光也が気がつくと、ちょうど慶が自分の上から退くところだった。
 どうやら気を失っていたのはほんの少しの間だったらしい。
 光也はぼうっとする目を慶に向けた。なんだか身体を動かすのがひどく億劫で、まばたきすらもたつく。
「たぶん過呼吸か何かだろう……大丈夫か?」
 労わられて、自分の姿を省みると、なんだか凄いことになっている。
 肌には畳の跡。ところどころちくちくする辺り、細かなとげが刺さっているのかもしれない。
 それになにより、下半身の惨状は、正直、すぐに目をそらしたくなるような有様だった。
「……」
 光也は無言で身体を起こした。途端、様々な種類の痛みが身体を走る。
 腹痛、吐き気、腰の鈍い痛み、蹂躙された場所やなんかの――――その下に敷いた座布団には赤黒いシミが点々とついていた。
 眩暈を覚えたが、なんとか立ち上がる。上だけ服を着ている己の姿を、間抜けだなと思った。
 慶にタオルを手渡され、それで身体をざっと拭いた。それから下着を穿きズボンを穿き、……ぶっ倒れそうだ。
「便所借りていい……?」
 シャツに袖を通している慶に尋ねると、大丈夫か、とまた言われた。
 あまり大丈夫ではなかったが、ごく小さく頷いてみせる。
 ふらつく背中に注がれる視線を感じながら部屋を出ると、光也は壁に寄りかかった。
 情けねぇ……膝が笑ってやがる。あの目を思い出すとぞっとする。
 大声をあげたい衝動に駆られたが、それが泣き叫びたいのかそれとも大笑いしたいのか、どちらなのかがわからなかった。


 目に飛び込んだ慶の横顔に、戻ってきた光也の足は止まる。
 照明の加減のせいだろうか、陰影がひどく怖い……慶ではないかのようだった。
 こちらに気づいて振り向くその顔は、確かに慶なのだが。
「ああ、光也」
 大丈夫か、と三たび尋ねられて、光也は力なく笑った。
「さっきから慶、そればっか」
「他に何を言ったらいいのか、……わからなくてな」
「無理に何か言おうとしなくてもいいんじゃねぇ」
 光也が慶を見ると、彼は驚いたように光也を見返していた。
「なに」
「いや……」
 慶はゆるく首を振り、頬杖をついた。
「それにしても、どうするかな」
「なにが」
「その格好で帰すわけにはいかないだろう」
 光也の脳裏に、青白い炎のように怒る仁の顔が浮かぶ。
 どう言い訳したって取り繕えない状況だ。頭も痛くなってきた。
 慶は黙って、じっと何かを考え込んでいる。
「そうだ。光也、ビールをかぶれ」
「は?」


 春日の家に帰れば、門の前に人影が見えた。仁だった。この寒いのにいつから待っていたのだろう。
 光也に気づいて、つかつかと歩み寄ってくる。ああ、視線で人が殺せそうだなという感想を抱く。
「遅いっ!!」
「……風邪引くぞ」
「そんなことはどうでもいい!!」
 仁は光也の身体を眺め回して、怪訝そうに眉を顰めた。
「……なんで服が違うんだ」
 何を追求されてもしらを切り通せ――――慶の言葉を思い出し、光也は動揺を悟られまいとした。
「慶と酒盛りしてたら、うっかりビールこぼしちまってさ。着替え借りたんだよ」
「酒盛り? 酒に弱いお前がか?」
 そりゃあ疑うよな、と思うが、事実を混ぜているからあながち嘘ではないのだ。
 慶に教わった上手い誤魔化し方。嘘を言わなければいい。
 光也がビールを飲んだのも本当だし、服を濡らしたのも本当だ。
 仁はしばらく光也を睨んでいたが、やがて一応ながら納得したようだった。まだ少し疑ってはいるだろうが。
 そうだな酒臭い、風呂に入れ、と言われて光也は断った。
 首を振ったら倒れる気がしたので、言葉だけを使った。
「気持ち悪ィから、もう寝る……」
「確かに、顔色が良くないな」
「あ、やっぱりか……。どうもさっきから……吐き気、が」
「おい、みつ、大丈夫か?」
 ぐらりと視界が傾く。
 大丈夫か――今日もう何回聞いたっけな。オレってそんなに……。
 本気で吐きそうになり、光也は仁の肩に掴まった。
「ちょっ……と、ごめ……」
「光也」
「しばらく、じっとしてれば、直ると思うから、さ……」
「大丈夫か」
 大丈夫じゃねぇよ、どいつもこいつも、なんでオレに置いてかれるなんて思ってるわけ? オレはこのとおり、自分で歩くこともままならないんだから、そんなに必死に繋ぎ止めようとしなくたってちゃんと側にいるのに。
 仁に背中をさすられて、光也はさっきまでの畳の感触を思い出した。無性にベッドの中が恋しくなる。
 布団をかぶって、泥のように眠りたい。朝まで何も考えずに。


こんなんで誤魔化せるか甚だ疑問ではありますが。
慶は別にばれてもいいと思ってる……かも。
(06.03.10)