ドアを開けた目の前の光景にハウルは立ち尽くした。
「っ……う……ひっく」
 ソフィーが。
 ハウルの愛しのソフィーが。
 彼にとってこの世で最も尊い命のソフィーが。
 何物にも代えがたい大切な宝石であるソフィーが。
 全身全霊をかけて守り抜くと誓った相手であるソフィーが。
 ――――いい加減にしろとのお叱りを受けそうなのでここいらでやめておこう。
 とにかく、彼の恋人であるソフィーが。
 暖炉の前で顔を覆って泣いていた。
 その指の隙間からは微かな嗚咽が漏れ聞こえてくるし、こらえきれなかった肩の震えが見て取れる。
 横にはおろおろと慌てた様子のマルクル。ソフィーの足元にまとわりつくヒン。
 そしてバツの悪そうな顔をしたカルシファー。
 誰もが泣いている少女をもてあましているようで、ソフィーは泣きつづけている。
 ハウルは大股に彼らに近寄ると、自分の弟子に尋ねた。
「何があったんだい?」
「カルシファーがソフィーを泣かしたんです」
 マルクルの一言に、ハウルの戦闘力が変化した。部屋の中なのに何故か嵐が吹き荒れる。
 もしこの世界にスカウターがあったなら、間違いなくはじけとんで壊れているだろう。
 彼は怒りによって大幅に戦闘力が上がる種族なのである。……嘘だが。
「カルシファー……」
 ゆらりとハウルは炎を見た。
 動作としては緩慢だが、その緩慢さが怖い。
 さすが魔王になる素質のある男、本気で怒ったときの迫力は半端じゃない。
 もし彼にその気があったなら世界を掌握するのも夢ではないだろう。
 本気でそう思うほどの圧倒的な力を感じて、マルクルはおののき、ヒンは怯え、カルシファーは恐怖に震えた。
 今にも水をぶっ掛けかねないハウルに、カルシファーは大あわてで弁解した。
「誤、誤解誤解だってば! おいらが別に何かしたわけじゃ!」
 必死な声も、残念ながら愛にぷっつんきてるハウルの耳には届かない。
「僕のソフィーを泣かせた罪、万死に値するね」
 その姿は、まるで地獄の底からやってきた使者、なのかもしれない。
「こ、ここここここわいって! やめろ! 待って! ソフィー助けてえぇ――!!」
 カルシファーはソフィーの後ろに隠れた。もはや彼女だけがハウルを止められると判断してのことだった。
「え……? あ」
 ようやくソフィーは目元をぬぐって顔を上げた。
 その仕草に思わず胸をときめかせる魔法使いが一人、ソフィーって泣き顔もめちゃくちゃ可愛い。
「あら、ハウル……いたの?」
 痛恨の一撃だった。ハウルは大きなダメージを受けた。
 さすがソフィー、ハウルの扱い方をよく知っている。
 本気でハウルに気づいていなかったらしいのがすごいところだ。
 情けなく顔を歪ませたハウルには、さっきまでの世界を滅ぼしそうな魔王の面影はどこにもない。
「そりゃないよソフィー! 僕は君を心配して……。カルシファーは一体君に何をしたの?」
 言外に自分への脅しを感じ取ってカルシファーは縮こまった。
 つまり「ソフィーの返答しだいじゃ容赦しねぇぞテメー」ということである。
 ああ、どうかこれ以上ややこしくなりそうな言い方をソフィーがしませんように!
 悪魔のくせして祈ってしまったカルシファーだったが、彼を責められるものは誰もいないだろう。
「カルシファーが……」
「うん、カルシファーが?」
「薪を燃やしてくれて……」
「薪を燃やして?」
「うまく燃えなくて、煙が目に入っちゃったの」
「……」
 ハウルは口を開けたまま止まった。
「ん……まだ痛いわ。もうちょっと待って、すぐ泣き止むから……」
「だから言ったじゃないか!」
 カルシファーが勝ち誇ったように叫んだ。
 ハウルは調子よくそれを聞き流すことに決めて、とりあえず泣いている彼女の顔をこれ以上ほかの人間+悪魔+犬に見せないように、泣き止むまで自分の胸に抱きしめるのだった。



04.12.10