部屋は広く、椅子は柔らかく、テーブルはしっかりと造られている。
窓からは日が差し込み、暖炉は赤く燃えて空気を温める。
光也は片腕を肘掛に置き、旧かな旧字体の漢字で綴られた本に視線を落とす。
勉強のしすぎで、少し視力が落ちてはいないだろうか。
それとも、ゲームやテレビから離れた生活のほうが目にはいいのだろうか?
ぱたんと本を閉じて机の端に置くと、光也は両手を天に突っ張って伸びをした。
目じりに微かに涙が溜まる。
「ん、ん――――……」
ずっと根をつめていたせいか、なんだか眠い。
少し休息するかと思って体の力を抜き、手を無造作に下ろす。
「疲れてるのか?」
後ろのほうから聞こえる仁の声に「ちょっと」と答えて、身体をゆったりと椅子の背もたれに預ける。
目をゆるく閉じて、まぶたの上を右手で覆う。透けていた血液の赤さが消え、深い紺色に変わった。
「あー……」
意味のない音を喉から発する。載せていた右手を、だらりと身体の横に投げ出す。
瞬きを何度かして、欠伸をかみ殺そうと思ったのだが出来なかった。
肺いっぱいに空気を吸い込んでから、ふっと吐き出す。
仁が近づいてくる気配があって、とんとん、と肩を軽く叩かれた。
条件反射的に、何も考えず振り返ってしまう。
「!」
振り向きざまに、わずかに開いたままだった唇に指が押し付けられた。
間から指が入ってきて、光也の舌の上まで何かを押し込むとすぐに離れる。
何をするんだと怒鳴る前に、光也は口に入れられた物体の、その甘さに気づいた。
舌先で探るとどろりと溶ける。懐かしいこれは――――
「チョコレイト。甘いものは疲れがとれる」
にっと笑う仁を睨みつけつつ、光也は口の中の洋菓子をもごもごと追った。
チョコなんて食べたの、久しぶりだ。
こちらには何があって何がないのか、あるとしても手に入りにくいのか、光也にはわからず、いつもただ差し出されるものを食べているだけ。
「どうだ?」
「まぁ……うまい、な」
かなり甘いけど。
こくんと飲み込んで、唇を薄く舐める。
そんな光也の様子を見て仁は満足げに笑うと、体温で溶けたチョコがついた己の指を、口元に持っていく。
……目が合った。
そのまま視線をはずさず、仁はまるで見せ付けるかのように、指先のチョコを舐め取っていった。
光也の顔に、次第に血が上る。握ったこぶしを細かく震わせた。
「お前、わざとだろ」
「なにが?」
「全部だ全部!」
「心外だな、僕は疲れているだろうお前を見かねてチョコレイトをあげただけじゃないか」
「えーえー、おかげで眠気もふっとびましたよ」
「もう一ついる?」
「いらねえ」
嫌な予感がしたので即座に断った。
仁は「残念」と言うと、自分の口にチョコを放り込む。
光也は警戒を解かない。
なぜなら仁の目は依然として笑みを湛えたままだったからだ。
何かを企んでいる表情で、そして「企んでいる何か」の予想は簡単についた。
そしてやはり性懲りもなく顔が近づけられた。
それこそ「甘い」んだよ。
光也は素早く動くと、キスを奪おうとした彼から、逆に眼鏡を奪ってやった。
「あ、こら!」
慌てる仁に、なんとなく気分が良くなって、光也は試しに眼鏡をかけてみた。
途端にぐにゃりと視界が歪む。度が合っていないのは明らかで、眩暈が襲う。
どうやら、まだこいつの世話にはならずにすみそうだ。
仁に眼鏡を返して、光也は彼の持つ箱の中のチョコをひょいとつまんだ。



キャラメルがああならチョコレートはこうだろう、と思って。
明治ミルクチョコは、この数年後に一般に普及するらしいです。(06.04.24)

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