掃除をするからとソフィーに追い出されて、今まで庭でヒンと遊んでいたマルクルを出迎えたのは、いつになく打ちひしがれた様子の彼の師匠だった。
「な、なにかあったんですか?」
思わず尋ねてしまうのも無理はない。
「なにがあったかって……? 聞きたい……?」
幽鬼を思わせるその表情に、やっぱりいいですとマルクルが断る前に、彼は話し始めた。
「ソフィーって僕よりマルクルに甘い」
「……は?」
突然何を言い出すのだこの男は。
さっきから椅子に座りながらむっつりと押し黙って、掃除をしているソフィーを凝視していたかと思えば。
マルクルにだけ焼きたてのクッキーを味見させたのがいけなかったのかしら、それとも朝、まだ寝ているハウルを置いて二人で(ヒンも一緒だったけど)散歩に行ったのを拗ねてるのかしら。
もしかしたら一緒に本を読んであげたのとか、一緒にお風呂に入ったりとか、一緒に寝たりしたせいかも。
それとも……と、まだあるのかと突込みが入りそうなほど次々と思い当たる節を頭の中であげていたソフィーに、ハウルはもう一度繰り返した。
「僕よりマルクルのほうが可愛いんだろ」
そりゃいい歳した図体のでかい男より、小さくて懐いてくれる男の子のほうが『可愛い』のは当然だと思うけど。
しかしそんな本当のことを言えば、そこらじゅうが緑のどろどろで覆いつくされるのは明白だ。
「そんなことないわよ?」
ソフィーは完璧なぐらいにっこりと笑ってみせた。
けれど今日の彼は騙されてはくれなかった。
「嘘だ」
「……」
完璧な笑みを崩さないままソフィーは決めた。そうくるなら、こっちにも考えがある。
「そうね、確かにマルクルは可愛いわ。あなたとマルクルは違うもの」
「……!」
自分から言い出したくせに、いざソフィーに肯定されるとショックだったのか、ハウルは絶望の表情になった。
カウントダウン開始、緑のどろどろ10秒前。
「でもマルクルはあなたより可愛らしいけど、だからってあなたがちっとも可愛くないわけじゃないし。あなたにはあなたのいいところがあって、とっても素敵だし、格好良いと思うわよ。わたしはそんなあなたが好きだけど、それじゃご不満かしら?」
情けなくて弱虫でわがままで己惚れやでエトセトラエトセトラ、は心の中にしまっておいた。
現金なハウルは、ソフィーの言葉であっというまに立ち直ったらしい。
「ソフィー! 僕も君が大好きさ!」
がばっと抱きついてくる大きな子どもに、ソフィーは内心やれやれとため息をついた。
どうにか掃除の最中に余計な汚れを増やされることを回避できて良かったが、それにしてもマルクルと張り合ってどうするのかしらと呆れてしまう。
実際、マルクルが可愛いのは本当のことだけれど。
ふとソフィーはあることを思い出して、心があったかくなった。
「そういえばマルクルがね、以前こんなことを言ってくれたの。行かないで、僕ソフィーが好きだ、ここにいて、って。ふふ……嬉しかったな」
ソフィーはうっかり、地雷を爆発させてしまったのだ。
「今思うと、なんだかプロポーズみたいな言葉ね」
この瞬間マルクルの運命は決まった。
「僕を差し置いてなにプロポーズしてるのかな、マルクル……?」
マルクルは一歩後ずさった。
「え、そういえばそんなことも言いましたけど、別に僕はそんなつもりじゃあ」
「でも現にソフィーは嬉しそうに頬を染めていたんだ! やっぱりソフィーは僕よりマルクルのほうが好きなのかも知れないっ」
ハウルはテーブルに突っ伏してさめざめと泣き始めた。
自分で言って傷ついてりゃ世話ない。
賢い魔法使いの弟子は、色の変わりだした師匠に一番の助言をした。
「とりあえず、ソフィーに嫌われたくなかったら、緑のねばねばを出すのをやめたほうがいいと思います」
04.12.12