現代にいた時だってこんなに勉強しなかったと思うくらい、机に向かう日々が続いている。
言語は難解で、文字はやたらと画数が多く、わからないことだらけ。
光也は今日もまた、仁に「自分の知らないこと」を教わろうと、教科書を携えて彼の部屋を訪れた。
最近はだいぶドイツ語も読めるようにはなってきたが、『慶光』にはとても追いつけていないだろう。
ジィちゃんってすげえんだなあ、と改めて尊敬の念を強くする光也なのだった。
「うす」
「やあ、来たな」
出迎えた仁の引いた椅子に腰掛けて、光也は教材を机の上に置こうとした。
するりと薄い紙が落ちた。
床の上に軽く舞い降りたその紙は、どうやら
「……手紙?」
いつの間にこっそり教科書の間に忍ばされていたのか、その手紙を光也は拾い上げる。
仁の手がわずかに遅れて空を切った。
ちっ、と上品でない舌打ちが聴こえ。
姿勢を起こすと、拗ねた様子の仁と目がぶつかった。
「なんだよ?」
仁はじりじりと近づいてくる。
「みつ、それをこっちに寄越してくれないか」
「はあ? なんで」
「いいから」
こいつにしては珍しく、妙にムキになっているように見える。
それが不思議で、光也は手の中の紙をひらひらと振った。
別に、何の変哲も無い普通の封筒だ。
「よくねーよ、なに? オレ……つか『慶光』のものじゃ、それともお前の?」
「いや、僕のではない……が」
歯切れの良くない仁、
「お前にとって見ないほうがいいと思うし、なにより僕が見せたくない」
まるでこれがなんなのか知っているような仁の口ぶりに、光也は眉をひそめた。
「どうしてそう言い切れる? 仁お前、この手紙の中身の見当がついてるのか?」
仁はこれみよがしに、「はぁ――――……」と長々ため息をついた。
「みつ。もう少し自覚を持て」
「……さっぱり意味がわからん」
クエスチョンマークを飛ばしまくる光也に、仁は人差し指を立てた。
「いいか、慶光は頭と美貌と家柄と三拍子揃った、同級だけでなく上級からも憧れの君だったんだ。隙あらば近づきになろうとする輩に、どれだけ僕が気を揉んだか……」
後半は聞き流すとして、前半はやっぱりすげぇなジィちゃん、と光也は感心する。
「あ、憧れって、……男子校だろ」
「甘い! 同性間に芽生える恋は少年期の宿命だと言っただろ!」
何故か力説する仁。
なんでこんな熱がこもってるんだよ?
光也は手元の手紙に視線を落とす。
「えーと、つまりこれは……」
光也の教科書の中にそっと挟んであった白い封筒、この中身は、仁のセリフから推し測るに。
「「恋文」」
綺麗にハモった声。
マジですか!? 光也は反射的に手の中のものを投げ上げていた。
ラブレターなんて、女からだって貰ったことが無いのに。
いや、女なんて面倒くさいし煩いし勝手だし、別段貰いたいとも思わないが、まさか生まれて初めて貰うのが男からだとは思わなかった。
あ、でも、『慶光』宛てなら、俺に対してはノーカンか?
むむむ、と光也は予想もしなかった事態に難しい顔で唸り、仁は気が逸れている光也の前で、落ちた封筒を拾った。
「というわけで、これは僕が処分しておくから」
「えっ。あ、いや、それはまずいんじゃねぇの?」
我に返って光也は仁を見た。
「一応慶光にきたもんだし……」
オレが勝手に捨てていいものだろうか。
祖父なら断るにしろきっと誠実な対応をするのだろう、それこそちゃんと文面を読んだ上で。
「それは、読むということか?」
仁は封筒の端を指でもてあそんでいる。光也のためらいを違ったふうに受け取ったらしい。
ひょっとして拗ねているのだろうか、眼差しに険が滲んでいた。
光也は視線を泳がせる。
「あー、まあ、そりゃ気色いいもんじゃねぇけどよ。こんなもん送りつけやがって、とも思うし。でも他人の手で捨てられるのは流石に気の毒かな、とちっとばかし」
「人がいいな、みつ」
「そんなんじゃねぇよ……」
妬けるから僕の前では読むなよ、と言いながら、仁は光也に手紙を返した。
以前なら、間違いなく捨てていただろう物。
光也は自分のところに戻ってきた白い紙を見ながら、「お前のおかげで、相手を真剣に想う気持ちについて考えを改めるようになったのだ」ということを仁に明かすべきか否か迷っていた。



オチがない。(05.12.01)

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