あ、と声が上がったので隣を見れば、そこに座っていた仁の指から血がたらたらと垂れていた。
「お前、血っ!」
光也は膨れて玉になった赤いものに目を奪われて、慌てふためいた。
対して指を切った仁は、張本人だというのにさして気にした様子もなく、のん気に本を閉じている。
その本のページこそが仁の指を切った原因であり、光也を驚かせた原因でもある。
薄く鋭利な紙は、触れ方を誤ると凶器と化す。下手な刃物より余程切れる。柔らかな皮膚などひとたまりもない。
右手人差し指に一直線に走った傷は、たちまち重くなった玉を滴らせた。
なのに、仁はまるで痛みすら感じていないかのように落ち着きはらっていた。
「油断してた。結構さっくりいったな」
「何人事みたいに言ってんだよ!?」
人事であるはずの光也のほうが遥かに慌ててしまう。
全く平然としている仁と、これでは立場が逆だ。
「大げさに騒ぎすぎじゃないのか。このくらい、たいした怪我じゃない」
「たいした怪我じゃないって、結構血ィ出てんじゃねえかよ!」
怒鳴りつけながら、光也は近くに手当てが出来るような布がないか探した。
ねえし!
と困ったところで、ポケットにハンカチが入っていたのを思い出す。春日家の使用人が毎朝用意してくれるものだ。
光也はポケットを探った。
それを黙って見ていた仁が、おもむろに声をかけてきた。
「お前、血が苦手だろう」
「……得意なやつのほうが少ないだろ」
胸が一つ大きく打ったが、光也はそうとぼけた。
本当のことなど言えるわけがない。
母親が浴室で手首を切った、などと明かしたところで、『慶光』の母親は『慶光』が三歳のときに事故で亡くなっているのだ。
あの、真っ赤に染まったバスタブを見たときの、心に氷を流し込まれたような恐怖感。二度と味わいたくなかった。
「いいや、お前の血への反応はいささか過ぎるほどだ」
仁は妙に断定口調で言う。言い当てられたことにやや面食らって、光也は聞き返した。
「わかんのかよ」
「それだけお前のことをよく見ているからな」
「あっそ、それはそれは」
自信満々の仁にそう言って、光也は彼の腕を取った。
「もうほとんど止まったぞ?」
「いーんだよ、大人しく手当てされてれば」
確かに仁の指摘どおり、細い傷は固まりかけた血で塞がり始めている。
だが、深く切ったのか未だ新しい血を滲ませている箇所もあるのだ。
光也は傷が開かないようにと気をつけて赤い汚れを拭った。
そっと処置を施す間、言われたとおり仁は大人しくしていた。
「亜伊子が薔薇のトゲで手のひらを血まみれにしたときも、僕がガラスの破片で口を切ったときも、お前のうろたえぶりは尋常じゃなかったからな」
「……血が出るほどの怪我したら誰だって心配するって」
バンドエイドねえんだよなあこの時代、と考えながら光也は仁の指を綺麗にし終えた。
「そうかありがとう、心配してくれて嬉しいよ。心配ついでに、傷を舐めてくれないか?」
「どさくさにまぎれてほざいてんじゃねえ!」
至近距離の仁の頬に、一発ぶちかまして撃退する。
人が真面目に話しているのにこれだ。心配して損したっつーの。
「ったく、こんだけ煩悩の血が滾ってるなら大丈夫だな!」
むしろもう少し血を出しておいたほうがよかったかもしれない、などと思ってしまう。

「お前が舐めてくれたらすぐに治るのに」
「その指、噛み千切ってやろうか!?」
それは怖いな、と笑って、仁は自分の指を咥えた。



光也、血を見るたびオーバーリアクションだから。(06.01.11)

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