ソファに座って、離れた部屋から聴こえてくる亜伊子のピアノの音に耳を傾けているうちに、いつの間にかうとうとしていたらしい。
目を開いたら、視界いっぱいに唇を突き出した仁の顔が飛び込んできた。
それを効果音にするなら差し詰め「うちゅー……」か。
うおわぁ、とのけぞって回避する。
近づいてきた仁の唇は空振りをして、光也は飛び起きた。
「何考えてんだ貴様はぁっ!」
仁は当然のことのように答えた。
「何って……お前のことを考えてる」
「そういうことを訊いてるんじゃねぇ!!」
「そうは言われても、事実僕の考えてるのは大抵お前のことだぞ?」
そんなに威張って言うことか。光也はぐったりと脱力した。
「……もういい」
これ以上付き合っていても疲れるだけだ。そう判断して話を切り上げる。
今何時だろう、どのくらい寝てたんだ?
仁をまるっきり無視して、光也は時計を見た。針は7時をさしている。それで仁が来た用件がわかった。
「夕食の時間だから呼びに来たんだ」
「あー、ワリィ。今行く……」
立ち上がると、無理な姿勢で寝ていたせいか、身体がこわばっている気がした。
それをほぐそうと首や肩を回す。ドアノブに手をかけていた仁が言った。
「どうした?」
「んー……ちっと身体が痛くて」
「揉んでやろうか?」
言葉と同時に、背骨のラインを指先でつーっと上からなぞられた。
うひゃあ、とひっくり返った声を発し、光也は真っ赤になって叫んだ。
「や、め、ろ、この変態!」
仁はにこやかに言い放った。
「いいな、今の声」
ぷっつん。
「こんのドアホウがぁぁぁぁ!!」
屋敷中に響き渡るような大声を出し、光也は仁の襟元を引っつかみ、怒りに任せてがくがく揺すった。
今や完熟トマトのようになった光也は耳まで真っ赤だ。
そして仁のほうは首が絞まった上に前後に揺さぶられてだんだん青くなってきている。
息を切らせるほど運動した光也は、ようやく仁を解放した。
「ごほっ、……これはいくらなんでもあんまりな仕打ちじゃないか?」
「黙れ! いっぺん死んでそのバカ直してこい!」
ああもうなんてふざけた野郎なんだ。こんなやつの一挙一動に翻弄されてどうする。
かっかと怒る光也に、仁はふと真剣な目つきをした。
まともに見てしまった光也は、一瞬怒りを忘れた。
代わりに抱いたのは、不安やいたたまれなさ、漠然とした恐怖、そういったものだった。
いつも、こうやって仁は、差し出してくる花束の中に一本剣を混ぜる。
「首なんて絞めなくても、お前はたった一言で僕を殺せるのに」
「……仁」
「その言葉をお前の口から聞けたなら、きっと僕は、死ぬほどの幸福を味わえる」
そう言って俯き、何かに耐えるような表情を見せる仁に、光也はどうすればいいのか迷った。
シリアスな雰囲気は苦手だ。自分と彼の関係は、冗談に包んで笑い飛ばせるくらいが丁度いい。
こうやって鋭い切っ先を突きつけられると、どきりとしてしまう。
だから。
唇を開きかけて、光也はあることに気付いた。
仁の肩が、小刻みに震えている。
彼は笑っていた。
「くっ……くくくっ……くっ……」
「……テメェ」
単にからかわれたのか、それとも光也の困惑を察して剣を隠してくれたのだろうか。
判断はつかなかったが、ひとつだけ確実なことは、光也はまたいつものように振舞ってよいということだった。
仁は目元の涙を拭いながら言った。
「たまにはみつから愛の言葉の一つや二つ聞かせてくれてもいいんじゃないかと思って。僕はこんなにも愛を囁き続けていると言うのに、お前と来たらまったくつれないんだから」
「つれてたまるかよ! つか、絶対言わん!!」
むかつくことにくすくす笑い続ける仁の横を、光也は乱暴な足取りで歩いた。
「行くぞほら、亜伊子たち待たせてるし、早くしないと料理が冷める」
花束を拒むのは中に隠された剣に気付いているからではなく、花そのものを受け取る気がないだけなのだと自分に言い聞かせた。
そもそも受け取る資格も最初からないのだ。
光也の言葉は仁を殺せる。そして、仁の剣もきっと光也を殺せる。
だから、危険なものは冗談に包んで笑い飛ばしてしまえ。

「あ、揉んでやろうかと言ったのは本気だから」
「前言撤回、お前のバカはいっぺん死んだくらいじゃ直せそうにない」



シリアスなのかギャグなのか中途半端に。(06.01.22)

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