはこの機会を逃さず、マルクルに手伝ってもらいながら洗濯物を干していた。
ぽかぽかの太陽に照らされて、きっとすぐに乾くことだろう。
ヒンがうたたねしている横で荒地の魔女は椅子を揺らしている。
小さく歌を口ずさんでいたソフィーが仕事を終えてしまうと、うつらうつらしているだけだと思っていたそのおばあちゃんが、実は何かを読んでいるらしいのに気づいた。
「おばあちゃん、それなあに?」
ソフィーは座っている魔女を上から覗き込んだ。魔女は何枚かの紙を持っている。
封筒と――――便箋? 手紙。
見覚えの無い可愛らしい模様のそれは、おそらく差出人は女性だろう。
「おやまぁ、あなたをあいしています、だって! どきどきするねぇ」
無邪気に読み上げるおばあちゃんに、ソフィーの顔色が変わる。
側のマルクルはきょとんとしていた。
女性からのラブ・レター。そこから導きだされるものは。
この家に男は二人、そのうち一人はまだ小さな男の子、思い当たるのは一人しかいない。
「おばあちゃん、それ、誰宛ての手紙? もしかしてハウルの?」
「ハウル……? しんあいなるハウルさま……あらあら」
便箋をひっくり返しておばあちゃんはソフィーの言葉を肯定した。
「どこで見つけたの?」
「さあ、どこだったかねぇ……どこか、そのあたり」
「そう。ね、これ、少し貸してもらってもいいかしら」
にっこりと優しい笑顔を浮かべてソフィーは言った。
側のマルクルは……なぜか強烈な寒気を感じて肩を震わせた。
人の手紙を勝手に読むのは悪いことだ。そんなことぐらい知っている。
けれど、ソフィーの怒りは良心を追い払ってしまった。
驚いたことに手紙の差出人はみなばらばらだった。
けれど共通しているのは、どれも柔らかな若い娘らしい字だということ。
そしてそれら全て、ハウルへの甘い恋を綴っているものだということ。
どうしてこんなものを読んで心穏やかでいられようか。
『ハウル、あなたの言葉が忘れられないの。あなたってなんて情熱的で素晴らしい人なんでしょう』
『ああ、愛しているわ、ハウル。あなたもそう言ってくれたのを信じていいのよね?』
『会いに来てくれるのをずっと待っています。愛しい人』
薔薇色の空気のあふれた言葉の数々が、ソフィーの不機嫌に拍車をかける。
なかでもソフィーが気になったのは次の一文である。
『昨夜はとっても素敵でした。この手紙を書いている間も、ずっとどきどきしています』
これは。つまり、その。そういうことなのだろう。
過去に嫉妬するのがどのぐらい不毛なことか、ソフィーだってわかっているつもりだ。
なにせあの容姿と自信と実力だ、彼に身も心も投げ出す乙女が後を絶たなかっただろう。
それをいちいち気にしていたらきりが無いし、時間の無駄だ。
けれど、いくら気にしないようにしていても、こうやって思い知らされるのはなかなかに胸がずきんとする。
「……不公平だわ」
呟いて、そうだ、という気になる。
ソフィーなんか、今まで恋人がいたことなんて無かった。
私ばかりにみっともなく嫉妬させるなんてずるい。
「もうっ、わたしも浮気してやろうかしら!」
「本気?」
声はすぐ後ろから聞こえた。
慌ててばっと振り返ると、いつのまに来たのか至近距離にハウルがいた。
勝手に手紙を見た後ろめたさとその内容に対する怒りとが一気に襲ってきて、ソフィーはどうしてよいかわからずに固まった。
「ソフィー、浮気するの?」
ここでソフィーの心に、先ほどの怒りがむくむくと持ち上がってきた。
「そうよ!」
「誰と?」
「誰とって……わたしを好きと言ってくれる人とよ」
「その人と浮気するの?」
「するわ」
売り言葉に買い言葉なのだが。半ば意地で、ソフィーはそう言っていた。
「出来ないよ、ソフィーには」
頭から決めてかかっているようなハウルに、かっとなって怒鳴った。
「何よ、わたしには無理だって言いたいの!」
「うん」
ソフィーの剣幕に全くこたえた様子も無く、さらりとハウルは言った。
「だってソフィーが好きなのは僕だろう?」
あまりに当然のように言うものだから、ソフィーは勢いを削がれてしまった。
うっかり力の抜けた両手から手紙がひらりと落ちる。
「その手紙……」
隠す暇も無かったので、手紙はばっちり見つかってしまった。もはや言い訳は出来ない。
ハウルは落ちた手紙を見て、思い出したように目を瞬いた。
「ああ、捨てようと思ってたやつだ。どこかにいっちゃってそのまま忘れてて」
「え……、捨てようと?」
「うん。無くしたからもういいやと思ってね……ソフィーが見つけたの?」
では大事にとっておいていたわけではないのだ。
ソフィーは首を振った。
「見つけたのはおばあちゃん。でも、貸してもらったの」
「ならそれ、代わりに捨てておいてくれ」
「いい……けど、あの……ごめんなさい」
「なんで謝るのさ」
「ハウルの手紙、勝手に読んでしまったわ」
「ああ……読んで、怒った? だから浮気しようなんて言い出したの?」
「だって、悔しかったんだもの」
うつむいた頬に髪の毛がかかる。
「わたしばっかり嫉妬して……癪に障るったらないじゃないの」
「それは違うよ、だってキミが嫉妬する必要なんてどこにもないじゃないか。僕が好きなのはキミなんだから」
顔を隠したソフィーの髪の毛を、ハウルがかきあげた。
ソフィーは色々なものがごちゃ混ぜになった恥ずかしさで顔が上げられない。
「ねえソフィー、キミ、本当に浮気するのかい?」
ソフィーは黙ってまた首を振り、ハウルは満足げににっこりした。
「それは賢明だね。僕を愛してるキミが、他の男を愛するなんてできっこないよ」
呆れるほどの自信だが、悔しいことに、ソフィーには本当のことだった。
さっきまでかんかんに怒っていたはずなのに、今はすっかり負けた気がした。
毒気を抜かれるとはこういうことを言うのだろうか。
あごを持ち上げる手に、ソフィーはそっと目を閉じた。
04.11.29