お前もあんな、亜伊子と同じような目に遭ってたの?
光也に尋ねられたとき、とっさに言葉が出なかった。


子供時代のことは、慶光と一緒にいたとき以外、ろくな思い出がない。
どこでだってやっかいもの扱いされ、異人の子だと気味悪がられ蔑まれ、なのに伯爵家の子どもだからとうわべだけは取り繕われた。
父と母から引き離されて連れてこられた春日は、冷たい水の檻だった。
春日の家において、自分は「腫れ物」だったのだ。それでも嫡男だからと躾けられる。
大事なのは春日という名家を継ぐための器でしかなく、器に人間らしい感情など必要ないのだ。
そして次第に心は凍っていった。慶光の前でだけは、溶ける氷だったけれども。
「話したくも……ない?」
黙ったままの仁に、光也が尋ねてくる。
慶光と同じ顔の光也。けれど中身はまるで違う。それは決して嫌な感じの違いではなく、むしろ今の彼も愛しい。
見つめていると、沈黙をどう思ったのか、彼が口を開いた。
「オレ、もっと早くお前に逢いたかったな」
黒曜石の瞳に嘘や混じりけは一切ない。ああ、綺麗だな。仁はその黒から目を逸らせない。焦がれてやまない瞳だ。優しく、暖かで、美しかった。初めて出逢ったあの日から、仁はその光をどれだけ求めたか知れない。
「オレがいたら、酷いことなんて言わせておかなかったのに」
光也が本気でそう思っていることが伝わってくる。
「お前にそんな思いさせなかった」
彼は真面目な顔で、ぎゅうと仁を抱いた。
普段なら彼からの抱擁など絶対ありえないことで、仁は驚いてしまった。
しかしその抱き方はどう考えても恋情のそれではなく、親が子にするようなものだったので、下手な行動(具体的に言うなら悪戯)はせずに素直に身を委ねる。
ごめん、と言われて微笑した。
「光也が謝ることはない。それに、もうすでに僕は救われている」
「……オレがお前の親だったら良かった。絶対守ってやるのに」
こいつも同じことを言うんだな――――慶光と同じことを。
少し苦い感情が仁の心をよぎったが、すぐさま打ち消した。考えても詮のないことだ。
ということで気持ちを切り替えたので、さっそく仁は自分らしく振舞うことにした。
まず光也を抱き返す。
突然の行動に驚いたのか光也が身じろぎしたのがわかったが、仁は放さなかった。
「僕は、お前が親じゃなくて良かったと思うぞ。流石の僕も、親に恋愛感情は抱けない」
「……男に恋愛感情抱くのもどうかと思うけど」
「そう思うなら、あんな風に抱きしめたりしないほうがいいんじゃないか?」
途端に光也は真っ赤になって、腕の中からなんとか抜け出そうともがきだした。
なんて面白いんだ、予想通りの反応に仁は笑ってしまう。
彼のそばでは、自分はこんなにも簡単に笑えるのだ。
仁はくくく、と肩を震わせながら、救いの光を抱く腕に力をこめた。



仁は「自分がこどもだったら」と思ったけれど、
光也も同じように「オレがおとな(親)だったら」と思うんじゃないかな、と……。
(06.03.13)

ブラウザバック推奨