誰かのために何かをするなら、自分の力で。
いいなあ、と光也の声が聞こえたのか、慶は座布団を持った手を止めて振り返った。
「なにが?」
「慶が、羨ましい、って言ったら怒るか」
「それは理由しだいだな。とりあえず話してみなさい」
畳の匂いのする和室、カフェーの二階にある慶の部屋、従兄弟二人で向かい合っている。
「こんなこと思うの、慶からしたらすごく贅沢に見えるんだろうけど」
しばらく食べ物も住む所にも困っていた慶と比べて、光也の境遇は恵まれていると言えよう。
なにせ華族の豪邸で不自由なく暮らし、この時代珍しい高校にまで通わせてもらえて。
だから、こんなこと思うのは、勝手かも知れない。……でも、
「でも、オレは慶が羨ましくなるんだ」
「なぜ……?」
「だって、この場所は」
ぐるりと部屋を示す。落ち着いた雰囲気のある畳の部屋だ。
昔風の(当たり前だ大正なのだから)、道具の数々。
慶が使った跡のあるそれらの道具から、ここに確かな暮らしが形成されていることを実感させられる。
「慶が、自分の力で手に入れたものだから」
はっきりと自嘲の響きが滲んでいることが自分でもわかって、光也は嫌になる。
ああ、くそ。慶に心配して欲しいわけじゃないんだ。
「光也――」
「オレの居場所って、所詮借りもんじゃん。ジィちゃんのおかげであって、オレのものじゃないんだよな」
だから、慶が羨ましい。
そう言って笑う。作ったから出来損ないの笑いになった。
「光也、お前」
慶の声がなんだか怖い。ひょっとして、不快にさせただろうか。無理もない。
「あ、やっぱ怒った、よな? 悪い……」
「お前、あの兄さんのこと好きになりだしてるだろう」
「え?」
何を言ってるんだろう慶は、と思った。相変わらず声は低くて怖いままだ。
「傷が浅いうちに引き返したほうがいいぜ」
いつもいつも、昔から、彼の言葉には力がある。祖父と同じように、光也の心を動かす力が。
いつだって考え込まされる。光也とは違う、深いところまで見えた上での言葉だ。
「そんな恋愛は、未来がない」
恋愛? 誰が。ぶっ飛んだ発想にも程がある。
光也は出来損ないの笑顔のまま笑い飛ばす。さっきよりは上手く笑えた気がした。慶がどう受け取ったかは知らない。
「大丈夫、そういった心配は無用だよ。慶の考えすぎ。オレが仁に惚れかけてるだって? ありえない」
「だと、いいんだがな」
小声で呟かれた声は、よく聞こえなかったフリをした。
「え、何?」
「いや」
それきり慶は何も言わなかったので、光也もなんとなく黙りこくってしまう。
光也としての居場所が欲しい。
今のところそれに一番近いのは、自分を正しく「光也」として認識している慶の側だろう。だからここは安心する。
じゃあ、もし、万が一、春日家の彼らが――仁が、光也が本当に他の何者でもない光也だと信じてくれたら。
そうしたらどうなるのだろう?
「ほら、茶」
「ああ……サンキュ」
出された湯飲みを受け取るときに見た自分の手のひらには、畳の細かい線の跡がいくつもついていた。
相手を受け止めたいのなら、自分の弱さと向き合わなけりゃならない。
無性にそのことを実感した。
例えば、どこまで関わることができる?
この先起こると知っている全ての災厄から彼を守るつもり?
その覚悟はある?
他人のために自分を犠牲にできる?
震災で自分も死ぬかもしれない危険を冒せる?
戦争の地獄を見る勇気はある?
彼のために、そこまでできる?
自分がしっかり立たなくては、受け止める相手と一緒に倒れこむだけだ。
だから力が、居場所が欲しいのだろうか?
そんな馬鹿な、と笑うことが、光也にはもう無理だった。
シリアスは苦手です(06.02.09)
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