数分後。
 とんとんと階段を下りる音が聞こえて、ソフィーは布から目を上げた。
「寝たんじゃなかったの」
 眉根を寄せて、同情を引こうとするような情けない表情のハウルがいた。
 わざとそういう顔を作っていることは、ソフィーにはお見通しだ。だてに甘ったれの恋人を持ってはいない。
「なんだかちっとも眠れないんだ……ブランデーをくれるかい?」
「ブランデーはきらしちゃってるわ。ミルクを温めてあげるから待ってて」
「ブランデーがいい」
「無いって言ってるでしょ? だいたい、昨日あなたが残ってたのを全部飲んじゃったんじゃないの。だからわたしは買いに行こうとしたのに、今日はずっと側にいてって一日中離そうとしなかったのはあなたよ」
「ソフィーは僕と一緒にいたくなかったの?」
「そういう話をしてるんじゃないでしょう! ブランデーの無い理由についてを話してるの。あんまり困らせるようなことを言うと、すっごく濃くて苦いお茶を代わりに出すわよ」
「……ミルクでいい」
「よろしい」
 一番災難なのは、寝ているところをたたき起こされたカルシファーだったりする。



 そしてまた数分後。
「ソフィー!」
「今度はなに!」
 あんまり大きな声を出さないで、マルクルたちが起きちゃうじゃないのと叱り飛ばしてから、ソフィーは眼前の魔法使いを見やった。
「どうしてそうじっとベッドにいられないの」
「なんだか寒いんだ、キミの熱を分けてよ」
 ハウルは両腕を大きく広げた。
「抱きしめさせて」
「お断りよ。邪魔しないでってば」
 あともう少しで終わるのだ。そしてハウルが来なければとっくに終わっていたのだ。
「一回でいいんだよ、そうしたらあったかくなって大人しく寝られるさ」
「わがままばっかり言わないで。わたしはあなたのママじゃないのよ」
「わが母……ね。でもサリマン先生に会いに行ったときは、僕の母親役をやってくれたじゃないか」
「あれはお芝居だもの」
「芝居でいいから、僕を甘やかす役をやってよ。さあ」
「勝手にすれば」
 ソフィーは説得を諦め、手に持っていたものをテーブルの上に置き、ため息をついた。
 ハウルは嬉々として「勝手にした」のだった。



「ソフィーソフィーソフィー!」
 ソフィーの寝室のドアをノックもせずに開け放ったハウルに、もう何か言う気も起きない。
 ようやくなんとか仕事も終えて、寝ようとしていたのに。
「やっぱり一緒に寝よう! それが一番よく眠れると思うんだ」
「あなた、わたしが言ったこと忘れたの?」
 思いが通じ合った後、「マルクルもいるし、結婚するまではお互い節度を保ちましょう」とソフィーは釘を刺したのだった。
 今はまだ、ふたりは婚約期間中なのだ。
「忘れてない、ちゃんと覚えてるよ。何もしないから、隣で眠るだけでいいんだよ!」
「……わかったわ」
 ソフィーがあっさり折れたので、かえってハウルは面食らったようだった。
 彼としてはダメでもともと、もっと抵抗されると思っていたのに。
 しかしやはり、上手く行き過ぎる話には落とし穴があるもの。
「ベッドが狭くなっちゃうけどいいかしら。――――マルクル」
「……え?」
 振り返ったソフィーの後ろにいたのは、ハウルの弟子で。
 ソフィーに隠れてハウルから見えなかった彼は、こっくりと頷いた。
 いまだ事態が飲み込めないハウルに、ソフィーが説明する。
「あなたの来る少し前にね、あなたと同じことを頼まれちゃって。怖くて、ひとりで眠れないんですって。ああ、ひょっとしてあなたも怖いだけだったの?」
 ハウルは単に甘える口実が欲しかっただけだ、と気づいているくせしてソフィーがそんなことを言うのは、何度も邪魔をされたのをちょっぴり怒っているからだ。
 結局ソフィー、マルクル、ハウルの順でベッドに入ることになり、二人の寝息が聞こえる中で、ハウルはずっと「間違ってる。絶対何か間違ってる……」という思いを抱えていた。




04.12.03