温い風が、光也の伸びた毛先をくすぐる。
ここのところ肌寒い日が続いていたと思ったら、一転して今日の気温の上昇は何だろう。
三寒四温になる時期にはまだ早いだろうから、これははぐれた残暑の意地のようなものだろうか。
昼になって太陽が照らすにつれますます暖かになり、同級生の中には早々に上着を脱いでいた者の姿もあった。
校舎の外、静かなところで一人座っている光也も、とっくに同様の格好だ。
色づき始めた葉を目の端に映して、どのくらいしたら教室に戻るべきかと思いながらぼんやりする。
木陰と重なっていた光也自身の影が揺れる。
こちらでの学生生活も板についてきた。少なくとも、こうして仁を撒ける程度には。
涼むつもりで木陰を選んだのだが、どこもかしこも変わらず、うっすら汗ばむほどの陽気だ。
やっぱりちょっとあちい。
髪を結び、白いうなじを晒しながら、光也はシャツのボタンをはずしたものか考える。
手をやりかけて、眉を吊り上げた仁の顔が脳裏に浮かぶ。
『他のやつらの前で肌を露出するな! 学校でなど言語道断だっ』
……オレは嫁入り前の娘か。
あほらしい、なんでオレがあんな世迷言を気にしなけりゃならんのだと、ぶちぶちボタンをはずしていく。
後ろめたく思う必要なんて何も無いはずだ。4つ目のボタンに指をかけようとして、
「みつや!」
体当たりでぶつかってきた声が、光也の肩を飛び上がらせた。
息を切らせてこちらを睨む仁の身体からは、『散々探させやがって』というオーラが、思わず気圧されるほどに出ている。
怒ってるなぁ、と光也は僅かな気まずさをもって彼を見返した。
走ったせいで汗をかいたのか、仁はシャツの袖を肘のところまでまくっていた。
「僕から逃げようなんて、そうはいかないっ」
「……そろそろ中に戻ろうと思ってたんだよ」
勉強しなさいと母親に言われて今やろうとしていたところだと答える子どものような言い訳を、仁にどう受け取られたのだろう。
彼は険しい顔のまま、じぃっと光也を見ていた。
「授業を受けるには随分とだらしない格好のようだが?」
ぎくり、と光也は今の自分の姿に思い至る。
そういえば、先ほどまで仁がいないのをいいことに、制服を着崩しまくっていたわけで。
肌蹴た前を慌てて直そうとし――――ふと、反発心が芽生えた。開き直ったとも言う。
「オレがどんな格好しようが、別にいいだろ」
「よくない。戻るならきちんとボタンを留めてからにしろ」
「暑いんだからしょうがないだろうが」
「お前なあ!」
仁が怒鳴ったので、光也は怯んだ。
「飢えた野獣の群れの中にそんな無防備な格好で飛び込む気か!? 劣情を催されでもしたらどうするんだ!」
思ってもみなかった単語に、頭がついていけなかった。
「れ、つ、ぢよう……?」
「わかったか!? わかったら今すぐをシャツを直せ!」
「アホか━━━━━━━━━━!!!!」
ぼかっ。
我に返って光也が真っ先にしたのは、仁を殴り飛ばすことだった。
「お前、曲がりなりにも学友たちを変態扱いするのやめろ! だいたいなあ、露出がどうのって、お前はオレの着替え見てたことあるじゃねぇか」
「僕はいいんだ!」
なんだそのジャイアン理論!と切り返した光也、じゃいあん?と首をかしげる仁、
「とにかく、大人しく僕の忠告をきいておけ。お前の身を案じて言っているんだぞ」
今の光也には売り言葉に買い言葉だ。
「うるせぇこの変態おせっかい、案じられるいわれはないっ」
変態おせっかいこと緑の目をした独占欲の塊に、光也はイライラと頭を押さえた。
こいつの慶光=光也(オレ)に対する執着はちょっとイっちゃってる域だと思う。
仁が来る前には確かにあった静寂が、少年二人の怒鳴りあいのせいでどこかに消え失せてしまっている。
木々のさわめきも先とは違って聴こえた。
仁がじりじりと距離を詰めながら言った。
「つまり、きちんと着るつもりはない、と?」
「ああそうだよっ」
「子どもだな」
「どっちがだ!」
叫んだ光也は、仁の目が怪しく光ったのを見逃してしまった。
そう、光也は意地を張るべきではなかった。
がしりと両肩を掴まれたかと思うと、力任せに仁に抱きしめられていた。身動きが取れないほど強く。
「なっ……なんっ……」
拘束を解こうともがくが、叶わない。暑い。……熱い。
しがみつくような仁の腕は、光也に逃げることを許さなかった。
首筋に息、そして押し当てられた唇を感じた一瞬の後。

――――ぎゃああああああああ、と耳を劈く悲鳴が響き渡った。

ようやく光也を解放した仁は、ふん、と
「子どもがこんなことをするか?」
光也が猫だったなら、思い切り全身の毛を逆立てていただろう。
とんでもないことをしでかしてくれた自覚があるのかないのか、仁はわめく光也を見ている。
「て……てめェ! いま、いまっ……ガブって! ガブって!!」
顔を真っ赤にして怒る光也の首には、自分では見れないがうっすらと赤い歯形が残っていた。仁に噛まれたのだ。
吸血鬼かこいつはぁぁ! 噛まれた部分を押さえつつ、光也は仁に蹴りを入れた。
仁も負けずに主張した。
「言ってもきかないわからずやのお前が悪いんだ!」
「逆ギレしてんな、もっかい蹴るぞ!」


仁をその辺に転がして一足先に教室に戻った光也に、同級生が声をかけてきた。
「あれ相馬、君は暑くないの?」
光也はシャツのボタンを留めるどころか、上着まで一部の隙もなく着込んでいた。
さっきまでは結んでいた髪の毛も下ろしている。
午後になって、大部分の学生が暑さに負けて上着を脱いだというのに、首元をぴっちり締めた光也の姿は周囲に不思議がられた。
しかしその理由を知るのは、光也自身と、光也に蹴られた仁だけであった。



がぶり。(05.12.21)

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